忌巫女の国士録

真義える

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二章

古傷

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「その血を落としたら、すぐにここから離れる。川沿いは見つかりやすい」
「……わかった」

 まだ歩くのか、と内心ではうんざりするが、文句は言えない。追われる身というのは、酷な生活を強いられる。まだ一日と経っていないのに、もう音を上げてしまいそうだ。

(着付け出来ないんだけど……)

 着物の帯を解いてしまえば、もう結び直せない。そうなれば、浴衣の結び方で誤魔化すしかない。
 一番上に着ている着物だけだったので、帯を解き、長襦袢ながしゅばん姿になると、それまで笑っていたテツの顔が急に強ばった。

「お前はそういう奴だよな」
「なにが?」

 呆れたように言うリンをきょとんと見やる。
 リンの隣で、テツが困ったように視線を泳がせている。

「お前が通っていた学び舎は、くるわの中でのことか?」
「くる……はああ!? ち、違うし!! 普通の学校だし!!」
「寝間着で歩き回る根性もそうだが、あのやたら脚を出す〝制服〟とやらも、正直どうかと思う」
「変な言い方しないでよ!! 別に普通じゃん!!」
「男の前で平気で下着になる奴が、普通を語っても説得力がない」

 リンはため息をつくと、狼狽うろたえているテツの襟首をつかんで茂みへと戻っていった。

(……下着?)

 取り残された葵は、ぽかんとする。
 自身の出で立ちを改めて確認した。薄い純白の長襦袢ながじゅばん。生乾きで少し体に張り付いているが、それでも肌は隠されている為、恥ずかしいという感覚はない。
 葵の思う下着とは異なるが、長襦袢というのはそれと同等の姿らしい。

「──隠れてるのに……?」

 普段、着物など着る機会がないのだから、そんなことを言われてもいまいちピンとこない。

(でも一応、気をつけよう……)

 漠然と思いながら、冷えた川に足を沈めると、大きく身震いした。
 
「はあ……何回ずぶ濡れにならなきゃいけないんだろ……」

 顔や髪についた血を入念に洗い落としていく。赤く染まった水は上流へと登っていくにつれ、薄まって消えていった。
 逆流しているのは水神の川のみらしいが、見れば見るほど不気味に思う。
 森でサバイバル中なのだから仕方がないことはわかっていても、野外で水浴びというのは非常に辛いものがあった。

(お風呂、はいりたい……)

 巫女の間での露天風呂がどれほど贅沢なことだったか、今となっては身にしみてわかる。
 血痕だらけの着物を手で揉んでいると、お腹の虫が大きく鳴いた。

「お腹すいたな……」

 だが、この森の中でまともな食事にありつけるのかはなはだ疑問だ。人がいるところなら、そういったお店があるかもしれないが、森を抜けるまであとどのくらいかかるのかも見当がつかない。それに、今夜は野宿だと聞かされているから、今日中には無理なのだろう。
 吹きつけた風によって、汗が急激に冷やされて身震いする。

「寒っ……」

 付着してから時間の経った血痕は、完全には落ちない。諦めて、着物をまるめて絞り、水分をできるだけ抜くと川からあがった。

 木の陰では、テツが一人で待っていた。辺りを見回してもリンの姿がない。
 もしやまた喧嘩でもしたのだろうか、と心配になって訊ねる。

「……あれ、リンは?」
「ああ、あいつは──って、おまっ……!? いつまでそんな格好してんだよ!!」

 葵の姿を見るなり、テツは慌てたように顔を逸らした。

「だってしょうがないじゃん。濡れた着物なんて重いし寒いし、着てられないよ」
「──はっ!! それもそうか……」

 不貞腐れたように言い返すと、テツはすんなり納得した。すると突然、テツが着物を豪快に脱いだので、今度は葵が慌てて顔を逸らす。

「──ぎゃっ!? ちょっ、なんで脱ぐの!?」
「俺のを貸してやるから、乾くまで着てろ!!」
「い、いらないよ!! なんか汚いし!!」
「ひどっ!! き、汚いって……おまえ……」
「いやいや、違くて!! だって泥だらけだから!!」

 ショックを受けているテツに、慌てて弁解する。
 リンと揉み合いになったせいで、土汚れのついた着物はお世辞にも綺麗とはいえない。それよりも、ずっとふんどし一丁で居られても目のやり場に困る、というのが正直なところなのだが、テツは全く気にしていないようで伝わらない。

「我慢しろよ!!」
「我慢もなにも……別に恥ずかしくないもん」
「そういう問題じゃないんだ!!」

 はだけた着物でずいずいと迫られて、なんとかテツを視界に入れまいと目を覆う。

「裸でうろつかないでよ変態!!」
「お前がそれ言う!?」

 二人で言い合っていると、どこへ行っていたのか、リンがが戻ってきた。手に抱えた巨大な葉には、木の実や木苺が積まれていて、葵の視線は一瞬で釘付けになった。

「放っておけ。そいつはそういう女だ」
「私、どんなイメージだよ」

 リンはそれには答えずに腰をおろすと、今日初めての食事を葵の前に差し出した。

「野宿するなら川のそばが良いだろう。見つけるまでは休めない。今のうちに食っておけ」
「────か、神!!」
「……は?」

 首を傾げるリンを他所に、葵は歓喜の声を上げて木の実をつまんだ。疲労した身体に甘味が浸透し癒していく。二口目からは手が止まらなくなり、無我夢中で食べ進めていく。
 ふと視線を感じて隣を見やると、口に運ばれていく木の実を、テツが物欲しそうな目で見ていた。半開きの口からは涎がダラダラと垂れ流している。

