Ctrl+Zで異世界を勝ち抜く!~ショートカットキーとかいうチート級スキル~

北ましろ

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第1話 異世界転生、初日

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「佐藤さん、明日までにこの資料まとめといて」

「佐藤、例のエクセル、セルの結合解除しといて」

「サトウくーん、この数式バグってるんだけど直せる? あ、今日中ね」



――気づいたら、俺は死んでいた。



いや、正確には「死んでいた」過去形じゃなくて、「死につつある」現在進行形だったのかもしれない。終電を逃して会社の仮眠室で横になった瞬間、胸を押し潰されるような痛みが走って、視界がブラックアウトして。ああ、これが噂の過労死ってやつか。三十二年間、お疲れ様でした、佐藤健太郎。エクセルのショートカットキーだけは誰にも負けない自信があったのに、人生のショートカットは見つけられなかったな――なんて走馬灯にしては妙に冷静なことを考えながら、俺の意識は闇に沈んでいった。



そして次に目を開けたとき、俺は森の中にいた。



「……は?」



思わず間抜けな声が出た。視界いっぱいに広がる緑、緑、緑。木漏れ日がキラキラして、どこかで鳥が鳴いていて、風が頬を撫でていって。会社の蛍光灯と空調しか知らなかった俺の目には、あまりにも鮮やか過ぎる光景だった。



「これは……夢? いや、過労死の走馬灯の続き? それとも会社のストレスで頭がおかしくなって、実は精神病院のベッドの上とか?」



とりあえず頬をつねってみる。痛い。本気で痛い。これ、夢じゃないな。じゃあ一体どういう状況なんだ。俺、確かに死んだはずなのに。



「やっと起きたのね」



突然頭上から声が降ってきて、俺は素っ頓狂な悲鳴を上げながら飛び退いた。見上げると、そこには――なんと表現すればいいのか――いや、もうテンプレ通りに言おう。やたらと神々しい美女が浮いていた。純白のドレス、腰まで届く銀髪、背中には光の翼。どこからどう見ても「女神様」のビジュアルだ。



「あなたは佐藤健太郎。三十二歳、独身、趣味はエクセルのショートカットキー暗記。過労死により命を落とした哀れな社畜ね」



「哀れとか言うな」



思わず反論してから、ハッとする。いや待て。過労死して、女神が出てきて、異世界っぽい森の中。これはもしかして、もしかしなくても――



「そう、あなたが思っている通りよ。あなたは異世界に転生したの。おめでとう」



棒読みである。すごく棒読みである。この女神様、絶対に何百人、何千人とこの説明を繰り返してきただろう。俺にも分かる。同じ作業の繰り返しで魂が死んでいく感覚は、社畜として散々味わってきたからだ。



「転生……マジで? じゃあ俺、チート能力とか貰えるんですか?」



「ええ。あなたには特別なスキルを授けたわ。その名も【Ctrl+Z】」



「コントロール……ゼット?」



聞き覚えのある単語に、俺は目を見開いた。Ctrl+Z。エクセルやWordで散々お世話になった、あの「元に戻す」コマンド。まさか、まさかとは思うけど。



「そのまさかよ。このスキルは、状態を巻き戻す能力。失敗しても、死んでも、直前のセーブポイントまで戻れるわ。便利でしょう?」



「え、マジで!? それってつまり、何度でもやり直せるってこと? ロードゲームじゃん、完全に!」



俺は興奮した。考えてもみてほしい。人生でやり直せたらと思ったこと、何度あった? あの時ああしていれば、こうしていれば。そんな後悔の連続が人生だった。それが、このスキルがあれば全部解決じゃないか。



「そうね。まあ、いくつか仕様があるのだけど――」



「よし、分かりました! じゃあ早速、異世界ライフ満喫してきます! ありがとうございました、女神様!」



「ちょっと、まだ説明が」



「大丈夫です、どうせやり直せるんでしょ? だったら失敗しながら覚えますよ! それが一番効率的ですから!」



俺は女神の言葉を遮って、勢いよく立ち上がった。説明書なんて読まなくても、エクセルの新機能だって触りながら覚えてきた。人生だって同じだろう。特にやり直しが効くなら、トライアンドエラーが最強の学習法だ。



