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第4章 代償
一縷の望み
しおりを挟む「方法は、ないこともない。そしてさらに既契約の効力をなくす方法も、ないこともない。ただ……、お前にはかなり危険が伴う」
「……あまり推奨したくねぇって顔だな」
「お前が、のたうち廻ることになるからな。それだけならまだいい。下手すればお前の体は、その場でちりぢりに吹き飛ぶ」
不穏な言葉に、サクは思わず目を細めた。
「基本、魔でも神獣でも契約はひとりにひとつ。それは複数を抱え込むと、ほとんどの人間の弱すぎる肉の器が、内包した力の大きさに耐えきれずに弾け飛ぶからだ。……許容量を超えてしまう。だが、もしそこをねじ伏せられれば――」
ハンは鋭利な眼差しをサクに向ける。
「お前の中に居る先住者を、玄武の神獣が抑えられるということが可能になるかもしれない」
「この状態で玄武の力を、俺の中に入れるということか?」
「ああ。元々玄武は、魔を滅ぼすものだからな。だが逆に、お前の体が魔に染まっていけば、取り入れた玄武はお前自身を攻撃する。それは契約内容とは関係なく、主を魔から護ろうとする神獣としての使命だ」
それは危険すぎる賭けだった。
サクが人外のふたつの存在に耐えられる心身であり、なおかつ魔に染まっていない清廉な心身を保っていなければならない。
今、サクに内在されているとされるものが魔であり、知らずサクがそれに汚染されているのだとしたら、玄武はサクの味方ではなく敵に回る。
「玄武が入った時点で、既契約は無効にならねぇのか?」
「相克具合だろうな。力の差異がありすぎれば、弱い方が……きっと先住者の方だろうが、契約を破棄することも考えられなくもねぇ。だが、先住者にそこそこ力と誇りがあれば、代償を受け取るまで意地でも居座る可能性の方が高い。玄武の力に鎮められながら両者が共存する仮調和状態で、玄武の力が弱まるのを虎視眈々と狙うだろう」
「だったらその場合、玄武の力が弱まった途端に、契約は即履行。俺はただちに命を落とすということか?」
ハンは頷く。
「お前が生延びるためには、永遠に現役武神将として、玄武の力の加護を留めておけるような、心身共の崇高さを保ち続けてなければならない」
ハンは辛そうに顔を歪ませて言った。
「もしも、玄武が……。断ち切れないお前の姫さんへの想いを〝邪〟とみなせば、お前は姫さんに懸想する限り、玄武に殺される」
「………」
「だけどまあ、俺もサラを溺愛してあれだけ抱いても無事なんだから、そこんところは大目に見てくれるとは思うけどよ」
「……ここは惚気るところかよ」
サクは面倒臭そうな面持ちとなった。
「危険なのはそれだけじゃねぇ。異例なやり方にて、お前の急遽の契約要請にどれだけ玄武が応えるか、どれだけお前が玄武を使役できるかも問題だ。……言っておくがサク。神獣は誇り高く、そう簡単に扱えない。だからこそ、三日の試練が必要なんだ。それに耐えれば、玄武は主と認めるから」
「……そこを省略して契約をとりつけようとして、しかも先住者がいるとなれば、当然玄武だって面白くねぇよな。結局どの面からも、危険の厚塗り状態。解決するのは、すべて俺の力量次第ってことか……。確かに、笑顔で推奨できる話ではねぇな」
サクはぼりぼりと頭を掻いた。
「……そういうことだ。して、サク。お前、契約してからなにか特別な力は使えるのか?」
「全然。どんな力があるのか、どう使えばいいのかなんの説明ないまま、うんともすんとも言ってこねぇよ。この痣……邪痕を見る限りにおいて、契約は今も続いているということがわかるくらいだ」
