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第一章
違和感
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「……呆れて言葉も出ないとは、こういうことか……」
リンは驚くというよりは、なかば関心したふうに言った。
「私は神子だ。国を捨てるわけがなかろう」
見事に思惑が外れて、葵は狼狽した。
「す、捨ててよ!! 捨てられるじゃん!! ──な、なんならしばらく同居したっていいよ!? 私、馬車馬のように働くからさあ!!」
「そんなことで捨てられるか」
「────そ、それにほら、私って喋らなければ雪花と変わんないだろうし……気は進まないけど──そ、そそそそそういう特典付きということで……ど、どうでしょう?」
「──そうか、とんでもなく馬鹿なんだな?」
もう自分でも何を言っているのかわからない。
目を回しながらも、屋上から飛び降りんばかりの、それこそ死ぬ思いで言ったのに、それもあっさりと撃沈した。
リンは怒りを通り越したのか、逆に哀れみの眼を向けている。
だがそれよりも、葵はこんなにもあっさり断られたことに納得ができなかった。
「──だ、だって……、これ以上手を汚さなくて済むんだよ? 日本に行けばなんだって手に入るし、家事だって機械でできるから超楽だし──、それに遠くの人とも簡単に連絡がとれたりもするし!! それから……テレビっていって、娯楽もいっぱいで──」
「落ちつけ。さっきから何を言ってるんだ」
「──だって、意味わかんない!! 水波盛よりずっと平和で豊かで便利なんだよ!? すごく、すっごく好条件なのになんで断るの!?」
「そんなことは望んでいない」
リンの声は静かだった。だが、たとえ耳をふさいでも力技で押し入って鼓膜を刺激するような、不思議な響きがあった。
「水波盛は今、疫病が広がり、妖獣も増える一方。兵をもってしても駆除は追いつかず、巫女にも恵まれない」
「──だったら!!」
「だからこそ、余計に離れるわけにはいかない。今、我らが手を尽くさなければ国はどうなる。民はどうなるんだ。──お前も外を見てきただろう?」
「────見たけど……」
「我らが贅沢をしているのは、国を──、人を背負っているからだ。この着物も、刀も──口にする米の一粒まで、全てその責任の重さでできている。我らの采配ひとつが、多くの民の命運を左右するほどに。決して軽んじてはならぬ」
リンは会議で見せた顔つきとは少し違っていた。
葵に、というよりも自分に言い聞かせているようにも見える。
「そんな我らが、つらいとか、逃げたいなどと弱音を吐こうものなら、この腹を斬ることもいとわぬ」
葵は突きつけられた価値観の違いに、どうやっても相手の考えを変えることはできないのだと痛感した。
同時に、日本にいた時はあれほど満たされないと感じていたのに、平穏に暮らせるなどと手のひらを返している自分に嫌悪感を抱いた。
(────でも、それでもここよりは!! こんなところよりはマシじゃん……!!)
養父母をあんなに軽蔑していたくせに、実際はその養父母によって保証された生活をぬくぬくと送っていたのだ。
そのうえ、どこか遠くへ行きたいと願っていたのに、いざそれが叶ってしまうと、今度は帰りたいとごねている。
(でも、だって、しょうがないじゃない。私だって精一杯だった!! それにこんなことになるなんて、思わなかったんだから……!!)
葵はそれを認めたくなかった。
どうにかリンを説得をしようと考えることで、誤魔化そうとする自分の性根すらも、まぎらわせた。
なぜか、リンを説得できれば、自分を正当化できるような気すらして、ひとり必死になった。
「こ、後悔してるんじゃないの? ──雪花を殺したこと!!」
「悔いてなどいない」
「悔いてよ!! 悔い改めてよ!!」
リンに睨まれ、葵はうっとたじろぐ。
だが、怒りたいのはこっちの方だと、負けじと言い返した。
「だ、だってそうじゃない!! あんたが殺したりしなければ、本当の家族に逢えてたかもしれないのに!!」
しかしリンは首を振り、それはない、と即答した。
「雪花は巫女だった。私が手をくださなかったとしても、代わりに他の誰かがやっていた」
「そう言うわりには、あんなしみったれた顔で話してたくせに!!」
「そんな顔はしていない」
「してた!!」
「してなど────」
リンは不服そうに葵を見やったが、すぐに視線をそらした。それから「私は──」と言いかけて、躊躇ったように口を閉ざし、また間を置いてから言い直した。
「……悔いているのは、苦痛を与えてしまったことだ。巫女を安らかにおくるのが責務なのに、それすらもはたせなかったから──」
「──そっち? 雪花を手にかけたからじゃないの?」
リンは眉を寄せ、怪訝そうな眼を向けた。
「なぜ、私が雪花を特別視していると思っている?」
「な、なぜって……」
葵はポカンとした。
(──そんなの初恋の相手だからじゃん!!)
