事なかれ主義の回廊

由紀菜

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11.事件の背景

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ミモレディ先生の言った通り、俺の怪我は保健のノクレア先生の治癒魔法で完治した。ベッドに横になって治療を受けた俺の横に亡霊のように突っ立っているヨアに尋ねる。
「凄く良いタイミングで来てくれたね…多分あと一歩遅かったら俺の腕は再起不能になっていたと思うから…その、ありがとう。先生も呼んでくれたんだ?」
答えず黙ったままの彼の代わりに助け舟を出したのはミモレディ先生だった。
「これを読んだ時は本当に何事かと驚いたよ。普通に職員室まで走って呼んでたら間に合わなかっただろうね。」
先生はシャツの胸ポケットから一枚の紙を取り出し、俺に見せる。ペンで書いたようには見えない歪で太さの異なる文字と焦げたような臭いに首を傾げる。
『緊急 エルーンサロン』とだけ書かれていた。
先生は紙の繊維まで見せるかのように陽が差す方へ紙を傾ける。
「これ、生徒手帳の余白ページに火の魔法で紙の表面だけ炙って文字を書いてるんだよ。そして風の魔法で僕の元へと飛ばした。こんな高度で精密な魔法、君達はまだ習ってない…というか教えても普通は出来ないはずだけどね。」
つまり、ペンを持ち歩いていなかったヨアはその代わりとして火で炙った焦げ目を文字に形どったと?意味が分からない。ヨアが変わらずトンデモ人間ということだけは分かった。
「ヨアゼルン君がしたこと、全てが褒められることでは無いけど、こうしてちゃんと大人を頼った判断は正しいよ。相手が相手なだけにね、タイミングと目撃者を違えば君達が悪者にされたっておかしくはないんだから。よくやった。」
先生の大きな手がヨアの頭に置かれる。

先生が示唆するのは、中立な立場のミモレディ先生ではなく、もしも目撃者がハミルトン派閥の人間だったら、証拠も隠蔽され証言も捻じ曲げられていた可能性が高かった、ということである。改めて身分制度で成り立つこの社会を思い知り戦慄する。
「さて。一旦落ち着いたから話を聞こうか?ハミルトン君のプライドの高さ…というかそれに起因する家庭事情を知っているから、何となく動機は想像がつくけど。」
先生の話をよると、ハミルトンの父、つまり宰相のドニリク=ロッグフェイズの息子でロッグフェイズ家当主であるジェイモンド=ロッグフェイズは頭の出来が少々悪く、文官に向いていないと幼い頃から見放され、ドニリクは代わりに孫のハミルトンを手塩にかけて育て上げたそうだ。隔世遺伝というものがこの世界にもあるなら、彼はそれに当てはまったのだろう。入学前から中等部の問題を解くほどの天才少年で、次代の宰相にと、彼にかけられた期待は想像を超える。「宰相の孫」と「学年二位」が平行線で交わらないもどかしさがあったんだろう。

「そうだったんですね。」
「どんな事情があろうと関係無い。ランバートは誰よりも努力をしていた。だからアイツは負けた。力で捩じ伏せようとするのもアイツが弱いからだ。それだけだ。」
やっとヨアが口を開いたと思ったらハミルトンへの同情を咎めるような口調だった。「そうだね」とミモレディ先生が優しく同調するので、恥ずかしくも俺はその場で少し泣いてしまった。恐怖から解放された安堵も重なったんだろうか。ランバートとして生きてきて、初めて俺は涙を流した。

家に帰ると、おそらく直ぐに学園から事情説明の連絡があったんだろう。家族も使用人も皆、何も言わずに温かく迎えてくれた。父上は「大変だったね。ロッグフェイズ家とは父さんがきちんと話をつけて然るべき処置をするからね、何も心配しなくて良い」とぶれない姿勢を保っており頼もしかった。