「食べないの?」
「……いらない!!」

 テツは食欲を力ずくで押し殺したように目を逸らした。

「お前も腹に入れておけ。後で足でまといになっても困るからな」
「いいって言ってるだろ!!」
「見張りを任せたのは貴様の方が逃げ足が早いからだ。いざとなれば、それを使うことになる」

 テツは俯き押し黙った。膝に置かれた拳に力が込められる。テツ自身、まだ腑に落ちない部分があるようだった。
 それを冷めた目で見下ろすと、ピシャリと言った。

「食え。遅れをとれば置いていく」

 意外だった。
 てっきり、テツのことは戦力外としているかに見えたが、安全に森を抜ける為に適材適所を考えている。だが、森を抜けた後のことはわからない。テツに面と向かって殺害を宣言しているし、葵を本殿に連れ戻したら自害するとまで言っていた。

(本気、なのかな……?)

 リンの融通ゆうずうのきかない性格ならば考えられなくもない。だがもし、これまでの災いの原因が〝忌み子〟である自分だと思い込んでいるなら、それは間違っている。
 葵は木苺を見つめながら、ぼんやりと考え込む。


「──あっ!! はかま!! よこせ!!」
「──ぐっ!! 貴様なにすっ……!?」

 テツとリンが騒がしい。葵は思考の沼に浸かっているため、何を揉めているのか、耳に入ってこない。


 リンが地下牢から連れ出されてから、巫女となる赤子が本殿ほんでんに流れつかなくなり、災蝕さいしょくを止められず、国は傾いていった。

(それって、単に不運が重なっただけなんじゃ……?)

 だとしたら、早まる前になんとかしてリンの考えを変えなければならない。


「なーに恥ずかしがってんだ、男のくせによ」
「違うわ!! 貴様、自分のがあるだろ!!」


 口を動かしながら黙々と考え込んでいると、いつの間にかまた二人が言い争っている。その声がうるさくて、考え事に集中できない。

「もう、また喧嘩してっ──!?」

 またか、と呆れつつも、止めようと二人を見やって言葉を詰まらせた。
 前が全開のテツが、リンの着物を無理やり脱がそうとまたがり、リンは苦しそうに顔を歪めながらも、脱がされまいと必死に抵抗している。

「俺のは葵に貸す。だからはかまかせ!!」
「誰が貸すか!!」
「じゃあ、上衣うわぎにする!!」
「ふざけるな!!」
我儘わがまま言うなよ。素っ裸よりましだろ?」
「死ね!!」

(──なに、この状況!?)

 葵は混乱した。
 不仲の二人のことだ。きっと喧嘩なのだろうが、見方によってはその真逆にも見える。
 葵は恐る恐る声をかけた。

「──な、なにしてんの……?」

 困惑する葵に、テツが無邪気に笑いかける。

「待ってろ。今着るものを調達するから!!」
「はあ!? 誰が貸すと言った!!」
「俺だ!!」
「お前が言うな!!」

 胸を張って答えるテツに、リンが噛み付くように言い返す。
 やはり喧嘩だ。葵はほっと胸を撫で下ろした。

「な、なんだ……。なにを見せられてるのかと思ったよ……」

 安心している自分と、妙な高揚感を抱く自分が身の内にいる。しかし、すぐにはっとして仲裁に入った。

「お、追い剥ぎは良くないよ!? 私のことはいいから──」
「聞いたか。そんな恥じらいの欠けらも無いような奴、手を出す物好きなどいるわけがなかろう。ほっといても平気だ」

 リンの言い草に、自分の中の何かが、ブチッと切れるような音を聞いた。

「ありがたくお借りします」
「まかせろ!!」
「このくそアマ!!」

 にこやかに微笑みかける葵に、リンは粗暴に悪態をついた。それがさらに、怒りの火に油を注ぐ。

「──ふんっ!! 人を雑に扱うからよ!!」

 戦闘ではリンが上手うわてだが、どうやら筋力ではテツが上回っているらしい。どんなにリンが暴れても、なかなかテツから逃れることができない。

「二着もってんだからケチケチすんなよ」
「この、いい加減に──っ!!」

 テツが襟首を掴んで思いきり引っペがすと、リンの白い背中が半分ほどあらわになった。
 テツの手が止まる。大きく開かれた目は、その背中に釘付けになった。
 を目の当たりにした葵も、思わず顔が歪む。
 リンの背中一面には、無数のみみずばれが隙がないほどに刻まれている。

「──お前、これ……」
「どけ」

 唖然としているテツを乱暴に押し退けると、着崩れた着物を手早く直した。

「ゆっくりし過ぎた。残りは歩きながら食え」

 怒ることもなく、妙に落ち着いた声色だった。葵が最初に出会った頃の、無感情な表情かおに戻っている。
 リンはとくに気にした素振りもなく、ぼんやりしている二人を置いて先を急いだ。

「──ま、待ってよ!!」

 二人は慌てて残りの木の実を掻き集めると、リンを追いかけた。
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