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第一章
⑦
しおりを挟む数日前。四月三日。
『L.A.W』の部室に、一人の来客があった。
「――――綴町未来子です。先日は助けていただいて、ありがとうございました」
つい二、三日前に『反転世界』で拾った彼女は、そう言って深々と頭を下げた。あの後、ひとまず伝手のある病院へと運び、今日退院したばかりだと言う。
てっきりもう少し安静にしていると思っていたので、突然の訪問に近衛と蓮川が言葉に詰まっていると、彼女はなおも続けた。
「単刀直入に言います。いえ、薄々気付いているのでしょうから、先に言っておきます」
一拍間を置いて、
「――――私は言霊師です。言霊は【喜怒哀楽】……戦闘に特化した能力です」
偶然あの場に居合わせたのではないようなので、どうやら話を訊く必要があるようだ、と判断した近衛は、蓮川に無言の指示を送りソファーを一つ空ける。綴町は一言礼を述べて腰を落ち着ける。
「さて、私がここを訪れたのには二つ理由があります」
予め話す内容を決めていたようで、綴町は淀みない口調で始めた。
「まず一つ。私をこの団体に加入させてもらいたいのです。一人では何かと限界がありますから」
「……その申し出は、あたしたちにとっても願ったり叶ったりだけどさ」
「その前に、まず君の素性を詳しく知りたい。ゲンレイ退治は、互いを信じることが重要だからな」
はっきり言って、目の前の彼女は現状不審人物だ。蓮川の提案ももっともと言える。命を賭ける活動である以上、信の置ける相手しか隣に立たせたくない。
その返しも予想していたのか、綴町は二人と目を合わせて答えた。
「私はこれまで、『反転世界』を複数崩壊させています。今度はKO大学にそれらしい噂を訊いたので、こうしてお二人の元へ来たわけです」
なるほど、確かに筋は通っている。現時点で決定的に疑わしい要素はない。
隣で戸惑った風の表情になった蓮川が、つい口をついたといった感じで、
「『反転世界』を複数も……? それは、一人で?」
その問いを受けて、彼女の表情が若干曇る。何かを押し殺す風の声で、綴町は答えた。
「……いえ。ちょっとした事情があって今は一緒じゃないんですが、何人か仲間とともに攻略していました」
その仲間はどこへ、とは何となく訊きづらい空気だったため、諦めた。
代わりに、近衛は気を利かせて問いかけた。
「ところで、もう一つの理由とやらは何だい? それを訊いた方が話が早そうだ」
「……そうですね。お言葉に甘えて、もう一つの理由について」
説明する前に、彼女は肩に掛けていた鞄から、何やら一枚の写真を取り出し、それを机の上に置いた。近衛と蓮川はそれに注目する。
その写真には、一人の男性が写っていた。撮影者に向けてピースをしていて、整った顔立ちは楽しさを表現していた。気になるのは、写真の半分が切り取られていたことだろう。
綴町は写真をしっかり観察する時間を設けてから、
「その写真の彼を、明日勧誘してほしいんです。明日のお昼に、図書館前にいるはずですから」
「理由は訊いても?」
「……私の経験からして、彼が巻き込まれる可能性があるからです。なので、誰かと関わっていてほしいんです。できれば、私の存在は伏せて」
彼女が言った理由は、すぐに建前だと見抜けた。写真を持っているということは、少なからず関わりがあるのだろう。『L.A.W』に頼むということは、写真の男もKO大学生だ。なら、彼女がこの男と接していれば何の問題もないのだ。
(わざわざ回りくどい方法を取ってまで、この男の子の身を守りたいと思ってる。守りたいことに偽りはないと思うけど、どーにも理屈が合わない)
謎が多い分、どんなリスクがあるか判断しづらい。彼女の頼みは絶対というわけではないので、当然断ることもできる。
しかし近衛は、
「――――解った。その頼み、この近衛桐恵が引き受けよう」
そう約束した直後、つんと蓮川が肘で脇腹を突いてきた。
