忌巫女の国士録

真義える

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二章

命の階級

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 結局、リンから着物を借りることに気が引けて、葵はテツの着物を、テツはすぶ濡れの花嫁衣裳を着るしかなかった。
 さすがに風邪をひくのでは、と心配する葵に、テツは「すぐに乾くさ」と快活に笑った。
 それにしても、リンの背中の傷跡について気になる。だが、それを訊ねていいものなのか、葵は悩んだ。

「なあお前、その傷どうしたんだ?」

 そんな葵の気遣いを他所よそに、テツがあっさりと聞いた。

(さ、さすが、空気を読まない男……!!)

「……」

 全く聞こえていないかのように反応を示さないリンに、テツはムッとした。

「無視すんなよ」
「……お前には関係なかろう」

 苦々しげな返事が返ってきた。テツはずっと抱いていた素朴な疑問を、なんの気なしに口に出してしまった。

「お前って、カッコつけてないとダメなのか?」

 突如、目にも止まらぬ早さで飛んできたが、テツの頬を掠めた。切れた髪の毛が数本はらはらと舞い落ちる。
 テツはぎこちなく振り返ると、背後にある木の幹に小刀が突き刺さっている。これにはテツと葵は真っ青になって顔を見合わせた。

「──こ、殺す気かよ!?」
「無駄口をたたくな」
「ちょっと聞いただけだろうがァ!!」

 すっかり憤慨ふんがいしたテツは、リンに掴みかかり、二人は揉み合いになった。
 サバイバルでは刃物は貴重品なのに、リンとテツは喧嘩に夢中で回収することをすっかり忘れているようだった。
 二人が言い争っているうちに、葵は小刀わきざしを引き抜いた。刃渡り三十センチほどだが、ずっしりとした鉄の重みがある。だがこの程度ならば、非力な葵でも扱えるだろう。

「──くたばれ、この女装野郎!!」
「──お前が貸さないからだろ!!」

 葵は腰紐に刀を差し込むと、ヒートアップしていく喧嘩を止めるため、慌てて二人を追いかけた。


「ねえー……もう、喧嘩しないでよ!!」

 ようやくおさまった二人は肩で息をしながら立ち上がった。喧嘩で転げまわるせいで、二人はどんどん汚れていく。せっかく洗濯した葵の着物も、する前よりも真っ黒になってしまった。

(はあ……川についたら、もう一回洗おう)

 やはりテツと着物を交換するべきではなかった、とガックリ肩を落とした。

 しばらく歩くと、見晴らしのいい岩肌の頂上に出た。その先は崖になっていて、足止めをくらってしまった。しかし、落ち込むことはない。なぜなら穏やかな川のせせらぎが聞こえてきたからである。
 崖の上から覗き込むように見下ろすと、峡谷の底を蛇行するように川が流れているのを見るなり、葵は飛び上がって喜んだ。

「川だ!! よかったあ、見つかって!!」
「なんとか下りられねぇかなあ……」

 テツも身を乗り出してその下を覗き込むと「さすがにキツいな」と呟いた。
 その瞬間、足を滑らせたのか、ガクンと前のめりに倒れた。「わっ!? わわわわわ!!!?」と声をあげながら慌てて雑草を掴み、地面にしがみついたおかげで落下はまぬがれた。

「テツ!! 大丈夫!?」
「──びっ、ビックリしたー……」

 まさに危機一髪である。
 葵は慌ててテツの着物掴むと、なんとか引っ張り上げようとしたが、リンは手を貸す気はないようだった。
 宙ぶらりんの下半身をじたばたさせて何とかよじ登ると、テツは心臓を抑えながら、荒い呼吸を落ち着かせた。
 それから、リンをキッと睨んだ。

「──お前!! 今足引っ掛けただろ!?」
「──ええっ!?」

 それを聞いた葵は愕然がくぜんとリンを見やった。しかし、当の容疑者は涼しい顔をしている。

「知らん。気のせいだろ」
「そ、そうかあ……? はあー、危なかったー」
「──……チッ」
「やっぱりわざとじゃねぇか!!」
「知らんと言ってるだろ!!」

 そう言うなりどちらともなく掴みかかり、髪や頬を引っ張り合っては殴り合いの乱闘騒ぎが巻き起こる。
 口を開けば、ずっとこの調子だ。
 最初こそ勢いにおされて、どう止めたら良いか戸惑っていたが、それがもう何度も、何度も続くのだ。いい加減に葵の苛立ちも最高潮に達した。
 衝動的に持っている小刀を、取っ組み合う二人に向かって振り下ろした。

