吼える月Ⅰ~玄武の章~

奏多

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第6章 儀式

 呪いの指輪

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「北に落ちていた……? 北にいるのか、黒崙ではなく? この指輪に……呪い……?」

 サカキの言葉は、リュカに軽く混乱をもたらしたようだった。
 ユウナ本体に呪詛をかけた本人が、指輪にかけられた即席の呪い話に真剣に考え込んでいることにサラが冷や汗をかいた時、兵士達が騒ぎ出した。

「じゃあなんだ、姫とそっくりな街娘が俺達を謀ったということか?」

 近衛兵達は、黒陵の姫という肩書きで多くがつられてきた。極上の顔と体を持つのは、普段は指一本触れられない、噂に聞く黒陵の美姫。その姫が、自分達に抱かれたいと懇願している――。

 なにをしてもいい。どんな抱き方をしてもいい。この退屈な待機時間を、溜まりまくった精の捌け口にできるのなら。四日後には、その姫はまた手の届かぬところにいくのなら、それまでに散々楽しもう。どうせ噂では凌辱された傷物の姫なのだから。

 それが近衛兵の暗黙の了解だった。
 生まれ育った国の姫でなければ、性奴とすることになんら躊躇いなく。
 落ち着きなくやけに興奮する兵士達を見て咎めたのは、玄武殿にて彼らを招集していた、その姫の元許婚であるリュカだった。

 近衛兵は基本、皇主の勅命を受けて動き、地方の祠官の命で動く兵士とは動きが異なる。
 今回、サクという存在に太刀打ち出来なかったために、そして倭陵最強の武神将の片腕のために、黒陵国の警備兵とともに、祠官……もとい祠官代理の言葉に従い、サクの捕縛を数日後にまで待機して〝やって〟いるものの、それはあくまで〝協力〟してやっているだけであり、リュカや黒陵に忠誠心があるわけではない。

 近衛兵にとっては、サクを捕えることだけが使命であり、サクが拉致した姫などどうでもよい。だからこそ、その姫に手を出すことに逡巡はなかった。地方よりも中央の方が偉いのだという自負があればこそ。

 〝汝らを動かすのは、皇主と上官のみ〟

 それは臨時で雇われた者達の精神にも、強く刻みつけられた近衛兵の基本精神でもあった。

 当然のようにリュカの詰問に恐れをなすでもなく、兵士達はリュカに聞かれるがままに語った。昨夜の娼婦じみた姫のことを。
 相手にしたのは十人あまり。そこから話は広がり、姫を弄ぶために集まったのは三十人あまりらしい。一小部隊ほぼ全員が欲にまみれていた。

 姫を捕えるではなく犯すのは、命令違反だと主張したリュカに、兵士達は責任逃れのために、姫と名乗った女のせいにした。リュカの上にいる姫の命令を聞いたからだと。
 そこには罪悪感もなにもなく、祠官代理の力は通用しなかった。

 ユウナは黒崙にいて、本当に色狂いになったのか。リュカは、関わった近衛兵を連れて直接黒崙に赴き、真偽のほどを確かめに来たのだったが、わかったのは姫と同じ顔の街娘が、兵士達に犯されたと戻って来ている事実と、それは違うと昨夜乱交に昂じた男達が言っている事実。
 そして、自分と同じ型の呪いの指輪の存在――。
 この指輪は高価で、街の民が簡単に手に入れられる代物でもなく、そしてなによりリュカが、この指輪はユウナのものだという確信があった。

 拾われた指輪を嵌めた街娘が色狂いになるのはいいとして、なぜそれでユウナの名を騙るのか。リュカはそこがどうしても釈然としなかった。
 なぜ、兵士達に迎えにこいと告げたのか。
 民が買い物から帰還した街には、異常はなさそうだった。街ぐるみでなにか画策しているのでは、というのは取り越し苦労のようだった。彼らの日常に狂いが生じた様子はない。唯一割り込んだ非日常的な事象は、ネズミと自分達の存在ぐらいだ。
 証言者も、嘘をついているような挙動不審さはみられない。
 魂胆があって呪いなど作り話をしているのかとも思ったが、相手の物言いはただの素人だ。呪術に詳しい輩ではない。