「(いいんですか? あからさまに怪しいですけど)」
「(……私たちは、『反転世界』で極力被害者を出さないよう、これまで活動してきた。彼女の言葉が嘘であろうとなかろうと、被害者になるかもしれない人がいるなら、手を差し伸べるべきだと思うんだ)」
小声で互いの考えを共有し、蓮川は渋々納得したようで頷いた。苦言を呈すこともあるが、基本的に彼は近衛の意見を尊重している。
両者の合意を得たということで、綴町はソファーから立ち上がり、部室を出る間際に再度頭を下げた。
「――――ありがとうございました。蓮川さん、近衛さん」
彼女に自己紹介していないことに気付いたのは、綴町が立ち去ってからのことだった。
「ところで、もうそろそろミッくんの目的、教えてくれてもいいんじゃないかな?」
護国寺を救出して『反転世界』から脱出した後、彼女たちはひとまず『L.A.W』の部室に戻ってきていた。護国寺はソファーで横になっている。
ミッくん――綴町未来子は、彼の無事な様子を再度確認して、ほっと息を吐いた。それから彼女は近衛の質問に答えようと、悩む素振りを見せる。
「……目的も何も、私も貴方がたと同様に、誰かの命を救うためですよ。それ以外にありません」
「誰かの、ねえ……」
綴町に対し、意味ありげな視線を送る近衛。しかし彼女は「何のことやら」と軽やかに受け流した。度々、綴町が入学し立ての未成年に見えなくなることがある。
不自然な言動の多い綴町だが、近衛は何故かそこまで露骨に怪しいとは思えなかった。同性だからだとか、そういう贔屓目ではなくて、彼女は嘘を吐いていないと何となく解るのだ。
近衛の感性と蓮川のそれとは違うらしく、疑いの眼を隠しもせずに彼は追及する。
「誰かを救う――――それは本心か?」
緊張感さえ漂わせて、蓮川は問う。
綴町も真剣な面持ちになって、真摯さを内包した眼差しで目を合わせる。
「はい。自分でも疑わしいことをしているとは思っていますが、それでもその気持ちに偽りはありません」
「自覚しているなら、少しは改めてほしいんだがな……」
蓮川は呆れた風にため息を吐いた。がしがしと頭を掻いて、間を置いてから続ける。
「だとしても自分には今日、『反転世界』に護国寺がいたことがどうにも気がかりでな。巻き込まれてほしくないからと、君は我々に彼のことを紹介した。なのに今日、その懸念していた彼がいた。……これは果たして偶然か?」
対策と事実が矛盾している。それが実らなかったと言えばそれまでだが、いかんせん腑に落ちないといった表情を見せる蓮川。そこまで深く考えていなかった近衛は、一理あると口にした。
綴町は答えに窮した態度を示していたものの、やがて口を開いた。
「――――正直に言ってしまえば、私にも意図していたところがあります。少し想定と外れていましたが」
「それを説明することはできないのか?」
「……生憎と。騙すつもりはないですけど、そう易々と口を割れることでもありませんので」
高校を卒業してばかりだというのに、彼女はとてもそういう風には見えない。僅かばかりの貫録すら窺わせるような、大人びた振る舞いが目立つ。
出会って二日なら当然だが、言えないということは、即ち信用されていないということだろう。暗にそう伝えられた蓮川は、悔しがっているのか苛立っているのか、何とも言えない顔をする。近衛は「まあまあ」と努めて明るい声を出して、
「女の子には言えない秘密の一つや二つあるものさ。それよりレンレン、何か言うことがあったんじゃなかったっけ?」
「ああ、そうでした」
切り替えの早い男、蓮川はソファーで意識の戻らない護国寺に目を遣って、それから綴町へと視線を移した。
言おうか言わぬべきか、悩むような間が僅かにあって、彼はその事実を口にした。
「――――護国寺が、どうやら『言霊』に目覚めたらしい」
この時でさえ、綴町の表情は崩れなかった。
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