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第一章
裏切り
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(まさか、脱獄の共犯になるなんて……)
地下通路中には、壁を殴打する騒音が止むことなくこだましている。
牢から出た男は、仮面をなんとか取ろうと、壁に打ち付けたり擦ったりしながら歩いているが、接着された部分が欠ける気配は全くない。
「────ねえ、そんな大きな音立てたらばれちゃうじゃない!!」
男は落胆した様子で、しぶしぶ諦めた。
「取りたいのはわかるけどさ……」
その後ろを複雑な気持ちで歩く。
結局、出口の正門へ向かうには、葵が決死の想いで来た道を戻るしかないらしい。
犯罪者とはいえ、ひとりぼっちじゃないだけ来た時よりも気持ちは軽いのだが、相手の顔が見えないというのは多少の不安がある。
「あ、あのさ……」
返事の代わりに、男が振り向いた。
聞いていいものなのか迷ったが、思い切って切り出した。
「────なんで捕まったの?」
うわー聞いちゃったよ、と身の内で騒ぐ。
これで殺人やら凶悪な理由だったらどうしよう、と今更焦りが生じる。
男は少し考えたあと、首を傾げた。
「……悪いことしたからか?」
「私に聞くなよ」
「知らない」
全く反省していない、ということだろうか?
それはそれで不安が増幅するのだが……。
「人を殺した、とかじゃないよね?」
「人は殺しちゃいけないんだぞ」
「────あ、うん。そうですね」
(────いや、こっちが聞いてんだけど……)
逆に諭されてしまった。
男の緊張感のない態度に、葵は脱力する。
(この人、大丈夫なのかな……)
ちょっとおバカそうだし、とこっそり男を見やる。
それでも外の状況は話しておいた方が良いだろう。葵は思い直して、言葉を続けた。
「たぶん、外に出たら私を探し回ってると思うの。ここに入ったのは見られてないと思うけど、見つかるのも時間の問題かも……」
「そうか」
「そ、それに! 私のおくり子なんだけど、女相手でも容赦ないの! でかい妖獣もあっさり倒しちゃうし……とにかくヤバい奴なんだよ!!」
「うん、面倒だな!」
「う、うん……」
(────話おわった!?)
何か策でもあるのか、単にバカなのか……おそらく後者だろうが、万が一の為に作戦の一つでも考えた方がいいのではないだろうか。
(そうだ、ここは私がしっかりしなきゃ!!)
いかに厳しい状況下に置かれているかを分からせる為に、情報は全て話しておかなければならない。
葵はさらに続けた。
「そいつ、リンって奴なんだけど……知ってる?」
急に、男がピタリと立ち止まった。
すぐ後ろをついて歩いていた葵は、反応が遅れて男の背中に思いきり鼻をぶつけた。
じんじんと痛む鼻を押さえて、一体どうしたのかと見上げると、男の様子が一転していた。
葵は背筋がぞくりと疼いた。
「……名前は、よく知ってる」
「……え?」
仮面の下の顔が、深い憎悪と嫌悪でひどく歪んでいる。
男に何があったのか、とても聞く勇気はなかった。
「ところで、名前なんて言うの?」
「……名前……?」
男は少し考えたあと、「ない」と言いきった。
「────いや、ないわけないでしょ!?」
「つっても、ないものはないからなあ……」
困ったように腕を組む男に、葵は質問変える。
「じゃあ、なんて呼べばいい? 名前がないと呼びにくいでしょ」
「うーん……」
「他の人にはこう呼ばれてる、とかないの?」
「こんなところに来る奴はお前くらいだ」
「で、でも、お姉ちゃ────雪花と知り合いだったんでしょう?」
「ああ、友達だ」
男の声がわずかに高くなった。
雪花は生前、この地下牢にこっそり足を運んでいたのだろうか。そしてこの男と知り合った……?
