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第4章 代償
無礼講と、突然の祝言の提案
しおりを挟む作り終えたにぎりめしが五十個を超え、民衆の差し入れが終わった頃、ようやく晩餐に招かれたすべての出席者が揃う。
誰もがサラが作った色取り取りの素晴らしい馳走に舌鼓を打ち、陽気に歓談し、そして酒の席に突入する。
妊婦のマヤも酒を飲みたいと駄々をこねたために、サラはそれを断念させようと、急遽この家での宿泊を提案し、部屋にて私とずっと語らいましょうとにっこり微笑めば、それでようやく彼女は酒瓶から手を離し、子供を寝かしつけにサラと共に部屋に赴いた。
だがサラはすぐに戻ってくる。
――マヤ様、子供を寝かしつけるつもりが、ご自分がお眠りに。お子様方は私が寝かせました。
街長とユマが慣れきったようなため息をつき、ハンは大笑い。
ユマは、ハンと街長と酒を酌み交わすサクの横に当然のように座り、何度も皆に酒を注ぐ。時折ユマもハンから酒を勧められて、杯に口をつけては仄かに紅潮した顔を見せ、サクにしなだれかかるようになった。
酒が入った場の上、無礼講とはいえ、まるで夫婦のような仲睦まじさ。
ユウナは、黒陵の姫としての公式の場で、酒を少しだけ口に含ませたことがある程度しか酒の経験はない。
酒を注ぐよりも注がれる立場だったユウナには、ユマのような気配りを思いつきもせず、そうしたことを既に知っているユマにただ感心していた。
ユウナも皆と同じくお酒を飲もうとしたが、サクに強固に茶を勧められ、ひとりだけ茶を啜っていた。酒気を帯びていないせいなのか、和気藹々とした場に馴染めずに、ひとり疎外感を感じていた。
この場は、黒崙での思い出を共有する仲間達の集う場所であり、無理矢理押し入ったばかりのユウナには、そうした昔語りを共感できない。
それに気づいてサラが説明をしてくれるのだが、説明されねばわからぬ自分の存在は、ますます異質であり異端者であるという認識だけを強める結果になってしまった。
たとえ髪を再び黒く染めようと、それは永遠ではない。
銀髪であるこそが、現実における自分の立場に他ならない。
部外者。
異端者。
既存の場に相反する、決して歓迎されないもの。
真実になれない、まがいもの――。
黒崙においては、ユマこそが必要とされる〝真実〟なのだろう。
「しかし、街長。あんた、本当に黒崙に残っていいのか?」
ハンの問いに街長は笑う。
「ああ。ハンがいるんだ、死ぬわけでもないし、私なりに黒崙の運命を見届けたい。滅ぶにしろ、残るにしろ。マヤや子供達は避難させるよ、明日にでも」
「父さん!?」
ユマは心外だといわんばかりに声を出した。
「私、街長の娘なのよ!? 私だってハンおじさまと闘うわ。おじさまから、子供と一緒に護身術も習っているし」
その決意めいた言葉に、街長は嬉しそうに笑う。
「さすがは、武神将の息子の嫁になる娘!! その心意気、鼻が高い」
途端、酒で賑わっていた場がしんと静まり返る。
「だが、だからこそ……お前は安全な場所にて、サクの帰りを待つんだ。お前は、サクの子供を身籠もる大切な体なんだからな」
一番に体を固まらせたのは、今まさに杯を口に持って行こうとしていたサクだった。
〝身籠もる〟
あまりに現実感の伴わない、虚飾の言葉。
だが確実に、毒のようにサクの体を蝕んでいく――。
「サクに頼みがある」
突然街長は、サクの前で土下座をした。
「姫といつ戻るかわからぬ長旅になることは承知の上。だからこそ!! 今夜、娘ユマと仮祝言を挙げてくれまいか」
「父さんっ!!」
「街長!?」
ユマとともに声を上げたのはハンだった。
「おいおい、サクとユマの結婚は、本人同士の同意がなければ……」
