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第4章 代償
離さなくてはと思う気持ちに、なにかが動く
しおりを挟む「……ユマはどこ?」
ユマを追いサクの家から飛び出してみたはいいが、ユマの姿が見えない。
ユマがどこに赴くのかすぐに思い浮かべられるほど、ユウナはユマのことや、黒崙の地形を知るわけでもないユウナは、ユマが自邸に戻ったのではないかと思い街長宅へと赴いたが、篝火を焚いて立っている門番は、ユマの姿は見ていないと頭を横に振った。
街長宅には、主なくとも煌煌とした明かりが中庭らしき場所から漏れており、人々の議論する声が乱れ飛んでいる。
黒崙の民はそう簡単に愛着ある故郷は捨てられないのだろうと、ユウナは唇を噛みしめる。自分ですら、玄武殿と共に滅ぼうと思っていたのだから。
他人の命令ではひとの心は動かない。
自らの心が納得しなければ――。
罪もなき人々を巻き込んでしまっている自分。自分が生きようとすれば、多くが犠牲になっている現実を思うと、息をするのも苦しくなってくる。
「……いけないわ。今は、ユマを探す方を優先的に考えなきゃ!」
ユウナは街長宅から離れ、ユマの名前を呼んで探し続けたが、がらんとした街の中で返事をするものも、知恵を授けてくれるものもおらず、しかもあたりは黒くなってきて、探索環境は最悪だった。
見上げる空は、既に漆黒――。
そこには、少し歪に見える赤い満月が浮いている。
凶々しい予言が示した赤い月は、まだ消えない。
惨劇となった昨夜は、これからも続くのだと嘲笑っているようで、ユウナの体のあちこちが、じくじくと痛み出してきた。
大切な者達を、今日夫になるはずだった男に殺された心の痛みと、純潔を見知らぬ男に散らされた体の痛み。
少しでも思いを馳せれば、まるであの凄惨な場面が蘇ったかのように呼吸が思うように出来なくなり、心身が内側からずきずきと痛みだす。
幻の痛覚だと思うのに、現実の痛みとなる。
あの月のせいだ――。
温かいサクの家族のおかげで、あの辛い思い出を乗り越えられるような気がしていたが、あの月の魔力には逆らえない。赤い月光を浴びると、狂い出したくなる。
――苦しめ……ユウナ。
血塗られた月を通して、リュカの憎悪を感じてしまう。どこに逃げようとも、見張られているかのようで、逃げ延びることは無意味だと笑われているような気がする。
体が千切れるかのように、激しく痛み出した。
「……痛っ!」
あまりの痛みに涙が出てくる。
その涙は、赤い月光に照らされて、まるでユウナが流した血のようにも見えた。
痛い、痛い、痛い……。
――姫様、大丈夫です。
「痛い、痛っ……」
――俺がいますから。
ユウナは髪を掻き毟りながら、サクの優しく慰める幻の声に励まされるように、弱音を吐いて悲鳴を上げそうになる唇をぐっと噛んだ。
――お前の元は、俺が帰る場所じゃねぇ。
――お前とユマとの婚礼間際に離れ離れになるのは、あまりにユマが不憫でならぬ。
「サク……っ」
悲鳴の代わりに、唇から零れるのはサクの名前。
救いを求めるのは、神でも魔でもなく……サクの名だった。
――……私をサクのお嫁さんにして。サクの赤ちゃんが欲しい。
ユウナは頭を激しく横に振った。
「……こんなんじゃだめ。サクに頼り過ぎちゃだめ。こんなんじゃあたしは、サクを離せなくなる」
自分がなにもできない姫だから、サクは、自分の幸せを捨てようとするんだ。
――私もまた、お前さんと共に、サクという息子を護ろうとしていたんだ。
サクがいなくても、地に両足をつけなくては。
サクを支援できるユマのように、しっかりしなければ――。
皆が皆、サクを護れる力があり、サクに温かい場所を与えることが出来るのに。
「あたしだけがない……」