けれど、それは十年も前のことだ。この男は雪花が来ない間もあの独房でひとり耐えていたのか。
「ずっと雪花のことを考えてた。ずっと前に約束した事があったから。だからずっと閉じ込められてても正気でいられた」
「────約束?」
葵は男の話に夢中になっていた。
思いがけないところで姉の人となりが明らかになっていく。
地下牢にまで入り込むような子供だ。相当お転婆だったのだろう。
「妹を頼むって言われたんだ」
葵は男を見上げると、男は葵に笑顔で返した。
「雪花は妹が生きてるって信じてた。けど、誰もそんなことはないと思ってたよ……俺もだけど。でも、本当に葵が来た」
「────そっか……」
ここに来たのは運命だったのかもしれない。
この男に合わせるために、姉が導いてくれたのだと思うと、胸が熱くなった。
あっという間に最初の階段まで戻ってきた。
行きとは違い、話をしていたせいか早く着いたように感じる。
男は葵に下で待つように言うと、先に階段をあがっていった。床下扉を少しだけ押し上げて隙間から外の様子をうかがうと、勢いよく押し開いた。
扉が壊れるのでは、と心配になるくらい大きな音をたてたので、葵は慌てる。
「ちょ、ちょっと!! 気づかれちゃうじゃない!!」
「大丈夫大丈夫」
男は笑って葵に手招きをした。
床下から顔を覗かせると、老婆は相変わらず壁に向かって言葉にならない歌詞を口ずさんでいる。
「耳が聞こえないんだ。それに気がふれていて、俺たちを見ても自分の子供と勘違いするだけだ」
「あの人って、看守役とかじゃないの?」
「違うよ。でもずっと俺の世話をしてくれてた。いい人だ」
「そうなの?」
「ああ! なんたって飯をくれるからな!!」
餌付けじゃん、と思ったが、男があまりにもいい笑顔なので言えなかった。
二人は足早に部屋を出たが、老婆は一度も振り向くことはなく、葵は拍子抜けをくらった。
これなら、来る時もあんなに警戒することなかったのだ。
「あのお婆さん、ずっとあのままなのかな?」
「さあ……? それに婆さんじゃないぞ。まだ若い」
「え? でも髪の毛真っ白だったし……」
「顔はそうじゃない。まだ親の歳くらいじゃないか?」
顔を見てみたい気もするが、下手に騒ぎは起こすわけにもいかず、その好奇心は押し戻した。
小船に乗り込むと、男が思いついたように「あっ」声をもらした。
「────俺、あの人に〝坊や〟って呼ばれてる!!」
一瞬、なんのこと分からなかったが、呼び名についての会話を思い出した。
プッ、と吹き出してしまう。
「いや、私があんたのことを坊や呼びしたらカオスだわ」
「……かお?」
「おかしいってこと」
男は頭上にハテナを浮かべるようにして首を傾げると、まあいいや、と呟いた。
「なら、好きに呼んでくれ」
「好きにって……」
(それ一番困るやつ……)
葵はしばらく考えると、男の一番の特徴をあだ名に選んだ。
「……半裸紳士は?」
「それは悪口だ!!」
「うそうそ、ごめん」
ご立腹の男に対し、葵は笑って謝ると、今度こそ真面目に浮かんだ呼び名を口にした。
「じゃあ……テツ!!」
「てつ? んじゃ、それで……微妙だけど」
「好きに呼べって言ったじゃん!!」
葵が全力で抗議すると、今度はテツの方が笑って謝った。