そんな分かりきったことをわざわざ聞くなんて、鈍すぎるにもほどがある。
「──私が役目を務めた巫女は他にもいる。お前が雪花を特別に思うのは理解できるが、それを私に押し付けたところで、こちらの考えは変わらない」
「押しつけてなんか……!! ていうか、本当にわかんないの? ど天然なの?」
「お前の言うことは度々理解に苦しむ」
リンは新しい生物でも見ているかのように、首を傾げた。
考えつく説得はもうほとんど試したが、どうやってもリンは首を縦には振ることはしない。
だんだん、じれったくて腹が立ってきた。
葵は、リンを追いつめることを恐れて胸の内にしまっていた事実を、ついに口にしてしまった。
「──でも、だって……好きだったんでしょ? 雪花のこと……」
「────……なんだって?」
ひどく神妙な声がした。
葵はなんだか罰が悪くてリンの顔が見られなかった。そのため、怒らせたのか、はたまた傷付けたのかすらも読みとれない。
それをいいことに、今度ははっきりと言ってやった。
「────国を捨てられないとかいってるけど、一度は捨てようとしたくせに!! 好きだったからでしょう!?」
馬鹿な、と呟いた声はひどく不自然な言い方だった。
その声色が気になって目を向けると、リンは喉に何かがつっかえたような表情をしている。
「────まただ……」
「……なにが?」
リンは気分悪そうに腕を組んだ。
「────違和感だ。皆、なにかを隠していると思っていたが……こんな事だったのか……?」
「こんなことって──」
「──それもニシキが言っていたんだな?」
追求するように葵を見る。
葵は戸惑いながら頷くと、リンはどこか腑に落ちたように肩を落とし、それから心外だというように眉をしかめた。
「そんな噂がたっていたのか……暇人どもが……」
「────噂? 事実じゃないの?」
「ありえない!!」
リンはこれまでで最も強く否定した。
「────うそ……うそだ……」
なにかが、ひどくおかしい。
胸に大きな塊がつっかえていて、気持ちが悪い。
そんな葵の動揺をよそに、リンは潔白を証明するかのように、はっきりと告げた。
「雪花をおくった日、あの時が初対面だった!!」
葵は衝撃と絶望が同時に押し寄せて、反応ができなかった。
それが真実ならば、自分はずっと的外れな言動をしていたことになる。
初恋の相手を殺してしまった負い目を利用すれば、もしかしたらリンが寝返ってくれるのではないかと考えいた。しかし、駆け落ちの話が嘘ならば説得なんてできるわけがない。
最終手段として、巫女の資格を捨てることすら考えていたと思うと、顔から火が出るほど恥ずかしい。初恋の相手と瓜二つならば、可能性はあると思い込んでいた。
だがそれも全部、もうなんの意味もないのだ。
「────葵」
ショックが大きすぎて愕然としていると、格子の隙間から伸びた手に両の頬が包まれた。
視線を上げると、リンの真剣な目と交わる。
「あの日……、雪花をこの手でおくったことで、私は人であることを捨てたのだ」
視界を歪めていた涙が、ぼろぼろと溢れた。
「誰も死なないのが一番良いに決まっている。されど、現実はあまくない。そんな最良の選択肢が選べることなど滅多にないのだ。……だから私は、常に最善を考える。それがどんなに残酷な選択であっても、いくらでもこの手を汚そう────」
それでも文句を言ってやろうと思ったが、リンの顔を見たとたん、出かかっていた言葉は頼りなく消滅してしまった。
「ゆえに、お前を逃がすわけにはいかない」
卑怯だ、そう思った。
卑怯者と罵ってやりたいのに、嗚咽しか出てこない。
葵は格子状の壁へ力無く寄り掛かかり、ズルズルと引きずるようにへたりこんだ。
(────だったら、もっとそれっぽい形相してよ!!)
