皎天よりあの子は遥か

花泳

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鮮やかなまま

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その青い約束だけが 私の希望だった。






1か月半ぶりに学校へ行くと隣の席にいたはずの女の子が退学していた。

確かにその前から風邪だと言って休んでいたけど、まさか学校をやめていたなんて。


その理由は聞く相手もいないみよ、、でさえすぐに知ったほど学校中のうわさになっていて、くだらないなとぼんやり思う。まあみよには関係のないことだからどうでもいいけど。



「天野さん久しぶりだね。課題できてるなら提出しに来いって村上先生が言ってたよ」


みよが学校に来たこと以上のうわさ話のおかげでいつもより静かに過ごせていたのに、この女...と見上げると模範的な笑顔が落っこちてきた。

相変わらず気色わるいな、この優等生。なんで他のひとたちみたいにこわがらないで話しかけてくるんだよ。


教室中の視線が一斉にこっちに向く。こそこそとした話し声は、この優等生かつ人気者の身を案じてる。さすがにみよだって話しかけられただけで手上げたりしないし。


「あー…わかった。どうも」


そうつぶやいて、かばんから課題を取って席を立つ。

はやくこの場から立ち去りたい。なんであんな注目されなきゃならないの。この女が話しかけてきたのが悪い。いつもそう。こわがってもらったほうがマシ。

だいたい馴れ馴れしいんだよ。貼り付けたような笑顔もご丁寧な言葉もうざったい。


そう頭の中で毒づきながら教室を出ると、なぜかそいつも付いてきた。


「いや、なんで来るの」

「私も村上先生に用事があって」


だからって一緒に行くことないでしょ。隣歩くことないでしょ。今度は廊下をすれ違うひとたちからの視線が突き刺さる。


言いたいことはよくわかる。片や万年首席の学級委員長。黒くてさらさらの長い髪にマニュアル通りの制服の着こなし。化粧っけはないのにいつも笑顔だからか可愛らしい。みんなから頼られる人気者の隣にいるのが問題ばかりの金髪頭、とか、そりゃ心配になるよね。

けっしてみよが呼び出して裏でシメたりするわけじゃないよ。なぜか勝手にすり寄ってくるだけ。なんなんだろう。優等生って、はみ出し者の面倒見て点数稼ぎしたいのかな。



「お休みしてる時は何してたの?」


ふつうに話しかけてくる。


「喧嘩とセックス」


めんどくさいからこれ聞いてこわがって。


「元気でいたならよかった。いいなあ」


くすくすと、小鳥が鳴くように笑う。さっきの貼り付けた笑みとは違うそれに居心地がわるくなる。


「いいなあって...バカにしてんの?」

「え、してないよ。私は、人と言い合いしたり誰かと身体を重ねることもしたことないから、いいなあって思っただけ」


喧嘩はともかく、高校2年で未経験なことをさらりと言って他人をうらやましがるってどうなの。素直や正直の類いに入れていいのかわからない。



みよのそれは、誰かと身体を重ねる、なんて綺麗な表現をしてもらえるものじゃない。

言い合いなんかじゃなく殴り合いや騙し合い罵り合いに近い、うらやましがられるなんてこっちとしては心外だ。



「優等生らしいね」


まあでも、学校の期待どおりの女の子。みよとは正反対の場所で生きてるってかんじ。だから嫌味で言ったつもりだった。


「結果的にみんなからはそう思われてるんだろうなあってわかってるけど、私はただ、学校が好きで、勉強して知りたいことを知れることが好きなだけだよ」

「……」


やっぱり、みよとは全然違う。学校を好きだと思ったことはないし、勉強して何かを知っても生まれた頃からみよに備わるものは何も変わらないって思う。



邪魔なもの。望んでいなかったもの。消えてくれないもの。そういうものしかみよにはない。



職員室に入ると、生徒たちよりも鋭いような、はたまた怯えるような視線が送られて肩身が狭いような気持ちになった。

気弱で上から押さえつけるわりに自分より高い立場の人間には尻込みする大人たちへの反抗心だけでこの場に来たつもりだった。


それなのに隣の優等生は柔らかい空気を放ち、先生たちに「失礼します」「お疲れさまです」と声をかけていく。


天使や女神のようなその態度はなんだか無性に腹が立った。



担任の音楽教師、村上先生の席まで行くと「めずらしい組み合わせ」と端正な顔でつぶやく。わるかったね。みよが呼び出したわけじゃないけど、きっとみんなそう思ってるんだろう。