「あなたね……まあいいわ。後悔しても知らないからね」



女神は呆れたような顔でため息をつくと、光の粒子になって消えていった。最後に「マニュアルちゃんと読まない人って絶対後で困るのよね」という呟きが聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだろう。



さて、と。俺は改めて周囲を見回した。深い森の中。木々の間から差し込む陽光が幻想的で、確かにここは日本じゃない。異世界だ。転生したんだ。信じられないけど、現実として受け入れるしかない。



「まずは……そうだな、ステータスでも確認するか」



RPGの定番に倣って、心の中で「ステータスオープン」と念じてみる。すると目の前に、本当に半透明のウィンドウが現れた。



```

佐藤健太郎 Lv.1

HP: 50/50

MP: 30/30

スキル: 【Ctrl+Z】

```



シンプル過ぎる。もうちょっと詳細なステータスはないのか。攻撃力とか防御力とか、装備品欄とか。いや、そもそも俺、服装はどうなってるんだ?



見下ろすと、なぜか中世ヨーロッパ風の質素な服を着ていた。茶色いシャツに黒いズボン、革のブーツ。腰には――おお、短剣が下がっている。とりあえず武器はあるのか。良かった。



「よし、じゃあ早速、魔物でも倒してレベル上げするか!」



俺は意気揚々と森の奥へと歩き出した。どうせ死んでもCtrl+Zで戻れる。だったら怖いものなんてない。むしろこのチート能力を活用しない手はないだろう。



森の中を十分ほど歩いただろうか。突然、目の前の茂みがガサガサと揺れた。



「お、出たな魔物!」



俺は腰の短剣を抜き放った。スライムとかゴブリンとか、そういう初心者向けの雑魚敵だろう。ちょうどいい。まずはこいつで戦闘の感覚を掴んで――



茂みから現れたのは、確かにスライムだった。青いゼリー状の物体が、ぷるぷる震えながらこちらに近づいてくる。大きさは直径五十センチくらいか。これなら余裕で倒せそうだ。



「よーし、いくぞ!」



俺は短剣を構えて突進した。スライムめがけて剣を振り下ろす。ザシュッという手応えと共に、スライムの表面に切れ目が入った。



「やった! 意外と簡単じゃん!」



その瞬間だった。スライムの体が突然膨張したかと思うと、ドロッとした液体が俺めがけて噴き出してきた。



「うわっ!?」



反応が遅れた。液体が顔面に直撃し、目に入った瞬間、激痛が走った。熱い。いや、溶けてる。これ、溶けてる! 目が、肌が、ジュウジュウと音を立てて溶けていく。



「いだだだだだ! やばい、やばいやばい!」



パニックになりながら顔を手で擦る。でも液体は粘着質で、むしろ広がっていく。視界がどんどん白く霞んで、呼吸も苦しくなってきて。



そうだ、Ctrl+Zだ! 女神が言ってた、状態を巻き戻すスキル! これを使えば――



「もどす、もどす、もとにもどす!」



必死に心の中で念じる。頼む、発動してくれ。一秒、二秒、三秒――痛みに耐えながら数える。五秒経った瞬間、視界が真っ白に染まった。



そして次の瞬間、俺は森の中に立っていた。



「……は?」



状況が理解できなくて、呆然と周囲を見回す。さっきまで倒れていたはずなのに、今は普通に立っている。顔も痛くない。スライムは――目の前の茂みがガサガサと揺れている。



「これって……」



まさかと思って時計を見る。いや、時計はないけど、太陽の位置を確認する。さっきより少し低い。五分くらい前? つまり、スライムと戦う前に戻った?



