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幕間 罪の香り、運命の鼓動
67
ヴァルデンハイト城内、騎士団執務室。
セラトリア共和国やザルミアン帝国、その他周辺国々の調査に当たっていた部隊の帰還に、レオンハルトとバース研究所中央薬政官であるフィル含め、顔を突合せた部隊長達は一斉に顔を顰めた。
「その話は、本当なんですね?」
「はい。実際にΩが行方不明になっているとも」
レオンハルトは自分の中でも確認するために、再度問いかけるが、目の前の騎士は頷いて悔しそうに拳を握る。
グレンは渡された資料を眺めると、厳つい顔にさらに凄みが増した。
バース研究所で賊に盗まれたΩの情報。それがこういった形で被害を生むことは、想定の範囲ではあった。だが、その行動の速さに驚いていた。
「最悪の事態だぞ、レオン」
「えぇ。行方不明になったΩは皆、番のいないΩ……ということで間違いないですね」
「はい。薬を常に必要とするのは、まだ番のいない若いΩです」
抑制剤は番持ちも使用する時がある。ヒートのフェロモンは番にしか効かないが、イベントや旅行など、予定が重なってしまう時などは、安全が保証されたセラトリアの抑制剤が欠かせない。
しかし、番を持っていないΩは抑制剤との向き合い方が違う。
本人の意思とは関係なしに、ヒート時のフェロモンは番のいないα、時にはβすらも惹き寄せる。
悲しい事故を防止する為にも、毎日の服用を義務付けられているのだ。
行方不明になったΩ達が、一体どんな目にあっているかは、ここにいる者たちでは予測することしかできない。
最悪の事態は、音もなく突然目の前に横たわったのだ。
静かに聞いていたフィルが、静寂に包まれた執務内で、握った拳をそのまま机にドンッと叩き下ろす。
内から零れる憤りに我慢ならないと、怒りに肩を震わせた。痛みすら感じないと、目を釣りあげて震える声で零した。
「僕の、責任だ」
「それは違うよ、フィル」
「いいや、僕の管理が甘かったんだ。もっと……もっと厳重にしていればこんなことには」
バース研究所の守りは堅い。それは白の騎士団皆が重々承知していることだ。
「力を持つ国が権力を振りかざせば、護りも揺れる時がある」
「だけどっ!……Ωの僕が、同じΩを危険に合わせたと思ったらっ」
フィルの拳は震えている。
だが彼も、危うく被害に遭うところであったΩ……当事者でもあるのだ。
レオンハルトは詰めた息を吐き出して、フィルに凛とした声で伝える。
「フィル、これから忙しくなると思う。君はこの事件の要だ。それに行方不明のΩを探す為にも協力して欲しい」
「勿論だとも……まぁ、すぐにでも騎士を引き連れてザルミアンに乗り込めばいい話じゃないか」
グレンは眉根を寄せたまま、皮肉に唇を釣り上げる。副団長である身で取り乱す訳にはいかないと律しているが、苛立ちから足が小刻みに揺れている。
「それが出来りゃあ、苦労しないっつの……問題は、ザルミアンがやった証拠はどこにも無いって所だな」
「セラトリアの侵入者も誰だか分からない……スパイも何もかも、情報が少なすぎる」
フィルはサラリとした髪に指を差し込んで掻きむしる。綺麗な双眸とは正反対の男らしい仕草に、部隊長らは表情だけは困惑顔だ。
レオンハルトは皆を見渡してから、デスクに置かれた地図へと指を滑らせた。
「まずは今、番のいないΩに連絡を。これはもう近隣国だけの問題では無い。引き続き行方不明になったΩ達、その日の足取りを調べてくれ」
会議の終わった部屋からすぐに抜けたのは、レオンハルトとフィルだ。
長く綺麗に磨かれた廊下を隣合って進む。
頭の中は先程の会議についてだが、フィルが今一番気になることは、レオンハルトの人相の悪さである。