二人を乗せた小舟は、ゆっくりと敵陣へ踏み込んでいくのだった。
***
葵を探して廻廊を駆け回る足音や、大勢の呼び声がする。本殿に近付くにつれ、騒ぎが耳に届くようになってきた。
けれど、死ぬのが分かっていて、のこのこ出ていくわけがない。
葵は小舟を途切れた廻廊の横につけると、具体的な作戦を聞き出すためにテツに向き直った。
「こんな状態で、どうやって脱出するの?」
「安心しろ。こういう時はコソコソするからいけないんだ」
「……? 変装でもするの?」
「いいや」
テツは横に付いている梯子をよじ登ると、葵に手を差し伸べた。
戸惑いながらもその手をとると、軽々と引っ張りあげられる。
「見ろ。出口はあそこだ!」
テツは天を指すが、霧が邪魔をして何も見えない。
「……どこだよ?」
「御神山の頂上に決まってるだろ!!」
「決まってるだろって言われても……」
そんなムキになって怒られても、そんなことを葵がわかるはずもない。
「────けど、山を下りなきゃならないんだよ?」
「あそこから一気に森まで下れるんだ。とにかく、そこに行くには準備もいるし、もっと注意を引きつけなきゃならねえ」
「どうするの?」
テツがニヤリと笑った。子供が悪巧みをする時に見せるような笑みだ。
嫌な予感しかしない。
「ところで葵、泳げるか?」
「え? ま、まあ……。どうして?」
テツの考えが読めず首を捻っていると、突然腰に手が回されて心臓が跳ねる。
葵は抵抗する間もなく、軽々と肩に担がれてしまった。
「ちょっ、何す────っ!?」
次の瞬間、葵の体は宙を舞い、霧がかった夜空の月光がスローモーションで視界に広がった後、派手な水落音をたてて湖に落ちた。
ゴボゴボと水泡が体にまとわりつく。葵はもがいてようやく水面に顔を出した。
思っていたよりも深く、地に足がつかない。
混乱しながらも、犬掻きにも似た動きで必死に沈まないよう水をかく。
「巫女がいたぞー!! こっちだー!!!!」
テツの叫び声がやまびこになって境内に響き渡った。
ドタドタと、一斉に駆け付ける足音が迫ってくる、
「な、なんてことするのよ!?」
「後は身を任せろ!! 頼んだ!!」
「はあ!? ふざけ──っ!!」
それだけ言い残すと、テツは猿のように支柱を登り、身軽に屋根へ取り移ると、その向こう側へ姿を消した。
────愕然とした。
ひどい冗談だ。とても信じられない。
(助けたのに裏切られた──!? こんなにもあっさり!?)
まさか、雪花の話も嘘だったのだろうか。
そういえば、手を握ったのに何も見えなかった。
テツを視憶出来なかったのだ。
(────私はバカだ!! 会ったばかりの奴を信じるなんて!!)
葵は混乱しながら、とにかく社から離れようと、小船に向かって泳いだ。
しかし、小船に泳ぎ着くよりも早く、集まってきた神官のうち二人が湖へ飛び込んで、葵は拘束されてしまった。
「まさか逃げるとはな──」
「自分の命が惜しいとは、なんとも器の小さき巫女よ──」
集まってきた観衆が声もおさえずにで葵を責め立てる。皆、軽蔑の眼で葵を見下ろしている。
その中で、リンの鋭い眼光が引っ張りあげられる葵に向けられていた。
(────なんで……、みんなそんな目で見るの?)
やがて人混みが左右に割れて綺麗な道が出来ると、奥から惲薊が姿を現した。今にも人を殺めそうな表情をしている。
途端に辺り一帯の空気がビリビリと肌を刺激した。
惲薊はズカズカと大股で葵に近づくと、顔のすぐ横に立ち止まった。
葵が恐る恐る顔を上げると、向けられている軽蔑の眼に自分の情けない顔が映った。
「愚かな」
心臓を突かれたように、息が出来なくなった。
惲薊はそばに控えていたリンに顎で指示を出すと、リンは小さくうなずき、葵を力ずくで立たせた。
「いやだ!! 放して!! 放してよ!!」
腕をつかむ力が強く、痛みで顔がゆがんだが、リンは手を緩めようとはしなかった。
葵は本当にもう終わりだと、必死になって訴えた。
「死にたくない!それの何がいけないのよ! 」
「────それ以上、何も喋るな」
リンは見向きもせず、冷たく突き放す。
「見苦しい」
抵抗もむなしく、引きずられるようにしてその場から連れ去られたのだった。
地下通路中には、壁を殴打する騒音が止むことなくこだましている。
牢から出た男は、仮面をなんとか取ろうと、壁に打ち付けたり擦ったりしながら歩いているが、接着された部分が欠ける気配は全くない。
「────ねえ、そんな大きな音立てたらばれちゃうじゃない!!」
男は落胆した様子で、しぶしぶ諦めた。
「取りたいのはわかるけどさ……」
その後ろを複雑な気持ちで歩く。
結局、出口の正門へ向かうには、葵が決死の想いで来た道を戻るしかないらしい。
犯罪者とはいえ、ひとりぼっちじゃないだけ来た時よりも気持ちは軽いのだが、相手の顔が見えないというのは多少の不安がある。
「あ、あのさ……」
返事の代わりに、男が振り向いた。
聞いていいものなのか迷ったが、思い切って切り出した。
「────なんで捕まったの?」
うわー聞いちゃったよ、と身の内で騒ぐ。
これで殺人やら凶悪な理由だったらどうしよう、と今更焦りが生じる。
男は少し考えたあと、首を傾げた。
「……悪いことしたからか?」
「私に聞くなよ」
「知らない」
全く反省していない、ということだろうか?
それはそれで不安が増幅するのだが……。
「人を殺した、とかじゃないよね?」
「人は殺しちゃいけないんだぞ」
「────あ、うん。そうですね」
(────いや、こっちが聞いてんだけど……)
逆に諭されてしまった。
男の緊張感のない態度に、葵は脱力する。
(この人、大丈夫なのかな……)
ちょっとおバカそうだし、とこっそり男を見やる。
それでも外の状況は話しておいた方が良いだろう。葵は思い直して、言葉を続けた。
「たぶん、外に出たら私を探し回ってると思うの。ここに入ったのは見られてないと思うけど、見つかるのも時間の問題かも……」
「そうか」
「そ、それに! 私のおくり子なんだけど、女相手でも容赦ないの! でかい妖獣もあっさり倒しちゃうし……とにかくヤバい奴なんだよ!!」
「うん、面倒だな!」
「う、うん……」
(────話おわった!?)
何か策でもあるのか、単にバカなのか……おそらく後者だろうが、万が一の為に作戦の一つでも考えた方がいいのではないだろうか。
(そうだ、ここは私がしっかりしなきゃ!!)
いかに厳しい状況下に置かれているかを分からせる為に、情報は全て話しておかなければならない。
葵はさらに続けた。
「そいつ、リンって奴なんだけど……知ってる?」
急に、男がピタリと立ち止まった。
すぐ後ろをついて歩いていた葵は、反応が遅れて男の背中に思いきり鼻をぶつけた。
じんじんと痛む鼻を押さえて、一体どうしたのかと見上げると、男の様子が一転していた。
葵は背筋がぞくりと疼いた。
「……名前は、よく知ってる」
「……え?」
仮面の下の顔が、深い憎悪と嫌悪でひどく歪んでいる。
男に何があったのか、とても聞く勇気はなかった。
「ところで、名前なんて言うの?」
「……名前……?」
男は少し考えたあと、「ない」と言いきった。
「────いや、ないわけないでしょ!?」
「つっても、ないものはないからなあ……」
困ったように腕を組む男に、葵は質問変える。
「じゃあ、なんて呼べばいい? 名前がないと呼びにくいでしょ」
「うーん……」
「他の人にはこう呼ばれてる、とかないの?」
「こんなところに来る奴はお前くらいだ」
「で、でも、お姉ちゃ────雪花と知り合いだったんでしょう?」
「ああ、友達だ」
男の声がわずかに高くなった。
雪花は生前、この地下牢にこっそり足を運んでいたのだろうか。そしてこの男と知り合った……?