──すまぬ。と、ひどくかすれた声は、湿った空気にとけて消えた。
ようやく葵は、己の運命に抗うことに、諦めがついたのだった。
リンは驚くというよりは、なかば関心したふうに言った。
「私は神子だ。国を捨てるわけがなかろう」
見事に思惑が外れて、葵は狼狽した。
「す、捨ててよ!! 捨てられるじゃん!! ──な、なんならしばらく同居したっていいよ!? 私、馬車馬のように働くからさあ!!」
「そんなことで捨てられるか」
「────そ、それにほら、私って喋らなければ雪花と変わんないだろうし……気は進まないけど──そ、そそそそそういう特典付きということで……ど、どうでしょう?」
「──そうか、とんでもなく馬鹿なんだな?」
もう自分でも何を言っているのかわからない。
目を回しながらも、屋上から飛び降りんばかりの、それこそ死ぬ思いで言ったのに、それもあっさりと撃沈した。
リンは怒りを通り越したのか、逆に哀れみの眼を向けている。
だがそれよりも、葵はこんなにもあっさり断られたことに納得ができなかった。
「──だ、だって……、これ以上手を汚さなくて済むんだよ? 日本に行けばなんだって手に入るし、家事だって機械でできるから超楽だし──、それに遠くの人とも簡単に連絡がとれたりもするし!! それから……テレビっていって、娯楽もいっぱいで──」
「落ちつけ。さっきから何を言ってるんだ」
「──だって、意味わかんない!! 水波盛よりずっと平和で豊かで便利なんだよ!? すごく、すっごく好条件なのになんで断るの!?」
「そんなことは望んでいない」
リンの声は静かだった。だが、たとえ耳をふさいでも力技で押し入って鼓膜を刺激するような、不思議な響きがあった。
「水波盛は今、疫病が広がり、妖獣も増える一方。兵をもってしても駆除は追いつかず、巫女にも恵まれない」
「──だったら!!」
「だからこそ、余計に離れるわけにはいかない。今、我らが手を尽くさなければ国はどうなる。民はどうなるんだ。──お前も外を見てきただろう?」
「────見たけど……」
「我らが贅沢をしているのは、国を──、人を背負っているからだ。この着物も、刀も──口にする米の一粒まで、全てその責任の重さでできている。我らの采配ひとつが、多くの民の命運を左右するほどに。決して軽んじてはならぬ」
リンは会議で見せた顔つきとは少し違っていた。
葵に、というよりも自分に言い聞かせているようにも見える。
「そんな我らが、つらいとか、逃げたいなどと弱音を吐こうものなら、この腹を斬ることもいとわぬ」
葵は突きつけられた価値観の違いに、どうやっても相手の考えを変えることはできないのだと痛感した。
同時に、日本にいた時はあれほど満たされないと感じていたのに、平穏に暮らせるなどと手のひらを返している自分に嫌悪感を抱いた。
(────でも、それでもここよりは!! こんなところよりはマシじゃん……!!)
養父母をあんなに軽蔑していたくせに、実際はその養父母によって保証された生活をぬくぬくと送っていたのだ。
そのうえ、どこか遠くへ行きたいと願っていたのに、いざそれが叶ってしまうと、今度は帰りたいとごねている。
(でも、だって、しょうがないじゃない。私だって精一杯だった!! それにこんなことになるなんて、思わなかったんだから……!!)
葵はそれを認めたくなかった。
どうにかリンを説得をしようと考えることで、誤魔化そうとする自分の性根すらも、まぎらわせた。
なぜか、リンを説得できれば、自分を正当化できるような気すらして、ひとり必死になった。
「こ、後悔してるんじゃないの? ──雪花を殺したこと!!」
「悔いてなどいない」
「悔いてよ!! 悔い改めてよ!!」
リンに睨まれ、葵はうっとたじろぐ。
だが、怒りたいのはこっちの方だと、負けじと言い返した。
「だ、だってそうじゃない!! あんたが殺したりしなければ、本当の家族に逢えてたかもしれないのに!!」
しかしリンは首を振り、それはない、と即答した。
「雪花は巫女だった。私が手をくださなかったとしても、代わりに他の誰かがやっていた」
「そう言うわりには、あんなしみったれた顔で話してたくせに!!」
「そんな顔はしていない」
「してた!!」
「してなど────」
リンは不服そうに葵を見やったが、すぐに視線をそらした。それから「私は──」と言いかけて、躊躇ったように口を閉ざし、また間を置いてから言い直した。
「……悔いているのは、苦痛を与えてしまったことだ。巫女を安らかにおくるのが責務なのに、それすらもはたせなかったから──」
「──そっち? 雪花を手にかけたからじゃないの?」
リンは眉を寄せ、怪訝そうな眼を向けた。
「なぜ、私が雪花を特別視していると思っている?」
「な、なぜって……」
葵はポカンとした。
(──そんなの初恋の相手だからじゃん!!)