「マジで戻った!? Ctrl+Z、本当に使えるんだ!」



興奮が込み上げてくる。これはすごい。本当にやり直せる。死の淵から生還できた。ということは、あのスライム、実は結構強いのか。見た目に騙されたな。



茂みからスライムが現れる。さっきと全く同じ状況だ。でも今度は違う。俺には情報がある。あいつは攻撃すると反撃で酸を噴射してくる。それさえ避ければ――



「今度はこうだ!」



俺は短剣を投げつけた。剣はスライムの中心に突き刺さる。案の定、スライムは膨張して酸を噴射したけど、距離があるから大丈夫。液体は俺の足元に落ちて、地面の草を溶かしている。危ない危ない。



スライムはぷるぷる震えながら、徐々に動きが鈍くなっていく。そして数秒後、パシュンという音と共に弾けて消えた。



「やった! 経験値ゲット!」



レベルアップの音が――鳴らなかった。あれ? ステータスを確認するけど、レベル1のまま。えー、倒したのに経験値入らないの?



「まあいいか。どうせこれから沢山倒せばいいし」



俺は落ちていた短剣を拾い上げて、さらに森の奥へと進んだ。Ctrl+Zの有効性は確認できた。これがあればどんな強敵にも立ち向かえる。失敗したらやり直せばいい。簡単な話だ。



その後、俺は調子に乗って次々と魔物に挑戦していった。スライムを五匹倒し、毒キノコを三つ採取し(一度毒で死んでCtrl+Zした)、巨大ムカデと戦って逃げ(これも一度死んでやり直した)。



「なんだ、意外といけるじゃん! Ctrl+Zがあれば無敵だな!」



死ぬたびに五秒間念じて巻き戻す。最初は怖かったけど、三回目くらいからは慣れてきた。どうせ死んでも戻れる。そう思うと、恐怖心が薄れていく。これって、ある意味で最強のメンタルトレーニングかもしれない。



森の中をさらに進むと、開けた場所に出た。そこには小さな泉があって、水面が陽光を反射してキラキラ輝いている。喉が渇いていたから、ちょうどいい。



「よし、水を飲んで一休みするか」



俺は泉に近づいて膝をついた。水面に顔を近づけて、両手で水をすくおうとした瞬間――



バシャアアアン!



突然、水中から何かが飛び出してきた。巨大な口、鋭い牙、ウロコに覆われた体。ワニ!? いや、もっと大きい。ドラゴンみたいな――



「うわああああああ!」



反応する間もなく、俺の体は巨大な顎に挟まれた。ゴリッという鈍い音と共に、全身の骨が砕ける感覚。痛い。痛すぎる。視界が回転して、水中に引きずり込まれて――



「もどす、もどす、もとに!」



必死にCtrl+Zを念じる。一秒、二秒、三秒、四秒、五――



視界が白く染まる直前、ふと妙な感覚に襲われた。何かが、胸の奥で「カチッ」と音を立てたような。まるでエクセルで保存ボタンを押した時みたいな、あの感覚。



そして俺は、泉の前に立っていた。



「……はあ、はあ、助かった」



膝に手をついて荒い息を整える。やばかった。あの魔物、完全に予想外だった。水中に潜んでいるとか卑怯だろ。でもまあ、Ctrl+Zのおかげで無事に――



「ん? 待てよ」



ふと違和感を覚えた。今、俺はどこにいる? 泉の前だ。さっきCtrl+Zで戻ったから、泉に近づく前に戻ったはず。でも、なんか景色が違う気がする。



周囲を見回すと、木々の配置が微妙に違っていた。いや、これは――俺が泉に到着した直後の位置だ。つまり、巻き戻ったのは泉に顔を近づける前じゃなくて、泉の前に立った瞬間?



「おかしいな。さっきスライムの時は、戦う前まで戻ったのに」



首を傾げながら考える。Ctrl+Zの巻き戻り地点って、任意に設定できるわけじゃないのか? でも女神は「セーブポイントまで戻る」って言ってた。セーブポイント……セーブ?