「課題」と付き出すとその場で目を通された。

1か月半前補導されて、退学にも停学にもならなかったことが不満で学校をサボっていたら夜の繁華街に持ってこられたそれ。

一応やった。村上先生と同期らしい先生が担当している数学しかなかったからきっとこのひと独断の課題。やっても成績には関係しないんだと思う。



「このあたりの問題が空欄だけどどうしたの」

「…そのへん、授業出てない」


授業出てないみよがわるいんだけど、なんとなくふてぶてしい言いかたになってしまった。


「じゃあ蒼井さん、天野さんの勉強見てあげてくれる?」

「っ、は?」



なんつーこと思いついてくれてるの。妙に掴みどころのない、他の教師とは空気が違うようなこの担任はこういう突拍子もないことを言うから大の苦手だ。


「わかりました。天野さん、今日の放課後空いてるかな。ちょうど私は塾がないの」


いやいや、勝手に話をすすめないでほしい。なんで放課後まで勉強しないとならないの。しかもこの女と。


「みよは予定があるから無理」

「じゃあいつなら平気?明日はどうかな」

「いつでも無理だから」

「でも天野さん、昨日の夜はいつもの不良仲間たちとけんかしてなかった?気まずいんじゃない?」


…なんで知ってるんだよこの男。なんてことないような表情で言うからこわい。


じろりと見れば「パトロールしててね」と、音楽教師のくせにしょぼくれた警察官みたいな役割を担っているらしい。

確かに喧嘩して、行き場はない。すべてを見透かされたような感じに舌打ちしたいような気持ちになる。


「時間があるなら見てもらいなさい。課題の提出期限は今日までだよ」

「……」

「天野さん、大丈夫だよ。私、勉強だけはできるんだから」


わかりきったことを誇らしげに笑う蒼井今日子きょうこにため息をつく。これは何を言っても受け入れてもらえなそうだ。



「…今日だけ、よろしく」

「うん。よろしくね」


なんでこんなことに。めんどくさい。嫌いな場所で、誰とも関わりたくないのに。

学校なんて来なければよかった。提出期限なんて無視すればよかった。課題なんてやらなきゃよかった。そんな後悔だけがぐるぐると渦巻いていた。






いつも帰りのホームルームまでには教室を出ていることが多いから、放課後の静かな教室はみよにとってめずらしい空間だった。

蒼井さんがクラスメイトたちからの遊びや勉強会の誘いをみよのために断っている光景を何度か目にして、頼んでもないのに…と居心地のわるさを感じていたけど、騒がしくない古びた教室は、良いかも、とちょっと思ってしまった。



蒼井さんはわざわざ自分の席から椅子を持ってきてみよの席に向かって置いた。


「隣の席とか使えばいいのに」

「だって隣ははるかちゃんの席だから」


今日の…いや、あの雰囲気じゃここ1か月半の間うわさの的だったんだろう花村はなむらはるか。彼女はみよがちょうど補導された日に学校を自主退学したらしい。



「でも、もう学校にはいないじゃん」


それなら使ったって問題ないし、いたとしても使ってない間は借りたっていいと思う。真面目なのか、こだわりが強いのか。しかも変なやつ。


「学校にはもういないけど、はるかちゃんは生きてるから」

「変な考えかただね」


花村さんは隣の席だったけどあまり話したことはない。控えめな性格で特に目立つ存在でもなく、隣の席じゃなければ顔も名前も覚えてないようなふつうの女の子だった。

ただどことなく雰囲気は蒼井さんに似ていたかも。性格や顔立ちは違うけど、控えめなのに「おはよう」「ばいばい」 とみよをこわがる様子もなくただ隣の席の人間として扱ってくるところが、似ていた気がする。