 見聞したことを、素人特有の単純な思考で推測として述べている以上、現実的な事実の齟齬を見つけようとしても、無邪気に〝呪い〟という非常識のせいにされては、どうしようもないのだ。

 ありえないことがまかり通るのが〝呪い〟というものであり、真実は、非常識の中に隠蔽されてしまう。
 だが――。

 証言はユウナとは別人のものの可能性を示唆しているというのに、同時に強くちらつくユウナの影を、どうしてもリュカは払拭出来なかった。
 なにかがしっくりとこない。
 
 納得いかぬ顔で考え込むリュカを、サラは心配げな面差しで見つめ、ハンも気を緩めてはいない。
 そんな憂慮お構いなしに、依然と持論を押し通すのはサカキのみ。
 彼は、騒ぐ兵士達に、肩を竦めながら言った。

「なあ考えてみろよ、兵士さん。夜中堂々と街を出入り出来る姫が、なんであんたらの相手をしてまた黒崙に戻り、昼間わざわざ迎えに来てなんて言う? 自由の身なんだから、昼間自分で行くなり逃げるなり、自由にすればいいだろう?」

 今まで見向きもしていない正論に、兵士達はさらにざわめく。

「このけったいな指輪の持ち主が誰かはわからなかったが、ユウナ姫なら納得だ。呪いの力で、ユマは姫になりきっていただけだ。それじゃなくてもユマは姫に憧れていたから、妙に呪いに同調しちまったんだな。なにせサクが好きなのは姫だったから、ユマは姫のことを強く意識していたから」
「対抗心……ゆえと?」

 リュカの目が細められた。
 ハラハラして見守るサラの前で、サカキはなおも続けた。

「戻って来た時のユマは指輪をしていなかった。だから夜俺達は異常に気づかなかったが、また今日知らずに指輪を嵌めた途端色狂いさ。それで街長が慌てて、近くの祈祷師に指輪を見て貰いに行ったら、呪いのせいだと。指輪の持ち主も姫自身も、呪詛ってのをかけられているんじゃないかって言われたけど、確か……〝サイカ術〟って名だった。あんた知ってたか?」

 それはリュカに向けられた言葉なのに、サラは自分が名指しで訊かれたかのように身を縮み上がらせた。
 一方ハンは顔を顰めて、援護とばかりにサカキの話に乗じた。

「サイカ術……待てよ、皇主が禁じた呪術にそんなものがあったような……。確か……穢れの〝身代わり〟の術だった気が……」

 わざとらしく、知識が曖昧なふりをして。

「祠官代理は御存知で? ……のわけはないか。本当にその禁忌の術であれば、黒陵には存在してはならぬもの、それを祠官代理が知れるはずはねぇ。武神将でも、触りの知識くらいしか口伝でしか訊いたことがねぇのに。サイカ違いかも知れねぇな」

 リュカは口を閉ざし表情を隠している。
 その話題自体を遮断しているかのように。
 ある意味、隠しきれない、そうした無関心さこそが、リュカの答えでもある。触れたくないという単純明快な意志が働いているのだから。
 リュカには、やはり穢禍術の知識があるのだとハンは確信した。

「だがもしも姫さんが、禁忌のサイカにかけられているのなら、相当やばいぞ。解呪方法はあるんだろうが、消された術について誰が知るというんだ……」

 微動だにしないリュカを冷徹な眼差しで観察しているハンの前で、サカキが妙に訳知り顔でうんうん頷きながら言った。

「なぁリュカ様。きっとその禁忌のやばい術にかかったから、姫も〝光輝く者〟と内通しちまってたんだよ。だからさっさと、呪いを解けば姫もきっと正気に戻るよ。よかったな、結婚できるぞ」
 
