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第1章 追憶
一年前の信頼関係
しおりを挟むそして、玄武殿の外に女が現れた。
露出度が高い意匠の、妓女のような半透明な服を着ている女だった。
女が艶めかしい足にて地面をひとつ叩いた直後、じゃらじゃらと装飾品を身につけた女は、扇を拡げて舞い出す。
それは清楚であり淫猥であり、大人なのか少女なのかわからぬ、やけに妖艶で挑発的な眼差しを向けたかと思えば、扇で隠すようにして見る者を焦らす。
月影に照らされて、薄い服から浮かび上がるのは……小振りながらも形のいい女の胸。細い腰。両足の付け根にある淡い翳り。
女の服の下は全裸だった。
月光を浴びた女は、ゆらゆらと妖しげに舞い踊る。
それは夢幻に導く、幽玄の舞。
山賊の誰もが生唾を飲み込んで女の艶美な舞に釘付けになった瞬間、サクの一閃が暗闇に光る。
現実に返った山賊達は、気づいた時にはその半数以上を……半円状に反り返った刃を持つ偃月刀を、両手にしたサクによって失われた。
――こいつら、殺せ~っ!!
闇に隠れていた山賊達が、激情に駆られて次々に姿を現わす。
――姫様にここまでさせたお前達を許さねぇ。姫様の体を見た奴の目を、すべて切り刻んでやる。
それは猛る獣のように――。
大きな刀を軽々と振り回し、大量の敵を次々に薙ぐ。
女も手にある小刀で応戦しようとするのだが、サクは女に戦いを許さない。後ろに庇いながら、女に敵を近づけさせなかった。
火弓が飛ばされ、あたりは炎に包まれる。
――頭領はどこだ!?
ようやく、それらしき者を見つけたサクの瞳に殺気が宿った時、さらに山から多くの敵が駆け下りてきた。
多勢に無勢。こんなに時間をかけていたら、玄武殿の中にも侵入を許してしまう。
――どうしたら……。
その時、馬が嘶いた。
――ごめん、馬屋が火に包まれ、遅くなった。さあ、ここからは僕が相手だ。ついてこいよ、僕に敵うと思うのなら。臆病者は残っているがいい。
リュカに挑発された山賊達の半数が、リュカを追いかける。
リュカは武術は出来ずとも馬だけは得意であり、弓の攻撃を避けるように器用に手綱を操ると、山賊達を誘い、その大半を土砂崩れの下敷きにさせた。
そして次に誘うのは、過去ユウナとサクと遊んでいた森の中だった。
ウサギやキツネを捕えるために三人で作った罠がまだ活きていることを知るリュカは、馬を走らせながら手にしていた刀で蔦のような縄を切る。
突如、枝を切り裂きながら振り子のように現れる大鎌と、誘われる落とし穴。
慣れた地形は、武術も体力もないリュカの知性を冴え渡らせた。
自分の知識を使えば、剣や拳を交えずとも戦闘すら乗り越えられる。
それは男らしいサクをいつも羨望視していたリュカにとって、初めて芽生えた、男として誇りだった。
そして、追っ手はいなくなり、サクとユウナの元に戻ったリュカは、百は下らぬ屍の山にぶるりと身震いをした。
それはすべてサクが築き上げたものだと、リュカは悟った。
ハンというあまりに大きい父親の偉光に隠されているだけの、サク自身の秘められた実力を突きつけられたような気がして、男として嫉妬する反面、そうしたサクと友であることを誇りに感じ興奮した。
サクと共に歩む未来には、なにが見えるのだろうと。
頭領に止めを刺したサクが、妓女に扮したユウナを惚けたように見た後、慌てたように自らの上着を脱いで、その体にかけているのが見えた。
――姫様、そんな格好させてしまい、すみません。
そんな格好――。
そこで初めてリュカは、月明かりのもとのユウナの姿態に目を奪われた。
音が聞こえない。
ユウナの艶めかしい体に、全細胞がどくどくと息づいた。
ユウナは姫であり女なのだと、再認識した瞬間でもあった。
喉がひりひりするまでの、熱さが体に込み上げてくる。
――あ、リュカ、無事だったんだね!
そうユウナがリュカに笑いかければ、リュカは気まずそうに一度目を伏せ、そして笑顔を作った。
――ああ。やったな、僕達!
――すげぇな、姫様とリュカがいれば、無敵だっ!
――ええ。無敵よ、あたし達は!!