あんなにサクの近くにいたというのに、サクに与えられるのは、どこまでも辛くて厳しすぎる現実だけだ。
今の自分にあるのは、姫という地に堕ちた肩書きの偉光だけ。そんなものが通用するのは、自分が生きてきた小さな世界だけだと思い知った。
サクが生きていた世界は、見知らぬことばかりで。
その中に居る自分は、余所者で。
姫という肩書きで、別世界からサクを縛りつけているのなら、せめて自分がサクにとって重荷にならない存在にならなくてはいけない。
姫だからできること。
姫だからできないこと。
たとえそれが自分にとっては辛いことでも、サクに笑っていて欲しいから。
だからまず、自分が出来ることから始めなければ。
「サクがいなくても、こんな痛みくらい……っ」
地面に、先の尖った硝子の破片が落ちていることに気づいたユウナは、痛みをまぎらわせるために、破片を太腿に
突き刺した。
「――くっ!!!」
痛みが太腿の方だけへ集中する。
なんて騙されやすい自分の神経。
騙されやすいものは利用価値があると、リュカから学んだ。
実際の体の痛みを代償に、凶々しい月の魔力に煽られる……死にたくなるようなこの幻覚から逃れられる事ができるのなら。
……もう痛みを感じずともいい世界に、ずっと閉じ籠もっていられたのなら。
「あるの……? そんなところは」
ユウナは泣きながら、空々しく笑った。
そしてはっとする。
「ユマが逃げ込むのは、もしかして!?」
ユウナが思い至ったのは、今日サクに連れられ、ユマと初めて会った場所だった。
サクがよく隠れていたという、サクの面影が色濃く残るふたりの秘密の場所に、ユマはいるのではないか?
「ユマ!!」
思った通り、そこにユマが居た。地面に蹲り、ひとの気配を感じて、ぱっと嬉しそうな顔を上げ、だがそれがユウナだとわかると落胆した顔つきになった。
「……サクじゃなくてごめんね」
ユウナは苦笑して、ユマの横に同じように腰掛けた。
「姫様、笑いにきたんですか?」
「いいえ?」
心外なことを聞かれて、ユウナは即座に否定する。
「だったらサクに頼まれたんですか? 連れ戻せと」
「違うわ。夜風にあたろうと散歩してたら、ユマを偶然見つけただけ。よかったわ、迷子になりそうだったし、ひとりで散歩は寂しかったから」
偶然散歩していたにしては、ユウナの髪は乱れて汗ばんでいた。
「だったら、サクとすればいいじゃないですか」
「私ね、女のお友達がいないの」
「……それはご自分は異性にもてると自慢なさっているのですか?」
「あたし、もてないわ。好きだった婚約者にも裏切られるくらいだもの。あたしに魅力あれば、今頃は幸せいっぱいの花嫁よ」
自虐的な笑いに、ユマは言いたい言葉を飲み込み、そして尋ねる。
「まだ、リュカ様のことがお好きなんですか?」
ユマは、ユウナの指に嵌めてある指輪を指さした。
「それ、リュカ様とお揃いなんでしょう? 以前、サクがそう教えてくれました。サクもまた、姫様とリュカ様から貰ったという装飾品を外そうとしていない……」
ユウナは苦笑しながら、指輪を手で触れた。
「これはもう体の一部となっていたから、特別な意味はないわ。サクもそうじゃないかしら。……そうだわ、これユマにあげる」
ユウナは、今までひとときも外すことがなかった指輪を引き抜くと、ユマの指に嵌めた。
「ふふふ、あたし達、指の大きさもそっくりなのね。まるで元からユマのものだったかのように、ぴったりで馴染んでいる」
リュカとサクと三人一緒の玄武が彫り込まれた黒水晶。思い出が残るその指輪をユマに渡すことで、ユウナは、三人で培ってきた過去に決別したのだった。
少し未練に思うのは、自分の心が弱いから。
前を向いて強くなるためには、必要がない――。
ユウナは、戸惑うユマに正直な心の内を吐露した。
