吼える月Ⅰ~玄武の章~

奏多

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第6章 儀式

 突然のリュカの来訪

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「祠官代理とは、なにを他人行儀な。今まで通りリュカと呼んで下さいよ、ハン様。僕達はこれからも共に協力しあい、黒陵を護らねばならぬ立場なのだから」

 リュカは、サラが昔見たのと同じ柔らかな笑みを顔に湛えている。
  そこには、サクやユウナを苦しませたという、非道な残虐性はなにひとつ見られない。
 爽やかな若草色の服を身に纏い、陽だまりのような笑顔を見せる。

「ならば俺を呼び捨てに。そうすれば俺も祠官代理の呼称をやめよう」

 しかしハンの顔つきは緩和されることはなかった。今までとは違う関係なのだと言わんばかりに、立場の違いを強調させる。

「それは出来ません。貴方はいつまでも最強の武神将、ハン様ですから。祠官代理……まあ、暫くはその呼び方に慣れるとしましょう」
「では祠官代理。愚息の探索は俺に命じられたはずじゃ? 俺の片腕の代わりにとりつけた約束は五日……いや、四日後のはずだと記憶してましたけどね?」

 ハンが単刀直入に切り出した。

「実は少し気になる噂を聞きまして。久々の黒崙の様子を見にがてら、事実を僕の目で検証しようかと思いまして」

 リュカは、ハンとの約束を違え、サクとユウナを捕えにきたのだろうか。
 サラは緊張に緊迫感に口から心臓が飛び出て来そうだった。

 捕まえさせるわけにはいかない。
 今捕まってしまえば、すべてが水の泡だ。
 せめて、ユウナの呪詛を鎮める時間を作らねば。

 サラは厳しい顔をしながら、大きな音をたてて戸を閉めた。せめて、音でサクに危険が差し迫っていることを知らせたつもりだった。
 そして、緊張感漂うふたりの会話に、悲痛さを顔に作って割って入る。

「もしや、リュカ様じゃないですか!? ごきげんよう、リュカ様。この度はなんと申し上げてよいのやら……。息子がとんだ不始末を!!」

 その場で項垂れながら両膝をつき、懺悔の格好で非礼を詫びるサラ。そして視線を密やかにハンに向け、この場は任せろと合図する。ハンはため息をついて、それを了承したようだ。

「顔を上げてお立ち下さいサラ様。僕はサラ様を困らせたくてここに来たわけではないのです。久しぶりに立ち寄っただけのこと。お元気でお美しいお顔を見せて下さい」

 リュカはこちらに来たいようだが、なにせネズミの大群の勢いは盛んなため、その流れが途絶えるまで、彼は動くことをやめたようだ。

「こんなおばさんにお美しいなんて、またリュカ様はお口がお上手に成長なされたようで。ありがたきお言葉に甘えさせて頂き……」

 殊勝な顔つきだが、満更でもなさそうな顔でサラが顔をあげる。

「リュカ様、立ち寄られた割には、なぜそんな仰々しいお供の方々を? 残念ながらここにはサクはおりませんわ。サクがいたらハンもこんなところで、こうして呑気にネズミ駆除なんて……きゃあああハン、なんでネズミを手にしたままなの!! 捨てて捨ててっ!!」

 わざとらしく演じることを、サラは決め込んだ。

「なんなのでしょう、このネズミの大群。こういう時、剛胆な精神を持つ黒崙待機の暇な武神将は役立ちますわね」

 サクがいないから仕事がなく、だから暇でネズミ駆除に駆り出されているのだと、サラは笑う。
 ハンは苦虫噛み潰したような顔で、いまだ手にしたままのネズミをぷらぷらと揺らしていたが、前方にずり落ちそうに移動してきた子亀を、ネズミを持った手でまた奥におっつける。

 ネズミに手を伸ばした亀は、ハンによって体がひっくり返って願いが叶わず、ゆっくりと手足をばたばた動かして不服さを申し立てていたが、そのことには誰も注意を向けようとはしなかった。

「本当になんでしょうね、このネズミの大群。今、黒崙だけではなく、倭陵全体でこうした小動物が逃走する珍事がおこっているようです。天変地異が起こる前触れでしょうか」
「天変地異が起こるなんて、怖いですわ。あれでしょうか、倭陵を崩壊に招く……〝光輝く者〟が動き出したんでしょうか」

