忌巫女の国士録

真義える

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第一章

霧の中

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 居室へと戻るため、無言でリンの後について歩く。
 気まずい空気のなか、リンの後頭部を見つめながら、なんとか隙を作れないものかと思考をめぐらせた。

(────手刀とかで気絶させられないかな)

 よく漫画でもあるあの手法。素人だが思いっきりやれば可能なのではないだろうか、と思いついた。
 みぞおちなら経験済みなので確実な気もするが、リンに前から攻撃をくらわすのは無理だろう。

(ていうか、みぞおち殴られて気絶経験ある女子高生って……)

 しかし、暴力なんて……。それに失敗したらまた酷い目にあわされる。今すぐ殺されることはないにしても、怖い……。
 恐怖心と道徳心がブレーキをかけるが、背に腹はかえられない。

(私は生き延びる。そして家に帰るんだ!)

 歩く速度を少しあげて、じわりじわりと距離を詰める。
 腹をくくると、リンから受けた理不尽な暴力への怒りがわいてきた。
 この恨み、この一発にこめてやろうと、片手を高く掲げた。

 ────が、それは未遂に終わってしまった。
 振りかざすより先にリンが振り向いたのだ。

「────あっ……」

(────やばっ!!)

 高く上げたままの手を見られてしまい、たらりと、冷や汗が流れた。

(き、キレる……!?)

 しかし、リンは何も言わずにまた歩き出した。
 葵はしばらく固まっていたが、慌てて追いかける。

(────ば、ばれてないの? たまたまだったのかな……?)

 ならばもう一度やってみようと、今度はためることなく思いっきり振りかざした。

(────くらえ、悪霊退散あくりょうたいさん!!)

 ────が、それも手応えなく終わる。
 リンは身をかわすと、逃げられないよう葵の手を掴んだ。空いた手でこぶしを構える。
 その目掛ける先は、葵のみぞおちだ。

「────うそうそうそごめんごめん!! 冗談です!! すみませんでした!!」

 全力で許しをう。
 ありぞうのような強大な相手には平伏すしかないのだ。

「ド素人が……」

 そう吐き捨てると、葵の手を離し、また何事も無かったように歩き出した。
 どうらやら、おとがめなしですんだらしい。

(────あ、あぶなっ……!! 今気絶したら明日になっちゃうところだったよ……)

 葵はほっと胸を撫で下ろすと、また別の方法を模索もさくしながら歩を進めるのだった。


***


(もういっそ、楽になるのも悪くないかも……)

 居室に着いた頃には、そんな投げやりな考えも頭をよぎっていた。すぐに頭を振ってそれを追いやる。
 これをもう何度繰り返しただろうか。
 リンの監視を逃れるのは至難しなんわざだ。

(────いやいや、弱気になっちゃダメだ!! 絶対生き延びるぞ!!)

 一度は逃げ出せたのだから、と自分をはげます。
 まあ、それも最初からばれていたのだが……。


「おかえりなさいませ」

 居室の障子を開けると、菊乃がうやうやしく両手をついて頭を下げた。
 リンは葵の襟首えりくびを掴んで居室へ押し込めると、ぶっきらぼうに言った。

「儀式は明日。こいつが逃げないよう、目を離すな」
「かしこまりましてございます」

 菊乃の返事を聞くと、ピシャリと音を立てて戸を閉めた。
 なんて奴だ、と障子に向かって威嚇いかくしていると、菊乃に優しく声をかけられた。

「葵様、お食事の用意が整ってごさいます」
「き、菊乃さあん……!!」

 そんなに時間が経っていないのに、実家に帰ってきたような安心感がわいて、葵は泣きついた。
 一日で色々なことがありすぎた。
 妖獣に襲われ、人が死ぬのを嫌というほど見せられたあげくオカッパに殴られ、ギスギスした会議で死刑宣告を受けた後、またオカッパから暴行を受けた。
 もはやトラウマのオンパレードである。