「まさか、自動セーブ?」



嫌な予感が脳裏をよぎる。エクセルでも、自動保存機能ってあるよな。あれ、便利なようで実は厄介で。意図しないタイミングで保存されると、戻りたいバージョンに戻れなくなる。まさか、このスキルも――



その時、目の前に小さな光の粒子が現れた。粒子は徐々に形を成して、やがて手のひらサイズの少女の姿になった。妖精? いや、ドット絵みたいな簡略化されたデザインだ。



「やっほー、マスター♪ 初めまして、ルナだよ!」



少女――ルナは元気よく手を振った。ピンク色のツインテールが跳ねている。



「ルナ? 誰だよお前」



「マスターのスキル【Ctrl+Z】を管理してるシステムナビゲーターだよ! よろしくねー」



「システム……ああ、そういう設定なのか。で、なんで今頃出てくるんだよ」



「だってマスター、女神様の説明全然聞いてなかったじゃん。『どうせやり直せる』とか言って。だからルナ、様子見てたの。そしたら案の定、自動セーブのタイミングで困ってるみたいだから、説明しに来たってわけ」



ルナはクスクス笑いながら、俺の周りを飛び回った。



「自動セーブって、やっぱりそういうことか。任意のタイミングでセーブできないのかよ」



「できないよー。【Ctrl+Z】のセーブは完全自動。マスターが『重要な選択をした時』『強い感情が動いた時』『物理的に大きな変化があった時』、そういうタイミングで勝手にセーブされるの。今回は『泉を発見した時』に保存されちゃったんだね」



「マジかよ。それじゃあ、俺が戻りたい場所に戻れないこともあるってことか?」



「そういうこと! だからCtrl+Zも万能じゃないんだよ。ちゃんと使いこなさないと、逆に困ることになるかもね」



ルナは意地悪そうに笑った。俺は頭を抱えた。なんだよそれ。チート能力だと思ったら、実はクセの強いスキルだったのか。自動セーブのタイミングが読めないなら、計画的にやり直すことができない。これは思ったより厄介だぞ。



「他に何か仕様はあるのか?」



「うーんとね。連続使用は十分のクールタイムがあるよ。あと、発動には五秒の詠唱が必要で、その間は無防備。詠唱中に攻撃されたら中断されちゃうから注意してね」



「五秒って結構長いな……」



「それとー、セーブデータは常に一つだけ。新しいセーブが作られたら、前のデータは上書きされるよ。だから望まないタイミングでセーブされると、戻りたい場所に戻れなくなるから気をつけてねー」



「おい、それ一番重要な情報だろ! 最初に言えよ!」



「だって、女神様が説明しようとしたのにマスターが聞かなかったんだもん。自業自得だよねー」



ルナは舌を出してペロッとした。こいつ、絶対わざとだろ。



「まあいいや。とりあえず、これからは気をつけるよ。で、さっきの泉の魔物、どうすればいいんだ?」



「あれはウォータードレイクだね。泉に潜んでる中ボス級の魔物だよ。今のマスターじゃ勝てないから、迂回することをオススメするけどー」



「でも水は欲しいんだよな」



俺は泉を見つめた。喉がカラカラだ。でもあの魔物がいる限り、水を飲むことはできない。かといって、森の中で他に水場があるとも限らない。



「どうせCtrl+Zがあるんだし、もう一回チャレンジしてみるか」



「えー、無謀だと思うけどなー」



ルナは呆れた顔をしたけど、止めはしなかった。どうせ俺がやると決めたら止められないって分かってるんだろう。



俺は慎重に泉に近づいた。今度は水面に顔を近づけず、まずは周囲を観察する。水は澄んでいて、底まで見える。深さは三メートルくらいか。魔物の姿は――いた。水底で丸まっている巨大なウロコの塊。あれがウォータードレイクか。



「よし、作戦はこうだ。まず石を投げて注意を引いて、飛び出したところを横から攻撃――」



その瞬間だった。またあの感覚。胸の奥で「カチッ」と音がした。



「え? 今、セーブされた?」



「あ、ホントだ。『作戦を考えた』ってのが重要な選択だと判断されたみたいだね」



「おい、そんなタイミングでセーブすんなよ! まだ何もやってないのに!」



「ルナに言われても困るよー。自動だもん」



ルナはケラケラ笑っている。くそ、これじゃあ今Ctrl+Zを使っても、この場所に戻ってくるだけじゃないか。つまり、もうやり直しは効かない。ここから先は一発勝負。



「まあ、いいや。どうせ死んでも、十分待てばまたCtrl+Z使えるんだろ?」



「うん、そうだけど。でもその十分の間に何が起こるか分からないよ?」



「考えても仕方ない。やるしかないだろ」



俺は近くに落ちていた石を拾い上げて、泉に投げ込んだ。ポチャンという音と共に、水面に波紋が広がる。数秒の沈黙。そして――



バシャアアアン!