「……既契約の強みはねぇか。だが、おかしいな。なんでそいつ、沈黙を保っているんだ? だが逆におとなしいからこそ、玄武の力で押さえ込める可能性はある、か」
「親父、そのふたつ契約を抱えるためには、最短何日だ?」
「正式な手順を踏まず、玄武の力を強制的にお前に移行するには二段階ある。まず、玄武の力をお前に注入して体に馴染ませるので半日。馴染めば、正式契約……これは半日もかからねぇ。問題は玄武との契約に行き着くまでに、お前がどれだけの日数でふたつの〝異物〟を抑えきれるか、だ。そしてお前が味わう苦痛はその間だけじゃねぇ。めでたく契約がなされたとしても、お前は常にその〝異物〟の反乱に危険に晒される」
サクは眉間に皺を寄せて考え込み、そしてハンを見た。
「親父、俺……それやる」
その目には、躊躇はなく。
「苦しいぞ。下手すれば、六日を待たずにお前は死ぬぞ?」
「だけど、死なない可能性もある。ならば、俺はそれに縋りたい」
「……玄武の移譲儀式は強制。玄武がお前を認めねば、お前を滅ぼすのは魔ではなく神獣かも知れねぇぞ?」
「それでも。親父も姫様も死なせないように護るためには……それしかねぇ。僅かにでも可能性があれば、現実のものにするしかねぇだろ」
「サク……」
「俺に迷いがあるというなら。最強の武神将である親父をずっと見ていたかったなってことだ。俺にとって親父は、いつまでも敬愛すべき武神将で、俺はそんな親父を見ているのが好きだったから」
サクは悲しげに笑う。
「俺には親父ほどの器がねぇ。そんな俺が武神将なんて恐れ多いけれど、それで親父をも殺さずにすむのなら。俺、頑張ってみようかなって思う。親父に恥をかかせねぇくらいには」
ハンはサクの頭を撫でた。
「お前は俺の自慢の息子なんだよ。……馬鹿だけど」
「馬鹿だけ余計だって」
「否定出来る要素があるのか」
「……うるせぇよ。親父似なんだよ」
そして父子は堅い顔を見合わせて、頷き合った。
「親父。ジウ殿のところは延期だ。今晩からでも始めたい」
「わかった。だけど晩餐は出ろ。折角の再会なんだ。酒でも酌み交わそう」
「ん……」
「それからな、サク」
「なんだ?」
「武神将は……決して誉れあるものではねぇぞ」
「え?」
「お前に話しておきたい。なぜリュカが、こんな裏切りをしてまで憎悪をしているのか」
サクは面持ちを厳しくさせた。
「リュカに烙印をつけたのは、俺達武神将だ」
「え?」
「……十五年前、〝遮煌〟という名で、昨夜の予言の成就を妨げるために、各国の俺達武神将は部下を連れて、倭陵に住まうすべての〝光輝く者〟の一斉弾圧に乗り出した。未来を脅かす危険な種を、今からひとつ残らず刈り取るようにとの、皇主から祠官を通しての命令だ」
ハンは辛そうに顔を歪めている。
「抵抗する者は殺し、従順な者には烙印を押して重罪人として地下牢に永遠に繋げ……。それを敢行した。輝く色を持ち、肩身狭い思いをしてほそぼそと隠れ住んでいた者達がいる集落を探し出して、襲撃したんだ。女も子供も老人も、屈強な体格の男達も、神獣の力に敵うわけもなく。皆泣き叫びながら逃げ惑った。今でもあの悲鳴が耳にこびりついている。……俺の、唯一の汚点だ」
「親父……」
「だからリュカの背を見た時、その時の逃亡者だろうと推測した。あの烙印の模様は特殊だからな。それを見逃し続けたのは、ひとえに自分勝手な自己満足なだけの贖罪のせいだ。……皮肉なものだ。結局予言が成就してしまうのなら、俺達が襲撃して弾圧したことはまったくの無意味だった。ただ禍根を残し、ただ後悔するだけの」
「そのことについて、リュカは……?」
「……その後、リュカに言われたよ」
――貴方が武神将であるのなら、十年前の〝遮煌〟を忘れてはいないでしょう?
「リュカの怨恨の発端は、指揮をしていた俺にある――。
命令とはいえ正義心に反して、ただ髪色が違うというだけで〝異端者〟だと追いつめ、暴圧して殺したんだ。……倭陵の未来のためと言い聞かせて」
「親父が、リュカを警戒していたのは……」
「ああ。あの凄惨な場を体感していて、助けられた恩義に報いるためにと愛国心を掲げられるものなのかと、疑問だったからだ。だがお前や姫さんと一緒にいるリュカは楽しそうだったから、俺の取り越し苦労で終ってくれればと、願っていたのだが……」
「………」
「祠官はライラ夫人が亡くなってから、リュカだけの声しか聞かなくなった。そして俺は遠ざけられた。遠征だの餓鬼討伐だのという名目で、俺を昨夜玄武殿に戻そうとしなかったのはリュカの意向だろう。リュカにとって俺の存在は邪魔だったんだ」
「……ゲイっていうのは何者なんだろう。親父は心当たりあるか?」
「俺が見た洞穴に、ひとが隠れ住んでいた形跡があった。それも質素な隠遁生活ではなく、王族のように華やかだった。なぁ、サク。ゲイっていうのは、長い金髪をしているか?」
「ああ、そうだけど?」
「そこの中に、残っていたのは長い金髪だった。……リュカはよく玄武殿を抜け出す癖があった。もしかすると……」
「リュカがゲイをそこで匿い、蜂起の時期を見計らっていた、と」
「その方がしっくりくる」
リュカは笑顔の裏で、何年も裏切る機会を待ち続けていたというのか。そう思うと、サクはやりきれなかった。
「なあ、〝光輝く者〟ってそもそもなんだよ? そんなものに王族なんてあるのか? とにかくゲイは、おかしな力を使えてすごく強くて、親父並みだ。……そういえば、おかしなことを言っていたな。箱がどうとか」
「箱……?」
――この世のどんな願いでも叶える箱……女神嫦娥の封じた箱を開ける、玄武、白虎、青龍、朱雀……四つの鍵のうちのひとつ。
「で、そのうちの玄武の鍵が……」
「……そうか、だから姫さんは」
「親父は知っているのか?」
「ああ。祠官から聞いたことがある。玄武の鍵は姫さんの胎内に隠したのだと。俺だけではなく……リュカにも言っていたのか」
「それはなんだ?」
「星見の昔語りに出てくる。倭陵を鎮護する月の女神嫦娥が、魔の殺戮にあって絶望した人間達を憂い、希望という名の箱を託したと。それを開けたものは、一度だけはどんな願いも叶えられるが、その代償に全てを失い、未来永劫苦しみ続ける……と言われている。やがてその箱のおかげで泰平の世となった時、嫦娥はそれによって人々の欲を煽らぬようにと、四つの鍵を神獣と共に四人の男に託して隠させたと。それが、倭陵四国の初代祠官だと言われている」
「俺初めて聞いたぞ、その話」
「これを知るのは代々の祠官と武神将。……そしてリュカも知っていた」
――ねぇハン様、倭陵に伝わる……何でも願いが叶う禁忌の箱。女神嫦娥が四人の祠官に開ける鍵を託したという箱は、本当にあるのでしょうか。
「なんでリュカが……。祠官から聞き出したのか」
「ただあの頃のリュカはまだ仕官していなかった。書庫を漁っていたから、なにか古の文献でも目にしたのかも知れねぇ」
「……で、隠された箱はどこに?」
「そこまではわからないな。祠官は知っていたろうが、死んでしまえば真実は闇の中。リュカのことだから、そうした文献は火にくべてしまっているだろう。だが……待てよ。いけすかねぇ白陵のソウマが、そういうことに詳しかったな」
「ソウマって……」
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そうは言いながらも、武力が劣るのはあくまでハンから見ればの話。
武神将になるくらいの武力はある。
「どちらにしろ、ゲイもリュカも、おとなしくはする気はなさそうだな」
「……ああ」
リュカは、この十三年の思い出を代償に、ゲイと共に嫦娥の箱でなにをしようとしているのだろうか。
サクら親子の、答えの出ない重い沈黙だけが部屋に流れた。
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