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地頭を鍛えたいけど鍛えて育つものを地頭と呼んでいいのか

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 「だってすご過ぎますよ!! これだけの本に目を通すだけでも一苦労でしょうに……知識をすべて習得して、災害予知にまでつなげるとは! これが聡明な女王陛下でなくて何だと言うのでしょう!?」

 「で、でも……私は……」

 敬愛する陛下の、さらなる敬愛ポイントのご披露に、急上昇する俺のテンション。
 そして、そんな俺に明らかに戸惑っていらっしゃるローラ様。

 しかし、俺の興奮は止まる所を知らない。

 「いやあ! 思い返してみれば、ローラ様は昔から飛びぬけた頭脳の持ち主であらせられましたね! 昔、数学の割り算で苦戦していた俺に、わかりやすく解説して下さった事を思い出しました! 
 覚えておいでですか? 7つのケーキを3人の子供達で分ける為には、1人に何個ずつ配ればよいかという問題で……俺は、なぜ割り切れぬ数のケーキを大人が用意したのか、意味がわからなくて! だって喧嘩をさせようとしているようなものじゃありませんか! ですがそんな俺に陛下は、3人で2つずつケーキを食べて、残った一つはパパとママで半分こすれば良いと、絶対的平和な解決策をご提示下さって!」

 「あ……あったわね、そんな事も……今思えば、正しい解答ではまるでないけれど……」

 「けれど少なくとも俺は、幸せな気持ちになりました!」

 ご謙遜に対しそう即答した俺を、陛下はハっとしたような顔で見つめた。

 「啓示の事も、同じです。あなたの選んだ道が正しかったかどうかは、誰にもわかりません。けれど、現状を見て下さい。国は栄え、民は守られている。皆、あなたを愛し、感謝している。あなたはそういうお方なのです。いつだって、自分以外の者の為に尽くし、幸せを運んでくださる。慈悲深く、賢明で、ひれ伏したくなる程気高い、シルクバニア王国の主なのです!」

 俺が言い終えるのを待たずに、陛下は泣き崩れた。

 椅子に座ったまま、お顔を膝上に突っ伏し、声を出して――。

 そんな陛下を、身をかがめて、抱きしめる。

 「申し訳ありませんでした。あなたがお一人で、こんなにも苦悩されていたのに……俺は……まるで気が付かなくて……」

 たった一人。この部屋にこもり、本を読みふけっている陛下のお姿を想像する。

 どんなに心細かったろう。どんなに不安だったろう。

 この小さな背中に、国と民の全未来を背負う重圧は、いかばかりのものだったか。

 時折みせる物憂げな表情。
 その裏に隠された苦しみ、悲しみを、5年もの間知らずに過ごしていた自分を殴ってやりたい。

 いや殴るだけじゃ足りない。剣山の上にひざまずかせ、冷水を浴びせて、鞭打ちの刑にするのがふさわしい。
 いやしかし……鞭を打つのがローラ様だったら、俺にとっては罰というよりむしろご褒美的な――

 「5年前……」
 
 「はっ! はい!?」

 こんな状況でもよからぬ妄想を膨らませる俺の思考に、陛下の小さなお声が割り込んで来た。

 「覚えている? お母様が死んで、私が即位して間もない頃……慣れない公務と、母を失ったショックで……私は心身共に疲弊しきっていて。それで……深夜まで書類書きをしている私に、あなたは言ってくれたの。仕事は明日に回して、早く休んだ方がいいって……」

 「勿論記憶しております。あの時の陛下は……見ているのも辛い程、憔悴しておられて」

 肉親を失ったばかりの陛下を待っていたのは、あまりにも辛い環境だった。

 国内外の要人との会議、懇談、会食。各地で催される行事への出席。分単位で決められたスケジュール。
 そして、膨大な量の事務作業。

 悲しむ間も、眠る間も無い毎日に、ローラ様は日に日におやつれになって。

 だから進言したのだ。差し出がましい事とは思いながらも……『お休み下さい』と。
 愛する陛下のお体が、とにかく心配で。

 「私は、嬉しかった……。周囲の人々は、私に女王としての完璧な振舞いを望んでたけれど……レオは違う。レオだけは私自身を尊重し、思いやってくれていると……。だから、休んだの。書類は山程残っていたけれど、あなたに心配をかけない為にも、しっかり食べて、早めに眠った。でも……きっと、それがいけなかったんだわ」

 「と、おっしゃいますと?」

 「公務……国よりも、自分の休息を優先するような女王に、神はお怒りになられたのだと思う。それで……私にお言葉を授けてくれなくなった。そのせいで……あなたのお父様の事故も防げなかった……。
 だから、あなたと距離を置こうと思ったの。あなたは国よりも私を優先する、そして私もそれを心地よく感じてしまう。このまま傍にいたら、神は永遠に私をお許しにならず、お言葉を授けて下さらない。私は女王として、堕落する一方だと思ったから……」
 
 「そういう……事だったのですね……」

 俺達の間に立ちふさがる、壁。

 ようやく明らかになったその正体に、様々な想いが、胸に渦巻く。

 だが心に沸き上がった感情の筆頭は、間違い無く……見た事も会った事も無い、神への怒りだった。
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