パラレル・リターンズ

名無なな

文字の大きさ
上 下
6 / 10
第一章

しおりを挟む
 帰宅すると、そこにはまたもや先に綴町未来子の姿があった。

「おかえりなさーい」
「お前はアレか、家出少女か?」
「実家出てますから、家出少女と言えなくもないですね」

 今日の彼女は漫画を読み耽っているということもなく、エプロンを巻いて料理に勤しんでいた。玄関に入った時から、ジューっと良い音が鳴ったのが聞こえていた。
 エプロン姿の彼女を見るのが新鮮で、つい目が釘付けになってしまっているのを当の本人に気付かれた。綴町は若干照れた風に笑って、


「何すかもー。痴漢で訴えますよ」
「線路から逃亡する手筈だから大丈夫」
「轢かれて誰かの迷惑にならないでくださいね」


 何もしないでボーっとしているのも悪いので、彼はコップやお箸をテーブルに並べる。この匂いはずばり焼きそばと予想する。――といっても、チラリと中華そばが見えたからだが。
 テーブルのセットが終わると同時に、彼女が焼きそばを盛ったお皿二つを運んできた。こうして自宅でホカホカのご飯を食べるのも久しぶりな気がする。

 美味そう、と護国寺が持て囃すと、えへんと胸を張った綴町。惜しむべきはもう少し胸があれば、といったところか。口に出すと頭の上に熱々の焼きそばをひっくり返されかねないので、死んでも口にしないが。

「いただきます」

 と、手を合わせてまずは一口。口に運ぶとソースの香ばしい匂いが鼻孔を刺激してくる。そしてそれは口の中で想像通りの――――否、想像以上の味となって炸裂した。
 箸を止めることなく食べ進め、つい軽口を叩く。

「ミクって料理できたんだな。ちょっと意外だった」

 彼が最後に綴町の料理を食べたのは、確か中学三年の時だったように思う。彼女が護国寺を実験台に料理の練習をし始め、大層苦しめられたことを覚えている。
 ム、と唇を尖らせた綴町は箸を器用に動かしながら、

「心外ですね。私はパーフェクトウーマンを志す大和撫子ですよ? ……当然練習くらい積んだに決まってるじゃないですか」

 不意に、僅かだが憂いを秘めた声音になった。彼女と再会してからというもの、稀に綴町は護国寺が知らない顔を見せることがある。何年も経っているのだから当たり前、と言われたらそれまでだが、そんな単純なことではないと心の内が訴えている。

 違う時間を歩いてきたから、今は呼吸が合わないだけ。現状護国寺はそう思い込むしかない。単に思わせぶりなだけかもしれない。
 彼は話題を変えようとして、ちょうど言うべきことを思い出した。

「――そう言えば、今日は悪かったな」
「え? ……何がですか?」
「あれだよほら、今日図書館前で約束してたろ? ちょっと変な人たちに絡まれてさ」
「…………ああ、なんだ。そんなことですか」

 綴町はホッとした顔を浮かべる。次に、困った顔をする。コロコロと表情の変わる奴だ、と内心微笑ましく思った。

「いやあ、かく言う私も、実は熱烈な勧誘を受けてまして。だから遅れたんですよ。要は私の可愛さが悪いんです。可愛いって罪」

 きゃぴるん☆ とウインクする。上手にウインクのできない護国寺はさりげなく羨みつつ、「自意識過剰もある種罪だよな」と返した。

 そうは言ったものの、綴町未来子は間違いなく可愛くなった。付け加えるなら、順調に成長したというべきか。中学生の時分でもイベントごとに告白されるくらいには可愛かった。彼女自身も冗談めかしてはいるもののその自覚はあると見受けられる。
 食事を終え、今度は護国寺が洗い物を担当していると、綴町が何やら話しかけてきた。


「――――そう言えば、知ってますか。KO大学に伝わる七不思議の話を」
「七不思議と言うと、俺らの中学にもあったな。『保健室の痴女』とか。放課後になると変な声がしたらしい」
「それ単にサカってただけでしょ……。てゆーか初めて知りました、そんなの」


 彼女は「じゃなくて」と軌道修正を図る。

「興味ありません? たとえばKO大学だと『深夜のバスケットボール』とかありますよ。何でも夜中に体育館に行くと、首のない人間がバスケの練習してるんですって」
「ふーん」

 夜中ということは暗かったはずだし、単に見逃しただけだろう。七不思議なんてルーツを辿れば勘違いとか解釈の変わった噂とか、その程度の話でしかない。
 彼女も信じていないのだろう、弾んだ声音で解る。好奇心をくすぐられている様子だった。けれど綴町は、途端に神妙な顔つきに変わった。


「――――その中に、『人食い鏡』なる不思議があってですね。これだけ妙に信憑性が高いらしいんですよ。人のいない校内にいると不意に鏡が出現して、迂闊に近付くと鏡の中に取り込まれてしまうらしくて」
「良くある話だ。別段興味が惹かれるわけでなし」
「でも、実際ここ一年で何人かの生徒が行方不明になってるらしいですよ。引きニートになってるかもですけど、連絡入れても音信不通だとか」


 彼女はいったいどういうルートでこういったネタを仕入れてくるのだろう、と護国寺は心底不思議がった。綴町も彼と同じく、ほんの昨日入学したばかりのはずだ。よもや、先んじて友達を作っているのでは? と戦々恐々する。

 考えてみれば、最初から知っていた綴町以外、護国寺は未だ友達を作れていない。新たに知り合いになったのも、変なサークルの二人組だけだ。完全に出遅れている。
 彼が先行きに不安を覚えていると、綴町が不貞腐れた風な表情を作って、

「ちょっとー、訊いてますー? わりと渾身のネタなんですが」
「おお。頑張ったな。七不思議調査隊結成はまた今度にしてくれ」

 棒な返事をする護国寺。だが洗い物をする手だけは快調に進んでいた。

 彼女も「もういいや」と投げやりになって、散らかった私物を片付けていく。どうやら帰り支度をするようだ。
 ちょうど洗い物の終わった護国寺はそれを見て、「何だ帰るのか」なんてお決まりのセリフを吐こうとしたが、それは即ち「泊まってけよ」という大胆な告白に繋がりかねないので、

「よしさっさとお帰りなさい」

 と追い出し文句に変更した。綴町はそれを聞いてショックを受けるでもなく、やれやれと頭を振った。

「あなたの中でどんな変遷を経てその言葉になったか、だいたい解りました」
「……まあ、陽が沈むのが遅くなったとはいえ、もうそろそろ暗くなる頃合いだ。今のうちに帰った方がいいだろ」
「はいはい。言われずとも解ってますよー」
「……こういう時って送った方が紳士的?」
「それが自発的にできない時点で紳士ではないですね。お見送りは結構です。自分の身くらい自分で守ってみせますとも」

 自分に言い聞かせるように、綴町は再度繰り返した。
 その後、彼女は護国寺宅を後にした。立ち去る綴町の背中は、昔見たものとまるで違った風に映った。


しおりを挟む

処理中です...