吼える月Ⅰ~玄武の章~

奏多

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第6章 儀式

 変貌した息子

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「姫様――っ!?」

 サクが走って隣室に赴いた時、サラが丁度ユウナに覆い被さるようにして、四肢を上から押さえつけていたところだった。

「サク、あんた無事――って、本当にサクなの!? ハンじゃなく!? なんでそんなに髪伸びてるの!? 体も大きくなった!?」

 サラは、腰まである長い黒髪を振り乱した息子に驚愕の声を上げた。

「おぅ、俺はなんとか大丈夫だ。髪……? うわ、なんだこの髪!! 俺の髪か、これ!!」

 儀式を始めてもうかなり時間は経っているとはいえども、サクの髪がここまで伸びるような時間は経っていない。

 顔は憔悴したようには見えれども、服を破るようにして剥き出しとなった胸板は逞しく、体格自体も以前より確りとして背も高くなり、この短期間でますます美丈夫になったようにサラは思えた。

 自分が恋を始めた若き日のハンを見ているようで、不覚にも実の息子に胸をときめかせてしまう。

「なんだか視線の高さが違うと思ってたけど、そうかあいつ……本気でやりやがったのか。なあお袋、俺不細工になっては……ねぇな。だけどこら、お袋がぽっとする相手は親父だろ!? 言いつけるぞ!?」
「い、いやあん」
「年考えろ!! ――って、姫様は!?」
「目を覚ましたと思ったら、突然悲鳴を上げて、体が硬直して痙攣し始めたの。とりあえず口に詰め物をして舌を噛み切らないようにしたりと対策はしているけれど、熱は高くて衰弱しているのに、段々と抗する力が強くなって……」

 サクは口に布を詰め込まれながら、サラの力で押さえつけられてもまだ暴れているユウナを見た。
 サラは現役武官ではないとはいえ、鍛錬しなくても元武神将としての名残を残す、怪力さは健在だ。その力をもってしてもユウナの動きを制しきれない。

「姫様!?」

 サラに代わって、サクがユウナの上に馬乗りになり、両腕を頭上で縫いとめた。サクの力には敵わなかったらしい。

 睨み付けるようなユウナの目がサクに向けられる。
 久々の邂逅だというのにその目には、サクに対するすべての愛情はなく、むしろ憎悪のような攻撃性をもっていた。
 
 しかも、赤い。
 まるで凶々しい月色のように、赤く染まった目だった。
 その目に宿るは凶気。

 凶気が操るのは、狂暴性だけではなく――。
「姫……様?」
 男を惑わす妖しげな艶を纏っていた。

 人が意識上で忌み嫌う血の色は、見る者の潜在的な本能に刺激する。
 ユウナを映したサクの瞳が、血の色に染まりゆく。サクの瞳がゆらりと揺れた時、呼応するように、ユウナの瞳の色が真紅から色を変えた。
 闇に住まう魔が持つ、紫の色へと――。 
 その紫は輝きを放ち、〝光輝く者〟のような人外の煌めきを見せた。
 それは、まるでユウナの銀の髪の色のように。

 凶々しいとわかっているのに、心奪われずにはいられない、見る者を魅縛して離さない穢れた魔性の色。
 
 ユウナが、その瞳にサクを捕え、艶然と微笑んだ。
 その誘惑めいた微笑に、サクの抑圧していたオスの部分が刺激される。
 とろりと濡れた紫の瞳は、艶めかしい視線をサクに向けた。
 誘っているのだ。
 サクを自らの餌にしようと。

 ユウナははだけ気味の体を、サクの体の下でくねらせた。
 サクを絶対的支配下に置こうと、その体でサクを煽る。
「サ、ササササ……」

 同性のサラですら、口が廻らない。なんとかサクの正気を保たせようとしているのだが、体が動かない。
 だがサクは違った。魅入られて屈するどころか、笑い出したのだ。
 ユウナの表情が僅かに曇る。

「……はは、こりゃ……手強いな。ぞくぞくする」

 サクは逆に挑発的にユウナを見て、舌舐めずりをした。

 気を抜けば、堕ちる。
 愛しい女の誘惑に、身も心も堕ちてしまいそうだ。
 ただそれは、ユウナが正気であればの話。

「……やっぱ俺しかいねぇよ、姫様の相手。誰が、他の奴に味合わせるものか。誰が他の奴を溺れさせるか!」

 ユウナがこうして男を誘うのなら、惑う男達を殺してやりたいと願うサクの独占欲だけが煽られる。

「だてに長年我慢させられてきた俺を、なめるなよ?」

 そしてサクは言った。

「お袋。このまま、鎮呪の儀式に移る」

 それは即ち、ユウナを抱くということ。

「へ、ふへえ!? あ、あんた儀式って、詳細聞いているの!? ハン呼んでくる!?」
「いらねぇよ。今の玄武の守護が薄くなった親父なら、姫様の色気にあてられちまうかもしれねぇから、絶対親父はここに呼ぶな。鎮呪の方法は先に聞いている。それだけじゃねぇよ、絶叫するほど沢山の知識を詰め込まれたんだよ。今まで勉強してねぇ分、凄まじい量だった」
「だ、誰に!?」
「イタ公に」
「イ、イタ公?」
「ああ、お袋も親父と一緒に、イタ公にネズミをやってくれ。なにせ腹減って機嫌が悪いらしいから。これ以上機嫌悪くなれば、約束とはいえ俺の身がやばくなる。イタ公にそっぽむかれたら、俺、多分駄目だわ」
「は、はあああ!? 駄目って……というよりネ、ネズミ!?」
「そうだ。お袋がいつも格闘している、アレだ。早く行けっ!!」
「だ、大丈夫なの!?」