「レオン、酷い顔だ……君、寝てないだろ」
「いいんですよ、私のことは気にしなくて」
学生時代の顔も悪かった……と言えば語弊があるが、容姿は良くとも誰も寄せつけない雰囲気に彼が孤立していたのは事実だ。
王子と言う身分を振りかざすことはないが、自分というものを抑えつけて出すことは無い……記憶の中のレオンハルトを、久々に見たような気がした。
「フィルこそ、随分と夜更かしをしているようじゃないか」
普段のキラキラしたΩらしい見た目が、少々くたびれている。目の下のクマだって濃く残っているのだから当然だ。
だが、清々しいほどサラリと、フィルは胸を張る。
「君の"運命"のため……って言ったら褒めたたえてくれる?」
レオンハルトの運命である、ソルグランの末王子。
彼が、研究所で一番強い抑制剤を注文し続けている事は、上層部では有名だ。
それにあの薬は、エリオス王子の為に作られた特注品である。
フィルの実の師匠が作った、運命を失って悲しむ、王子の為の傑作だ。
しかし、その薬は常飲し続けるものでは無い。フェロモンを出さない、フェロモンを感じない。αである師匠が作ったからこその盲点を、フィルはすぐに気がついた。
Ωにとって香りは、危機管理の為にも必要だ。それを退行させ、βのように振る舞える。
香りが番を引き寄せて、自身もそれを判断するのだ。香りで相性すらも読み取れて、願わぬ相手を跳ね除けるにも必要だ。
体の内部……自覚症状が出ない場所で何か起きていたら、それこそレオンハルトとの"番う"行為自体に、欠陥がでてしまったら……もしもを考えると彼を診察したくてたまらない。
しかし、それが叶わないからこそ、資料を集めてエリオス王子の過去の情報すらも遡り、寝ずの研究に励んでいた。
指摘をされようもレオンハルトの為だと、過去の恋すら思い出に昇華した自分は胸を張れる。
運命に出会えることは、とても素晴らしいことなんだ。
あんなにも冷たい瞳をしていた彼を、ガラリと変えてしまえる。
会ったことの無いエリオス王子に、フィルは感謝の拍手を送りたいくらいなのだ。
少し頭のネジは外れてしまったが、喜怒哀楽のできる人間にしてくれてありがとう……と。
しかし、レオンハルトの表情は曇ったままだ。
床へ臥せる病人のようにも見えてきて、フィルは瞬いてそれを振り払う。
レオンハルトの足がピタリと立ち止まる。彼はその重たい唇をどうにか持ち上げた。
「……運命、そのことなんですが。私は、なんて酷い人間だったんだと思ってまして」
「酷い?まだ、何もしてないだろうが。会ってもいないのに」
フィルは素直に首を傾げる。
レオンハルトは、まだ王子に出会えてすらいない。香りだけで運命と気づいたまでで、会話もないのだ。
接点もないんだから、「今更なんだ!怖気付いたか!?」と叱咤しようとしたが、レオンハルトの瞳は揺れている。
思い詰めたように顔を掌で覆うと、俯いた。
「私は、エリオス王子に顔向けが出来ないよ」
「……何があったんだ。いつもの勢いはどーしたんだよ?」
枯れゆく花のように落ち込んだ姿に、流石のフィルも焦る。
勢いはなりを潜め、ただ淡々と悲しみを飲み込んでいる……そんな様子。
レオンハルトは胸の苦しみを抱えながら、フィルにこぼした。
混ざりけのない事実が、静まり返った廊下に響いていく。
「私の父上が本来であればっ……エリオス王子の本当の、運命の番だった、と……」
フィルは、その言葉を理解するのに時間が掛かった。分かるのに分からないと言った感じで、音として認識する。
そして、その意味をやっとのことで飲み込んだ時、叫びそうになった悲鳴を、必死に掌で覆って押さえつけた。
「っ、……そ、そんな、ことって……」
「あぁ、私の存在が……どれほど彼を苦しめていたのかと思うと、罪悪感で押しつぶされそうなんだ」