きっと蒼井さんは花村さんのうわさをしない、彼女がわるいことをしたとは思っていない。


「仲良かったっけ?」

「特別仲が良かったわけじゃないかなあ。ふたりで遊んだこともないし。でもはるかちゃん、周りをよく見れる優しい子だったから話す機会はたくさんあったよ」

「…ふうん」



まあ、ふたりの仲なんてどうでもいいけど。


蒼井さんは落書きも汚れもない教科書と、黒板をただ写したわけではなさそうなノートを開きながら課題の問題文に目を通す。

そして的確に要点だけをみよに伝えてくる。まったく知らなかった問題の解き方を頭が理解していく感覚に、どうしてか心臓が高鳴った。



「数分でわかった……蒼井さん、教えるの上手いね」

「ほんとう?天野さんにほめてもらえるなんてうれしいなあ」


人のことをほめ慣れないこっちとしては、そう素直に受け止められるとわるい気がしない。


「でも天野さんだって勉強できるほうでしょう。あまり学校来ないわりに順位高いもん。私が家庭教師したら私より頭良くなるんじゃないかなあ」

「1位ってこと?ないない。ありえないよ。勉強好きじゃないし」

「生きてたらありえないことなんてないと思うけどなあ」



それは、きれいごとだ。

真面目にしっかり生きているひとに敵うわけない。

それに。



「生きてたらねえ…じゃあ、みよは明日死ぬから、やっぱりありえないことだよ」



さて、優等生はどう答えてくれるかな。そんなふうに彼女を見つめれば、黒く深い瞳がこっちを向く。

喧嘩したことないって、そりゃそうだろうって思うくらい売る気も起きないような綺麗な艶玉だった。



「天野さん、死んじゃいたいの?」



答えてくれない代わりに曇りのない問いかけをぶつけられた。あまりに直球だったからこっちが身じろぎしそうになる。

台詞的にもう少し遠慮してくれても良いんじゃないかな。これじゃ逃げ場がない。



「…生きてても、楽しいことなんてないから」


あるのは、面倒になるほどの苦い痛みだけ。



未成年での酒と煙草。盗んだものを平気で自分のものにしたり、違法の薬を手放せないやつらとの交流。嘘をついて引っ掻き回した人と人との間の絆。馬鹿にしてきた人間。お金をもらってするセックス。心の中でバカにするだけのセックス。時には血が出るほどの暴力を受け、代わりに他の人間を使ってもっと大きな暴力を与える。

誰かに恨まれ、騙して、騙されて、やり返されて、 やり返して、終わらない連鎖。


抜け出せない汚れに身を沈めることでラクを覚えた。何度も補導された。悪いことに手を染めた。

それでも恵まれていると自覚できるくらいの容姿と親の権力に目をくらませた人たちのせいで罰せられたことはない。


誰もみよのことなんて見ない。悪いことをしてるのに。誰かを使って発散しているのに。子供じみたことをしてるって自分でもわかっている。だけどやってることは子供なんかじゃないのに、どうして。


こんなどうしようもない世界、なくなればいいのに。 そんなことを思ったって滅びちゃくれないから、みよが消えるしかないでしょ。


だから課題を提出しに来た。

だから今までのことを片付けて、縁を切った。


天野美宵みよいは今日で終わり。死にかただって決めてある。大嫌いな家で死ぬの。いつもなら行き場なんてないけど今日は帰ろうと思っていた。



「天野さんって自分のことみよって呼ぶんだね」

「…は……」

「可愛い。名前、美宵ちゃんだもんね」

「っ、か、関係ないでしょ…!?」


みよは今、子供の駄々みたいなことを言って、だけど本気で死んでもいいってことを、なんてことないように言ってみせたはずだった。

ついに優等生の笑顔が崩れるかもって期待してた。バカにしてやるつもりだった。


それなのに彼女は話しの脈略なんてお構いなし。自分で聞いてきたくせに、なんなの。



「あ、ごめん。時間だからちょっと薬飲むね」



…は?