「いい加減にしろ!!」

 小刀はリンの髪をかすり、仰向けに転がったテツの顔の横に深く突き刺さった。
 二人とも目を丸くして同じ顔をしていたが、突き刺さった刃を見るなり、たちまち顔色は真っ青になっていった。

「……」
「……はい」

 テツは引きつった顔で小さく返事をしたのに対し、リンは触らぬ神に祟りなし、というように明後日のほうを見た。二人は互いから手をはなすと、すごすごと起き上がった。
 リンは地面に突き刺さった刀を引き抜き、腰の鞘に収めると、ぽつりと呟く。

「……迂回する」
「だな……」

 それからは、どす黒いオーラを背負った葵を刺激しないよう、黙々と歩くのだった。


***


 体力的にはキツいものがあったが、日が昇っているうちに川に辿り着いたのはなかなかのものだろう。広大な森の中で川を見つけ出すのは至難の業であるのに、リンが迷わずに見つけ出したのに驚きを隠せない。

(まるで来たことでもあるみたい)

 そうでなければ、野生並みに感が冴えている。
 川沿いで休めそうな場所を探す。火をおこすにも、煙が目立たないようにしなければならない。

「どこかに岩穴でもあればいいが……」

 本格的にサバイバルらしくなってきたと、葵は気を引きしめる。妖獣が生息する危険な森だ。無人島で家を作ったり、自給自足する番組のようにはいかないだろう。
 川に沿って下流へと歩を進めながら、身を隠せるような岩穴を探す。

「森には何度も来たことあるの?」

 岩陰を探りながら言うと、リンは少し遅れて返答した。

「……まさか、そう何度もは来れまい」
「でも迷わずに川を見つけられたし、なんだか慣れてるみたい」
「神官ならばそれくらいできよう」

 謙遜けんそんしているのだろうか。

「……ねえ、テツと仲良く出来ない?」
「死んでもするか!!」

 即答だ。わかってはいたが、葵はやれやれと溜息をついた。
 普段は大人びているのに、テツのことになると急に子供っぽくなる。

「でも、実際リンを騙して利用していたのは神王みわおうで、テツだってずっと騙されてた」
「奴が過ちを犯したのが全てもの始まりだろう。馬鹿な真似をしなければ父上だって、こんな手の込んだことはしなかった」
「──は!?」

 リンが惲薊うんけいのことを〝父〟と呼んていることに、葵は耳を疑った。

「ちょっと待って!! だったら一生閉じ込められていても良かったっていうの?」
「……やむを得ないだろう。私は〝忌み子〟なのだから」
「そんなの間違ってる!!」
「父上は、何も間違っていない」

 生き地獄を味わわされてもなお、惲薊うんけいを肯定できるのか、リンの思考が理解できない。

「どうして庇うの!? 生まれてすぐに閉じ込めておいて、散々手を汚させた挙句に、都合が悪くなったら捨てるような親だよ!?」
「──尊敬している。神王みわおうとして、父としても」

 そう言うと、リンは目を逸らした。
 ああ、と葵は憐れみの目を向ける。この男はきっと病気なのだ、と。

「……ファザコン、なんだね」
「なんの話だ?」

 肩に手を置くと、リンは怪訝けげんそうな顔をした。

(でも、わからなくはないな、その気持ち……)

 再び岩穴探しに戻ったリンを横目で見やりながら考える。実際、葵自身も養父母りょうしんを嫌いにはなれなかった。どんなに冷たくされても、愛されたいと願ってしまう。
 もしかしたら、リンはやしろに残りたかったのかもしれない。葵たちと一緒に逃げるということは、惲薊おやを裏切ることと同意なのだから。

「──あの、ついてきてくれてありがとう!!」

 きょとんとしているリンに、葵は勢いよく頭を下げた。

「リンはなんでも出来るし、ひとりでもきっと森を抜けられるのに……」
「──私とて、できることしかできぬ」

 顔を上げると、リンは別の場所を探して移動していた。離れても聞こえるように、少しだけ声を張る。

「でも妖獣だって倒せるし指示も的確で、隙がないっていうか……。けど、私はひとりじゃ何も出来ないから、誰かに頼るしかない。情けないけど……」
「今更なにを言っている」