ウォータードレイクが飛び出してきた。予想通りだ。俺は横に跳んで回避し、すかさず短剣で斬りかかる。だが――



「硬っ!」



ウロコが硬すぎる。刃が弾かれた。ドレイクは素早く体を翻して、尻尾で俺を薙ぎ払った。



「うわっ!」



吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。全身が痛い。これはまずい。レベルが違いすぎる。逃げるか? でも、ドレイクはもう俺と泉の間に立ち塞がっている。逃走ルートがない。



「もどす、もどす――」



「あ、ダメだよマスター。まだクールタイム中」



「は!?」



ルナの言葉に愕然とする。そうだった。さっき泉で死んだ時にCtrl+Zを使ったから、まだ十分経ってない。今は――七分くらいか? あと三分待たないと使えない。



ドレイクが口を開く。喉の奥で青白い光が渦巻いている。ブレス攻撃だ。



「やばい、やばいやばい!」



俺は必死に転がって茂みの影に隠れた。直後、青白い炎が俺がいた場所を焼き尽くす。熱波が背中を襲い、服の端が焦げる。



「マスター、あと三分耐えて! そしたらCtrl+Z使えるから!」



「三分も持つかよ!」



ドレイクは茂みを尻尾で薙ぎ払った。隠れる場所がなくなる。俺は木々の間を全力で走った。背後からブレスが追いかけてくる。木が次々と燃えていく。



「くそ、こんなはずじゃ――」



その時、足元の地面が崩れた。落とし穴? いや、ドレイクの攻撃で地面が脆くなっていたのか。俺の体は宙に浮いて、そのまま斜面を転がり落ちていく。



「うわああああああ!」



ゴロゴロゴロゴロ。全身を岩や木の根にぶつけながら、坂道を転がり続ける。そして最後に、ドスンという衝撃と共に、俺は平地に叩きつけられた。



「いって……生きてる?」



朦朧とする意識の中、なんとか体を起こす。幸い、ドレイクは追ってきていないようだ。どうやら縄張りから出たから諦めたらしい。助かった……のか?



周囲を見回すと、そこはさっきまでいた場所とは全く違う景色だった。森の奥深く。木々が鬱蒼と茂り、陽光もほとんど届かない薄暗い場所。そして、目の前には――



巨大な洞窟の入口があった。



「うわ、なんだここ……」



洞窟の入口は、まるで巨大な口のように開いている。中からは冷たい風が吹き出していて、どこか不吉な雰囲気を醸し出している。



「マスター、ちょっと待って。これ、ヤバイ場所かも」



ルナが珍しく真面目な顔で言った。



「ヤバイって、どういう意味で?」



「この辺り、魔力の濃度が異常に高い。多分、強力な魔物が住処にしてるよ。今のマスターじゃ絶対に勝てないレベルの」



「じゃあ引き返すか」



俺は立ち上がろうとした。その瞬間――



グルルルルル……



洞窟の奥から、低い唸り声が響いてきた。何かが、こちらに近づいてくる。地面が微かに揺れている。足音だ。巨大な何かの。



「え、ちょっと待て。まさか――」



洞窟の入口から、影が現れた。最初は巨大な爪、次に筋肉質な腕、そして醜悪な顔。身長は三メートルを超える人型の魔物。全身が灰色の肌で覆われていて、腰には何人分もの人骨で作られたベルトをつけている。