「今宵は無礼講。腹を割って話そう、ハン。今日帰還したばかりのお前さんの案に乗ったのは、お前さんが娘婿の父親になるからだ。黒崙を捨てるしか方法がない事態だったとしても、初めから私が寛容的で、進んで民衆を説得する側に立っていたのは、お前さんが家族だと思えばこそが大きい。私もまた、お前さんと共に、サクという息子を護ろうとしていたんだ」
ハンは黙って、街長を見ていた。
「お前さんところはサクしか子供はいまい。あとはサラの流産が続き、子供の命は長らえることはなかった。それは赤子に、武神将の抱える玄武の血に耐えきれぬからだと、その昔お前さんから聞いた」
サラは流産して泣き崩れた過去を思い出して顔を歪め、ハンは無表情のまま、ああとだけひと言、杯の酒を口に煽る。
「お前さんの血はサクも引いている。だが現実、まだ武神将ではないサクは、例外かもしれない可能性もある。サクの子供なら、流れない可能性も」
「まあ、可能性的には」
「だったら……サク。武神将の血を絶やさぬために、今夜ユマと閨を共にし、その子種をわけてはくれまいか。旅立つ前に、未来の武神将の子供を、私の孫をくれ」
「はあああ!?」
慮外といいたげに大きく目を見開いたサクの手から、酒の入った杯が転げ落ちた。
「お前の子を、我が孫としてユマに育てさせたいのだ。そうでなければ、お前とユマとの婚礼間際に離れ離れになるのは、あまりにユマが不憫でならぬ。だから仮祝言をあげてユマを……」
「俺、はっきりと断ったはずなのに、なんで話が進んでるんだよ」
サクの目が、サラに向かう。サラが秘密裏で動いていたことを詰るような目だった。
サラは顔を引き攣らせ、慌てて街長に言う。
「街長、こんな状況です。婚礼話は白紙に……」
「するつもりはない」
街長は即座に却下し、彼はユマに尋ねた。
「お前は、白紙に戻したいか? 別の男と……たとえば、お前に求愛しているタイラとかと結婚するか? いつ戻るかわからぬサクをやめて」
「嫌です。私は、サク以外と結婚する気はありません。サクを何年でも何十年でも待ち続けます。それは最初から変わらない」
そしてユマはサクに、潤んだ目で懇願する。
「……サク。私からもお願い。結婚しても縛りつけたりしないから、……私をサクのお嫁さんにして。サクの赤ちゃんが欲しい」
ユマの悲痛な哀願が場に響いた。
「何度も言ったはずだ、ユマ、お前と結婚しねぇと」
サクの口から発せられたのは、日頃のサクのものとは思えない程、冷たい声音だった。冷たい拒絶を受けたユマの顔に、怯えと悲哀の色が濃く滲み出る。
「サク、私はいつまでも待って……」
「待たれても迷惑だ。俺にとってお前は永劫に妹で、女としては見れねぇ。気持ちは嬉しいが、儚い夢は捨ててくれ。お前の元は、俺が帰る場所じゃないんだ」
それは男としては潔く、だがユマには冷酷なものだった。
「……っ」
ユマは目に涙を溜めて立ち上がり、ユウナをキッと睨むと、走って部屋から出て行ってしまった。
即座に動いたのは、ユウナだった。
「ユマ、待って!」
「姫様は関係ない。俺が」
「お前が行けば、堂々巡りだ。……姫さん頼む」
「任せて、ハン!」
サクは唇を噛み締めながら、街長の怒りを両親がなだめているのを、ぼんやりと感じ取った。
ユマはサクが追いかけてくることを望んでいるだろう。
ならばサクは行けない。ユマの未練を断ち切らせるのに、公然と突き放すしか道がなければ。
「………っ」
ユマを傷つけた代償は、どこまでも後味の悪いものだった。
サクもまた、公然と選ばれなかった痛みを知るからこそ。
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