 いつもより低い声に空気が張りつめる。

「本当なら今頃、始末をつけていたのに……。お前が邪魔をしたんだろう」
「──え?」

 振り向いたリンは、眉を寄せて呆れたような顔をしていたので、葵は安堵した。

「どんなに無様でも必死に生きたいと言ったのはお前だろう。その機会を与えられたのだからしがみつけ。使えるものはなんでも使え。それとも、あの言葉は嘘だったのか?」
「ううん、嘘じゃないよ!!」
「ならば無様に足掻いてみせろ」

 リンが先へ行こうとした時、テツの大声に呼び止められた。

「おーい!! みっけたぞー!!」

 同時に川の反対側を見ると、テツが大きく手を振っている。寝床にちょうど良い洞窟を見つけたようだ。
 リンは流れる水から顔を出している岩に飛び移って、川を渡っていった。

「……あ、ありがとう!!」

 テツの方へ向かう背中に向かって言ったが、リンは振り向きもしない。
 そんなしれっとした態度にも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。葵はクスリと笑うと、二人のもとへ駆け寄っていった。



 テツが見つけたのは、人ひとりがギリギリ通れるくらいの細い洞窟だった。しかし、中に入れば奥へ進むにつれ幅広になっていき、なんとか寝そべることが出来そうだ。天井の隙間からは日が差し込み、ほど良く空間を照らしている。川沿いということもあり、しんとした湿気もあるが、我慢できないこともない。

「少し狭いか?」
「いや、交代で見張りをするから問題ないだろう。それに文句も言っていられまい」

 ようやく休める、と葵とテツは歓喜したが、リンは少しも休もうともせずに身をひるがえした。

「どこ行くの?」

 葵が呼び止めると、リンは入口の隙間の前で振り返り、テツを見据えた。

「食料を探してくる。お前は──」
「火をおこしとく!」
「何かあったら──」
「葵を連れて逃げればいいんだろ?」

 どんなに仲は悪くても双子の血が流れている。互いに通じるものはあるようだ。言わんとしたことを先読みされて、リンは不満げな顔をした。
 それから「忘れてないだろうが──」と続ける。

「決して離れるな。できぬなら──」
「「この身で時間をかせげ」」

 最後は合言葉のように声が揃った。
 リンは脇差わきざしをテツに放り投げた。テツは慌ててそれを受け止めると「わかってるって」と言って笑った。
 リンを見送ると、葵はすぐにテツに訊ねた。

「……ねえ、最後のは何?」
「ああ、あれはおくり子の教育で、一番最初に教わるんだ」
「どういう意味?」
「どうって、そのまんまだぞ。巫女からは絶対に離れてはいけない。護れなくなるからな。やむを得ないとき以外は、その決まりを破っちゃいけないんだ」
「やむを得ないとき?」
「たとえば、自分より強い敵に遭遇した時は、巫女を逃がす時間を稼ぐしかないだろ?」

 テツは当然だというように首を傾げた。しかし、それは時間を稼ぐためのということだ。
 水波盛では命の階級ヒエラルキーがはっきりと決められている。その中でも水巫女の命は神王みわおうと同等の価値がある。それが至極当然だと、誰もが幼少期より教え込まれるらしい。それはテツも例外ではないようだ。

「つっても、リンあいつほど時間を稼げるかわかんねえ。でも絶対、逃がしてやるからな!!」

 葵が村で妖獣に襲われた際に、リンもまた、そんなことを言っていたのを思い出した。その時は、ひどく冷酷な印象を抱いたが、リンにとっては幼少より刷り込まれた教えに従っていただけなのだ。

(巫女ひとりの命で多くの命が救われる……。だからって犠牲をいとわない?)

 葵はどうしても腑に落ちず、なんともいえない気持ち悪さにさいなまれた。

「──なにそれ。嫌だよ、絶対!!」
「……? そうか?」
「そうだよ!! 当たり前じゃん!!」

 ムキになって言い返す葵に、テツはきょとんとした。が、やはり違和感や疑問は抱かないようで、火をおこす作業に取りかかった。
 葵はそれ以上は何も言わなかった。テツの隣に腰を下ろすと、その手元を眺める。
 なんだか無性に悲しかった。 
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