どうでもいい、と思ってしまいたいのに、何種類もの薬を淡々と準備して水筒の中身とともに体内に流し込む姿 を見て、どう反応したら良いのかわからなくなる。


いや、どうでもいいでしょ、こんなの。友達でもなんでもないただのクラスメイトが、なんなのか、なんて。

もちろん薬物じゃないだろう。じゃあなに。



「…なに、蒼井さんって病気なの」

「うん。小さいころから」

「......あっそう」

「あ、今、やばいって思った?べつに大丈夫だよ。だけど美宵ちゃんしか知らないから、内緒にしてね」


なんで名前で呼ぶんだとか、なんでそんなけろっとした顔で話せるのかとか、言いたいことはいっぱいある。急にやめてほしい。


学校に来れば元気で明るく人に頼られて好かれている、悩みなんて何もなさそうな女の子が、なんなの、突然。


「気を遣わせるつもりはなかったの、本当だよ」

「いや…遣うでしょ」

「そっかあ。でもこれが私のふつうだから、気にしないで」


蒼井今日子のふつう、は、みよにとってのふつうではない。幼いころから病気なの、なんて、クラスメイトも知らないようなこと、みよに言う意味がわからない。

薬なんて隠れて飲んでくれたらよかったのに。



「内緒にしないって言ったらどうするの」

「美宵ちゃん、言うひといないじゃない」


くすくす笑いながら失礼なことを言う。優等生って、わけわからない。


「それに美宵ちゃんは、仮に言うひとがいたって他の子たちみたいにうわさしないもん」

「…なんで」

「なんでそう思うのかね。…じゃあ、美宵ちゃんは、はるかちゃんのことをどう思う?」


さっきから突拍子もないことを聞いてくる。


「どうって、どうも思ってない。どうでもいい」

「それはうそ。どうでもいいとは思ってるだろうけど、どうも思ってないことはないでしょ、生きてる人間なんだから」


嫌味ったらしい口調にちょっとおどろいてしまった。

なんというか、いつもより丁寧じゃない。答えないならきみの負けだよって言われてるような気分になる。



花村はるか。隣の席になってから律儀にあいさつしてくる、少し小柄な女の子。同じグループのふたりが並んだ後ろに引っ付いて歩いているような控えめな性格。


委員会は入ってないけど、吹奏楽部で、トランペットの手入れをしょっちゅう席でしていたところを見たことがある。

厚めに揃えられた前髪ときっちり分けられたふたつ結びの、垢抜けない地味めな容姿。よく一緒にいたふたりの友達は部活が一緒なのか、おしゃれに目覚めはじめたばかり、みたいな感じの子だった。


そんな目立たない存在である花村さんが「もうすぐ子供が生まれるから」と学校をやめたのは、学校のみんなにとって青天の霹靂だったんだろう。


仲が良かったはずの子たちも今日は愚痴のように彼女の話をしていた。「部活突然辞めたときも迷惑だったけど」「彼氏いるなんて聞いたことないけど相手誰なんだろうね」「うわさによるとエンコーだったっぽいよ」「え、汚っ」「今どき援交って(笑)」「あんな地味だったのにね」「ねー!」って。

自分たちの都合や持ってる知識だけで他人を見るのはやめたほうがいい。



「…自分で決めたことなら、べつに良いんじゃないって思うよ。何も知らないから下手なことは言えないけど、本来子供を産むっておめでたいことだろうし」


1か月半も前のことをまだぐちぐちと話しているひとたちのことが気色わるいって感情のほうが勝ってるけど。



そう付け足すと優等生で人気者で病気を持っているらしいクラスメイトは、ふわっとうれしそうに微笑った。


「やっぱり、美宵ちゃんは、そういうひとだよね」


そういうひとってなに...。でも今度は嫌味ったらしい感じじゃないからいっか。

きっと蒼井今日子もみよと同じようなことを思っているのかもしれない。どうでもいいじゃんって。本人が決めたことなら、なんだってって。


関係ないだろって。
本人が良いって決めたことを周りがとやかく言うことなんてない。

放っとけよって。






勉強を教えてもらった流れでどうしてか一緒に帰ることになった。

嫌だったけどわかりやすく教えてもらって課題も提出できた身としては「一緒に帰ろう」という誘いを断ることができず…でも、ちょっと近くない?