 サカキは行商慣れしているだけに、口が達者だ。術だの呪いだのは、完全専門外。無知であることこそが、サカキの度胸となる。
 そしてひとは、目に見えぬ類いについて、逡巡さのない断言には、弱いものなのだ。
 しかも、断片的にでも昨夜、ハンとサク、そしてサラとの間でなされた会話をなにか聞き取っていたのだろう。
 それを繋ぎ合わせて、ところどころが真実の要素を入れているだけに、完全に嘘とも言えない妙に信憑性がありそうな、真実めいた話ができあがってしまったのだ。

 あとはその話に聴衆を乗せ、〝そうかもしれない〟と引きずり込むだけ。
 そしてそういうものは、口の上手い素人ほどうまいもの。
 
「呪いってのは、かけられた本人の持ち物にも伝染するとは怖いなあ。まあ姫にとって大切な指輪で、いつも身につけていたものらしいから、特別姫の念でも伝播したのかもしれねぇな」

 すべては呪いのせい。強引な話の流れで終焉しそうな話に、異議を唱えたのは昨夜の女の味を忘れ得ぬ兵士達だった。
 彼らは色狂う女の嬌態を目で見ていただけに、呪いという不確かなものを排除しようとする厄介な存在になりはてる。

「あれが呪いのものか!! あの女は正気だったぞ!?」
「そうだそうだっ!! 俺達のを何本も咥えこんで、何度も何度もイキやがった!! 犯すって……なに被害者面してんだよ、その女!!」

 抱こうとしていた女を抱けずに、兵士達の下卑た欲求不満は憤りとなる。

「じゃあ見せろよ。指輪をしたそのユマとやらが、俺達が見たあの女に変貌する瞬間を」
「そうだ! 指輪をつけて呪いを見せてみろよ」
「ユマが居るところに案内しろ!!」

 不満は、爆発寸前だった。
 さすがに、サカキも狼狽して口ごもる。呪いのせいにしてこの場を収めようとしたサカキとて、兵士達が見た女がユマかどうかの確証もなかった。
 ただの出任せを、知った顔でつらつらと喋って押し通そうとしていただけだ。

 昨夜街長宅に帰ってから、ユマの姿は見ていない。恐らくユマは街長宅の私室に閉じ籠もっているのだろうが、今、街長宅を兵士達に踏み込まれてはいけない理由がサカキにはあった。
 街長宅から注視を遠ざけようとすれば、この場にユマを引き摺ってくるしかない。だがユマは、果たしてこちらの思惑通りに、指輪を嵌めて娼婦まがいの痴態を演じてくれるだろうか。

 ……サクにあれだけきっぱりと拒まれた今、それをする理由がユマにはないのだ。サクに恩を売れるとしても、それは自業自得であり、ユウナを貶められたサクが、ユマにはたして心を動かすかどうか。
 仮にこの異様な空気を察して、色狂いを演じてくれたとしても、それによってサクとユウナが引き離されることはなく。逆に演じた自分の方が、踊らされた兵士達により、侮辱したことの報復を受けるかもしれないのだ。
 そこまでを見通せないほど、愚かしい少女ではない。

 だがユマの即演がなければ、この場は収らないほどに兵士達の気は昂ぶり始め、それをリュカも制する気もなさそうだ。
 姫とそっくりなユマを連れて来ねば、強制探索でも始まりそうな気配。
 探索でもされれば、すべては、ここで滅ぶ。
 サカキは握った拳に力を入れた。

 どうすればいい――?

 そんな時だった。

「ふう、もう隠し通せないわね」

 突然サラがため息をついたのは。
 そして彼女は近衛兵に聞いた。

「この中で、おたずねもののサクを見たことがある人は?」

 何人かが手を上げた。

「じゃあその人達と、昨夜その姫様を相手にしたという人達、私についてきて。そしてリュカ様も」
「サラ?」

 ハンが訝しげに見た。

「もう隠し通せないでしょう、ハン、サカキ。見せてあげましょうよ。その呪いの指輪をつけたユマが、男を淫らに相手をする姿を」

 サラは強い語気で言った。
 
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