「ど、どうされたのですか? 葵様、わたくしに触れるのは……」
「いいのそんなの!! もうなにもかもうんざり!! 全部クソくらえだよ!!」
「そ、そのような品のない言葉を口にされては……!!」
「だってヒドイんだよ!? 全部勝手に決められてさあ!! まだ十代なのに死ぬの私!? あんまりだよ!!」

 おんおんと泣きじゃくると、菊乃は戸惑いながらも背中を叩いてあやしてくれた。

「葵様、わたくしは心から感謝しております」
「……え?」

 菊乃は綺麗に微笑んだ。

「下界のどこかにいる親や兄弟をお救いくださること。今日この日まですこやかに生きてこられたことを。わたくし達は水巫女様によって生かされているのです」

 困惑のあまり言葉が出てこない。
 菊乃は何を言っているのだろう、とひたすら考えた。

「水巫女様のお役目は、とてもとうときものにございます」

 愕然がくぜんとした。それと同じくらい落胆らくたんもした。
 別に神のようにあがめて欲しいわけじゃない。
 死ぬのが嫌だ、と言っているのに、なぜ犠牲になるのが良いおこないのように言うのだろうか。
 結局、優しい菊乃もだということだ。

(なんだ……なにもわかってくれないんじゃん)

 菊乃は朱色の漆器しっきを乗せたぜんを、ぼんやりしている葵の前に置いた。
 着々と食事の準備がなされていく。
 たいを丸々一匹焼いたものと汁物、根菜の煮物に、お新香が添えられた定食スタイルで、白米は山盛りに盛られている。

(鯛かよ……なんもめでたくないわ!!)

 今日一日、何も口にしていなかった葵は、空腹が限界に達していた。だが、残念な気持ちが胃をもやもやさせているせいで、かき込むほどの気力はない。
 鯛の白くなった目が、地面に転がる自分の生首のそれと重なる。
 こんな感じで白目をむいて、ひどい顔をして死ぬのだろう。

(美しくもなんともないな……)

 ふてくされながら箸を持つ。
 改めて見れば、まるで祝言のような豪勢な料理だ。
 きっと、最後の晩餐というやつだろう。

(お肉が食べたかったな……リクエストくらい聞いてくれればいいのに……)

 身の内で文句をたれ流しながら鯛に手をつけようとすると、誰かが手をつけた痕跡こんせきがあるのに気が付いた。

「菊乃さん……」
「はい」
「つまみ食いした?」

 菊乃はきょとんとしてから、料理に視線を移した。
 それからすぐに、くすくすと笑った。

「まさか! これは毒見のあとにございますゆえ、安心してお召しあがりくださいませ」
「ど、毒見!?」

 そんなことまでするのかと驚く。
 どうせ死ぬのだからそんなのいらないだろう、とも思ったが、水波盛家にとっては、儀式の前に巫女に死なれては困るのだろう。
 どこまでも徹底している。

毒殺どくさつも嫌だなー……)

 ぼんやり思いながら、白米を口に運んでいると、使っている箸に目がいった。
 よからぬ考えがよぎる。

(────これ、凶器にならないか?)

 目やのどを狙えば……、と心の中で悪魔がささやいた。
 リンが相手では無理だが、女なら────菊乃ならば、力ずくでなんとかならないだろうか。
 葵が袴姿なのに対し、菊乃は着物をきている。
 着物は動きずらいだけでなく、歩幅を制限されるのだ。

(────いける!!)