「美宵ちゃんどうしたの?」

「…その呼びかた、なんなの」

「え、いまさら?」


つっこむ隙がなかったんだから仕方ないじゃない。なんてことない、みたいな態度にため息をつく。


「ねえ、蒼井さんの病気って、死んじゃうやつ?」

「どうせなら美宵ちゃんも私のことも今日子って呼んでよ」


どうせならって使いかた違うと思う。万年首席がおかしい。


「呼ぶわけないでしょ」

「だよねえ」


くすくす笑ってる。みよ、笑えないような質問したはずなんだけど。まあどうでもいいんだけど。



なんで質問しちゃったのか自分でもよくわからないし。答えようとしない素振りも どうでもいいから気にならない。

何種類もの薬。

気味わるかったな。なんて不謹慎か。


腕と腕が当たるような距離で歩く仲ではないはずなんだけど、突き放す理由もない。話す内容もない。

どこまで一緒に歩けばいいんだろう。駅までかな。そうだと願いたい。


人と関わるのは苦手だ。特に自分とは違う人種。

かといって自分と同じ人種が何かもわからないけど、悪いことをしてるやつらならいいかなって。向こうからしたらはた迷惑かもしれないけど。


「死ぬ病気だって言ったら?」


答えるの、遅いよね。


「聞いといてわるいけど、どうもしない。どうでもいい」

「それはうそ。どうでもいいとは思ってるだろうけど、どうも思ってないことはないでしょ、生きてる人間なんだから」

「…またそれ」


また嫌味っぽい。そう言ったら答えるだろうって思われてるのかもしれないと口を閉ざすを軽やかな笑い声がした。バカにされてるのかも。



「“死ねるなんてうらやましい”?」

「…は?」

「私は、誰かと言い合いしたり身体を重ねたりできる美宵ちゃんのこと“うらやましい”よ」

「……」



みよのそれと、蒼井さんのそれはきっと違う。

違うというか同じ括りにはできない。しちゃいけない、と思う。悪いことはたくさんしてきたけど、それくらいわかるよ。


もやもやする。病気で死ぬひとのことをうらやましいと思うような人間に思われてることが、こわかった。不良だとか問題児だと煙たがれるよりずっと。



「美宵ちゃんは、好きなひととかいないの?」



脈略はない。目も合わない。


「べつにいない」

「そうなんだ。私もいない」

「意外だね。クラスメイトは?」

「あ、好きだよ、もちろん」


恋愛の話だったのかな。どちらにしろ、みよにはそんなひといないけど。


「じゃあいつか、好きだなあって思えるひととセックスできたらいいね」


模範解答みたいだなと思った。好きなひとと、なんて、みよは考えたこともなかった。

彼女にとってのそれは、好きなひととするものなんだ。


「喧嘩もさ、しょうがないなあってゆるしてくれる子とできたらいいね」


喧嘩したら仲直りできることが当たり前なんだ。そういうふうに、懸命に、生きることと対峙してきたひとなんだ。



─── どこまでも違う。


だけど、違うままでいたくない。




「蒼井さん、あの……、…っ」


何を言おうとしたかわからない。だけど合わない視線をこっちに向かせようと呼びかけると、別の誰かとぶつかった。


「あ、すみませ…」

「すみません!…って、あれ、天野さん?あ、今日子ちゃんも一緒にいる。めずらしい組み合わせだね」

「え…花村さん…?」


びっくりした。学校中のうわさの的が、急に目の前に現れるんだもん。


「ぶつかってごめんね」

「いや……あ、お、おなか、平気!?」


慌てて屈んで彼女のおなかを見ると、ぺったんこ。


「美宵ちゃん。はるかちゃんのあかちゃんならもう生まれたんだよ」

「…へ?」


