17 / 32
第一章
霧の中
しおりを挟む
居室へと戻るため、無言でリンの後について歩く。
気まずい空気のなか、リンの後頭部を見つめながら、なんとか隙を作れないものかと思考をめぐらせた。
(────手刀とかで気絶させられないかな)
よく漫画でもあるあの手法。素人だが思いっきりやれば可能なのではないだろうか、と思いついた。
みぞおちなら経験済みなので確実な気もするが、リンに前から攻撃をくらわすのは無理だろう。
(ていうか、みぞおち殴られて気絶経験ある女子高生って……)
しかし、暴力なんて……。それに失敗したらまた酷い目にあわされる。今すぐ殺されることはないにしても、怖い……。
恐怖心と道徳心がブレーキをかけるが、背に腹はかえられない。
(私は生き延びる。そして家に帰るんだ!)
歩く速度を少しあげて、じわりじわりと距離を詰める。
腹を括ると、リンから受けた理不尽な暴力への怒りがわいてきた。
この恨み、この一発にこめてやろうと、片手を高く掲げた。
────が、それは未遂に終わってしまった。
振りかざすより先にリンが振り向いたのだ。
「────あっ……」
(────やばっ!!)
高く上げたままの手を見られてしまい、たらりと、冷や汗が流れた。
(き、キレる……!?)
しかし、リンは何も言わずにまた歩き出した。
葵はしばらく固まっていたが、慌てて追いかける。
(────ば、ばれてないの? たまたまだったのかな……?)
ならばもう一度やってみようと、今度はためることなく思いっきり振りかざした。
(────くらえ、悪霊退散!!)
────が、それも手応えなく終わる。
リンは身をかわすと、逃げられないよう葵の手を掴んだ。空いた手で拳を構える。
その目掛ける先は、葵のみぞおちだ。
「────うそうそうそごめんごめん!! 冗談です!! すみませんでした!!」
全力で許しを乞う。
蟻は象のような強大な相手には平伏すしかないのだ。
「ド素人が……」
そう吐き捨てると、葵の手を離し、また何事も無かったように歩き出した。
どうらやら、お咎めなしですんだらしい。
(────あ、あぶなっ……!! 今気絶したら明日になっちゃうところだったよ……)
葵はほっと胸を撫で下ろすと、また別の方法を模索しながら歩を進めるのだった。
***
(もういっそ、楽になるのも悪くないかも……)
居室に着いた頃には、そんな投げやりな考えも頭をよぎっていた。すぐに頭を振ってそれを追いやる。
これをもう何度繰り返しただろうか。
リンの監視を逃れるのは至難の業だ。
(────いやいや、弱気になっちゃダメだ!! 絶対生き延びるぞ!!)
一度は逃げ出せたのだから、と自分を励ます。
まあ、それも最初からばれていたのだが……。
「おかえりなさいませ」
居室の障子を開けると、菊乃がうやうやしく両手をついて頭を下げた。
リンは葵の襟首を掴んで居室へ押し込めると、ぶっきらぼうに言った。
「儀式は明日。こいつが逃げないよう、目を離すな」
「かしこまりましてございます」
菊乃の返事を聞くと、ピシャリと音を立てて戸を閉めた。
なんて奴だ、と障子に向かって威嚇していると、菊乃に優しく声をかけられた。
「葵様、お食事の用意が整ってごさいます」
「き、菊乃さあん……!!」
そんなに時間が経っていないのに、実家に帰ってきたような安心感がわいて、葵は泣きついた。