けれど、それは十年も前のことだ。この男は雪花が来ない間もあの独房でひとり耐えていたのか。
「ずっと雪花のことを考えてた。ずっと前に約束した事があったから。だからずっと閉じ込められてても正気でいられた」
「────約束?」
葵は男の話に夢中になっていた。
思いがけないところで姉の人となりが明らかになっていく。
地下牢にまで入り込むような子供だ。相当お転婆だったのだろう。
「妹を頼むって言われたんだ」
葵は男を見上げると、男は葵に笑顔で返した。
「雪花は妹が生きてるって信じてた。けど、誰もそんなことはないと思ってたよ……俺もだけど。でも、本当に葵が来た」
「────そっか……」
ここに来たのは運命だったのかもしれない。
この男に合わせるために、姉が導いてくれたのだと思うと、胸が熱くなった。
あっという間に最初の階段まで戻ってきた。
行きとは違い、話をしていたせいか早く着いたように感じる。
男は葵に下で待つように言うと、先に階段をあがっていった。床下扉を少しだけ押し上げて隙間から外の様子をうかがうと、勢いよく押し開いた。
扉が壊れるのでは、と心配になるくらい大きな音をたてたので、葵は慌てる。
「ちょ、ちょっと!! 気づかれちゃうじゃない!!」
「大丈夫大丈夫」
男は笑って葵に手招きをした。
床下から顔を覗かせると、老婆は相変わらず壁に向かって言葉にならない歌詞を口ずさんでいる。
「耳が聞こえないんだ。それに気がふれていて、俺たちを見ても自分の子供と勘違いするだけだ」
「あの人って、看守役とかじゃないの?」
「違うよ。でもずっと俺の世話をしてくれてた。いい人だ」
「そうなの?」
「ああ! なんたって飯をくれるからな!!」
餌付けじゃん、と思ったが、男があまりにもいい笑顔なので言えなかった。
二人は足早に部屋を出たが、老婆は一度も振り向くことはなく、葵は拍子抜けをくらった。
これなら、来る時もあんなに警戒することなかったのだ。
「あのお婆さん、ずっとあのままなのかな?」
「さあ……? それに婆さんじゃないぞ。まだ若い」
「え? でも髪の毛真っ白だったし……」
「顔はそうじゃない。まだ親の歳くらいじゃないか?」
顔を見てみたい気もするが、下手に騒ぎは起こすわけにもいかず、その好奇心は押し戻した。
小船に乗り込むと、男が思いついたように「あっ」声をもらした。
「────俺、あの人に〝坊や〟って呼ばれてる!!」
一瞬、なんのこと分からなかったが、呼び名についての会話を思い出した。
プッ、と吹き出してしまう。
「いや、私があんたのことを坊や呼びしたらカオスだわ」
「……かお?」
「おかしいってこと」
男は頭上にハテナを浮かべるようにして首を傾げると、まあいいや、と呟いた。
「なら、好きに呼んでくれ」
「好きにって……」
(それ一番困るやつ……)
葵はしばらく考えると、男の一番の特徴をあだ名に選んだ。
「……半裸紳士は?」
「それは悪口だ!!」
「うそうそ、ごめん」
ご立腹の男に対し、葵は笑って謝ると、今度こそ真面目に浮かんだ呼び名を口にした。
「じゃあ……テツ!!」
「てつ? んじゃ、それで……微妙だけど」
「好きに呼べって言ったじゃん!!」
葵が全力で抗議すると、今度はテツの方が笑って謝った。
二人を乗せた小舟は、ゆっくりと敵陣へ踏み込んでいくのだった。
***
葵を探して廻廊を駆け回る足音や、大勢の呼び声がする。本殿に近付くにつれ、騒ぎが耳に届くようになってきた。
けれど、死ぬのが分かっていて、のこのこ出ていくわけがない。
葵は小舟を途切れた廻廊の横につけると、具体的な作戦を聞き出すためにテツに向き直った。
「こんな状態で、どうやって脱出するの?」
「安心しろ。こういう時はコソコソするからいけないんだ」
「……? 変装でもするの?」
「いいや」
テツは横に付いている梯子をよじ登ると、葵に手を差し伸べた。