うそでしょ。学校やめたの1か月半前で、もう産んで、いまここにいるってどういうこと。


「おなかはあまり膨らまなかったの。それでいて早産だったの。…あ、これ見て」


携帯を開きながらぐっと近づいてくる。慣れない距離に不安になって思わず蒼井さんを見ると、のんきな笑顔でただ浮かべてる。

いったいなんなの…今日は厄日なのかな。どうせ死ぬ予定だったからいいんだけど。



「わたしのあかちゃん。ゆういっていうの。優しく生きるって書いてゆうい」



名前も、しわくちゃで真っ赤な顔も、性別がわかりづらい。どっちでもいいやって思った。

写真や動画を何枚も見せられておなかいっぱいになる。わんわん泣いたり寝てるだけなのに、小さいその存在をいとおしそうに見つめる瞳は、学校にいたころの花村さんじゃないみたいだった。


大人びた横顔。死にたいとか悪いことをしたいとか誰も自分を見てくれないとか、そんなこと、この子は絶対に考えないんだろう。



自分のことが、ひどくかっこわるく思えた。


本当に死にたかった。そうすれば今よりラクになれると思っていたからだ。理由だってちゃんとあると正当化していた。仕方のないことだと、誰にも言えない言い訳を頭に並べて、だけどそれを声にする勇気はなくて。はずかしい。

いま隣にいるふたりは、みよと同い年なのに。



「わたしね、言えなかったけど、天野さんのことかっこいいなあって思ってた。周りの目も気にせず自由な感じで……わたしにはできないこと、いっぱいできてるひとだって。今日子のこともそう。勉強ができてみんなに好かれてていつも笑顔でかっこいいなあって。…いつも誰かのことうらやましいって思ってたの。だけど今は、わたしっていちばん幸せかもしれないなあって思うんだ」


そう言った彼女は、その幸せを自慢するようではなく、ただただみよたちに報告してくれているだけだってわかった。


これからあかちゃん…優生ちゃん?くん?わからないけど、その子が入院している病院へ行くんだって。

体調も良好で明後日には退院らしい。蒼井さんは「よかった」と心の底から安心したような声でつぶやいていた。



手を振られて、手は振り返せずに別れた。

駅ももう近い。やっとひとりになれる。


「ねえ、美宵ちゃん」

「…なに」


もうすっかりその呼びかたが定着してる。でももうどうでもいいや。

もっと大事なことが、あるはずだ。


「私思うの。つらいこともあるかもしれないし、楽しいことと思うことはないかもしれない。だけど美宵ちゃんは死ぬ必要ないって」

「勝手なこと言うね」


うらやましいとは思わない。でももっとひどいことは思ってしまった。

死ぬかもしれないひとはお気楽でいいよね。 何も知らないくせに。死ぬ必要はないって言うけど、生きる必要だってないんだよ。



そういう場合はどうしたらいいの。蒼井さんにはそれがわかるの?


「楽しいことやうれしいことを探そうとするからくるしくなるんだよ」


かあっと顔が熱くなった。

ああそうだなって、思ってしまったからだ。



「そりゃ探すでしょ…蒼井さんは、違うの?」

「違うよ。私は探してなんかない。…病室にいるしかなかったあの頃にはできなかった楽しかったことやうれしいことを、作ってはいるけどね」



違う。

概念が、気力が、何もかもが。


生きたいと願っているひとを、目の当たりにした。初めてだった。



「美宵ちゃん、明日も学校に来てね」


蒼井今日子はいつも教室でしているような笑顔でそう言った。

ぐ、と息を飲んで、踵を返す。


今日死ぬのに行くわけないでしょ。明日なんて要らない。生きたって意味がない。本当は悪いこともしたくない。ふつうに生きたかった。ふつうに生まれたかった。ふつうに誰かと、笑い合ってみたかったの。