一日で色々なことがありすぎた。
妖獣に襲われ、人が死ぬのを嫌というほど見せられたあげくオカッパに殴られ、ギスギスした会議で死刑宣告を受けた後、またオカッパから暴行を受けた。
もはやトラウマのオンパレードである。
「ど、どうされたのですか? 葵様、わたくしに触れるのは……」
「いいのそんなの!! もうなにもかもうんざり!! 全部クソくらえだよ!!」
「そ、そのような品のない言葉を口にされては……!!」
「だってヒドイんだよ!? 全部勝手に決められてさあ!! まだ十代なのに死ぬの私!? あんまりだよ!!」
おんおんと泣きじゃくると、菊乃は戸惑いながらも背中を叩いてあやしてくれた。
「葵様、わたくしは心から感謝しております」
「……え?」
菊乃は綺麗に微笑んだ。
「下界のどこかにいる親や兄弟をお救いくださること。今日この日まで健やかに生きてこられたことを。わたくし達は水巫女様によって生かされているのです」
困惑のあまり言葉が出てこない。
菊乃は何を言っているのだろう、とひたすら考えた。
「水巫女様のお役目は、とても尊きものにございます」
愕然とした。それと同じくらい落胆もした。
別に神のように崇めて欲しいわけじゃない。
死ぬのが嫌だ、と言っているのに、なぜ犠牲になるのが良い行いのように言うのだろうか。
結局、優しい菊乃もあちら側だということだ。
(なんだ……なにもわかってくれないんじゃん)
菊乃は朱色の漆器を乗せた膳を、ぼんやりしている葵の前に置いた。
着々と食事の準備がなされていく。
鯛を丸々一匹焼いたものと汁物、根菜の煮物に、お新香が添えられた定食スタイルで、白米は山盛りに盛られている。
(鯛かよ……なんもめでたくないわ!!)
今日一日、何も口にしていなかった葵は、空腹が限界に達していた。だが、残念な気持ちが胃をもやもやさせているせいで、かき込むほどの気力はない。
鯛の白くなった目が、地面に転がる自分の生首のそれと重なる。
こんな感じで白目をむいて、ひどい顔をして死ぬのだろう。
(美しくもなんともないな……)
ふてくされながら箸を持つ。
改めて見れば、まるで祝言のような豪勢な料理だ。
きっと、最後の晩餐というやつだろう。
(お肉が食べたかったな……リクエストくらい聞いてくれればいいのに……)
身の内で文句をたれ流しながら鯛に手をつけようとすると、誰かが手をつけた痕跡があるのに気が付いた。
「菊乃さん……」
「はい」
「つまみ食いした?」
菊乃はきょとんとしてから、料理に視線を移した。
それからすぐに、くすくすと笑った。
「まさか! これは毒見のあとにございますゆえ、安心してお召しあがりくださいませ」
「ど、毒見!?」
そんなことまでするのかと驚く。
どうせ死ぬのだからそんなのいらないだろう、とも思ったが、水波盛家にとっては、儀式の前に巫女に死なれては困るのだろう。
どこまでも徹底している。
(毒殺も嫌だなー……)
ぼんやり思いながら、白米を口に運んでいると、使っている箸に目がいった。
よからぬ考えがよぎる。
(────これ、凶器にならないか?)
目や喉を狙えば……、と心の中で悪魔がささやいた。
リンが相手では無理だが、女なら────菊乃ならば、力ずくでなんとかならないだろうか。
葵が袴姿なのに対し、菊乃は着物をきている。
着物は動きずらいだけでなく、歩幅を制限されるのだ。
(────いける!!)
