1 / 1
第一章:突然の気持ち
第1話 頼まれちゃった
しおりを挟む
九月の半ば。風に交じる涼やかな気配が、夏の終わりの寂しさと、文化祭や体育祭へと向かう独特の高揚感を運んできていた。
放課後の校庭。沈みゆく夕日が、部活に励む生徒たちの影を長く引き伸ばし、土埃さえも黄金色に輝かせている。
「……ふふっ、待ってろよ。我が愛しの聖騎士(パラディン)ちゃん……!」
猪草倖輔(いぐさ こうすけ)は、リュックの紐をぎゅっと握りしめ、誰にも聞こえない小声で呟いた。
明日から始まる待望の四連休。彼のプランは完璧だった。
最新作のファンタジーRPGを骨までしゃぶり尽くし、宿題という名の『魔王』からは全力で戦略的撤退を決め込む準備は万端。
心はすでに異世界へと転移しかけていた、その時だった。
「良かったぁ……倖輔くん、まだ居たのね」
背後から響いたのは、鈴の音を転がしたような、優しくも凛とした声。 倖輔の背筋が、反射的にピンと伸びた。
振り返ると、そこには夕焼けを背負って立つ一人の女性――詩織里(しおり)がいた。
この学校の国語教師であり、生徒たちの憧れの的。
そして……二年前、父の再婚によって倖輔の『義母』となった女性だ。
「……詩織里さん? どうかしたんですか、そんなに慌てて」
「ごめんね、倖輔くん。急に呼び止めちゃって」
彼女は少しだけ肩で息をしながら、申し訳なさそうに微笑んだ。
家の中でも外でも、彼女は倖輔を「くん」付けで呼び、丁寧すぎるほどの距離を保っている。
その「他人行儀な優しさ」が、倖輔の胸をいつも少しだけチクりとさせていた。
「実は、ちょっとお願いがあるの。倖輔くんにしか頼めなくて……」
「俺に? 珍しいですね、詩織里さんが頼み事なんて」
詩織里は、困ったように眉を寄せて事情を話し始めた。
どうやら、九歳になる義妹の美咲が、小学校に体操着を忘れてきたらしい。
連休中に洗濯を済ませておきたかった詩織里が慌てて確認したところ、意外な展開になっていた。
「クラスメイトの高尾家沙奈枝ちゃんが、気を利かせて美咲の分まで持ち帰ってくれたそうなの。でもね……」
「でも?」
「沙奈枝ちゃん自身も、自分がこれから家族旅行に行くことをすっかり忘れてたみたいで。今はもうお家を出発しちゃってるんだけど、体操着はお家に残したままなんですって」
「あはは、なかなかの天然さんですね」
「そうなの。それで、沙奈枝ちゃんのお母様だけはお留守番でご自宅にいらっしゃるから、もし倖輔くんの都合が良ければ、受け取りに行ってほしいなって……。迷惑、かしら?」
上目遣いで、不安そうにこちらの様子を窺う詩織里。
そんな表情で頼まれて、断れる男子中学生がこの世に存在するだろうか。いや、存在しない(反語)。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。全然構わないですよ。ちょうど暇してたところですし」
ゲーム機の前で待機している聖騎士ちゃんの顔が脳裏をよぎったが、倖輔は爽やかな笑顔で快諾した。
「本当? 助かるわ……! ありがとう、倖輔くん」
パッと顔を輝かせた詩織里。その無防備な笑顔に、倖輔の心臓が不意にトクンと跳ねる。
こうして、倖輔の「異世界への旅」は、まずは住宅街にある高尾家家を目指す「おつかいクエスト」から幕を開けることになったのである。
放課後の校庭。沈みゆく夕日が、部活に励む生徒たちの影を長く引き伸ばし、土埃さえも黄金色に輝かせている。
「……ふふっ、待ってろよ。我が愛しの聖騎士(パラディン)ちゃん……!」
猪草倖輔(いぐさ こうすけ)は、リュックの紐をぎゅっと握りしめ、誰にも聞こえない小声で呟いた。
明日から始まる待望の四連休。彼のプランは完璧だった。
最新作のファンタジーRPGを骨までしゃぶり尽くし、宿題という名の『魔王』からは全力で戦略的撤退を決め込む準備は万端。
心はすでに異世界へと転移しかけていた、その時だった。
「良かったぁ……倖輔くん、まだ居たのね」
背後から響いたのは、鈴の音を転がしたような、優しくも凛とした声。 倖輔の背筋が、反射的にピンと伸びた。
振り返ると、そこには夕焼けを背負って立つ一人の女性――詩織里(しおり)がいた。
この学校の国語教師であり、生徒たちの憧れの的。
そして……二年前、父の再婚によって倖輔の『義母』となった女性だ。
「……詩織里さん? どうかしたんですか、そんなに慌てて」
「ごめんね、倖輔くん。急に呼び止めちゃって」
彼女は少しだけ肩で息をしながら、申し訳なさそうに微笑んだ。
家の中でも外でも、彼女は倖輔を「くん」付けで呼び、丁寧すぎるほどの距離を保っている。
その「他人行儀な優しさ」が、倖輔の胸をいつも少しだけチクりとさせていた。
「実は、ちょっとお願いがあるの。倖輔くんにしか頼めなくて……」
「俺に? 珍しいですね、詩織里さんが頼み事なんて」
詩織里は、困ったように眉を寄せて事情を話し始めた。
どうやら、九歳になる義妹の美咲が、小学校に体操着を忘れてきたらしい。
連休中に洗濯を済ませておきたかった詩織里が慌てて確認したところ、意外な展開になっていた。
「クラスメイトの高尾家沙奈枝ちゃんが、気を利かせて美咲の分まで持ち帰ってくれたそうなの。でもね……」
「でも?」
「沙奈枝ちゃん自身も、自分がこれから家族旅行に行くことをすっかり忘れてたみたいで。今はもうお家を出発しちゃってるんだけど、体操着はお家に残したままなんですって」
「あはは、なかなかの天然さんですね」
「そうなの。それで、沙奈枝ちゃんのお母様だけはお留守番でご自宅にいらっしゃるから、もし倖輔くんの都合が良ければ、受け取りに行ってほしいなって……。迷惑、かしら?」
上目遣いで、不安そうにこちらの様子を窺う詩織里。
そんな表情で頼まれて、断れる男子中学生がこの世に存在するだろうか。いや、存在しない(反語)。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。全然構わないですよ。ちょうど暇してたところですし」
ゲーム機の前で待機している聖騎士ちゃんの顔が脳裏をよぎったが、倖輔は爽やかな笑顔で快諾した。
「本当? 助かるわ……! ありがとう、倖輔くん」
パッと顔を輝かせた詩織里。その無防備な笑顔に、倖輔の心臓が不意にトクンと跳ねる。
こうして、倖輔の「異世界への旅」は、まずは住宅街にある高尾家家を目指す「おつかいクエスト」から幕を開けることになったのである。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる