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第4章 代償
怒りの鉄拳
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ユウナとサラが退室した後、部屋にはハンとサクが残った。
「サク」
ハンに名前を呼ばれ、俯いたままサクはびくりと体を震わせた。
ハンからは威圧感が、そしてサクから凄まじいまでの緊張感が生じている。
ハンは鋭い目を細めながら、ゆっくりと言った。
「その場で拳立て十回」
「はあ?」
予想外の言葉に、サクはきょとんとした顔をハンに向けた。
「十回で不服なら、千回にするか?」
「増えすぎだろっ! 十回でいい、十回で!!」
サクは何がなんだかわからぬまま、その場でうつぶせに身体を伸ばすと、床につけた両手拳で体を上下に動かした。
日頃千回を一単位で鍛錬を申しつけられるサクにとって、十回はあっという間に終ってしまう。息も乱れる事はない。
「……では、そこに座れ」
ハンの真向かいを促され、サクは首を傾げながら胡座をかいた。
「お前、拳立てして平気か」
「ああ。千回でも全然元……いや、十回で結構!」
墓穴を掘る前にサクは言い直した。
「姫さんは――」
ハンは厳しい顔をサクに向け、本題に移した。
「皆の前でお前の四肢が砕けたと言っていた。お前、手足の骨砕けたままで、元気に拳立てまで出来るのか」
「……っ」
そういう切り口で来るとは思わなかったサクは、横を向いて舌打ちする。舌戦を覚悟していたサクにとって、ハンという存在は誤魔化しがきかない厄介な相手だ。
だが、それでも〝契約〟の暴露だけはしまい。
……そう堅く心に決めていたサクより、父の方が一枚上手だった。
サクが言い逃れが出来ない〝異常事態〟を確認した上で、逃げ道を塞いでから切り出したのだと、サクが悔しがるのは一瞬――。
「お前の片耳、牙の耳飾りがないのはどうしてだ?」
「……お、落としたん……」
「正直に答えろ、サク。お前の耳飾りは、俺の力が働いている特殊なものだ。〝人外のものと契約する〟時がこない限り、耳を切り落とさなければ外れることはねぇ」
それはサクにとって初耳だった。
「武神将として玄武と契約してねぇお前から、すんなり落ちるということは、絶対ありえねぇ。かつての俺もそうだった。俺もまた前代の武神将である親父から、耳飾りをつけられたんだ。引っ張ろうがなにをしようが外れることはなかったのに、玄武と契約した途端それは消えた。あの白い牙の如何こそが、人外のものと契約したという対外的な証になる」
ハンの目がますます鋭さを増した。
「だとしたら。……お前、なにと〝契約〟した」
「………っ」
サクは答えなかった。
「……まだ口を閉ざすか。お前の、リュカの腕輪が隠しているその下の黒い痣、それは邪痕《じゃこん》と呼ばれる厄介なものだ。魔の類いと契約した時、或いは魔から呪詛をかけられた時に現れると聞く。契約であれ呪詛であれ、邪痕は履行中は消えねぇ代物。それが消えていないということは、契約は続行中だろう。……お前の中から、得体の知れねぇものを感じる」
……隠しているものが、口を開いていないのに暴かれていく。サクが意味を知らずにハンに見せていた〝契約〟の痕跡は、ハンからすればあまりに明確すぎる証拠だった。 証拠ばかり矢継ぎ早に突きつけられ、焦るサクは反論するだけの頭も回らない。
玄武の武神将は攻撃されねば動かないが、護るために攻撃をする時は容赦ない。
今まさに、サクとユウナを護ろうとする最強の武神将から、サクは攻撃されていた。
「サク、なにがあったのか言え」
底冷えするようなその声に、サクは思わず唇を噛みしめた。
「サク」
「……知らねぇよ」
「サク!」
両親を心配させたくなくて、限定された命だとは告げたくなかったのだけれど、ハンは大方既に察してしまっている。もう隠し立ては出来ないとサクは悟り、実に渋々とハンに語った。
「わからねぇんだよ、本当に。あの時俺は……あのゲイとかいう奴に、遠隔的な力で簡単に四肢を砕かれ、動きすべて、声すら奪われた挙げ句に、姫様が蹂躙される様を見せられ続けた。気狂いになると思った」
唾棄するように言い捨てるサクは、体を怒りにふるふると震わせていた。
「その中で聞こえてきたんだ。男か女か、年寄りか子供かそれすらわからねぇ。けど藁にも縋る思いだった。神だろうが魔だろうが、関係なかった。この凄惨な場から、姫様を救うことさえ出来るのなら俺は……」
「邪痕を与える神など聞いたことがねぇ。魔だとしたら、魔の力は、お前の望み通りに砕けた四肢を修復し、姫さんと共に玄武殿から生延びる力を与えた。だとしたらサク――。
その力を手に入れる代償に……お前、なにを与える約束をした」
「………っ」
「まさかお前、命は代償にしていないよな」
びくりと震えてなにも答えぬ息子に、ハンの声が震えた。
「命を捧げたのか!?」
「仕方がねぇだろ。差し出せるものが俺には命しかなかった。そうしなければ姫様を救えなかった。俺の力では、太刀打ち出来なかったんだよ、だから俺は!!」
「わかっているのか、魔に命を捧げるということは!! お前の肉体が死ぬという単純なことではねぇんだぞ!? 魂まで食らい尽くされ、未来永劫苦しみ続けて、究極には魔になっちまうということだ!!」
「たとえそうでも! 魔に魂を捧げてでも、俺は姫様を助けたかったんだよ。姫様が生きるためなら、この命如き捨ててもいいんだよ、俺は!!」
その悲痛な叫びに、ハンの顔が苦しげに歪む。
「――っ。……ああ、くそっ!!」
ハンは荒々しく、サクの頭を自分の胸に引き寄せた。
「すべて俺のせいだ……。早く、帰ってきていれば。餓鬼殲滅の祠官の命を破っても、玄武殿に早く戻っていれば!! こんな事態を回避できたかもしれねぇのに!!」
「親父……。違う、親父のせいじゃねぇよ。俺が……俺が弱かったから!!」
「――何日だ、契約は。すぐではないんだろう、お前がまだ生きているということは」
「あと六日」
「……六日っ!? それは向こうが指定したのか!?」
「いや、俺から」
するとハンはサクに怒鳴った。
「馬鹿かお前……っ。お前から指定出来るなら、十年でも百年でもどうして多めに言わねぇんだよ。そこんところを質素倹約してどうすんだ!」
「いててて。親父、耳を引っ張るなって!!」
「お前、姫さんをどう護るつもりだ!? たった六日でなにが出来る!? それじゃなくても相手は智将と呼ばれた狡猾なリュカだぞ!? 簡単にこちらの思い通りに動かないことくらい、馬鹿な頭でもわかるだろうが!!」
「だから、親父に頼みたいんだ」
サクは強い目を向けて、ハンに言った。
「六日と指定したのは、それまでには親父と合流できると思ったからだ。強い親父なら姫様を守れるから。俺が駄目でも、親父ならこの先、姫様に辛い思いをさせずに守り切れるから!! だから!! 親父と会えるまでの期間、それまでの命と引き替えに俺は!!」
嗚咽を漏らしたサクに、ハンは目を瞑って天井を仰ぎ見た。
「馬鹿野郎……。人任せにする前に、お前は俺より強くなって姫さんを護ろうとか思わなかったのか!」
「え?」
「いいか、よく聞け、サク。祠官なき今、微かにでもリュカの体内にある祠官の血で、俺はリュカと主従で繋がっている。祠官命令に逆らえば、武神将は死ぬのは古来からの理。つまり、俺がお前の代わりに俺が姫さんを護ろうとしても、俺がリュカに反抗する限り、どちみち俺は死んで、姫さんがひとりになるんだぞ。サラに後を任せたところで、女手で黒陵軍勢と近衛兵から逃げ延びるには無理がある」
「そんな!! お袋だって言ってた、親父が死なずに生延びられる策があるんだろう!?」
「ある。だが、それはお前が長く生きてこその強硬策だ」
「え?」
ハンはため息をついて、頭をがしがしと掻いた。
「俺が武神将である限りリュカに逆らえないのなら、俺はお前に武神将を移譲するつもりだった。新たなる武神将は、神獣玄武と契約をし、仕える祠官に対する〝忠誠の儀〟を行わねば、祠官と玄武で結ばれた強い連帯感は生まれねぇ。
リュカが祠官の心臓を食い、祠官の力が一部なりともリュカの体に流れている以上、俺の中の契約した玄武の血がリュカを主だと思い込む。俺にとって、今のリュカは鬼門で、足枷になる」
ハンは悔しそうに語り続ける。
「だがそれは、〝玄武の祠官〟と契約をした武神将である俺だけの話。玄武の祠官と契約をしていねぇお前にとっては、リュカの縛りの影響下にはねぇ。その上で玄武の力をお前が持つには、リュカが正式な祠官となって新たなる武神将となったお前と儀式をする前に、祠官の血を引く姫さんを緊急的に祠官に見立てて、正式な〝忠誠の儀〟をしちまえば、お前達は玄武の加護を得られるはずだった。それを――っ!!」
ごつん。
ハンはサクの頭に拳骨を落とした。
「武神将になるには、神獣の種類を問わずに最低三日の適性の試練があるんだよ。それは簡単には終わらねぇ。仮にお前が最短三日でその試練に打ち勝ったとしても! 夜通し俺との儀式があんだよ! それを急いで一日で終らせたとしてもだ。そのあくる日はなにがあるかわかるか、サク!」
「武神将になるために必要なことなんて、俺知らねぇよ……」
ごつん。
また拳骨が落ちる。
「その日は、俺がリュカと約束した五日後だろうが! ぎっちぎちの強行軍で事を進めて、なんとかリュカの手から逃げられてもだ! その次の日に、お前ころっと逝っちまったら、身も蓋もねぇじゃないか! 俺なんのためにお前に武神将を譲るよ!?」
「そ、そんなこと言ったって……。なぁ、契約をなかったことにすることは出来るもんなのか?」
「履行の終結を待たずに強制的に白紙に戻す方法は、ふたつ。ひとつは双方の意志を持ってなす〝解除〟。もうひとつは、俺らよりも高位にある人外の存在からの一方的な〝破棄〟。だが双方、円満に解決するのは難しいとされている。特に、高慢な魔が相手なら」
「なんで? 退路を用意されているのに?」
「どちらの方法も牙の返還を持ってなされるのは同じだが、あっちも危険を負って契約を応じた誇りがある。ましてやただ働きをさせられた状態で契約のとりやめとなれば、相応の代償を求めてくる。一番は嫌われて大喧嘩して解除されることだが、怒り狂った相手に、解除した途端まず殺されるな。契約違反をして契約破棄をするにしても、あっちに騙された感が強ければ、やはり破棄された途端に殺されるだろう」
「……結局殺されるのなら、退路なんかじゃねぇじゃないか。その契約相手も、俺の身体の中にいるんだろうが、俺にはさっぱり感じねえや。親父は感じているんだろう?」
顔も見えず、あれから一度の接触もない〝なにか〟。サクには、異種と馴染んだような感覚も、異物を抱えたような違和感も感じない。
「サク。後で失う代償が大きすぎるから、契約というのは、安易にするもんじゃねぇんだ。特に人間を餌にしか思ってねぇ魔とは」
「……今更だろ。仕方がない状況だったんだって」
口元であざけるように笑うサク。
諦観している表情に、ハンはやり場のないため息をついて言った。
「なされた契約について、簡単に平和的になかったことにすることは、基本、不可能なんだよ」
わざわざ絶望的なことを念を押しながらも、ハンの語気は微妙に歯切れが悪く。
〝基本〟
それが基本であるのなら、それ以外のものもあるのかと食いついてくるように撒き餌を散らせたハンの心知らず、サクは別なことを考えていた。
「なぁ、親父。だったら武神将になるのに、そんなまどろっこしい手順踏まずにさ、もっと緊急的なものはねぇのか? ほら、リュカが祠官の心臓を食べることで祠官の玄武の力を操れたように。武神将だって似たようなもん、あるだろ?」
結局のところ、サクの直感は別の入り口を通ろうとも、ハンの言わんとしているところに辿り着く。それはハンが鍛えたきた〝生存本能〟のなせる業なのかもしれない。
ハンは苦笑した。それは出来れば避けて通りたい。
だが唯一の〝生き残れる希望〟だったからだ。
「サク」
ハンに名前を呼ばれ、俯いたままサクはびくりと体を震わせた。
ハンからは威圧感が、そしてサクから凄まじいまでの緊張感が生じている。
ハンは鋭い目を細めながら、ゆっくりと言った。
「その場で拳立て十回」
「はあ?」
予想外の言葉に、サクはきょとんとした顔をハンに向けた。
「十回で不服なら、千回にするか?」
「増えすぎだろっ! 十回でいい、十回で!!」
サクは何がなんだかわからぬまま、その場でうつぶせに身体を伸ばすと、床につけた両手拳で体を上下に動かした。
日頃千回を一単位で鍛錬を申しつけられるサクにとって、十回はあっという間に終ってしまう。息も乱れる事はない。
「……では、そこに座れ」
ハンの真向かいを促され、サクは首を傾げながら胡座をかいた。
「お前、拳立てして平気か」
「ああ。千回でも全然元……いや、十回で結構!」
墓穴を掘る前にサクは言い直した。
「姫さんは――」
ハンは厳しい顔をサクに向け、本題に移した。
「皆の前でお前の四肢が砕けたと言っていた。お前、手足の骨砕けたままで、元気に拳立てまで出来るのか」
「……っ」
そういう切り口で来るとは思わなかったサクは、横を向いて舌打ちする。舌戦を覚悟していたサクにとって、ハンという存在は誤魔化しがきかない厄介な相手だ。
だが、それでも〝契約〟の暴露だけはしまい。
……そう堅く心に決めていたサクより、父の方が一枚上手だった。
サクが言い逃れが出来ない〝異常事態〟を確認した上で、逃げ道を塞いでから切り出したのだと、サクが悔しがるのは一瞬――。
「お前の片耳、牙の耳飾りがないのはどうしてだ?」
「……お、落としたん……」
「正直に答えろ、サク。お前の耳飾りは、俺の力が働いている特殊なものだ。〝人外のものと契約する〟時がこない限り、耳を切り落とさなければ外れることはねぇ」
それはサクにとって初耳だった。
「武神将として玄武と契約してねぇお前から、すんなり落ちるということは、絶対ありえねぇ。かつての俺もそうだった。俺もまた前代の武神将である親父から、耳飾りをつけられたんだ。引っ張ろうがなにをしようが外れることはなかったのに、玄武と契約した途端それは消えた。あの白い牙の如何こそが、人外のものと契約したという対外的な証になる」
ハンの目がますます鋭さを増した。
「だとしたら。……お前、なにと〝契約〟した」
「………っ」
サクは答えなかった。
「……まだ口を閉ざすか。お前の、リュカの腕輪が隠しているその下の黒い痣、それは邪痕《じゃこん》と呼ばれる厄介なものだ。魔の類いと契約した時、或いは魔から呪詛をかけられた時に現れると聞く。契約であれ呪詛であれ、邪痕は履行中は消えねぇ代物。それが消えていないということは、契約は続行中だろう。……お前の中から、得体の知れねぇものを感じる」
……隠しているものが、口を開いていないのに暴かれていく。サクが意味を知らずにハンに見せていた〝契約〟の痕跡は、ハンからすればあまりに明確すぎる証拠だった。 証拠ばかり矢継ぎ早に突きつけられ、焦るサクは反論するだけの頭も回らない。
玄武の武神将は攻撃されねば動かないが、護るために攻撃をする時は容赦ない。
今まさに、サクとユウナを護ろうとする最強の武神将から、サクは攻撃されていた。
「サク、なにがあったのか言え」
底冷えするようなその声に、サクは思わず唇を噛みしめた。
「サク」
「……知らねぇよ」
「サク!」
両親を心配させたくなくて、限定された命だとは告げたくなかったのだけれど、ハンは大方既に察してしまっている。もう隠し立ては出来ないとサクは悟り、実に渋々とハンに語った。
「わからねぇんだよ、本当に。あの時俺は……あのゲイとかいう奴に、遠隔的な力で簡単に四肢を砕かれ、動きすべて、声すら奪われた挙げ句に、姫様が蹂躙される様を見せられ続けた。気狂いになると思った」
唾棄するように言い捨てるサクは、体を怒りにふるふると震わせていた。
「その中で聞こえてきたんだ。男か女か、年寄りか子供かそれすらわからねぇ。けど藁にも縋る思いだった。神だろうが魔だろうが、関係なかった。この凄惨な場から、姫様を救うことさえ出来るのなら俺は……」
「邪痕を与える神など聞いたことがねぇ。魔だとしたら、魔の力は、お前の望み通りに砕けた四肢を修復し、姫さんと共に玄武殿から生延びる力を与えた。だとしたらサク――。
その力を手に入れる代償に……お前、なにを与える約束をした」
「………っ」
「まさかお前、命は代償にしていないよな」
びくりと震えてなにも答えぬ息子に、ハンの声が震えた。
「命を捧げたのか!?」
「仕方がねぇだろ。差し出せるものが俺には命しかなかった。そうしなければ姫様を救えなかった。俺の力では、太刀打ち出来なかったんだよ、だから俺は!!」
「わかっているのか、魔に命を捧げるということは!! お前の肉体が死ぬという単純なことではねぇんだぞ!? 魂まで食らい尽くされ、未来永劫苦しみ続けて、究極には魔になっちまうということだ!!」
「たとえそうでも! 魔に魂を捧げてでも、俺は姫様を助けたかったんだよ。姫様が生きるためなら、この命如き捨ててもいいんだよ、俺は!!」
その悲痛な叫びに、ハンの顔が苦しげに歪む。
「――っ。……ああ、くそっ!!」
ハンは荒々しく、サクの頭を自分の胸に引き寄せた。
「すべて俺のせいだ……。早く、帰ってきていれば。餓鬼殲滅の祠官の命を破っても、玄武殿に早く戻っていれば!! こんな事態を回避できたかもしれねぇのに!!」
「親父……。違う、親父のせいじゃねぇよ。俺が……俺が弱かったから!!」
「――何日だ、契約は。すぐではないんだろう、お前がまだ生きているということは」
「あと六日」
「……六日っ!? それは向こうが指定したのか!?」
「いや、俺から」
するとハンはサクに怒鳴った。
「馬鹿かお前……っ。お前から指定出来るなら、十年でも百年でもどうして多めに言わねぇんだよ。そこんところを質素倹約してどうすんだ!」
「いててて。親父、耳を引っ張るなって!!」
「お前、姫さんをどう護るつもりだ!? たった六日でなにが出来る!? それじゃなくても相手は智将と呼ばれた狡猾なリュカだぞ!? 簡単にこちらの思い通りに動かないことくらい、馬鹿な頭でもわかるだろうが!!」
「だから、親父に頼みたいんだ」
サクは強い目を向けて、ハンに言った。
「六日と指定したのは、それまでには親父と合流できると思ったからだ。強い親父なら姫様を守れるから。俺が駄目でも、親父ならこの先、姫様に辛い思いをさせずに守り切れるから!! だから!! 親父と会えるまでの期間、それまでの命と引き替えに俺は!!」
嗚咽を漏らしたサクに、ハンは目を瞑って天井を仰ぎ見た。
「馬鹿野郎……。人任せにする前に、お前は俺より強くなって姫さんを護ろうとか思わなかったのか!」
「え?」
「いいか、よく聞け、サク。祠官なき今、微かにでもリュカの体内にある祠官の血で、俺はリュカと主従で繋がっている。祠官命令に逆らえば、武神将は死ぬのは古来からの理。つまり、俺がお前の代わりに俺が姫さんを護ろうとしても、俺がリュカに反抗する限り、どちみち俺は死んで、姫さんがひとりになるんだぞ。サラに後を任せたところで、女手で黒陵軍勢と近衛兵から逃げ延びるには無理がある」
「そんな!! お袋だって言ってた、親父が死なずに生延びられる策があるんだろう!?」
「ある。だが、それはお前が長く生きてこその強硬策だ」
「え?」
ハンはため息をついて、頭をがしがしと掻いた。
「俺が武神将である限りリュカに逆らえないのなら、俺はお前に武神将を移譲するつもりだった。新たなる武神将は、神獣玄武と契約をし、仕える祠官に対する〝忠誠の儀〟を行わねば、祠官と玄武で結ばれた強い連帯感は生まれねぇ。