葵は菊乃に近づいた。
「……葵様?」
「菊乃さん、ちょっと……」
菊乃の背後にまわりこむと、菊乃は首を傾げた。
そのまま抱きつくようにして、取り押さえた。
「さ、騒がないでください!!」
「あ、葵様────!?」
喉もとに箸を突きつけると、菊乃は驚愕の声をもらした。
「ごめんなさい……でもこうするしか────」
「────お、おやめくださいませ!!」
視界が反転し、背中を強打した。
自分の身に起こったことが信じられなかった。
しとやかで、見るからに無害そうな菊乃に投げ飛ばされたのである。
(────き、聞いてないよ……)
とんだ隠し球ではないか。
大人しそうな顔をして、実は武芸をたしなんでいるだなんて思いもよらない。
思惑が失敗して、葵はすっかり絶望した。
これでは全く逃げられる気がしない。
そんな葵に、菊乃は一歩下がり、慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません!! お怪我は……大事ございませんか!?」
葵はそれを無視した。
腹が立っていたから、菊乃がもっと慌てふためけばいいと思っていた。
「────あ、葵様……?」
菊乃の声がおそるおそるになった。
それでも葵は無反応を続ける。
畳を摺る音がして、菊乃が近寄ってくる気配を感じる。
「あ、あの……だいじょう────」
顔を覗き込まれた瞬間、葵は菊乃の頭をがっしりと掴み、思いっきり起き上がった。
「────いっ!!」
「────くっ!!」
目の前を無数の星が散った。
葵は揺れる頭をおさえながらも、なんとか居室から這い出て、全速力で駆け出した。
「────ご、ごめんなさい!!」
顔を覗き込まれる寸前で、咄嗟に思いついた作戦は、自分にもダメージがあるとはいえ成功したわけである。
「リン様!! リン様あああああ!!!!!!!!」
後ろから菊乃の叫ぶ声が追ってきた。
(────やばい!!)
リンに見つかったら逃げ切れる気がしない。
あいつが駆けつける前に姿をくらます必要がある。
だが、ここから先は無計画だった。
(────どどどどどうしよう!?)
昼間に歩いたとおりに廻廊を走っていると、その時の記憶がよみがえった。
(途中で、霧が濃くなる所があったんだ! 今も霧が出ていれば目くらましにはなるかも……!!)
しばらく走ると、その岐路が見えてきた。
鎖で遮られ、昼間よりいっそう、おどろおどろしく見える。
葵は鎖を越えるのを躊躇した。
『こっち』
「────え?」
霧の向こうから呼ばれた気がした。幼い女の子の声だ。
「巫女様ー!!」
「葵様ー!!」
あちこちで葵を呼ぶ声がする。社が徐々に騒がしくなってきた。
ドタバタと複数の足音が近づいてきた為、葵は慌てて鎖をくぐり抜けた。
辺りが白い霧に包まれる。
意外にも通路はほんの二、三メートルで途絶えていた。
「────そんな……ここで終わりなんて冗談じゃない!!」
四つん這いになってその下を覗くと、少し離れたところに木製の小舟が一つ浮かんでいる。
(────この先にも何かあるんだ!!)
葵は小舟をつなぐ縄を手繰り寄せ、滑り落ちないよう、気を張りながら小舟に乗り移った。
手漕ぎは慣れている。
祠に行く為に、何年もほぼ毎日漕いできたのだから。
しばらく進むと、霧の中に黒い影が見えてきた。
近づくにつれて、建物だとわかったが、かなり古い。社というよりは、木造の簡素な日本家屋といった方がしっくりくる。
壁や屋根には所々隙間があり、まるでお化け屋敷のような佇まいに、葵は身震いした。
「……入るしか、ないんだよね……?」
本殿は崖や塀に囲まれているし、戻るわけにもいかない。
気味が悪いが、一旦身を隠すには良いかもしれない。
葵は家の前に小舟をつけると、縄を適当な柱に繋いだ。
改めて見ると、やはりただらなぬ雰囲気がある。
葵はゴクリと唾を飲み込むと、家の入口に足を踏み入れるのだった。
気まずい空気のなか、リンの後頭部を見つめながら、なんとか隙を作れないものかと思考をめぐらせた。
(────手刀とかで気絶させられないかな)
よく漫画でもあるあの手法。素人だが思いっきりやれば可能なのではないだろうか、と思いついた。
みぞおちなら経験済みなので確実な気もするが、リンに前から攻撃をくらわすのは無理だろう。
(ていうか、みぞおち殴られて気絶経験ある女子高生って……)
しかし、暴力なんて……。それに失敗したらまた酷い目にあわされる。今すぐ殺されることはないにしても、怖い……。
恐怖心と道徳心がブレーキをかけるが、背に腹はかえられない。
(私は生き延びる。そして家に帰るんだ!)
歩く速度を少しあげて、じわりじわりと距離を詰める。
腹を括ると、リンから受けた理不尽な暴力への怒りがわいてきた。
この恨み、この一発にこめてやろうと、片手を高く掲げた。
────が、それは未遂に終わってしまった。
振りかざすより先にリンが振り向いたのだ。
「────あっ……」
(────やばっ!!)
高く上げたままの手を見られてしまい、たらりと、冷や汗が流れた。
(き、キレる……!?)
しかし、リンは何も言わずにまた歩き出した。
葵はしばらく固まっていたが、慌てて追いかける。
(────ば、ばれてないの? たまたまだったのかな……?)
ならばもう一度やってみようと、今度はためることなく思いっきり振りかざした。
(────くらえ、悪霊退散!!)
────が、それも手応えなく終わる。
リンは身をかわすと、逃げられないよう葵の手を掴んだ。空いた手で拳を構える。
その目掛ける先は、葵のみぞおちだ。
「────うそうそうそごめんごめん!! 冗談です!! すみませんでした!!」
全力で許しを乞う。
蟻は象のような強大な相手には平伏すしかないのだ。
「ド素人が……」
そう吐き捨てると、葵の手を離し、また何事も無かったように歩き出した。
どうらやら、お咎めなしですんだらしい。
(────あ、あぶなっ……!! 今気絶したら明日になっちゃうところだったよ……)
葵はほっと胸を撫で下ろすと、また別の方法を模索しながら歩を進めるのだった。
***
(もういっそ、楽になるのも悪くないかも……)
居室に着いた頃には、そんな投げやりな考えも頭をよぎっていた。すぐに頭を振ってそれを追いやる。
これをもう何度繰り返しただろうか。
リンの監視を逃れるのは至難の業だ。
(────いやいや、弱気になっちゃダメだ!! 絶対生き延びるぞ!!)
一度は逃げ出せたのだから、と自分を励ます。
まあ、それも最初からばれていたのだが……。
「おかえりなさいませ」
居室の障子を開けると、菊乃がうやうやしく両手をついて頭を下げた。
リンは葵の襟首を掴んで居室へ押し込めると、ぶっきらぼうに言った。
「儀式は明日。こいつが逃げないよう、目を離すな」
「かしこまりましてございます」
菊乃の返事を聞くと、ピシャリと音を立てて戸を閉めた。
なんて奴だ、と障子に向かって威嚇していると、菊乃に優しく声をかけられた。
「葵様、お食事の用意が整ってごさいます」
「き、菊乃さあん……!!」
そんなに時間が経っていないのに、実家に帰ってきたような安心感がわいて、葵は泣きついた。
一日で色々なことがありすぎた。
妖獣に襲われ、人が死ぬのを嫌というほど見せられたあげくオカッパに殴られ、ギスギスした会議で死刑宣告を受けた後、またオカッパから暴行を受けた。
もはやトラウマのオンパレードである。
「ど、どうされたのですか? 葵様、わたくしに触れるのは……」
「いいのそんなの!! もうなにもかもうんざり!! 全部クソくらえだよ!!」
「そ、そのような品のない言葉を口にされては……!!」
「だってヒドイんだよ!? 全部勝手に決められてさあ!! まだ十代なのに死ぬの私!? あんまりだよ!!」
おんおんと泣きじゃくると、菊乃は戸惑いながらも背中を叩いてあやしてくれた。
「葵様、わたくしは心から感謝しております」
「……え?」
菊乃は綺麗に微笑んだ。
「下界のどこかにいる親や兄弟をお救いくださること。今日この日まで健やかに生きてこられたことを。わたくし達は水巫女様によって生かされているのです」
困惑のあまり言葉が出てこない。
菊乃は何を言っているのだろう、とひたすら考えた。
「水巫女様のお役目は、とても尊きものにございます」
愕然とした。それと同じくらい落胆もした。
別に神のように崇めて欲しいわけじゃない。
死ぬのが嫌だ、と言っているのに、なぜ犠牲になるのが良い行いのように言うのだろうか。
結局、優しい菊乃もあちら側だということだ。
(なんだ……なにもわかってくれないんじゃん)
菊乃は朱色の漆器を乗せた膳を、ぼんやりしている葵の前に置いた。
着々と食事の準備がなされていく。
鯛を丸々一匹焼いたものと汁物、根菜の煮物に、お新香が添えられた定食スタイルで、白米は山盛りに盛られている。
(鯛かよ……なんもめでたくないわ!!)