◇◇◇

翌日、学校に着いてすぐに理事長室へ呼ばれた。昨日の今日なので事情聴取といったところか。少し身構えながら入室すると大理石のテーブルと横長のソファが向かい合わせに二つ配置されているのが見え、片方には眼鏡を掛けた短い白髪の男性が一人座り、向かいにヨアが座っていた。
「君がランバート君か。朝から呼び出してすまないね。」
俺の記憶が正しければ、この学園の理事長はいつも長い銀髪を後ろで纏めている。髪色も違うし見た目の年齢も、目の前の男性の方が大分年老いている。
「はじめまして。ハミルトンの祖父のドニリク=ロッグフェイズです。」
物腰の柔らかい挨拶に俺は一度思考が停止した。この方が…?宰相が此処に…?
「はっ、お初にお目にかかります。ランバート=アルフレイドと申します。」
慌てて最敬礼の姿勢を取ると、頭を上げなさいと優しく声を掛けられ、ヨアの隣へ座るよう促された。
「この度はうちの孫が本当にすまなかった。」
今度は座った俺たちの前でドニリクは頭を下げた。そこには宰相としての威光はなく、いち生徒の祖父としての謝罪だった。

「ハミルトン自身が君達に直接謝罪すべきところを…申し訳ない。目を覚ました時から自分の悪行が表出たことを受け止めきれないのか、精神的に不安定になってしまってね。今は専門医の元で療養している。・・・あの子がそこまで張り詰めてしまうほどのプレッシャーを与えていたのは他でもない、私だ。ロッグフェイズ家を代表して謝罪の場を設けさせてもらった。そして、取り返しのつかないことになる前にあの子を止めてくれたヨアゼルン=フィアラルド、君に感謝する。」
それに鼻で笑って返すヨア。
「俺はアイツを止めるためにやったんじゃない。」
「わかっている。しかし結果的にそうなったから、本当に感謝しているんだ。あの場で気絶してしまったようだが・・・足止めするだけなら、その、気を悪くしないでほしいのだが、血筋にくだらんプライドを持っているあの子が逆上して暴走する危険もあった。学園側が過剰な防衛をしたとして君を処罰の対象にしていたそうだが、とんでもない。謹慎は取り下げてもらったから、安心して欲しい。」
壁まで吹っ飛ばしたヨアに対して何も処分は無し、ということにはならないだろうと俺も思っていたが、今こうして学園に来ているということは、ドニリクの言う通り謹慎処分は取り下げられたんだろう。

血筋にプライドを持つハミルトンがヨアに逆上するというのは、彼がフィアラルド家の実子ではないことを指しているのだろう。ヨアは表情ひとつ変えず黙ったままだった。ドニリクはまた俺に向き直った。
「君はいつも総合試験で首位にいると聞いているよ。ハミルトンにどんな子なんだと聞いても何も教えてくれなくてね。はは、まぁその気持ちも分かるな。容貌もさることながら何でも持っている、と嫉妬の対象になってしまったんだろう。君のその気高い精神もね。どうだい?文官には興味ないかね。」
気高い精神って。俺は崇高な意志も目標も持ち合わせていないし、どちらかというと利己的な方である。子供相手に本気で勧誘するわけもなく、冗談だろうと笑って受け流したが、両手を肘の上に置いて姿勢を正したドニリクは真面目な顔をする。
「ふふ。職業柄、人をよく見る癖があってね。ランバート君には人を惹きつける力があるよ。このまま成長すれば王宮に呼ばれる日がきっと来るだろう…ヨアゼルン君もね。君の身体能力、判断力、高精度な魔法はどの軍隊も喉から手が出るほど欲しいだろうね。まぁ、今は老いぼれの戯言だと思って聞き流してくれても構わんが…君達の成長を楽しく見届けさせてもらおう。それまで現役でいたいものだ、はっはっは。」

それから軽い雑談を交わし、多忙なドニリクは名残惜しそうに帰って行った。

ポツンと残された俺とヨアに沈黙が落ちる。
「ヨア、気絶させるのも計算して吹っ飛ばしたの?」
「まさか。頭に血が上って、アイツらの顔も見たくないから遠くに飛ばしただけだ。」
「だよね」
認めたくないけど、いつも仏頂面で無愛想だけど、なんだかんだヨアはいい奴だ。
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