リュカが祠官の心臓を食い、祠官の力が一部なりともリュカの体に流れている以上、俺の中の契約した玄武の血がリュカを主だと思い込む。俺にとって、今のリュカは鬼門で、足枷になる」
ハンは悔しそうに語り続ける。
「だがそれは、〝玄武の祠官〟と契約をした武神将である俺だけの話。玄武の祠官と契約をしていねぇお前にとっては、リュカの縛りの影響下にはねぇ。その上で玄武の力をお前が持つには、リュカが正式な祠官となって新たなる武神将となったお前と儀式をする前に、祠官の血を引く姫さんを緊急的に祠官に見立てて、正式な〝忠誠の儀〟をしちまえば、お前達は玄武の加護を得られるはずだった。それを――っ!!」
ごつん。
ハンはサクの頭に拳骨を落とした。
「武神将になるには、神獣の種類を問わずに最低三日の適性の試練があるんだよ。それは簡単には終わらねぇ。仮にお前が最短三日でその試練に打ち勝ったとしても! 夜通し俺との儀式があんだよ! それを急いで一日で終らせたとしてもだ。そのあくる日はなにがあるかわかるか、サク!」
「武神将になるために必要なことなんて、俺知らねぇよ……」
ごつん。
また拳骨が落ちる。
「その日は、俺がリュカと約束した五日後だろうが! ぎっちぎちの強行軍で事を進めて、なんとかリュカの手から逃げられてもだ! その次の日に、お前ころっと逝っちまったら、身も蓋もねぇじゃないか! 俺なんのためにお前に武神将を譲るよ!?」
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「履行の終結を待たずに強制的に白紙に戻す方法は、ふたつ。ひとつは双方の意志を持ってなす〝解除〟。もうひとつは、俺らよりも高位にある人外の存在からの一方的な〝破棄〟。だが双方、円満に解決するのは難しいとされている。特に、高慢な魔が相手なら」
「なんで? 退路を用意されているのに?」
「どちらの方法も牙の返還を持ってなされるのは同じだが、あっちも危険を負って契約を応じた誇りがある。ましてやただ働きをさせられた状態で契約のとりやめとなれば、相応の代償を求めてくる。一番は嫌われて大喧嘩して解除されることだが、怒り狂った相手に、解除した途端まず殺されるな。契約違反をして契約破棄をするにしても、あっちに騙された感が強ければ、やはり破棄された途端に殺されるだろう」
「……結局殺されるのなら、退路なんかじゃねぇじゃないか。その契約相手も、俺の身体の中にいるんだろうが、俺にはさっぱり感じねえや。親父は感じているんだろう?」
顔も見えず、あれから一度の接触もない〝なにか〟。サクには、異種と馴染んだような感覚も、異物を抱えたような違和感も感じない。
「サク。後で失う代償が大きすぎるから、契約というのは、安易にするもんじゃねぇんだ。特に人間を餌にしか思ってねぇ魔とは」
「……今更だろ。仕方がない状況だったんだって」
口元であざけるように笑うサク。
諦観している表情に、ハンはやり場のないため息をついて言った。
「なされた契約について、簡単に平和的になかったことにすることは、基本、不可能なんだよ」
わざわざ絶望的なことを念を押しながらも、ハンの語気は微妙に歯切れが悪く。
〝基本〟
それが基本であるのなら、それ以外のものもあるのかと食いついてくるように撒き餌を散らせたハンの心知らず、サクは別なことを考えていた。
「なぁ、親父。だったら武神将になるのに、そんなまどろっこしい手順踏まずにさ、もっと緊急的なものはねぇのか? ほら、リュカが祠官の心臓を食べることで祠官の玄武の力を操れたように。武神将だって似たようなもん、あるだろ?」
結局のところ、サクの直感は別の入り口を通ろうとも、ハンの言わんとしているところに辿り着く。それはハンが鍛えたきた〝生存本能〟のなせる業なのかもしれない。
ハンは苦笑した。それは出来れば避けて通りたい。
だが唯一の〝生き残れる希望〟だったからだ。
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