「あぁ、レオン……何かの間違いだ、そうだろう?」
落ち込む友にかける言葉は、これしか浮かばなかった。
目の前に降って湧いた運命の香り。それを必死に掴もうと足掻いている彼の心を、風のように掠め取っていったエリオス王子。
その人を思い苦しむ姿に、フィルは胸が痛んだ。
「父という運命を失って、その父に瓜二つの私が運命だとのたまって現れたら……エリオス王子の心をどれだけ傷つけることになるでしょうか」
「……ん?……たしか、前にレオンの父上も母上も、運命だったと僕に言っていたじゃないか」
ふと思い出したフィルは、レオンハルトにそれを突きつける。
しかし、彼は弱々しく首を振るだけだ。
「私も父上、母上からも互いに運命だと聞いていました……それでも、私はリオの話を嘘だとは思えません」
「リオが……だったら、エリオス王子の悲劇は本当の事だと……思う」
エリオス王子の勤める、王立農業使。その代理としてやってきたリオを、少ない時間でフィルも信用していた。
気のいい人間で、仕事に熱心で。歳は離れているのがやけに話は合った。
そして彼は"エリオス王子の肩を過分に持つ"こともフィルは知っていた。
フィルは頷いて、顎に細い指先を添える。考え込むように、聡い頭をフル回転させていく。
そもそも、色々と考えるには情報が少なすぎる。
フィルの中で既に導き出している答えは、それをすぐに実行することだ。
「だけどレオンっ、ジークハルト王の運命が、二人も同時にいることはありえないだろう!?」
大前提に、フィルはなんでも自分で見たことのみ信じたい性格である。
こうしてウジウジしているレオンハルトを、ずっとは見ていられなかった。
フィルは、瞬間的に頭に血が上った状態で歩みを進める。
落ち込んで重たい足取りでいるレオンハルトを、振り切る勢いだ。
「フィル、貴方どこへ?」
「ソルグラン!あー、もう面倒くさいっ!僕が行って確かめてくるっ!」
慌てたレオンハルトは、フィルの前に走ると何とか大きな体で立ちはだかる。
Ωとαの体躯では勝ち目は無い。
しかし、フィルは学生時代の事も相まって、負けん気は強いのだ。
「待ってくれ」
「どいてくれ!この根性なしっ」
「酷い言われようだな、失恋したての友人に向かって」
幸い、誰も来ない廊下である。
そもそもこの階は、もともと王族に近しい者たちが住む居住スペースがあるのだ。こんなに騒ぎ立てていい場所でもない。
レオンハルトは友の怒りは自分の為と分かっているからこそ、立ちはだかる。
「Ωの君が一人で行ったら危ないだろ?」
「くそっ……これだから勘違いされるんだ」
レオンハルトの素直な気遣いだが、この国でαとΩが近しくいれば、数の多いβの民らには"そういう関係"だと思われる。
苦虫を噛み潰したような顔のフィルに、レオンハルトも苦笑いである。
「奇遇だね。最近の悩みの種さ……さぁ、友人として君の護衛をさせて頂いても?」
「あぁ、君がいないとなにも始まらないし、エリオス王子こそ番のいないΩだ……早く向かおう」
そう心意気を合わせて、レオンハルトとフィルは城の外へ向かおうとした……だがその時、廊下にバタバタとした足音が響き渡る。
忙しないそれは、城の中で聞くことなど滅多に無いものだ。
「……今のは?」
「私たち以外にここを通るものは……居ないはずです」
レオンハルトとフィルは顔を付き合わせて、その音のした方へ視線を向ける。
何かあったのかと、レオンハルトとフィルは音のする方へ足を進めた。
角を曲がると現れる扉は二つ。レオンハルトは長い足を大きく踏みだし、早足で先の角へ向かうと顔を突き出す。
既に走っていった誰かは姿を消していて、容姿を見るのを逃した。
「私が開けます。フィルは下がっていて下さい」
