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第三章

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 陽が落ちてきた。

『ムサシ』は街の一角にある公園の真ん中で、独り佇んでいた。

 かつては滑り台があって、ブランコがあって、鉄棒があったその公園。放課後はいつも野球少年たちに占拠されるように、それなりの広さを持つグラウンド。楽しさの残像がこびり付いているのか、それらの光景が容易に想像できる。

 ――――しかし、今の公園にその面影はまるでなかった。まるで台風が過ぎ去った後のよう。木々は倒れ、グラウンドは抉れ、何よりムッとするほどの濃厚な血の匂いが漂っていた。
 それらは疑いようもなく戦闘の痕だった。虐殺のそれ、と言うべきか。『ムサシ』には傷一つ付いておらず、地面には人間のパーツが至る所に転がっている。誰しも嫌悪するであろう光景を前にして、男は無表情を貫いていた。

(かなりこの器にも慣れてきたな)

 惨殺された死体の山は、全て『L.A.W』お抱えの言霊師たちだ。柳生武蔵を知っている者からは「目を覚ませ」「戻ってこい」などと声が飛んでいたが、そんなものは直後に悲鳴へと変わっていた。
 そして皮肉なことに、その実戦経験が意識と肉体の誤差を埋めてしまう結果となってしまった。

 男が待機しているのは、【一刀両断】の力を少しでも溜めるためだ。事前に予告したタイムリミットまで、残り三時間程度しかない。本来なら担当の【十二使徒】が事前に霊力を温存した状態で現地へと向かうのだが、【兵隊王】が倒れ急遽男が抜擢されたので一から溜め直しているのだ。無駄遣いはできない。

(私の【百発百中】と合うように宛がわれたこの器……、確かに単なる人間のポテンシャルではない。未だ発展途上の身体能力、齢二十歳にして老練なる技巧。もしもこの器があと十年成熟していれば――――【言霊王】でさえ危うかったかもしれない)

 ふ、と笑みがこみ上げてくる。

【言霊王】は【十二使徒】においても圧倒的な強さを誇る。もはや強弱の概念を飛び越えて、理不尽とさえ言えよう。【不可抗力】――――人間では決して抗えぬ力。そしてそれは人間の器に憑依した【十二使徒】でさえ例外ではない。
 いかに人間離れした霊力を保有していたとしても、結局のところトリガーを引くのは人間である。【不可抗力】は人間の手が介在した干渉を須らく通さない。攻撃を通すには【言霊王】の防御層を上回る莫大な霊力量をぶつけるしかないが、【言霊王】の総量は他の【十二使徒】を大幅に超えている。


(――――だが、【真実斬り】の技術を物にできれば、あるいは【不可抗力】の壁も突破できるかもしれない)


 柳生武蔵の斬りたいものを斬り、斬らなくていいものをすり抜ける剣技。あれさえ習得できれば防御層の内側へ剣を透過させることも可能かもしれない。可能性はある。なにせ【言霊王】が早期に彼を倒したのも、成長されては自分が負ける恐れがあるからなのだ。

(あの男がいる限り、人類掃討は確定事項。ならば私が目を向けるべきはその先……新人類として地球を統べる立場を強固にすることだ)

 上下関係のない【十二使徒】内で、それでも現状地球ははに代わり統括しているのは【言霊王】である。あの血気盛んな【獅子王】ですら、自己より強い【言霊王】に従っている。全人類を絶滅させて、一から文明を築く際に発言権を持つのも恐らくは【言霊王】だろう。
 だからこそ、人類掃討の過程の中で奴に対抗できうるだけの力を手に入れておきたいのだ。その鍵となる力こそ、柳生武蔵の【真実斬り】である。

 真髄と言うべき技巧は、そう易々と習得できるはずがない。感覚的な要素が多いので、記憶をサルベージして何とか体験だけを引っ張り上げている最中である。

「む……?」

 微かに空気が震えたのを感知した『ムサシ』。耳を澄ませばドドド、と太鼓を打ち鳴らすような騒音が近付いてきているのが分かった。どうやら軍用ヘリ特有の風切り音のようだ。それも一機どころではなく十機以上の。
 加えて足音はしなくても公園を囲むようにして百人以上の気配を察知する。一般人のものではない、明らかに訓練された動き。タイミングを窺っているのか、攻勢を仕掛けてくる様子はまだない。

 軍用兵器と多くの兵士たち。準備を整え、殺すための手筈も用意しているはずだ。通常なら絶体絶命の窮地であっても、男の笑みは深くなるばかりである。

「我が刀に自ら血を吸わせに来てくれるとは、日本人も気が利いている。これがおもてないの心というものかね? 勉強になったよ」

【十二使徒】は抜刀し、天高く吼えるように宣言した。


「我が神名、【修羅王しゅらおう】! 地球より賜りし言霊、【百発百中】! 骸なりし言霊、【一刀両断】! 我らが言霊を前にして、何人たりとも逃れること能わず――――ッ!」


 直後、数多の銃声が鳴り響いた。

【修羅王】が刀を振るう度、悲鳴が木霊していく。


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