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第一章

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 普通乗用車を走らせること三〇分、目的地らしき建物に到着した。

 道中話を聞いていると、どうやらここが『L.A.W』の日本支部らしい。『L.A.W』は全世界に支部が点在しており、できて日の浅い組織のわりに規模はそれなりに大きいようだった。

「さあ行こう。支部長がお待ちだ」

 ここへ連れて来られたのはそれが理由だ。正式に支部長に『L.A.W』の隊員として認められるためである。ちょっとした面接で即採用とか、これが企業ならブラック間違いなしだろう。
 三階建ての支部はかなり広く一階は受付と食堂など、二階は隊員の宿泊施設、三階は様々な部署が詰め込まれているらしい。加えて地下にはトレーニングルームまで完備されている。建物案内板に書かれていた。

(それよりも気になるのは…………)

 エレベーターに乗り、支部長室のある三階まで向かっている最中、護国寺は何の気なしに湧いて出た疑問を言葉にした。


「何か……人、少なくありません?」


 建物内に入って出会ったのは一階にいた受付嬢だけである。全てを見回ったわけではないのだから、まだ遭遇していないだけかもしれない。しかしそれを考慮しても、人の気配というものがまるでしない。まるで廃墟のようだ、と思った。
 問うと、ムサシは苦虫を噛み潰したような表情になった。

「……その辺りも、支部長自ら説明なさるだろう」
「?」

 何となくマズイことを聞いてしまったかな、と反省する。人とあまり関わってこなかった護国寺にとって、コミュニケーションは大きな課題である。
 そうこうしているうちに三階へと到達し、フロアーの一番奥にある『支部長室』というプレートの掛けられた部屋の前に立つ。自然と心臓が高鳴っていく。肩書きの持つ威厳が早くも作用しているのであろう。

 まったく心の準備が整っていない護国寺を尻目に、ムサシはコンコンと扉を叩いた。入れ、といかにもお偉い感じの返事が戻ってきた。ムサシが一礼して入室したので、護国寺も慌てて付いていく。
 十畳以上の広さの支部長室には、壁際に本棚があり中央付近には応接用のテーブルとソファーが用意されていた。――――何より先に目に付いたのは、豪華な木製の机に両肘を突く、大柄な男であった。

「君が、護国寺嗣郎くんかな?」
「あ、はい! 今日はよろしくお願いします!」

 あたかも就活一発目に強面の面接官を前にしたようである。ビシッ! と背筋を伸ばし、よく分からない言葉を発していた。

 低く渋い声音に、毅然とした態度。『ザ! 大人!』といった雰囲気を男は有していた。腹の奥がキュウ、と音を立てる。

「自己紹介がまだだったな。『L.A.W』日本支部支部長、入谷昴だ。……ところで柳生、彼にどこまで組織のことを話した」

 入谷がムサシに目配せして尋ねる。

「車内で互いの言霊について情報交換を行い、あとは簡単な組織理念を少しばかり」
「ふむ……。ならいっそのこと最初から話した方が早そうだ。まず『L.A.W』は表向きは治安維持組織とされているが、その実態は言霊師による世界破壊の阻止だ。ここまでは聞いているかな?」
「はあ。確かヨーロッパとオーストラリアを滅ぼしたのが言霊師っていう連中の仕業なんですよね? 俄かには信じがたいですけど」

 その通り、と入谷は頷いて、護国寺とムサシをソファーに座るよう促した。二人が並んで腰を落ち着けると、入谷は壁際に設置してあるコーヒーメーカーを使い人数分のコーヒーを注いでいた。
 はは、と彼は苦笑して、

「支部長と言っても秘書のような存在はいなくてな。いや、以前はいたんだが……人手不足で秘書には別の業務をしてもらっている。おかげで最近はコーヒーを淹れるのが上手くなってなあ」
「人気ですよ、支部長のコーヒー。次の職場は喫茶店で決まりだと皆言ってます」
「そうだな、退職金が出たら真剣に考えてみてもいいかもしれん」

 親しみを感じる会話である。それに加わることのできない護国寺としては少し肩身の狭い思いを感じるが。
 淹れ立てホヤホヤのコーヒーが各人の前に並べられたところで、ようやく本題に入り直す。入谷はカップを口元に寄せて、フーッと息を吹き込む。

「で、だ。『L.A.W』は君と同じ言霊師が戦闘員として多く在籍している。それこそ全世界に。多い時は千人を超えていた」
「千人もですか?」
「ああ。……とはいえ今は、とある事情でかなり数が減っているがな」

 言霊師が自分一人ではないと、何の確証もなく考えていた護国寺にも千人という数字は驚愕に値した。だが全世界の人口が数十億人――今はかなり減っているものの――だとすると、千人は一パーセントにも遠く及ばない。ごく少数であることに違いはないだろう。

(それよりも……とある事情って何だ?)

