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第1章 追憶
終焉、そして 5.
しおりを挟むユウナはただ、父に挨拶をしようとしただけだった。
「……っ!?」
しかし部屋を出たユウナが目にしたのは、悪臭漂う、深紅に染まった廊。
その上に積み重なる、生気を失った骸だった。
まるで悪夢の一場面。
屍に似せた傀儡が横たわっているかのようにも思えるほどの現実感のなさに、ユウナは呆然とした。
思いきり頬を叩いてみたが、景色はなにも変わらない。
ただ、痛む頬に生理的に涙がひと滴零れただけ。
「な……に……?」
その中には、先ほど、意味ありげに笑いながら温かな茶を運んできた古参の女官も居た。
――ユウナ様。殿方に全てをお任せするのですよ? リュカ様がお好きな香りをつけましょう。
――そりゃあ、わかりますよ。人払いしてあれだけ長く湯浴みに浸かっていれば。
真っ赤になって部屋から追い出した女官を見たのは、それが最後。
彼女は、ユウナの部屋に向け手を伸ばした格好で倒れていた。
駆けつけようとしてくれたのだろう。
それでも彼女の声が届かぬほど、別のことに頭がいっぱいだった自分は、彼女の命の危機に駆けつけることも出来ず。彼女が入れてくれた最後の茶も飲もうともせず――。
「――っ」
ようやく、現実感が伴った。
乱れた息と共に、凄惨な震えが体を支配する。ガクガクする足を堪えて、ユウナは涙を零した。
「ごめんね、ごめんね……」
彼らを護れなかったくせに、彼らが使うことのなかった懐の小刀を抜き取り、ただ頭を下げて放置する許しを請うしかできぬ自分を恥じながら。
「……えっ」
そしてユウナは気づいたのだった。
紫宸殿に続く戸が開いていることを。
「お父様が、危ないっ――!!」
ユウナは駆けた。紫宸殿の祭壇の間にて、術を施しているはずの父のもとへ。
明かりが消えた祭壇の間。
祭壇に飾られた玄武の神像が、窓に大きく映る赤い月の光に照らされて、血に染まっているかのような凶々しさを見せつける。
「お父様……?」
ぼんやりとした赤い月明かりが、部屋の隅に朧な輪郭を浮き彫りにさせる。
後ろ向きの人影があった。
それは父だと思ったユウナは、立っているということは無事なはずだと、安堵に胸を撫で下ろした。
「お父様、ご無事ですか……?」
ユウナの声に、それは僅かに体を震わせた。
「お父――……」
それは父ではなかった。
ユウナの目に映るのは、闇色の上着にかかる白銀の長い髪。
倭陵では禁忌とされている、光り輝く髪の色。
ユウナは咄嗟に予言を思い出す。
これは倭陵を滅ぼす、悪しき〝異端者〟だと、彼女の直感は告げた。
「お父様は……お父様はどこ!?」
警戒に声が震える。
白銀の髪の者は、なにかを拭うような仕草を見せると、ひとつ深呼吸をしてこちらを向く。
その顔を見る前に、その者が手にしていたものにユウナは目を奪われた。
片手には、胸を抉られ白目を剥いた祠官。
その反対の手には、彼の胸を抉ったと思われる血糊のついた小剣があった。
「お父……様……?」
どさり。
ユウナの目の前で、祠官が彼女の足下に放られた。
どくどくと、胸から流れる血が床に広がっていく。
まるで汚れが、聖なる祭壇の間に侵蝕していくような危機感に、ユウナは本能的にぶるりと震えた。
「お父様……お父様!?」
ユウナはすでに絶命している父の前に座り込み、泣きながら動かぬ冷たい体を揺さぶった。
「お父様、お父様っ!!」
そして――。
「いやああああああああ!!」
ユウナは全身から絞り出すような絶叫をあげた。
窓から差し込む真紅色の月光。
真紅色に染まったユウナの元に、真紅色を弾く銀色が近づいて来る。
「ひとつ聞きたい……」
静められたその声音でユウナの顔色が変わる。やがて彼女は、涙で滲んだその視界の中で、不届き者の顔をはっきりと認識した。
「どうして……」
激しい驚愕に、その目は見開かれる。
……涙すら、驚きで止まってしまうほどに。
「どうしてあなたが……」
なにかの間違いであればいいと願った。
これはきっと、凶々しい月が見せた悪夢なのだと。
「この惨状の中で、君は……僕の身の心配はした?」
低い声音でも、その柔らかさは変わらない。
「僕は……こんな状況ですら、やはり〝二番目〟なの?」
忘れられるはずはない。
この甘やかな声を。
ずっと傍で聞き続けてきた声を。
怪しい白銀色の髪を靡かせるその者こそ、父の胸を剣で抉り、玄武殿を血に染め上げたのだと悟ったユウナは、半狂乱のように取り乱した。
「なんで……なんでよ、リュカ――っ!?」
その者の顔が、赤い月明かりを浴びた。
目の前の殺戮者こそ、今夜から夫になるはずのリュカだった。
煌煌とした赤い満月が、一段と凶気を増したようにユウナには思えた。
月明かりに赤く照らされたその顔は、昔からよく見知る幼なじみの持つものであり、今夜部屋に忍ぶと囁いた男の持つ造作と瓜ふたつだというのに……、
「違う……。リュカがこんなことをするわけはない」
返り血をつけたその顔には生気がなく、その目には狂気に満ち、にこにこといつも優しく微笑んでいたリュカではなかった。
リュカという器を持つ、まるで別人のようだった。
「お前はリュカじゃない、リュカじゃないっ!! 優しいリュカが、こんな恐ろしい残酷なことをするはずないわっ!!」
官人となるより前に、父に可愛がられていたではないか。
今は自分よりも、父と一緒にいることの方が多かったじゃないか。
いつも柔らかく微笑んで、昔ずっと自分が独り占めしていた笑顔を、父に向ける時間を多くしていたじゃないか。
愕然としたユウナは、祠官を抱きしめたまま、思わず座り込んでしまった。
「残酷なのは……この世の方だ」
美麗な顔を歪ませて、リュカを名乗る男は酷薄に笑う。
その双眸に月にも似た狂気を宿らせ、あざけるような翳りを落とす、凍てついた顔で、くつくつと喉元で笑い出す。
だから――。
「……お前は誰よ。本物のリュカはどこよ!?」
ユウナは忍ばせていた小刀を男に向けた。
「僕に刃を向けるのか? 僕の本性を見抜けずして、僕を夫に選んで。そして今夜。僕の好きな金木犀の香りを纏って僕に抱かれようとしていたわけか。なにが起ころうとしているのか知らずして……」
男は身を屈めると、座ったままのユウナの黒髪を手に取り、顔を近づけて匂いを嗅いだ後、愛おしげに唇を落とした。そして、挑発的な眼差しでユウナを見る。
「ん……いい香り。今ここで君を抱きたくなるよ」
残忍なほどに艶めく眼差しに、ユウナはぞっとした。
体の動きを奪って闇の底に引き摺り堕とす……、これは魔性の誘惑だと。
違う、これはリュカなどではないっ!!