そんな分かりきったことをわざわざ聞くなんて、鈍すぎるにもほどがある。
「──私が役目を務めた巫女は他にもいる。お前が雪花を特別に思うのは理解できるが、それを私に押し付けたところで、こちらの考えは変わらない」
「押しつけてなんか……!! ていうか、本当にわかんないの? ど天然なの?」
「お前の言うことは度々理解に苦しむ」
リンは新しい生物でも見ているかのように、首を傾げた。
考えつく説得はもうほとんど試したが、どうやってもリンは首を縦には振ることはしない。
だんだん、じれったくて腹が立ってきた。
葵は、リンを追いつめることを恐れて胸の内にしまっていた事実を、ついに口にしてしまった。
「──でも、だって……好きだったんでしょ? 雪花のこと……」
「────……なんだって?」
ひどく神妙な声がした。
葵はなんだか罰が悪くてリンの顔が見られなかった。そのため、怒らせたのか、はたまた傷付けたのかすらも読みとれない。
それをいいことに、今度ははっきりと言ってやった。
「────国を捨てられないとかいってるけど、一度は捨てようとしたくせに!! 好きだったからでしょう!?」
馬鹿な、と呟いた声はひどく不自然な言い方だった。
その声色が気になって目を向けると、リンは喉に何かがつっかえたような表情をしている。
「────まただ……」
「……なにが?」
リンは気分悪そうに腕を組んだ。
「────違和感だ。皆、なにかを隠していると思っていたが……こんな事だったのか……?」
「こんなことって──」
「──それもニシキが言っていたんだな?」
追求するように葵を見る。
葵は戸惑いながら頷くと、リンはどこか腑に落ちたように肩を落とし、それから心外だというように眉をしかめた。
「そんな噂がたっていたのか……暇人どもが……」
「────噂? 事実じゃないの?」
「ありえない!!」
リンはこれまでで最も強く否定した。
「────うそ……うそだ……」
なにかが、ひどくおかしい。
胸に大きな塊がつっかえていて、気持ちが悪い。
そんな葵の動揺をよそに、リンは潔白を証明するかのように、はっきりと告げた。
「雪花をおくった日、あの時が初対面だった!!」
葵は衝撃と絶望が同時に押し寄せて、反応ができなかった。
それが真実ならば、自分はずっと的外れな言動をしていたことになる。
初恋の相手を殺してしまった負い目を利用すれば、もしかしたらリンが寝返ってくれるのではないかと考えいた。しかし、駆け落ちの話が嘘ならば説得なんてできるわけがない。
最終手段として、巫女の資格を捨てることすら考えていたと思うと、顔から火が出るほど恥ずかしい。初恋の相手と瓜二つならば、可能性はあると思い込んでいた。
だがそれも全部、もうなんの意味もないのだ。
「────葵」
ショックが大きすぎて愕然としていると、格子の隙間から伸びた手に両の頬が包まれた。
視線を上げると、リンの真剣な目と交わる。
「あの日……、雪花をこの手でおくったことで、私は人であることを捨てたのだ」
視界を歪めていた涙が、ぼろぼろと溢れた。
「誰も死なないのが一番良いに決まっている。されど、現実はあまくない。そんな最良の選択肢が選べることなど滅多にないのだ。……だから私は、常に最善を考える。それがどんなに残酷な選択であっても、いくらでもこの手を汚そう────」
それでも文句を言ってやろうと思ったが、リンの顔を見たとたん、出かかっていた言葉は頼りなく消滅してしまった。
「ゆえに、お前を逃がすわけにはいかない」
卑怯だ、そう思った。
卑怯者と罵ってやりたいのに、嗚咽しか出てこない。
葵は格子状の壁へ力無く寄り掛かかり、ズルズルと引きずるようにへたりこんだ。
(────だったら、もっとそれっぽい形相してよ!!)
──すまぬ。と、ひどくかすれた声は、湿った空気にとけて消えた。
ようやく葵は、己の運命に抗うことに、諦めがついたのだった。
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