今日一日、何も口にしていなかった葵は、空腹が限界に達していた。だが、残念な気持ちが胃をもやもやさせているせいで、かき込むほどの気力はない。
鯛の白くなった目が、地面に転がる自分の生首のそれと重なる。
こんな感じで白目をむいて、ひどい顔をして死ぬのだろう。
(美しくもなんともないな……)
ふてくされながら箸を持つ。
改めて見れば、まるで祝言のような豪勢な料理だ。
きっと、最後の晩餐というやつだろう。
(お肉が食べたかったな……リクエストくらい聞いてくれればいいのに……)
身の内で文句をたれ流しながら鯛に手をつけようとすると、誰かが手をつけた痕跡があるのに気が付いた。
「菊乃さん……」
「はい」
「つまみ食いした?」
菊乃はきょとんとしてから、料理に視線を移した。
それからすぐに、くすくすと笑った。
「まさか! これは毒見のあとにございますゆえ、安心してお召しあがりくださいませ」
「ど、毒見!?」
そんなことまでするのかと驚く。
どうせ死ぬのだからそんなのいらないだろう、とも思ったが、水波盛家にとっては、儀式の前に巫女に死なれては困るのだろう。
どこまでも徹底している。
(毒殺も嫌だなー……)
ぼんやり思いながら、白米を口に運んでいると、使っている箸に目がいった。
よからぬ考えがよぎる。
(────これ、凶器にならないか?)
目や喉を狙えば……、と心の中で悪魔がささやいた。
リンが相手では無理だが、女なら────菊乃ならば、力ずくでなんとかならないだろうか。
葵が袴姿なのに対し、菊乃は着物をきている。
着物は動きずらいだけでなく、歩幅を制限されるのだ。
(────いける!!)
葵は菊乃に近づいた。
「……葵様?」
「菊乃さん、ちょっと……」
菊乃の背後にまわりこむと、菊乃は首を傾げた。
そのまま抱きつくようにして、取り押さえた。
「さ、騒がないでください!!」
「あ、葵様────!?」
喉もとに箸を突きつけると、菊乃は驚愕の声をもらした。
「ごめんなさい……でもこうするしか────」
「────お、おやめくださいませ!!」
視界が反転し、背中を強打した。
自分の身に起こったことが信じられなかった。
しとやかで、見るからに無害そうな菊乃に投げ飛ばされたのである。
(────き、聞いてないよ……)
とんだ隠し球ではないか。
大人しそうな顔をして、実は武芸をたしなんでいるだなんて思いもよらない。
思惑が失敗して、葵はすっかり絶望した。
これでは全く逃げられる気がしない。
そんな葵に、菊乃は一歩下がり、慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません!! お怪我は……大事ございませんか!?」
葵はそれを無視した。
腹が立っていたから、菊乃がもっと慌てふためけばいいと思っていた。
「────あ、葵様……?」
菊乃の声がおそるおそるになった。
それでも葵は無反応を続ける。
畳を摺る音がして、菊乃が近寄ってくる気配を感じる。
「あ、あの……だいじょう────」
顔を覗き込まれた瞬間、葵は菊乃の頭をがっしりと掴み、思いっきり起き上がった。
「────いっ!!」
「────くっ!!」
目の前を無数の星が散った。
葵は揺れる頭をおさえながらも、なんとか居室から這い出て、全速力で駆け出した。
「────ご、ごめんなさい!!」
顔を覗き込まれる寸前で、咄嗟に思いついた作戦は、自分にもダメージがあるとはいえ成功したわけである。
「リン様!! リン様あああああ!!!!!!!!」
後ろから菊乃の叫ぶ声が追ってきた。
(────やばい!!)