 サラもまた、リュカのようにいけしゃあしゃあと核心じみた際どい話題に乗って、他人事のように語る。

「本当にサクはそんな者と接点があったのでしょうか」

 そして、息子を憂う母親のふりをして、リュカの反応を窺った。

「この一年、サクとは腹を割って話すということをしなかったのが悔やまれてなりません。一体、どうしてこんな事態になったのか。僕にもまだ信じられません」

 だがリュカは、顔色一つ変えていない。
 かなりの演技達者だ。だからこそ、長年多くの者達を欺いてこられたのだろうとサラは内心、感嘆のため息をつく。

「僕にできる限り、善処はするつもりです。ですから……」
「ええ、リュカ様。私達はサクの親として、正義心のままにすべきことをまっとうするだけです」

 正義心――。
 それは不当なる裏切り者に、無実のサクとユウナを捕まらせないこと。
 生き抜かせること。

 その決意こそが、母親としての演技を盛立てた。

「僕はハン様もサラ様も信じています、ふたりを見つけても匿い逃がそうとはしていないと。僕は平和的解決を望みます」

 黒崙の民の運命を脅しに持ち出したのはリュカだ。そのリュカが、同じ口で平和を訴える様を、ハンはただ冷ややかに聞いていた。

「リュカ様、先ほど声が聞こえたのですが、噂……とは?」

 サラがきょとんとした表情を作って、リュカに尋ねた。
 表情こそはなにも知らぬふりをしてはいるが、サラは内心、噂とは、サクとユウナが黒崙に居るという目撃証言なのだろうと思っていた。
 タイラですらサクを売ろうとしていたのなら、移動をしているだろう黒崙の民も誰ひとり絶対裏切らないとは言い切れなかった。
 生きるためには金が必要だ。
 築き上げてきた財産を捨てさせたのは、黒崙に勝手に戻ってきたサク達なのだから。どんな会合を開いたところで、どんなにユウナが訴えたところで、どんなにサラ達が陳謝の誠意として財産を投げ打っても、わだかまりは完全には消えぬことだろう。
 ……それを現実の証拠として聞かされるのは、同じ街の民として長年過ごしてきたサラには辛いものだった。

 この民達を家族同然だと思えばこそ、サクを皆が庇って護って欲しい。たとえそれが許されない自分勝手な願いだろうと、それは母としての正直な思いだった。

 だがそれが叶わず、既に証言が漏れ出てしまったのなら、ここは下手にその話題から遠のいてリュカの攻撃に怯えるよりも、初耳だと知らぬふりをしてあえてこちらから近づいた方がいい。

 智将を抑えこむには、先手必勝。つけいられる前に先回りして、無関係さを強調させた他人顔にて、頑丈な防御壁を作ってリュカの攻撃に構えた方がいい。

 一抹の不安を抱えながらも、サラは微塵にも顔にそれを出さずに、ただの真摯なまでの純粋さを見せた。
 リュカは困ったような顔をして言った。

「この黒崙に、黒陵の姫と名乗る色狂いの女が居て、待機中の近衛兵達大勢に〝遊んで〟貰いたいから、昼間に迎えに来て欲しいと、夜訴えてきたと」
「はい?」

 思わずサラはハンと顔を見合わせた。それはサラが想像していたのとは、少し違うものだった。

「なぜ黒崙に姫様が? その兵士達は、サクの姿を見たんですの?」

 リュカが後ろを向いて近衛兵に尋ねると、誰もが首を横に振る。

「いや、ユウナだけだったようです」
「それはおかしいですわね、だったら今サクは姫様と別行動をしていると? 嫉妬に狂い、姫様を凌辱なんてことをしでかしたサクが、姫様と兵士達の情事を放置していると?」
「そこなんですよね、僕もひっかかるのは」
「大体姫様が色狂いなどする方だと、リュカ様はお思いなんですの? 仮にも許婚であり幼なじみであった貴方様は」
「しかし複数証言があれば、無下にもできず。収拾をつけるために、僕がその事実を確かめに来たわけです。もしも兵士達の言い分を是とすれば、黒崙にはユウナだけではなくサクもいるということになる。つまり、貴方もハン様もふたりを匿い、僕に嘘をついているということになる」

 険しくなるリュカの顔に、サラはかなり動揺していた。
 だがそれをなんとか意志の力で押さえつける。

「そんな……っ、なにが真実でなにが嘘なのなのか、聡明なリュカ様ならおわかりのはずですわ!!」

 〝嘘〟

 その単語に、兵士達から怒りに満ちた声があがった。どうしても彼らは、本物のユウナを相手にしたのだと信じてやまないようだった。

 一介の兵士は、黒陵の姫の顔など普段は拝謁出来ぬ身分のくせに、相手をしたのは姫だと言い切る自信はどこからきているのだろうか。

 リュカの手前、安易に意見を取り下げることも出来なさそうなだけに、タチが悪い。

――姫様は色狂いして男を誘いまくるから、だからなにをしてもいいんだって、沢山の兵士達に……無理矢理っ!!

 サラの頭には、ユマの訴えが頭に巡っていた。
 兵士達の言い分とは重なっており、先刻見たユウナは、確かに男を誘う魔性さを秘めているが、サクがそれはユマの狂言だと信じる限り、サラもそれに従うのみ。

「祠官代理が、それを姫さんだと思えた理由はなんだ?」

 ハンが重々しく口を開いて尋ねる。

「指に……指輪をしていたというから」

 リュカは嵌めたままの指輪に視線を落とす。
 いまだ嵌めている、揃いの指輪を。
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