レオンハルトが最初に手にかけたドアノブは鍵がしまっており、開くことは敵わない。
ならばと隣の扉。
フィルはレオンハルトの後ろで控え、成り行きを見守る。
「ここ、レオンの部屋だよね」
「えぇ」
「鍵は?」
「……覚えがありません」
「してないんだね」
呆れながら「不用心だろ」と呟くフィルの声に耳が痛いと、から笑いを見せる。
意を決して、レオンハルトはドアノブを回した。
扉を勢いよく開き、すぐさま部屋の灯りを灯す。
辺りを見渡すが、特に何か、と思うところは無かった。
「レオンー、どう?」
「違和感はありません……」
扉から顔だけ出したフィル。
「大丈夫です」そう言いかけたレオンハルトは、自身の勘に従い、静かに鼻を鳴らした。
二度、三度……続けると途端に肌が火照ってきた。
(この香り、知っている)
ドクンと大きく心臓が鳴って、胸が痛い。静まれと掌で抑えると、そこはさらに早く音を立てる。
「ただ、なんだか、体が……あつく、」
「レオン、ちょっ、それ!」
「……え?」
フィルはレオンハルトの様子にピンとくると、すぐ様自身の鼻をわし掴んで押さえた。
そしてそのまま、勢いよく扉を閉める。
「フィル?」
「レオン、君っ、それラット!!っ発情してる!とりあえずここにいて!今、薬と人!呼んでくるっ」
「まさか、」
そう言ったレオンハルトの声はフィルには届かない。
締め切られた自室は、甘やかで惹かれてしまう香りで満たされている。
整えられたシーツに寝転ぶと、一層香りが濃くなった気がした。
(エリ、オス……王子、わたしの、うんめい……)
遠くなる意識の中、頭の中に見たことも会ったこともない"エリオス王子"が浮かんできた。
王子たる正装を身にまとったその人は、何故だか顔は土で汚れていて、それを恥ずかしそうに擦って隠す。
笑った顔が、"あの人"にそっくりだと……意識を飛ばす最中、そんなことを考えていた。
ヴァルデンハイト城内、騎士団執務室。
セラトリア共和国やザルミアン帝国、その他周辺国々の調査に当たっていた部隊の帰還に、レオンハルトとバース研究所中央薬政官であるフィル含め、顔を突合せた部隊長達は一斉に顔を顰めた。
「その話は、本当なんですね?」
「はい。実際にΩが行方不明になっているとも」
レオンハルトは自分の中でも確認するために、再度問いかけるが、目の前の騎士は頷いて悔しそうに拳を握る。
グレンは渡された資料を眺めると、厳つい顔にさらに凄みが増した。
バース研究所で賊に盗まれたΩの情報。それがこういった形で被害を生むことは、想定の範囲ではあった。だが、その行動の速さに驚いていた。
「最悪の事態だぞ、レオン」
「えぇ。行方不明になったΩは皆、番のいないΩ……ということで間違いないですね」
「はい。薬を常に必要とするのは、まだ番のいない若いΩです」
抑制剤は番持ちも使用する時がある。ヒートのフェロモンは番にしか効かないが、イベントや旅行など、予定が重なってしまう時などは、安全が保証されたセラトリアの抑制剤が欠かせない。
しかし、番を持っていないΩは抑制剤との向き合い方が違う。
本人の意思とは関係なしに、ヒート時のフェロモンは番のいないα、時にはβすらも惹き寄せる。
悲しい事故を防止する為にも、毎日の服用を義務付けられているのだ。
行方不明になったΩ達が、一体どんな目にあっているかは、ここにいる者たちでは予測することしかできない。
最悪の事態は、音もなく突然目の前に横たわったのだ。
静かに聞いていたフィルが、静寂に包まれた執務内で、握った拳をそのまま机にドンッと叩き下ろす。
内から零れる憤りに我慢ならないと、怒りに肩を震わせた。痛みすら感じないと、目を釣りあげて震える声で零した。
「僕の、責任だ」
「それは違うよ、フィル」
「いいや、僕の管理が甘かったんだ。もっと……もっと厳重にしていればこんなことには」
バース研究所の守りは堅い。それは白の騎士団皆が重々承知していることだ。
「力を持つ国が権力を振りかざせば、護りも揺れる時がある」
「だけどっ!……Ωの僕が、同じΩを危険に合わせたと思ったらっ」
フィルの拳は震えている。
だが彼も、危うく被害に遭うところであったΩ……当事者でもあるのだ。
レオンハルトは詰めた息を吐き出して、フィルに凛とした声で伝える。
「フィル、これから忙しくなると思う。君はこの事件の要だ。それに行方不明のΩを探す為にも協力して欲しい」
「勿論だとも……まぁ、すぐにでも騎士を引き連れてザルミアンに乗り込めばいい話じゃないか」
グレンは眉根を寄せたまま、皮肉に唇を釣り上げる。副団長である身で取り乱す訳にはいかないと律しているが、苛立ちから足が小刻みに揺れている。
「それが出来りゃあ、苦労しないっつの……問題は、ザルミアンがやった証拠はどこにも無いって所だな」
「セラトリアの侵入者も誰だか分からない……スパイも何もかも、情報が少なすぎる」
フィルはサラリとした髪に指を差し込んで掻きむしる。綺麗な双眸とは正反対の男らしい仕草に、部隊長らは表情だけは困惑顔だ。
レオンハルトは皆を見渡してから、デスクに置かれた地図へと指を滑らせた。
「まずは今、番のいないΩに連絡を。これはもう近隣国だけの問題では無い。引き続き行方不明になったΩ達、その日の足取りを調べてくれ」
会議の終わった部屋からすぐに抜けたのは、レオンハルトとフィルだ。
長く綺麗に磨かれた廊下を隣合って進む。
頭の中は先程の会議についてだが、フィルが今一番気になることは、レオンハルトの人相の悪さである。
「レオン、酷い顔だ……君、寝てないだろ」
「いいんですよ、私のことは気にしなくて」
学生時代の顔も悪かった……と言えば語弊があるが、容姿は良くとも誰も寄せつけない雰囲気に彼が孤立していたのは事実だ。
王子と言う身分を振りかざすことはないが、自分というものを抑えつけて出すことは無い……記憶の中のレオンハルトを、久々に見たような気がした。
「フィルこそ、随分と夜更かしをしているようじゃないか」
普段のキラキラしたΩらしい見た目が、少々くたびれている。目の下のクマだって濃く残っているのだから当然だ。
だが、清々しいほどサラリと、フィルは胸を張る。
「君の"運命"のため……って言ったら褒めたたえてくれる?」
レオンハルトの運命である、ソルグランの末王子。
彼が、研究所で一番強い抑制剤を注文し続けている事は、上層部では有名だ。
それにあの薬は、エリオス王子の為に作られた特注品である。
フィルの実の師匠が作った、運命を失って悲しむ、王子の為の傑作だ。
しかし、その薬は常飲し続けるものでは無い。フェロモンを出さない、フェロモンを感じない。αである師匠が作ったからこその盲点を、フィルはすぐに気がついた。
Ωにとって香りは、危機管理の為にも必要だ。それを退行させ、βのように振る舞える。
香りが番を引き寄せて、自身もそれを判断するのだ。香りで相性すらも読み取れて、願わぬ相手を跳ね除けるにも必要だ。
体の内部……自覚症状が出ない場所で何か起きていたら、それこそレオンハルトとの"番う"行為自体に、欠陥がでてしまったら……もしもを考えると彼を診察したくてたまらない。
しかし、それが叶わないからこそ、資料を集めてエリオス王子の過去の情報すらも遡り、寝ずの研究に励んでいた。
指摘をされようもレオンハルトの為だと、過去の恋すら思い出に昇華した自分は胸を張れる。
運命に出会えることは、とても素晴らしいことなんだ。
あんなにも冷たい瞳をしていた彼を、ガラリと変えてしまえる。