 寿退社とかならまだしも、『L.A.W』では言霊師は所謂軍人扱いだ。その数が減ったとなれば嫌な方にしか想像が膨らまなかった。


「もしかして…………殺されたんですか?」


 気付けばその不安は口を出ていた。情けない、と思った。
 しかし問われた入谷は動じなかった。真摯に少年のそれを受け止め、決してはぐらかすことなく答える。


「真実を言わないのはフェアじゃない。だから言うが――――君の想像通り、既に千人のうち三分の一が命を落としている」


 ゾク、と全身に悪寒が走った。血液の代わりに氷水が全身を巡っているようだ。心臓が締め付けられるように息がしづらくなる。
 入谷が悲しげに目を伏せた。テーブルに隠れて護国寺からは視認できないが、彼は拳を強く握り締めて耐えているのだと分かった。

「無論、殺されたのだ。その相手こそ、我々人類の存亡を脅かす存在――――通称【十二使徒】だ」
「【十二使徒】……」

 それが少し前にムサシの話していた人類の敵だろう。聞く限りだと相手も同じ言霊師のようだが、【十二使徒】という名前通りに受け取るなら敵数はたったの十二人ということになる。

(所謂四天王的な存在なんだろうが、たかが十二人なんだろ? 千人もの戦力を擁していて、それでもなお三百人近い言霊師がやられたのか)

 当時の現場を知らない護国寺には数字上の感想しか湧いてこない。だがその【十二使徒】はヨーロッパを絶対零度の地に変え、オセアニア大陸を大地震によって滅ぼしたのだ。同じ言霊師である少年だが、そんな芸当は絶対に不可能だ。
 入谷は次第に饒舌になっていく。


「ヨーロッパでは百人が、オーストラリアではおよそ二百人の言霊師が犠牲になった。その他にも軍隊を動員していたから、『L.A.W』関連の被害総数は十万を優に超える……! 現地で被災した一般人を含めると――一億じゃ利かない人数になる」
「――――――――っ!?」
「その被害に対して、人類が倒せた【十二使徒】はたったの一人……。客観的に見てこのままだと全員倒し切る前に俺たちが敗れる」


 横合いからムサシが補足を入れてきた。その流れのまま彼が説明役を担う。

「【十二使徒】全員を確認したわけじゃあないが、遭遇したどれもが一騎当千の怪物だった。俺も一度相対したが……、正直五体満足で帰還できたのが奇跡に近い。銃火器は防がれ、こちら側の言霊は余波だけで無力化される」
「ヨーロッパでは準備不足もあってほとんど何もできなかった。だがオーストラリアでの一戦は、こちらが持てる力をほぼ全て注ぎ込んだ。――――だが、結果は壊滅。生還者はたった一人の言霊師と、一般兵士が少々……。聴取をすると、まるで歯が立たなかったらしい」

 話を聞いているだけでも敵の強大さ、絶対性がありありと伝わってくる。あくまで自己判断となるが、護国寺は一般人相手ならたとえ百人がかりであろうと勝てる自信がある。無論試したことはないが。言霊師というのは正しく百人力なのだ。

 それを総勢三百人注ぎ込んでも一人しか削れない――――。なら自分一人が加わったところで無力に等しいのではないか、という思考が一瞬過ぎったものの、すぐに振り払った。それは逃げを正当化させるものに過ぎない、と。
 けれども一方的に話を聞いているだけでは、想像ばかりがはがどって敵を異様に大きく捉えてしまう。そこから脱しようと、護国寺は質問を繰り出した。

「そもそも俺は、まだ【十二使徒】ってのが人類の敵っていうことと、プラスかなりの難敵だってことしか分からないんですが……、倒したのはどういう相手だったんですか?」

 太鼓持ちのように相手の強さばかり語られては委縮してしまうので、彼はあえて勝ったときのことを聞くことにした。気分も楽になるし、突破口だって見つかるかもしれない。
 その効果もあってか、険しい顔を続けていた入谷のそれが若干崩れた。聞いてくれたことそれ自体に喜んでいるようでもあった。

「何を隠そう、その【十二使徒】の一角【静謐姫せいひつひめ】を破ったのが、ここにいる柳生武蔵でなあ!