ユウナの心にある微笑むリュカが木っ端微塵になりそうで、ユウナは絞るような声を出して、必死に抵抗した。
「やめろ外道っ!! あたしに近寄らないでっ!!」
くらくらと幻惑されるのを堪えて、男を突き飛ばしながら刃物を振り回せば、男の手の甲に赤い線が走った。
「あ……っ」
動揺したのはユウナの方で、男は妖しげな笑みをすっと消し、代わって無感情を殺したような冷ややかな面差しで、ただじっと、ユウナに切られた傷を眺めている。
怒っているのか、傷ついているのかよくわからない。
闇に仄かに光る銀の髪が、さらりと男の翳った頬を覆い隠した。
「リュ、リュカは……そんな髪の色をしていないっ!!」
立ち上がろうとしても、腰が上がらない。
座したまま、男と距離をとったユウナが毅然と言い放つ。彼女の視線は、手にした刃より鋭いものとなっていた。
ユウナの脳裏に、真紅の残像が乱れ飛ぶ。
血まみれの骸の山。
襤褸のように放られた父の骸。
それをしたのがリュカだということを信じたくない。
男がリュカではないと証明したい。
リュカにはありえない相違点を見つけたことが、ユウナの心の砦だった。
リュカと酷似した顔を持つ者がリュカを騙っていると断言できるのは、隠しようもない髪の色だから。
白髪とはまた違うこの白銀色は、どうみても天然の色であり、予言に謳われていた、魔に穢れた色そのものだ。
それはリュカに持ち得るはずはないのだから――。
「これが、本当の僕の髪の色さ」
男の目には、殺気にも似た狂気が宿る。
つい先ほど、ユウナの髪を握った負傷した手で、自らの髪の束を握りしめながら。
「生まれながらに僕の髪の色は銀色だった。倭陵では忌み嫌われる光の色。烙印までつけられて、人としての扱いなどされてこなかった。君も見ていたはずだ。初めて会った時の、無様な僕の姿を」
ユウナは思い出す。
出会った時の、骸かと思われるほどに、痛めつけられていた凄惨なあの姿。
烙印――。
ハンを躊躇させたその存在を忘れたわけではない。友情には無関係だから、気にしなかっただけだ。烙印の意味がわかっていても、きっと思ったはず。あんなに弱っている小さい子供に、虐げられるだけの罪などない。髪が銀色だという理由は、あまりに不当すぎると。
リュカの瞳は冷え込んでいた。
「倭陵で生きるためには、生来を偽り、この国に馴染む色に染めるしかなかった」
単純な隠蔽策。日頃のリュカがそうしているとすぐに思いつかなかったのは、やはりいつものリュカの言動を信じ切っているせいでもあった。
「君だって薄々疑問には思っていただろう? 僕の髪の色が光にあたると、必要以上に銀色に光ることに。僕の髪質は、黒の染料を弾く上、いつもの色以外には不自然に見えて染まるんだ。太陽の元にさえ出なければ茶色に見えていただろう?」
それは、ユウナも確かに思ったことがあった。
赤銅色が光に煌めくと、なぜ系統が近い金ではなく銀に近づくのかと。それは、細い髪質のせいだとリュカは笑って説明していた。
揺籃で蹲っていたあの最初の頃から、確かにリュカの髪は、目映い陽光を浴びると、銀色に光って見えていたのだ。
「だから僕は、君とサクと遊ぶ時以外は、外に出ていなかった。いつ、誰に怪しまれるかわからないからね」
ただの本好きではないのだと。
内向的で慎み深い性格ゆえのことではないのだと。
そう立て続けに否定され続ければ、ユウナには、まるで催眠術にでもかかったかのように、この男がリュカだとしか思えなくなってしまった。
優しかったリュカがぐるぐると頭に巡る。
「倭陵が……黒陵が憎いから……、だからあたし達に近づいたの?」
――助けてくれた事が、本当に嬉しかったんだ。
ユウナの泣きながらの詰問に、男が瞳を揺らした後、光を閉ざした眼差しで口を開こうとした時だった。
「ふざけんじゃねぇぇぇぇぇぇ!!」
声と同時に、暴風が吹いたのは。
そしてユウナは――
「サク……、サク――っ!!」
偃月刀を大きく振るったサクの、その胸に抱きしめられていた。
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