会ったことの無いエリオス王子に、フィルは感謝の拍手を送りたいくらいなのだ。
少し頭のネジは外れてしまったが、喜怒哀楽のできる人間にしてくれてありがとう……と。
しかし、レオンハルトの表情は曇ったままだ。
床へ臥せる病人のようにも見えてきて、フィルは瞬いてそれを振り払う。
レオンハルトの足がピタリと立ち止まる。彼はその重たい唇をどうにか持ち上げた。
「……運命、そのことなんですが。私は、なんて酷い人間だったんだと思ってまして」
「酷い?まだ、何もしてないだろうが。会ってもいないのに」
フィルは素直に首を傾げる。
レオンハルトは、まだ王子に出会えてすらいない。香りだけで運命と気づいたまでで、会話もないのだ。
接点もないんだから、「今更なんだ!怖気付いたか!?」と叱咤しようとしたが、レオンハルトの瞳は揺れている。
思い詰めたように顔を掌で覆うと、俯いた。
「私は、エリオス王子に顔向けが出来ないよ」
「……何があったんだ。いつもの勢いはどーしたんだよ?」
枯れゆく花のように落ち込んだ姿に、流石のフィルも焦る。
勢いはなりを潜め、ただ淡々と悲しみを飲み込んでいる……そんな様子。
レオンハルトは胸の苦しみを抱えながら、フィルにこぼした。
混ざりけのない事実が、静まり返った廊下に響いていく。
「私の父上が本来であればっ……エリオス王子の本当の、運命の番だった、と……」
フィルは、その言葉を理解するのに時間が掛かった。分かるのに分からないと言った感じで、音として認識する。
そして、その意味をやっとのことで飲み込んだ時、叫びそうになった悲鳴を、必死に掌で覆って押さえつけた。
「っ、……そ、そんな、ことって……」
「あぁ、私の存在が……どれほど彼を苦しめていたのかと思うと、罪悪感で押しつぶされそうなんだ」
「あぁ、レオン……何かの間違いだ、そうだろう?」
落ち込む友にかける言葉は、これしか浮かばなかった。
目の前に降って湧いた運命の香り。それを必死に掴もうと足掻いている彼の心を、風のように掠め取っていったエリオス王子。
その人を思い苦しむ姿に、フィルは胸が痛んだ。
「父という運命を失って、その父に瓜二つの私が運命だとのたまって現れたら……エリオス王子の心をどれだけ傷つけることになるでしょうか」
「……ん?……たしか、前にレオンの父上も母上も、運命だったと僕に言っていたじゃないか」
ふと思い出したフィルは、レオンハルトにそれを突きつける。
しかし、彼は弱々しく首を振るだけだ。
「私も父上、母上からも互いに運命だと聞いていました……それでも、私はリオの話を嘘だとは思えません」
「リオが……だったら、エリオス王子の悲劇は本当の事だと……思う」
エリオス王子の勤める、王立農業使。その代理としてやってきたリオを、少ない時間でフィルも信用していた。
気のいい人間で、仕事に熱心で。歳は離れているのがやけに話は合った。
そして彼は"エリオス王子の肩を過分に持つ"こともフィルは知っていた。
フィルは頷いて、顎に細い指先を添える。考え込むように、聡い頭をフル回転させていく。
そもそも、色々と考えるには情報が少なすぎる。
フィルの中で既に導き出している答えは、それをすぐに実行することだ。
「だけどレオンっ、ジークハルト王の運命が、二人も同時にいることはありえないだろう!?」
大前提に、フィルはなんでも自分で見たことのみ信じたい性格である。
こうしてウジウジしているレオンハルトを、ずっとは見ていられなかった。
フィルは、瞬間的に頭に血が上った状態で歩みを進める。
落ち込んで重たい足取りでいるレオンハルトを、振り切る勢いだ。
「フィル、貴方どこへ?」
「ソルグラン!あー、もう面倒くさいっ!僕が行って確かめてくるっ!」