 あの極寒のヨーロッパでただ一人立ち向かい、勝って戻ってきたんだ」

「……その戦いで負った怪我のせいで、俺はオーストラリアでは役立たずでした。手放しに誇ることなどできませんよ」

 謙遜しているようで、それが彼の本心なのだと護国寺はすぐに気付いた。少なくとも褒められた男のする表情ではなかった。

「【静謐姫】ってのは敵の名前ですか?」

 ひとまず彼は話の中で気になった単語について聞いてみる。


「ああ、【十二使徒】とはその名の通り総勢十二人で構成されているんだが、その内訳は六人の【王】と六人の【姫】の名を冠する言霊師だ。ヨーロッパでは先程の【静謐姫】が派遣され、オーストラリアには【災厄王】が確認されている。まったく気取った奴らだよ、暴君という意味では正しいのかもしれんが」
「…………、」


 確かに気取っている。だが王とは古来より圧倒的な力を持つ者のことである。権力にせよ知力にせよ、何らかの才覚を有している存在なのだ。ならば武力という一点において、【十二使徒】は君主と呼ぶに相応しいのだろう。
 支部長室に入ってからものの三十分足らずで、護国寺の脳は軽く混乱している。情報量が膨大過ぎる。数学や社会ならまだしも、今まで非現実と割り切っていたことを一気に説明されるとどうにも頭が付いて行かない。
 なので一旦、彼は脳内で得た情報をまとめてみる。

(【十二使徒】という言霊師が、世界を滅ぼそうとしている。そして既に二つの地域が滅亡していて、阻止のために送り込んだ兵は悉く蹂躙されている……)

 まだまだ判明していないことは山積している。【十二使徒】の戦闘力についてはおおよそ想像できたが、その行動原理が不明のままだ。失った兵の代わりに彼が呼ばれたのは分かるとしても、そもそも何故護国寺が言霊師であると見抜いたのかさえ分かっていない。

 今日でその辺りのことを聞き出そうと思っていたが、待ったをかけるようにデスクの上の固定電話が鳴った。入谷は即座に反応して受話器を耳に当てた。

「こちら日本支部支部長、入谷昴。要件は? ――――ええ、期間的にそろそろかと思ってましたが、やはりですか。分かりました、ひとまずそちらへと向かいます」

 ガチャリ、と通話を切ったかと思えば、彼は真剣な面持ちになって近くに掛けていた背広に袖を通した。

「柳生、俺はこれから重要な会議のため本部へと向かう。留守は任せたぞ」
「了解です。……いよいよ、奴らからの予告が入りましたか?」
「ああ。ある程度予想は付いていたとはいえ、改めて事実として伝わってくると震えてくる。無論、今度こそ返り討ちにしてやろうという武者震いだがな」

 護国寺にとっては意味の測りかねる会話が続く。それに区切りが付いたところで、入谷は改めて少年と向き直る。

「急な用事でこれから支部を離れることとなった。呼び立てておいて悪いが、分からないことは柳生にでも聞いておいてくれ。今後の君の活動についてだが……、それも今からの会議で決まることになるだろう」
「はあ……?」
「では、失礼する」

 早歩きで支部長室を後にした入谷。出て行った扉の先を、しばらく厳かな目付きで睨むムサシ。何が何だか分からないといった風な護国寺。
 ちょんちょん、とムサシの肩を突いて、恐る恐る護国寺は尋ねてみた。


「あの、そんなに重要な会議なんですか?」
「――――世界の趨勢を握るといっても過言ではないだろう。次はどの地域が的にかけられるか、それがいよいよ告げられた」


 ぴり、と大気が震えた。ムサシの全身から殺気のようなものが迸っているのを、護国寺は肌で感じていた。よもや、と察する。
 その予感を、男は声にして具体化させた。


「宣戦布告だ。【十二使徒】から人類に向けて、次はどこを滅ぼすかというな」



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