「オーガだ……」



ルナが小さく呟いた。



「オーガ? それってRPGでよくいる、あのオーガ?」



「うん。森に住む凶暴な魔物。人間を好んで食べるんだよ。しかもこのサイズ……多分、オーガキングだ。群れのボスクラス」



オーガキングは俺を見つけると、ニヤリと笑った。そして、ドスドスと地響きを立てながら近づいてくる。



「Ctrl+Zは? もう使えるか!?」



「あと一分!」



「一分も待てるか!」



俺は背を向けて走り出した。全速力で。でもオーガキングの足は速い。すぐに距離を詰められる。背後から巨大な手が迫ってくるのが分かる。



「もどす、もどす、もとに――」



必死にCtrl+Zを念じる。頼む、クールタイム終わってくれ。一秒、二秒、三秒、四秒、五秒――



何も起こらない。



「ダメだよマスター、まだあと三十秒!」



「嘘だろ!?」



その瞬間、巨大な手が俺の体を掴んだ。全身の骨が軋む。オーガキングは俺を持ち上げて、顔の前まで運ぶ。至近距離で見る醜悪な顔。口からは腐った肉の臭いが漂っている。



「グルルル……ニンゲン、ウマソウ」



片言の言葉を喋った。こいつ、知能があるのか。そしてオーガキングは、大きく口を開けて――



「もどす、もどす、もとにもどす!」



今度こそ念じる。頼む、発動してくれ。一秒、二秒、三秒、四秒、五秒――



視界が白く染まった。



そして次の瞬間、俺は泉の前に立っていた。



「はあっ、はあっ、はあっ……」



荒い息を吐きながら、その場に膝をついた。助かった。本当に、本当に助かった。あと少し遅かったら、食われてた。



「お疲れ様、マスター。今回は本当にギリギリだったねー」



ルナがのんきな声で言った。



「ギリギリどころか、完全にアウトだったぞ……」



「でもほら、こうして無事に戻れたんだから、結果オーライでしょ?」



「結果オーライじゃねえよ……」



俺は地面に大の字に寝転がった。空を見上げると、木々の隙間から青空が見える。転生初日。チート能力があるから余裕だと思っていた。でも現実は、死にまくって、運良く生き延びただけ。



「なあ、ルナ」



「なーに?」



「このスキル、本当にチートなのか?」



「うーん、使い方次第じゃない? マスターがもっと慎重になれば、かなり強力なスキルだと思うよ。でも今みたいに無計画に突っ込んでいったら、どんなチートスキルでも意味ないよねー」



その通りだった。俺は社畜時代、エクセルを使いこなすことに関しては誰にも負けなかった。でもそれは、機能を理解して、計画的に使っていたからだ。Ctrl+Zだって同じ。仕様を理解せずに使っても、ただ混乱するだけ。



「……分かった。これからはもっと慎重に行動するよ」



「はーい、頑張ってねー」



俺は立ち上がって、もう一度泉を見つめた。ウォータードレイクはまだ水底に潜んでいる。あいつとはもう戦わない。迂回して、別の水場を探そう。それが賢明だ。



そう決意して背を向けた瞬間――



「カチッ」



また胸の奥で音がした。



「……今、セーブされた?」



「うん。『今後の方針を決めた』のが重要な選択だって判断されたみたい」



「マジかよ……」



俺はため息をついた。つまり、今からCtrl+Zを使っても、この場所に戻ってくるだけ。完全にセーブタイミングが読めない。これは思った以上に厄介なスキルだぞ、Ctrl+Z。



「異世界転生初日、生き延びられるのか、俺……」



ルナはクスクス笑いながら、俺の頭の周りを飛び回った。森の奥から、何かの遠吠えが聞こえる。太陽は既に傾き始めていて、夜が近づいてきている。



俺の異世界生活は、予想外のトラブル続きでスタートを切った。でも、まあ、どうせ何度でもやり直せる。失敗しながら学んでいけばいい。それが、Ctrl+Zの正しい使い方なんだろう。



「よし、とりあえず今日のゴールは『生きて一日を終える』だ。頑張るぞ」



「その意気その意気! ファイトーっ!」



こうして俺の、異世界でのチート能力ライフ(仮)が始まった。



果たして明日、俺は無事に朝日を拝めるのだろうか――そのえは、自動セーブシステムの気まぐれ次第である。
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