どれくらい歩いただろう。思わずそっと振り向くと、蒼井さんはまだそこに立ってみよを見ていた。

みよはぜんぜん歩いてなかったらしい。近くにいる。生きている。


このままじゃ帰れないよって訴える双眸に、振り向いたことを後悔した。どうして振り向いたんだろう。



本当に、

本当に死ぬつもりだった。


ほんとうだよ。

ずっと、ずっとつらかった。


ひとりは淋しかったんだよ。



だからこそ彼女の言葉が、心をえぐるように突き刺さったんだ。



「────… わかったよ」


投げやりの口調でそうつぶやくと、彼女は得意の笑顔を残して改札を通ることなくどこかに行ってしまった。

駅使わないのかよ。






次の日、みよは学校に行った。

約束とはとうてい言えない半ば強引に言わされたようなものだったのに、行かなきゃって、死ぬことができなかった。

思えば覚悟した気になっていただけなのかもしれない。後からそう思った。



──── 楽しいことやうれしいことを探そうとするからくるしくなるんだよ。


蒼井今日子はその日以降学校に来ることもなく、家も引っ越し、消息を絶った。



あれから8年ほど経った今でも、なんとなくあの日のことを思い出すことがある。

死のうとしていたみよが、生きていくことを選択した日。誰かに初めて名前を呼ばれた日。問題を解くことが楽しかった日。


不思議だよね。この人生でわすれられない日ができるなんて思わなかったよ。



きっと彼女はもう死んでるんだろう。そう思うと余計に、覚えてないとって使命感のようなものが芽生えてしまって。


それなのに彼女は本当に突然なひとだ。



「久しぶりだね美宵ちゃん。元気そうでよかった」

「え、なんで生きてるの…?」

「何それ。村上先生からこのクリニックに勤めてるって聞いたから来たのに」


死んだとばかり思っていた同級生が職場にやってきた。

受付を通ってきたからオバケではない。優等生らしい笑顔も健在だ。ぜんぜん変わってない。


「死んでなかったんだ」

「それはこっちの台詞だよ。生きてたんだね」


黒くて深い瞳がこちらを向く。嫌味っぽい言いかたにため息をついた。


「明日も学校来てね、なんて、蒼井さんが言ったからじゃない」

「そっか。…実はあの夜倒れちゃってね、緊急搬送されて、もう本当に死んじゃいそうになって、でもなんとか持ちこたえて…でも学校には行けないまま、都内の病院で治療することになって。約束守れなくてごめんね」

「べつに、約束なんてしてない」

「美宵ちゃんって相変わらずクールな物の言いかたするんだね。それじゃ患者さんこわがっちゃうんじゃないかな」


余計なお世話だ。そういうところも、くすくす笑うところも、変わってないんだね。


「……子供、できたの?」

「たぶんね。まだ検査薬しか試してないから、診察してくれるかな」

「それが仕事なんだから、言われなくてもやりますよ」


セックスも知らなかったあの頃の優等生は、苗字も変わって、おなかに子供がいるかもしれないと8年ぶりにみよのもとに姿を現した。

再会にしては微妙な感じ。でも友達でもなんでもなかったから、こういう機会がなければどちらにしろ会うことはなかっただろうね。



「美宵ちゃんが婦人科医になってるとは思わなかった」

「…花村さんの幸せそうな顔が頭から離れなくて」

「うん。美宵ちゃんらしいね」


楽しいことやうれしいことを作ろうともがいてみれば、自然と、人と仲直りしたり、出会えた好きなひとと身体を重ねることができるようになっていて。

死にたいと思ったり、悪いことをすることよりも、人のことを考えるようになって。



「なに泣いてるの、美宵ちゃん」


「……今日子だって泣いてるよ」



つらいとくるしいとくやしいの渦の中にいて、溺れるだけだったあの頃。

その青の泳ぎかたを教えてくれた蒼井今日子と、行く先を示してくれた花村はるかとの、たった1日。


きっとみよにとってその日がわすれられない大切な日になったように、大人として生きている人たちには、そう いう日があるのかもしれない。

だから、生きていくという選択をして、今日も新しい朝の青を迎えられるのかもしれない。そう思うよ。



「ねえ、また会えて、うれしい」


「生きててくれてありがとう、だね、お互いに」





これは誰かにとっては綺麗ごとかもしれないけれど。



生きていさえすれば、なんてね。







fin.. .


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