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第一章:突然の気持ち
第1話 頼まれちゃった
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九月の半ば。風に交じる涼やかな気配が、夏の終わりの寂しさと、文化祭や体育祭へと向かう独特の高揚感を運んできていた。
放課後の校庭。沈みゆく夕日が、部活に励む生徒たちの影を長く引き伸ばし、土埃さえも黄金色に輝かせている。
「……ふふっ、待ってろよ。我が愛しの聖騎士ちゃん……!」
猪草倖輔は、リュックの紐をぎゅっと握りしめ、誰にも聞こえない小声で呟いた。
明日から始まる待望の四連休。彼のプランは完璧だった。
最新作のファンタジーRPGを骨までしゃぶり尽くし、宿題という名の『魔王』からは全力で戦略的撤退を決め込む準備は万端。
心はすでに異世界へと転移しかけていた、その時だった。
「良かったぁ……倖輔くん、まだ居たのね」
背後から響いたのは、鈴の音を転がしたような、優しくも凛とした声。 倖輔の背筋が、反射的にピンと伸びた。
振り返ると、そこには夕焼けを背負って立つ一人の女性――詩織里がいた。
この学校の国語教師であり、生徒たちの憧れの的。
そして……二年前、父の再婚によって倖輔の『義母』となった女性だ。
「……詩織里さっ、前仲先生? どうかしたんですか、そんなに慌てて」
「ごめんね、倖輔くん。急に呼び止めちゃって」
この学校では親子であることを隠しているため、旧姓の『前仲』を使っている。
彼女は少しだけ肩で息をしながら、申し訳なさそうに微笑んだ。
家の中でも外でも、彼女は倖輔を「くん」付けで呼び、丁寧すぎるほどの距離を保っている。
その「他人行儀な優しさ」が、倖輔の胸をいつも少しだけチクりとさせていた。
「実は、ちょっとお願いがあるの。倖輔くんにしか頼めなくて……」
「俺に? 珍しいですね、詩織里さんが頼み事なんて」
詩織里は、困ったように眉を寄せて事情を話し始めた。
どうやら、九歳になる義妹の美咲が、小学校に体操着を忘れてきたらしい。
連休中に洗濯を済ませておきたかった詩織里が慌てて確認したところ、意外な展開になっていた。
「クラスメイトの高岳沙奈枝ちゃんが、気を利かせて美咲の分まで持ち帰ってくれたそうなの。でもね……」
「でも?」
「沙奈枝ちゃん自身も、自分がこれから家族旅行に行くことをすっかり忘れてたみたいで。今はもうお家を出発しちゃってるんだけど、体操着はお家に残したままなんですって」
「あはは、なかなかの天然さんですね」
「そうなの。それで、沙奈枝ちゃんのお母様だけはお留守番でご自宅にいらっしゃるから、もし倖輔くんの都合が良ければ、受け取りに行ってほしいなって……。迷惑、かしら?」
上目遣いで、不安そうにこちらの様子を窺う詩織里。
そんな表情で頼まれて、断れる男子中学生がこの世に存在するだろうか。いや、存在しない(反語)。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。全然構わないですよ。ちょうど暇してたところですし」
ゲーム機の前で待機している聖騎士ちゃんの顔が脳裏をよぎったが、倖輔は爽やかな笑顔で快諾した。
「本当? 助かるわ……! ありがとう、倖輔くん」
パッと顔を輝かせた詩織里。その無防備な笑顔に、倖輔の心臓が不意にトクンと跳ねる。
こうして、倖輔の「異世界への旅」は、まずは住宅街にある高岳家を目指す「おつかいクエスト」から幕を開けることになったのである。
放課後の校庭。沈みゆく夕日が、部活に励む生徒たちの影を長く引き伸ばし、土埃さえも黄金色に輝かせている。
「……ふふっ、待ってろよ。我が愛しの聖騎士ちゃん……!」
猪草倖輔は、リュックの紐をぎゅっと握りしめ、誰にも聞こえない小声で呟いた。
明日から始まる待望の四連休。彼のプランは完璧だった。
最新作のファンタジーRPGを骨までしゃぶり尽くし、宿題という名の『魔王』からは全力で戦略的撤退を決め込む準備は万端。
心はすでに異世界へと転移しかけていた、その時だった。
「良かったぁ……倖輔くん、まだ居たのね」
背後から響いたのは、鈴の音を転がしたような、優しくも凛とした声。 倖輔の背筋が、反射的にピンと伸びた。
振り返ると、そこには夕焼けを背負って立つ一人の女性――詩織里がいた。
この学校の国語教師であり、生徒たちの憧れの的。
そして……二年前、父の再婚によって倖輔の『義母』となった女性だ。
「……詩織里さっ、前仲先生? どうかしたんですか、そんなに慌てて」
「ごめんね、倖輔くん。急に呼び止めちゃって」
この学校では親子であることを隠しているため、旧姓の『前仲』を使っている。
彼女は少しだけ肩で息をしながら、申し訳なさそうに微笑んだ。
家の中でも外でも、彼女は倖輔を「くん」付けで呼び、丁寧すぎるほどの距離を保っている。
その「他人行儀な優しさ」が、倖輔の胸をいつも少しだけチクりとさせていた。
「実は、ちょっとお願いがあるの。倖輔くんにしか頼めなくて……」
「俺に? 珍しいですね、詩織里さんが頼み事なんて」
詩織里は、困ったように眉を寄せて事情を話し始めた。
どうやら、九歳になる義妹の美咲が、小学校に体操着を忘れてきたらしい。
連休中に洗濯を済ませておきたかった詩織里が慌てて確認したところ、意外な展開になっていた。
「クラスメイトの高岳沙奈枝ちゃんが、気を利かせて美咲の分まで持ち帰ってくれたそうなの。でもね……」
「でも?」
「沙奈枝ちゃん自身も、自分がこれから家族旅行に行くことをすっかり忘れてたみたいで。今はもうお家を出発しちゃってるんだけど、体操着はお家に残したままなんですって」
「あはは、なかなかの天然さんですね」
「そうなの。それで、沙奈枝ちゃんのお母様だけはお留守番でご自宅にいらっしゃるから、もし倖輔くんの都合が良ければ、受け取りに行ってほしいなって……。迷惑、かしら?」
上目遣いで、不安そうにこちらの様子を窺う詩織里。
そんな表情で頼まれて、断れる男子中学生がこの世に存在するだろうか。いや、存在しない(反語)。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。全然構わないですよ。ちょうど暇してたところですし」
ゲーム機の前で待機している聖騎士ちゃんの顔が脳裏をよぎったが、倖輔は爽やかな笑顔で快諾した。
「本当? 助かるわ……! ありがとう、倖輔くん」
パッと顔を輝かせた詩織里。その無防備な笑顔に、倖輔の心臓が不意にトクンと跳ねる。
こうして、倖輔の「異世界への旅」は、まずは住宅街にある高岳家を目指す「おつかいクエスト」から幕を開けることになったのである。
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