戸惑いながらもその手をとると、軽々と引っ張りあげられる。
「見ろ。出口はあそこだ!」
テツは天を指すが、霧が邪魔をして何も見えない。
「……どこだよ?」
「御神山の頂上に決まってるだろ!!」
「決まってるだろって言われても……」
そんなムキになって怒られても、そんなことを葵がわかるはずもない。
「────けど、山を下りなきゃならないんだよ?」
「あそこから一気に森まで下れるんだ。とにかく、そこに行くには準備もいるし、もっと注意を引きつけなきゃならねえ」
「どうするの?」
テツがニヤリと笑った。子供が悪巧みをする時に見せるような笑みだ。
嫌な予感しかしない。
「ところで葵、泳げるか?」
「え? ま、まあ……。どうして?」
テツの考えが読めず首を捻っていると、突然腰に手が回されて心臓が跳ねる。
葵は抵抗する間もなく、軽々と肩に担がれてしまった。
「ちょっ、何す────っ!?」
次の瞬間、葵の体は宙を舞い、霧がかった夜空の月光がスローモーションで視界に広がった後、派手な水落音をたてて湖に落ちた。
ゴボゴボと水泡が体にまとわりつく。葵はもがいてようやく水面に顔を出した。
思っていたよりも深く、地に足がつかない。
混乱しながらも、犬掻きにも似た動きで必死に沈まないよう水をかく。
「巫女がいたぞー!! こっちだー!!!!」
テツの叫び声がやまびこになって境内に響き渡った。
ドタドタと、一斉に駆け付ける足音が迫ってくる、
「な、なんてことするのよ!?」
「後は身を任せろ!! 頼んだ!!」
「はあ!? ふざけ──っ!!」
それだけ言い残すと、テツは猿のように支柱を登り、身軽に屋根へ取り移ると、その向こう側へ姿を消した。
────愕然とした。
ひどい冗談だ。とても信じられない。
(助けたのに裏切られた──!? こんなにもあっさり!?)
まさか、雪花の話も嘘だったのだろうか。
そういえば、手を握ったのに何も見えなかった。
テツを視憶出来なかったのだ。
(────私はバカだ!! 会ったばかりの奴を信じるなんて!!)
葵は混乱しながら、とにかく社から離れようと、小船に向かって泳いだ。
しかし、小船に泳ぎ着くよりも早く、集まってきた神官のうち二人が湖へ飛び込んで、葵は拘束されてしまった。
「まさか逃げるとはな──」
「自分の命が惜しいとは、なんとも器の小さき巫女よ──」
集まってきた観衆が声もおさえずにで葵を責め立てる。皆、軽蔑の眼で葵を見下ろしている。
その中で、リンの鋭い眼光が引っ張りあげられる葵に向けられていた。
(────なんで……、みんなそんな目で見るの?)
やがて人混みが左右に割れて綺麗な道が出来ると、奥から惲薊が姿を現した。今にも人を殺めそうな表情をしている。
途端に辺り一帯の空気がビリビリと肌を刺激した。
惲薊はズカズカと大股で葵に近づくと、顔のすぐ横に立ち止まった。
葵が恐る恐る顔を上げると、向けられている軽蔑の眼に自分の情けない顔が映った。
「愚かな」
心臓を突かれたように、息が出来なくなった。
惲薊はそばに控えていたリンに顎で指示を出すと、リンは小さくうなずき、葵を力ずくで立たせた。
「いやだ!! 放して!! 放してよ!!」
腕をつかむ力が強く、痛みで顔がゆがんだが、リンは手を緩めようとはしなかった。
葵は本当にもう終わりだと、必死になって訴えた。
「死にたくない!それの何がいけないのよ! 」
「────それ以上、何も喋るな」
リンは見向きもせず、冷たく突き放す。
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抵抗もむなしく、引きずられるようにしてその場から連れ去られたのだった。
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