【完結】畑暮らしのΩ王子、20年越しに“番”が現れました

兎沢にこり

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運命の影、燃ゆる葉の道標

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案内された部屋は、ヴァルデンハイト城の部屋とは思えないほど乱雑に物で溢れていた。
整頓という概念が消え去ったフィルの自室は、本という本がベッドの上に積み上がっているし、応接用に用意されているテーブルには試験管やフラスコが載っている。
明らかに観賞用ではない、鉢植えに植った食物は、葉が所々切り取られていた。
足の踏み場が決まっているようで、その周りに沿って私物や紙の束が置いてあり、綱渡りをするように歩いてソファに促される。

「ごめんね散らかっていて」

言葉通り散らかっている部屋だが、なんだか落ち着く空気を醸し出しているから不思議だ。それは部屋にある大きな窓がたくさんの日光を差し込んでいるからだろう。
自然とそちらに視線をやると、フィルははにかみながら窓を見る。

「ここ日差しが暖かいんだ。セラトリアの研究所は地下にあるから日中でもこんなに日を浴びる機会はないからさ」
「どうして地下に?……研究なんて根詰めるような場所なら、特に開けた場所の方が居心地が良くないですか?」

兄のアスレイも研究職だが、彼は昼夜逆転しがいだから進んで日差しから逃げている印象だ。
そんな羨むような瞳で日差しを見るのならと思ったが、どうやら違うらしい。

「バース研究所は秘匿の薬を作るためにあるから。安全のためにと地下にあるのに、今回は完全にやられたよ」
「あぁ……それで」

思わずたじろいでしまいそうな皮肉な笑い。綺麗なのになぜか子供っぽいような印象を受けるその表情に、尻の座りが悪い。
なんとか座り直してフィルを見た。

「敬語はいいよ。レオンと話すみたいにして」
「ですが、」
「いいんだ。僕はもともと一般庶民の家の子なんで。こんなヒラヒラした服も、正直動きにくいから着たくないんだ」
「そう…なのか?」

そうだ。と肯定する頷きを見た後にメイドがお茶を持ってきた。開け放たれた扉を、持ってきたワゴンで押さえながら、慣れた手つきでトレーに茶菓子を乗せていく。そしてエリオスと同じようにここまで綱渡りをしてソファの前にやってくると、実験道具を避けてお茶と菓子を並べてくれた。
退室するメイドを見送ってから話の続きをとフィルが片手でティーポットを傾ける。明るい赤褐色の液体は、細かい模様の描かれたティーカップによく映えた。最初はエリオスのカップに、続いて自分のにと気品もへったくれもない"その"お茶の入れ方にエリオスは驚いたが、フィルらしいとすんなり思ってしまう。

「もう知ってると思うし容姿もこれだから言うけど、僕みたいなΩの庶民は結構先行き不安でさ。庶民が買える抑制剤は効き目がイマイチのものしかないし、今後どうしようって時に行きつけの薬師の爺さんにヴァルデンハイトの学校を勧められたんだ」
「この国は貴族も庶民も関係ない、ってやつか?」
「そうそれ!……もともと薬に興味はあったけど庶民がつける職業じゃなかったし、まぁダメ元でとりあえずここで学べるならって入った時、レオンに出会ったんだ」

フィルの瞳の先にエリオスは見ることのない、二人の学生時代の様子が映っているようだった。
宝物を思い出すかのように、唇からこぼれていく。

「僕さ、地元でαを見たことがなかったから驚いたよ。こんなに綺麗な人間がいるのか、って」
「フィルも同じくらい……綺麗だぞ」
「見慣れた自分の顔じゃあなんとも思わないだろ。系統も全部なんか違うし」

指先で引っ掛けたティーカップを口元にやる仕草は行儀が悪いのに、違和感は発揮されない。
エリオスも入れたての紅茶で乾いた喉を潤した。
視線を茶菓子にやると、用意された銀の皿にナッツのタルトを見つけてこっそり微笑む。
エリオスがこの菓子を好んでいることは、城の菓子職人に伝えられてる。
お気に入りの菓子に気分が上向いて、腹の虫には適役だとつまんで一口に押し込んだ。
城内では見ることないだろうその豪快さが良かったのか、フィルも同じように一口で口に入れる。
小さな口をいっぱいにしてザクザクと噛み締めるナッツの量に、一度会話はストップするがそれがまた面白いと二人は目元緩めた。

エリオスは目についた植物からフィルに話を振ると、薬についてたくさんの話をしてくれた。同じようにエリオスも、畑での知識や出来事を話してみれば、意外な共通点を見つけた。
年の離れたフィルがなんとも気のいい人間で、薬師の仕事にとても誇りを持っていると知ると、エリオスはマルクに思う感情と似たようなものをフィルに向けていることに気がついた。

苦労なく幸せになって欲しいと……親心を超えた爺心だ。

盛り上がった話からフィルはまた紅茶を一つ飲む。
黙っていれば天使のようだ……なんて思うのは失礼極まりないが、エリオスとかけ離れたΩの見本たるその容姿は、もう嫉妬など湧きもしない。

「さっきの話だけど、ここにいたらよく聞くんじゃないか?」
「僕とレオンのことだろ。毎日さ」

フィルはレオンハルトを純粋に「綺麗」と言った。ならば、城内の人間たちが望んでいるレオンハルトとの婚姻も、あながち噂話で燻っているような話ではないのでは?と、歳を食って達観しきったエリオスは飲み込める。
なんならもうレオンハルトに運命だなんだと言われるのは苦しいし、農夫として叶わない恋を胸に飼い続けるのは体力を持っていかれる。
だったらなるべく迅速に、どうにかこうにか二人がくっつけばいいと、面倒臭い大人の心は拗れている。
加えて未来ある若者にとって、全てを諦めたおっさんなんて障害物でしかない――そんな、いらぬお節介と自己中心的な考えが渦巻いた。

「フィルはレオのこと良いって思わないのか」
「ははっ、僕が?」
「あいつ優しいし、強引なところもあるけどいい奴だろ?それに……」
「「ハンサムだし」」

あはははと部屋に響くほど大笑いのフィルとエリオス。
根が張るだろうソファに座りながら、我慢しても盛れる笑い声を耐えられないと肘掛けや背もたれを叩くことで逃した。
しかしひとしきり笑った後に、フィルは長い息を吐いて首を振る。

「でも、僕じゃダメなんだよ」
「なんでだよ。もしかして既にいい人がいる、とかか?」
「そうじゃなくて」

フィルは履いていた質のいい革でできた靴を「我慢できない」と蹴るように脱ぐと、そのまま膝を抱えた。
顔を膝小僧に埋めて、ボソボソと話しだす。

「正直……僕の初恋はレオンだよ」

奥深く仕舞い込んだエリオスの心がキュッと絞られる。だが、今は自分の感情なんかいらない。
元から華奢な体躯であるが、さらに小さくなってしまったその様子が痛々しくて隣に寄り添った。
触れるのは気が引けたが、思わずその背を撫でる。
下手くそな介抱にフィルはくすくす笑って、口を開く。

「リオはさ、レオンのどんなところがいいと思ったの?」

冷や汗がどっと吹き出た。

「別に、俺は」

だが顔を上げたフィルの表情で、その言わしめていることが、好きだの愛しているだみたいなものが含まれていないとすぐに理解した。

「僕がレオンと初めて会った時も、大人になってからも……あんなに生き生きしているレオンを見たことがなかったんだ」
「そんな大袈裟な」
「リオはさ、"運命"を知る前のレオンを知らないよね」

エリオスは、フィルの言うことが分からない。
だって、レオンハルトは一貫して“あぁ”だった。
強引で人の言うことは聞かなくて、でもいつでもエリオスには優しくて。
ただの農夫"リオ"に対する距離感は近いし、行き過ぎていると思ったことはあったが。
でもそれは"リオ"は"エリオス王子"の部下で、この国の畑をどうにかすると言い切った手前、懐いてくれていると思っていた。
過ちといえば、最初に会った時に手違いで漏れていたフェロモンのせいでもあったかもしれない。

しかし、その優しさに甘えて、運命じゃあないってわかっているのに、年だって二十も下なのに。
エリオスはレオンハルトのことが、いつからか好きになっていた。

「レオンはね、いつも笑わなかった。騎士として生きることだけに心血を注いでいて、あの容姿だから色んなΩに求婚されていたけれど、どれもこれもつまらなそうにしていたよ」

脳裏に見たことはないレオンハルトの学生時代を想像する。
静かに一人で剣を捌く姿。周りには人が寄ってくるのに皆自分の顔にしか興味がない。
それはどんなに寂しいことだろうかと。
しかし、今の話ではフィルがレオンハルトに惹かれる理由はわからない。
エリオスは首を傾げながらも問いかける。

「なぁ、ならなんでフィルはアイツに惹かれたんだよ……今いい事一個も聞いてないぞ」
「それはそうだ!あははっ」

またもおかしいと腹を抱えてひとしきりフィルは一人で笑うと、少し耳を赤くしながらポソポソと語りだす。

「レオンだけなんだ。僕が薬師になるって言った時に笑わなかったのは」
「立派な仕事じゃないか。現に今こんな状況でも薬師の仕事をしているだろ?すごいことだ」
「ありがとう……今はどうかはわからないんだけど当時、ヴァルデンハイトの学校は貴族や庶民とを分け隔てなく接していたけど、バースの差別は少なからずあってね。ほら、Ωってのはあまりいないだろ?それに僕、賢かったから」

自信を持って言い切れるフィルはカッコイイ。
鼻につかない、それはフィルが必死に掴み取ったものだと話していて知ったことだ。

「努力の賜物だ」
「あぁ、それでもねやっかみたかったんだよ。薬師希望だってのがどこから漏れたか知らないけど"Ωの作った薬なんか飲めるか"って。"子供を産むのが仕事だろ"って」
「そんなっ、あまりにも酷すぎる」

エリオスは王族だ。
そんな目の前でバースに絡んだ悪口を言われるのは古臭い考えの貴族や親戚くらいだった。
だが、エリオスの周りには常に兄たち家族がいて、どんな時でも言い返してくれた。
知らない人間に言われて、罵られるなんてフィルはどんなに辛かっただろう。

「そこでさ言い返せばいいのに、笑われたら力が抜けちゃってね。あんなになりたかった仕事なのに、薬師になろうとしたら、同じ薬師にも同じことを思われたり、言われたりするんじゃないかって」
「飛躍しすぎてないか?」
「だよね。でもその時はまだ子供でさ頭いっぱいで、学校やめたいってとこまできて。そんな時にレオンが前に出て言ってくれたんだ」

フィルは一度咳払いをしてから、若葉色のサラサラした髪を額から後ろに撫で付けた。
学生時代のレオンハルトを表現してるのだろう、瞳を細めて見下した。

「『私は優秀な人間の薬が飲みたいです。死にかけている時に、バースを気にして変なもの飲まされても困りますが』って」
「……それ、いい話か?」
「いや。あんま良くないな?」

我が道を地でいくレオンハルト。エリオスの前ではいつだってニコニコと朗らかだが、性格の根底は変わっていない。だがそれが根がいいってことだ。
フィルは大切な宝物を取り出したみたいに、話を続ける。

「だけどさ、こう胸にきちゃったんだよね。サラッと言って教室を静まり返らせた後は黙って訓練場行っちゃうから、あの後の空気は最悪だったけど」
「……なら今の状況はフィルにとってはいいんじゃないのか?城中どころか国中がフィルとレオが一緒になるかもって思ってるぞ」
「だからダメなんだって」

フィルは大きく首を振る。
それは諦めているようではなく、断言している強い瞳であった。

「運命を知ってレオンはエリオス王子を求めてる。これがただのΩだったら僕にも勝算はあったかもしれない」
「当の本人は運命じゃないって言い切っているんだぞ?だったら」
「ごめんリオ。君の主人を悪く言うつもりじゃあないんだけど、そこが信用ならない」

フィルは人差し指をピンと立てて、エリオスに言い聞かせるように指を振った。

「運命は絶対だ……これは、Ωにしかわからない感覚だと思うけど」

知ってる。
それは、エリオスが常に体感していることだ。
運命に出会えば、運命以外なんて皆一緒だ。
代わりになんて――なりえない。

「いやでも、エリオス王子は昔運命に会って、」
「それも知ってるし、薬も僕が用意しているから分かってる。でもだからこそあんな強すぎる薬は抜いた状態でレオンに会ってもらわないと」

あの抑制剤はエリオスが無理を言って作らせて、薬師の言葉を無視して乱用している薬だ。
フェロモンを完全に抑え込み。自分も相手のフェロモンを感じなくさせる。
βのようになれる、エリオスにとっては魔法の大事な薬。

「僕はねリオ。レオンのことは好きだった。でもそれは過去のことだよ。今はそのレオンに、恩のあるレオンには誰よりも一番に幸せになってもらいたいんだ」
「……フィル」

新緑のような瞳は、水を浸したように綺麗に凪いでいた。
意志を持った強い瞳は、親友の願いを叶えるべく、熱く燃えていたのだ。
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