サクがかけた上着を必死に掴んで、羞恥に震えているユウナに気づかないふりしたのは、サクも同じ事。
そしてサクが初めて人を斬って殺したことに、顔を強ばらせていたことも、ユウナもリュカも知らぬふりをした。
そしてそんな三人の様子を、小隊を引き連れながら物陰から満足気に見ていたハンに、三人は気づかなかった。
たった十六歳が、長年手を焼いていた大規模な山賊を討ち取った。
そんな華々しい戦歴を持つに至ったサクとリュカは、その数日後、その功績を称えられ、異例な時期だというのに最年少にして本格的な官人として認められることになった。
登用式――それは、仕官したい多くの者が夢見る瞬間である。
ふたりは正装にて凜々しい美貌を魅せつけ、祠官の前に頭を垂らし、正式に官人として任命を受けるに至った。
それを見守るユウナは、大好きな幼なじみふたりが同時に誉れある式に臨み、そしてそこに立ち会えたことに目を潤ませていた。
常に飄々としているハンとて、その瞳には薄く膜が張られている。
――では、若き新たな官人として、私に助言することはないか?
ユウナの父は朗らかで穏やかな祠官ではあるが、時折こうして臣下を試す。いついかなる時でも、国を思う心を忘れるなと言う戒めのためである。
感動の最中だというのに、ふたりに官人としての心構えを試してきたのだ。
普通は浮かれている新官人はなにも言えない。或いは当たり障りのない、常套句を述べる。
だがふたりは、違った。
――まずは、屋敷の外壁をもっと高くした方がいいかと。山に護られた地形があれば屋敷は安全だという神話は最早役に立たない。地形を知る者にとっては。そして敵は黒陵国内にもいます。国内での敵は、内政の不満を持つ者が多い。もっと民衆の声に耳を傾け、施策を見直した方がよろしいかと。
そうリュカが言えば、
――リュカに同意します。そしてもっと見張りを増やして警護を厳重にすべきだ。兵士にもっと危機感と忠誠心を持たせなくては。そのためにはあんな安月給であんな粗末な装備や設備をなんとかして下さいよ。あれでは、いかに指揮官が最強の武神将であっても、士気が下がるだけです。
ハンにいつも馬鹿息子と罵られる、機転の利かない武骨なサクとて、ひと言もどもらずに具体的に滔々と述べてくる。
ふたりは知らないが、リュカとサクの提案は、ハンが日頃祠官に提言してきたことだった。
だが、それを祠官の側近である文官が、そちらに予算が廻ることで私腹の肥え度が低くなるからと、難癖つけて却下していた。
ハンと祠官の付き合いは長いとは言え、文官の方が内政施策には多大な影響力を持っている。
そして、その文官を怒らせれば、警備兵の待遇がたちまち悪化することもわかっているだけに、ハンはいつも強く言い出せずにいた懸案事項だった。
――ほう。それはなんの"指図"を受けたものか。
その文官がハンを意識しながら意地悪く尋ねれば、意図するところがわからぬふたりは、少し顔を見合わせて首を傾げ合った後、同時に言った。
――愛国心。
仕えるのは祠官ではなく、国なのだと。
そうも聞こえたふたりの言葉に、文官は怒ってふたりを退けようとしたが、祠官は面白がってさらに聞いた。
――この国で一番に護りたいのはなにか。
ふたりは再び同時に言った。
――ユウナ姫と、姫が愛するすべてのものです。
祠官は率直に返ったその答えを気に入って、ふたりの提案を改善することを約束した。
――祠官、この者達は祠官の前であまりに無礼な……っ。
――飾り立てする言葉より、私は生の心の声を聴きたいのだ。それにユウナが私を愛する限り、この国もこの国の民も私もまた、彼らに護られる。そして私はユウナに愛されるように、親として祠官として力を注ぐ。そのどこに不都合なことがあろうか。
祠官の言葉は文官をねじ伏せ、そしてさらに後にリュカによってその文官は国外追放になる。
――横領罪です。ここに証拠があります。命失いたくなくば、即刻お引き取りを。
そして今、リュカは十八歳にしてその文官と同じ立場にまで上り詰めた。
それをリュカの策略だと騒ぎ立て失脚を目論む者がいるが、そうした者にはリュカの知らぬところでサクが動く。
そしてサクの腕を妬む輩からは、サクの知らぬところでリュカが動く。
持ちつ持たれつのふたりの関係。互いが裏でなにをしているのか、話し合うことがなくとも、大体は暗黙に了解していることを互いはわかっている。
言葉に出さずとも体が動き、互いの背中を護る――。
それがふたりの信頼関係でもあった。
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