 するとサクは、儀式前よりずっと大人びたその精悍な顔をサラに向ける。

「俺は……サク=シェンウ。最強の玄武の武神将を継ぐ男だ」

 その余裕めいたものは、以前のサクには持ち得ぬもので。

「安心しろ。俺は、以前の俺じゃねぇよ」

 自信ありげなその声音は、落ち着いた大人の色香さえ感じられ、サラはどきりとした。
 そのサラの反応に気づいたのか、からかうような流し目を寄越してにやりと口もとで笑う。

 そして彼は口ずさみ始めたのだ。
 サラにも知らぬ、古き言葉で紡がれる禁忌の詠唱を。

 その意味も言葉も知らぬサラは、サクが突如狂って意味不明な譫言を吐き始めたのかと心配したが、やがてサクは明るい水色に発光し、サクから統制のとれた力の波動を感じた。これがサクの意志によってなされている禁呪の術だと、サラは本能的に理解する。

 詠唱自体、そんな知識をサクが事前に知るはずもないし、仮にハンが先刻稽古場で教えたとしても、サクには一度に暗記できるだけの頭がない。
 百歩譲ってなんとか覚えたとしても、サクは武術には長けているが術を使ったこともないはずで、しかも術を使用できるのは、内なる力を引き出せるひと握りの者達だけなのだ。
 ましてやサクの中には、取り扱いが難しい神獣が居る。さらには正体不明の〝なにか〟が居る。

 だがサクは、戸惑うことなく完全に内なる力を使いこなしていた。なにひとつ、取り乱した様子はなく――。

 どこか信じられぬ心地で見守るサラの前で、サクが発光したまま、ユウナの額に指をあてれば、ユウナの動きは鎮まっていく。
 だがその目の狂暴さは消えていない。

「姫様……いいですか、これから〝治療〟を行います」

 その声は、強い語気でありながらも睦言のように甘やかなもので。
 仕草ひとつとってみても、それまでの不器用な武骨さが見られずに、逆に女を翻弄させるような優位性を見せる。

 息子なのに息子とは思えない艶香を放つのは、ユウナによって相乗的に引き出されているのか、それともサクがそう変貌したのか。サクが使う術がそうサクを変えるものなのか。

 ユウナを魔性というのなら、サクだってそうだ。
 サクの体内にいる〝なにか〟のせいなのだろうか。
 それをサクは融合することで、自らの一部となしているのだろうか。

 話では、サクが玄武の力に馴染んだ後、二度目の儀式をハンと執り行い、そこで武神将の移譲が完全に終了する。 
 だから今、サクは武神将でもなく、力の多くをサクに授けているハンもまた、武神将とは言えない。

 その中で今、確たるものがあるとすれば、サクは玄武の武神将になる器があったということ。外見が変貌するほどの、どんな試練を体験したのかサラにはわからないが、サクはこれだけの短期間で、とりあえず第一関門は突破したのだ。

 それをサラは素直に褒め称え、そして誇らしい気になった。
 そんな息子が安心しろというのなら、安心しよう。
 息子は、父親同様……いやそれを超える武神将になるのだ。

「頑張るのよ――っ!!」

 サクからの返事を聞かずに、サラは袖を捲って部屋を飛び出した。

 息子が姫を抱く――。
 姫を助けるためとはいえ、母親としては複雑な心境だったけれど、頼もしくなったサクなら、あれだけいい男になったサクなら。

 以前には見えなかった、サクの行き場のない想いの出口が見つかるかもしれないと、サラの心は躍った。
 早くハンとこの悦びを分かち合いたかった。
 さすがは自分達の息子だと。
 
「ハン――っ!! ネズミをたくさん採るわよっ!!」

 親は子に従うのみ。子供のために尽力すべし。

「よくわからないけど、サクを支えているらしい、〝イタ公〟ちゃんをご機嫌にさせましょうね!!」

 そしてサラは――内から栓をしていたはずの戸が開いていたことに、気づく。
 
 侵入者だろうか。
 しかしハンがいるのに?
 そこまでの気配を感じ取れぬほど、ハンの力は鈍ってしまったのか?

 しかしサラにも、他の気配は感じ取れない。
 あと考えられることは、ハンが外に出たということだ。
 外に出て、戸を閉めることを忘れる事態が起きているということ。
 サラは、警戒しながら外を覗いてみた。

「な!!?」

 地面には、ネズミの大群が地面から砂埃をまき散らせて走っていた。
 まるで天変地異の前触れのように、それは異常な光景だった。

 サラの胸が嫌な予感にどくどくと早鐘を打った時、その埃だらけの中に、身を屈めているハンを見つけた。
 頭の上に小さいなにかを乗せ、片手で五匹ほどのネズミの尻尾を捕まえたままの格好で背筋を伸ばすと、サラとは別の方向を見つめ始めた。

「――ハン?」

 ……誰かを見ている。

 そしてハンはゆっくりと頭を下げ、サラはその方向をゆっくりと見た。

 そこにいたのは――、
「ふふふふ、最強の武神将が一体なにを?」
 ネズミの群れの向こう側に立つ――、
「見ておわかりのように、ネズミ採りです。ですが……わざわざこんなに早くにお越しとは……」

 光を浴びると銀色にも見える、赤銅色の髪をした若い男。

 それは――、
「……一体どういう了見です、祠官代理」
 
 今この場に来訪することを、誰もが想定していなかった、リュカ本人だった。

 サラの全身からさっと血の気が引く。
 リュカの背後には、サラには見たこともない武具を纏った近衛兵らしき集団が揃っていた。
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