 葵は菊乃に近づいた。

「……葵様?」
「菊乃さん、ちょっと……」

 菊乃の背後にまわりこむと、菊乃は首を傾げた。
 そのまま抱きつくようにして、取り押さえた。

「さ、騒がないでください!!」
「あ、葵様────!?」

 喉もとにはしを突きつけると、菊乃は驚愕の声をもらした。

「ごめんなさい……でもこうするしか────」
「────お、おやめくださいませ!!」

 視界が反転し、背中を強打した。
 自分の身に起こったことが信じられなかった。
 しとやかで、見るからに無害そうな菊乃に投げ飛ばされたのである。

(────き、聞いてないよ……)

 とんだ隠しだまではないか。
 大人しそうな顔をして、実は武芸をたしなんでいるだなんて思いもよらない。
 思惑が失敗して、葵はすっかり絶望した。
 これでは全く逃げられる気がしない。

 そんな葵に、菊乃は一歩下がり、慌てて頭を下げた。

「も、申し訳ございません!! お怪我は……大事ございませんか!?」

 葵はそれを無視した。
 腹が立っていたから、菊乃がもっと慌てふためけばいいと思っていた。

「────あ、葵様……?」

 菊乃の声がおそるおそるになった。
 それでも葵は無反応を続ける。
 畳をる音がして、菊乃が近寄ってくる気配を感じる。

「あ、あの……だいじょう────」

 顔を覗き込まれた瞬間、葵は菊乃の頭をがっしりと掴み、思いっきり起き上がった。

「────いっ!!」
「────くっ!!」
 
 目の前を無数の星が散った。
 葵は揺れる頭をおさえながらも、なんとか居室から這い出て、全速力で駆け出した。

「────ご、ごめんなさい!!」

 顔を覗き込まれる寸前で、咄嗟とっさに思いついた作戦は、自分にもダメージがあるとはいえ成功したわけである。

「リン様!! リン様あああああ!!!!!!!!」

 後ろから菊乃の叫ぶ声が追ってきた。

(────やばい!!)

 リンに見つかったら逃げ切れる気がしない。
 あいつが駆けつける前に姿をくらます必要がある。
 だが、ここから先は無計画ノープランだった。

(────どどどどどうしよう!?)

 昼間に歩いたとおりに廻廊かいろうを走っていると、その時の記憶がよみがえった。

(途中で、霧が濃くなる所があったんだ! 今も霧が出ていれば目くらましにはなるかも……!!)

 しばらく走ると、その岐路きろが見えてきた。
 鎖でさえぎられ、昼間よりいっそう、おどろおどろしく見える。
 葵は鎖を越えるのを躊躇ちゅうちょした。

『こっち』


「────え?」

 霧の向こうから呼ばれた気がした。幼い女の子の声だ。

「巫女様ー!!」
「葵様ー!!」

 あちこちで葵を呼ぶ声がする。やしろが徐々に騒がしくなってきた。
 ドタバタと複数の足音が近づいてきた為、葵は慌てて鎖をくぐり抜けた。

 辺りが白い霧に包まれる。
 意外にも通路はほんの二、三メートルで途絶えていた。

「────そんな……ここで終わりなんて冗談じゃない!!」

 四つん這いになってその下を覗くと、少し離れたところに木製の小舟が一つ浮かんでいる。

(────この先にも何かあるんだ!!)

 葵は小舟をつなぐ縄を手繰り寄せ、滑り落ちないよう、気を張りながら小舟に乗り移った。
 手漕ぎは慣れている。
 ほこらに行く為に、何年もほぼ毎日漕いできたのだから。

 しばらく進むと、霧の中に黒い影が見えてきた。
 近づくにつれて、建物だとわかったが、かなり古い。社というよりは、木造の簡素な日本家屋といった方がしっくりくる。
 壁や屋根には所々隙間があり、まるでお化け屋敷のような佇まいに、葵は身震いした。

「……入るしか、ないんだよね……?」

 本殿は崖や塀に囲まれているし、戻るわけにもいかない。
 気味が悪いが、一旦身を隠すには良いかもしれない。
 葵は家の前に小舟をつけると、縄を適当な柱に繋いだ。
 改めて見ると、やはりただらなぬ雰囲気がある。
 葵はゴクリと唾を飲み込むと、家の入口に足を踏み入れるのだった。
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