慌てたレオンハルトは、フィルの前に走ると何とか大きな体で立ちはだかる。
Ωとαの体躯では勝ち目は無い。
しかし、フィルは学生時代の事も相まって、負けん気は強いのだ。
「待ってくれ」
「どいてくれ!この根性なしっ」
「酷い言われようだな、失恋したての友人に向かって」
幸い、誰も来ない廊下である。
そもそもこの階は、もともと王族に近しい者たちが住む居住スペースがあるのだ。こんなに騒ぎ立てていい場所でもない。
レオンハルトは友の怒りは自分の為と分かっているからこそ、立ちはだかる。
「Ωの君が一人で行ったら危ないだろ?」
「くそっ……これだから勘違いされるんだ」
レオンハルトの素直な気遣いだが、この国でαとΩが近しくいれば、数の多いβの民らには"そういう関係"だと思われる。
苦虫を噛み潰したような顔のフィルに、レオンハルトも苦笑いである。
「奇遇だね。最近の悩みの種さ……さぁ、友人として君の護衛をさせて頂いても?」
「あぁ、君がいないとなにも始まらないし、エリオス王子こそ番のいないΩだ……早く向かおう」
そう心意気を合わせて、レオンハルトとフィルは城の外へ向かおうとした……だがその時、廊下にバタバタとした足音が響き渡る。
忙しないそれは、城の中で聞くことなど滅多に無いものだ。
「……今のは?」
「私たち以外にここを通るものは……居ないはずです」
レオンハルトとフィルは顔を付き合わせて、その音のした方へ視線を向ける。
何かあったのかと、レオンハルトとフィルは音のする方へ足を進めた。
角を曲がると現れる扉は二つ。レオンハルトは長い足を大きく踏みだし、早足で先の角へ向かうと顔を突き出す。
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フィルはレオンハルトの後ろで控え、成り行きを見守る。
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「えぇ」
「鍵は?」
「……覚えがありません」
「してないんだね」
呆れながら「不用心だろ」と呟くフィルの声に耳が痛いと、から笑いを見せる。
意を決して、レオンハルトはドアノブを回した。
扉を勢いよく開き、すぐさま部屋の灯りを灯す。
辺りを見渡すが、特に何か、と思うところは無かった。
「レオンー、どう?」
「違和感はありません……」
扉から顔だけ出したフィル。
「大丈夫です」そう言いかけたレオンハルトは、自身の勘に従い、静かに鼻を鳴らした。
二度、三度……続けると途端に肌が火照ってきた。
(この香り、知っている)
ドクンと大きく心臓が鳴って、胸が痛い。静まれと掌で抑えると、そこはさらに早く音を立てる。
「ただ、なんだか、体が……あつく、」
「レオン、ちょっ、それ!」
「……え?」
フィルはレオンハルトの様子にピンとくると、すぐ様自身の鼻をわし掴んで押さえた。
そしてそのまま、勢いよく扉を閉める。
「フィル?」
「レオン、君っ、それラット!!っ発情してる!とりあえずここにいて!今、薬と人!呼んでくるっ」
「まさか、」
そう言ったレオンハルトの声はフィルには届かない。
締め切られた自室は、甘やかで惹かれてしまう香りで満たされている。
整えられたシーツに寝転ぶと、一層香りが濃くなった気がした。
(エリ、オス……王子、わたしの、うんめい……)
遠くなる意識の中、頭の中に見たことも会ったこともない"エリオス王子"が浮かんできた。
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王子は騎士の手を取る。
「共に立て」
※オメガバースではありません
※ふんわり読んでください
※なんでも許せる方向け
※イラストはChatGPTさん