リンに見つかったら逃げ切れる気がしない。
あいつが駆けつける前に姿をくらます必要がある。
だが、ここから先は無計画だった。
(────どどどどどうしよう!?)
昼間に歩いたとおりに廻廊を走っていると、その時の記憶がよみがえった。
(途中で、霧が濃くなる所があったんだ! 今も霧が出ていれば目くらましにはなるかも……!!)
しばらく走ると、その岐路が見えてきた。
鎖で遮られ、昼間よりいっそう、おどろおどろしく見える。
葵は鎖を越えるのを躊躇した。
『こっち』
「────え?」
霧の向こうから呼ばれた気がした。幼い女の子の声だ。
「巫女様ー!!」
「葵様ー!!」
あちこちで葵を呼ぶ声がする。社が徐々に騒がしくなってきた。
ドタバタと複数の足音が近づいてきた為、葵は慌てて鎖をくぐり抜けた。
辺りが白い霧に包まれる。
意外にも通路はほんの二、三メートルで途絶えていた。
「────そんな……ここで終わりなんて冗談じゃない!!」
四つん這いになってその下を覗くと、少し離れたところに木製の小舟が一つ浮かんでいる。
(────この先にも何かあるんだ!!)
葵は小舟をつなぐ縄を手繰り寄せ、滑り落ちないよう、気を張りながら小舟に乗り移った。
手漕ぎは慣れている。
祠に行く為に、何年もほぼ毎日漕いできたのだから。
しばらく進むと、霧の中に黒い影が見えてきた。
近づくにつれて、建物だとわかったが、かなり古い。社というよりは、木造の簡素な日本家屋といった方がしっくりくる。
壁や屋根には所々隙間があり、まるでお化け屋敷のような佇まいに、葵は身震いした。
「……入るしか、ないんだよね……?」
本殿は崖や塀に囲まれているし、戻るわけにもいかない。
気味が悪いが、一旦身を隠すには良いかもしれない。
葵は家の前に小舟をつけると、縄を適当な柱に繋いだ。
改めて見ると、やはりただらなぬ雰囲気がある。
葵はゴクリと唾を飲み込むと、家の入口に足を踏み入れるのだった。
0
あなたにおすすめの小説
十六歳の妹の誕生日、私はこの世を去る。
あいみ
恋愛
碌に手入れもされていない赤毛の伯爵令嬢、スカーレット。
宝石のように澄んだ青い髪をした伯爵令嬢、ルビア。
対極のような二人は姉妹。母親の違う。
お世辞にも美しいと言えない前妻の子供であるスカーレットは誰からも愛されない。
そばかすだらけで、笑顔が苦手な醜い姉。
天使のように愛らしく、誰からも好かれる可愛い妹。
生まれつき体の弱いルビアは長くは生きられないと宣告されていた。
両親の必死に看病や、“婚約者の献身的なサポート”のおかげで、日常生活が送れるようになるまで回復した。
だが……。運命とは残酷である。
ルビアの元に死神から知らせが届く。
十六歳の誕生日、ルビアの魂は天に還る、と。
美しい愛しているルビア。
失いたくない。殺されてなるものか。
それぞれのルビアを大切に思う想いが、一つの選択をさせた。
生まれてくる価値のなかった、醜いスカーレットを代わりに殺そう、と。
これは彼女が死ぬ前と死んだ後の、少しの物語。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる