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第3章 帰還
帰還した玄武の武神将 2.
しおりを挟むサクが言えばいいことだ。
ユウナの髪の色が変わったのだと。
光輝く色になってしまったのだと。
だがサクにはどうしても言えなかった。
どんな理由があろうとも、黒陵で愛される姫が魔に穢れた存在だと思われることが、不吉な存在だと思われてしまうことが、サクには耐えられなかった。
ずっとサクがユウナに寄り添えられれば、サクの生涯でユウナを醜聞から護ってやれる。
だがサクは、消えゆかねばならない身なのだ。
自分の亡き後ユウナを託そうとした父親が、先にリュカの命を受けて……尚かつ腕まで犠牲にして、その場で断罪の即断を食い止めてくれているのに、これからのユウナを任せられる状況ではなかった。
それに――ハンの目はあまりにも厳しすぎた。血の繋がりを思わせない、警備兵の司令官として、サクという人間のただの上官として、裁くような鋭い眼差しだった。……親としての私情を挟んでいる目ではなかった。
ハン自らの目で見たもの、耳で聞いたものは、幻だでたらめだと否定し続けたサクにとって、揺るがないハンは、誰よりも恐ろしく手強い相手となったのだ。
先回りしてハンを取り込んだリュカの奸計の方が上だった。
武神将は、玄武を祀る祠官に忠実であらねば、玄武の力にその体を滅ぼされる運命にある――。
――僕、祠官の心臓を――……んだ。
ユウナの耳を塞いだが、リュカは昨夜、サクに告げたのだ。
〝僕、祠官の心臓を口にしたんだ〟、と。
昔、まだ小さかったサクとリュカは、ハンに聞いたことがあった。
武神将と祠官が玄武の力で結びついているのはわかるが、もしも祠官が新たに代わった時、前祠官の力はどうやって新祠官に移譲され、その時の武神将と結びつけられるのかと。
――普通は武神将と新旧祠官で儀式を執り行う。だがそれが叶わぬ時は、玄武の印が施されている祠官の胸、心臓を口にすれば……、緊急的に祠官の力は食したものの体内に移譲される。ただ、あくまで一時的なものだと言われているがよ。非道な上に嘘臭ぇし、ま、試した奴はいねぇな。
それを初めて試したリュカは、サクが紫宸殿に入れぬような結界を作り出すことが出来たのだ。
今、玄武の祠官の力を使えるのは……リュカだけ。
リュカは、まやかしの黒陵国の祠官になるつもりなのだろうか。
リュカが祠官の力を多少なりとも使える限り、武神将の宿命として……体内の玄武の血が、祠官の命に反することを許さない。
リュカがハンに命ずることは、ハンは従わねばならないのだ。
神獣玄武による、強固な結びつきによって。
どうすればいい?
サクはユマの後ろで考える。
自分はどうせ死ぬ身、黒崙を救えるのならどんな迫害をも受ける覚悟はあった。
ただ、どうしても傷ついたユウナに、心から笑っていられる場所を与えたいのだ。それだけが、サクにとって苦慮すべきことだった。
どうしても、こんな状態の黒崙からユウナを残して出て行きたくはない。無論、ユウナを連れて玄武殿に行く気もない。
人情味溢れる黒崙ならば、ユウナの癒やしになると思った。
だがその黒崙の民さえ、圧をかけられれば俗物となりはてる。
押された烙印により虐げられてきたリュカだからこそ、そうした人心の動きをよく知るのだろう。
こんな状況でユウナを匿って貰えない。
だとすれば、他にユウナの安住の地を見つけるまで、どうしても捕まるわけにもいかなかった。
リュカからも、ハンからも。
「サク!」
「サク!」
「サク!」
真実を語れと迫る民衆は、いまやサクの敵。つい先ほどまで、近衛兵を攪乱していたあの団結力は、サクを差し出しさえすればいいという、安直で無慈悲な結論に終結しようとしていた。
「サク!」
「サク!」
「サク!」
「お黙りなさいっ!!」
そこを割って入ったのは、ユウナだった。
