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虫そのものより退治しようとやっきになる人間の方がよっぽど怖い

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 不規則な振動と、車輪の音。

 馬車に揺られていると思い出す。
 初めて陛下にお会いした時の事を。

 10歳だった俺は、騎士団長だった父に連れられ、王室が所有する別荘に向かっていた。
 王族方が毎年夏、静養の為に訪れる避暑地へ。

 父としては、当時8歳だったローラ王女の遊び相手にでもなれば……と思っての事だったのだろうが。

 俺は、初めて会う年下女子とどう接して良いかわからなくて。

 とりあえず年上男子の威厳を見せつける為、素手でセミを捕まえてみせたのだ。ところが……

 『命をオモチャにする人は嫌いです』
 
 それが、初めて陛下から賜った言葉。

 きゃー気持ち悪い! でもなく。
 よく素手で触れるわね! でもない。

 同年代の女子とは思えないリアクションに呆然とする俺の手から、陛下はセミをそっと取り、逃した。

 その時から、陛下は俺の特別なお方になったのだ。

 

 「陛下は幼い頃から、かように慈悲深く、立派なお方だった。あなたはそんな尊いお方を殺めようとしたのです」

 向かいで俯いたままのエレナ嬢に、そのエピソードを聞かせてやった。
 陛下の素晴らしいお人柄を伝え、愚行を悔い改めさせる為に。

 勿論、俺が恋に落ちたくだりは省略したが。
 あのチャラ男だけでなく、女性達からの不動の人気を誇る俺までも陛下に夢中とあらば、エレナ嬢の嫉妬の炎に油を注ぎかねないから。

 「しかし、陛下はそんなあなたにさえ、情けをかけようとしている。未来ある少女の処刑を、あの方は望んでおられません。なんとかこの件を丸く収めるようにと命じられ、私は今ここにいるのです」

 膝に置いた手を、固く握りしめる可憐な謀反者。

 「わかりますか? 神の啓示を受ける為、常に正しくあろうとしているあの方が、あなたの罪をもみ消そうとされているのです。これがどれ程覚悟のいる事かご理解頂きたい」

 これだけ懸命に訴えかけても、エレナ嬢は沈黙したまま。
 謝罪の言葉一つない。

 イライラしてきた。
 こんな小娘のせいで、陛下がお心を痛めていると思うと。
 
 「少しはあの方のお気持ちを考えたらいかがです!? 日々祖国の為、民の為に身を削り励まれているのに……慈しんでいる民から命を狙われて! 」

 びくりと肩を揺らし、顔を上げるエレナ嬢。
 突然強い口調で責める俺に、驚いたようだった。

 「陛下は名君だが、俺やあなたとさして歳の変わらない人間だ! 嫌な事があれば落ち込む! 憎まれれば傷つく! 子供の頃、髪を切った陛下に、長い方がよかったと俺が言った時も、泣きそうな顔をして一週間口をきいてくれなかっ」

 「うるっっっさい!!!! 自分が一番、ローラ様を知ってるような口ぶりしちゃって!!!」

 まるで爆竹のように、前触れなく怒りを弾け飛ばす彼女に、今度は俺の方が驚いてしまった。

 「この勘違い野郎が!! 私が陛下を傷つけるようなマネするわけないでしょ!? あぁもっと小ぶりな花瓶だったら、確実にあんたの頭をカチ割ってやれたのに!!」

 「え? ちょ……?」

 まさか。

 陛下のおっしゃった『ベタな展開』とは異なる話の流れ。
 俺はらしくもなく、戸惑いに目を瞬かせた。

 「私が狙ったのは、ローラ様の周りをうっとおしく飛び回る小蝿!! つまりあんたよ!!」
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