「リュカのことは、正直今はよくわからない。思い出す度に怖くなるから。これ以上傷つきたくなくて、深く考えないようにしているから」
「………」
「リュカとの出会いがつい最近で、より他人に近い存在であればよかったと思うわ。あたしはリュカに、たとえ一方的だったにしても幼なじみという誰よりも近い存在だということに有頂天になりすぎて、リュカのすべてを理解した気でいた。リュカの本心は違う処にあったのに。仲がよすぎると、関係を断ち切るのも難しいものね。傷つけられれば傷つけられるほど、辛くて前に進むのが怖い。逆に過去の思い出に縛られてしまう。忘れられなくなってしまう……」
「………」
「それでも前に進まなければならない。あたしは多くの人達を巻き込んでしまった。あたしなりに出来ることをしなきゃ。……あたしね、黒崙の人達が好きよ。ユマも好き。街長もマヤも、貴方の弟達も。サラもハンも……」
「……サクは?」
「大好きよ。彼がいなければ、今のあたしはいない。今のあたしに力をくれたのは、サクだしね」
どこか決意めいた眼差しに、ユマの瞳が細められた。
「あたしなりに出来ることをしたいの。あたしのせいで、黒崙の人達に辛い思いをさせたくない。ユマにもサクにも、ハンやサラにも」
ユウナはユマの手を握って、その目をしっかりと見つめて言った。
「……サクをお願いね。幸せにしてあげてね」
「姫……様……?」
「そして貴方の幸せも祈っている。貴方に出会えて本当によかったわ。貴方なら、サクを託すことができるもの」
そしてユウナは立ち上がり、砂利がついた裾を手で払った。
「さぁて、お散歩お散歩。食べた分は動かなきゃ。ブタさんになってしまうものね」
そう邪気のない笑顔を見せた。
「じゃあユマ。気をつけて帰ってね!」
無理に連れ戻そうともせず、ユウナは手を振り立ち去った。
ひとり残されたユマの顔が変わりゆく。
「なぁに、あれ。……わざとらしい」
憤りと嫉妬により、醜く険しく、ユウナと同じ顔が歪んでいく。
「自分の境遇を話して同情しろってこと? だからサクを連れていくのは仕方がないから諦めろって言いたいの?」
――たとえ一方的だったにしても幼なじみという誰よりも近い存在だということに有頂天になりすぎて、リュカのすべてを理解した気でいた。リュカの本心は違う処にあったのに。
「まるで、私と同じだと言わんばかりの口調! 私の辛さは、私だけしかわからないっ! 大体、あのひとが私を邪魔して傷つけている元凶じゃない!」
――リュカとの出会いがつい最近で、より他人に近い存在であればよかったと思うわ。
「思い出の濃さだけが愛じゃない。……ひとりではなにもできないくせに、サクの支えにもなれない無知で非力のくせに、ただひとを従える側の〝姫〟であるだけのくせに! サクに愛されているという優越感を見せつけるような一方的な上から目線で、私を理解した気にならないでよ。私と一緒にしないで」
ユマは奥歯をぎりぎりと噛みしめた。
――……サクをお願いね。幸せにしてあげてね。
「悔しい……、馬鹿にして。私がサクに強く拒まれたことを知っているくせに! よくも、しゃあしゃあとあんな嫌味を言い捨てていけるものだわ」
ユマは気づかない。ユウナが激しい寒気にとらわれ、全身の痛みが酷いものになっており、ユマに心配をかけさせまいと早々に立ち去ったことを。
……そして、ユウナも知らない。
「サクは、渡さないわ。どんな手を使っても引き留める。
連れて行かせるものですか!」
歩き出したユマが、あらかじめ示し合わせていたタイラを連れて、ユウナと同じく、街の外に出たことに。
そのすべてを、残酷なまでに赤い月だけは、じっと見ていた。
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