「誰だ、お前は……っ」
民衆の質問に答えようとしたのは、ユマだった。
「この子は、サラ様の遠縁の子の……」
ユマが言葉を切ったのは、今まで花が活けてあった大きな花瓶を片手に歩んでくるユナが、頭に被っていた上着を、民衆の前で取ったからだ。
ふわりと長い黒髪が舞う。
そこにあるのは怪我をした顔ではなかった。
ユマの目が驚愕に見開かれる。
そこにあったのは、どこまでも自分と酷似した――、
「まさか……」
……否。
「ユウナ……姫、さま……?」
自分とは比較にならないほど、凜として美しい黒陵の姫の顔だった。
その黒い双眸は怒りに燃え、長い髪は彼女の迸るような迫力に、蠢くように靡いた。
「あたしの名前はユウナ。黒陵国、玄武の祠官のひとり娘である!!」
その声に、ざわめきがとまった。
飲み込まれたのだ、間近で見るユウナの美しさと、凜然としたその声に。
「姫様、絶対出て来るんじゃねぇって言っただろ!! ユマ、あっちに連れて……」
ユウナは手にしていた花瓶の水を何度も頭から流し、手で荒く髪を掻き毟るように洗い出した。
何事かと唖然とする民衆の前で。
その奇行とも言えるユウナの行動の意味を知るのは、サクひとりだった。
「やめろ、やめろ、やめろ――っ!! 姫様、やめるんだ!! あんたはなにも悪くない、傷を抉るんじゃないっ!! 姫様聞け、姫様、姫様――っ!!」
まだ黒色が完全に定着しきっていなかった髪は、何度も擦り上げられては執拗にかけられる水に色が薄まり、逆に流れ落ちる水の色が澱んだ黒に染まっていく。
ユウナの元に駆け付けようとしたサクは、ハンの片手に体を掴まれ、伸ばした手はユウナに届かない。
ユウナは、両手の袖で髪を挟むようにして、引っ張るようにして上から下へと、水分を拭き取った。
変わっていく。
ユウナの髪色が、黒から光輝く銀色へ――。
疑いようのない変現。
民衆の前で、彼らの国の姫の髪が、銀に染まって行く。
誰もが忌み嫌う、魔の色へ。
誰もが惹き込まれる、妖しい魔性の色へと。
「姫様あああああ!!」
サクの悲鳴に僅かに顔を歪めたユウナは、威厳に満ちた姫の顔で、怯えた顔で言葉を失っている民衆に向き直った。
「近衛兵が目撃した〝光輝く者〟とはあたしのこと。あたしは玄武殿で、リュカに父を殺され使用人をすべて殺され、そしてリュカの仲間の〝光輝く者〟に……」
「言うな……姫様、言うんじゃない!! 言わなくてもいいことだ!!」
掠れきった悲痛なサクの声に、ユウナはきゅっと苦しげに目を瞑り、そして言った。
「あたしは、凌辱された」
ユウナは泣かなかった。
真実の言葉を伝えるには、真実を語るしかない。
ユウナは覚悟したのだ。
これ以上、サクが追いつめられる姿を見ていたくなかった。
サクが愛する黒崙の民が、その父親が、サクを悪者にしようとするその状況を、黙って見てはいられなかった。
ユマが飛び出した時、サクは必死にユウナに目で合図を送っていた。
〝姫様は、絶対来るんじゃない〟
だからこそ必死に傍観していたのだが、もう耐えられない。
ユマの、サクを想う強さに心が張り裂けそうだった。
サクを必死で庇うユマがとても大きく見え、見ているだけの自分がとても矮小に思えて、反吐が出てきた。
ユマにできることが、どうして自分はできない?
自分だって大切なサクを護りたいんだ。
護られるだけではいたくないんだ。
そう思った時、ユウナの覚悟は決まったのだ。
「サクはあたしを庇っただけ。あたしが魔に穢れた存在と思わせたくなかったから、だから真実を言えなかっただけ。あたしのために、サクが悪者になるのは許しておけない!」
誰もが口を開けて、ユウナの迫力に気圧されていた。
それは生来の、支配者が持つ圧感だった。
「ハン」
ユウナは、項垂れたサクを掴んだままのハンに顔を向けた。
「……なんですか」
「長年あたしを見てきた武神将の貴方なら、あたしが本物のユウナだということはわかるわね?」
「……えぇ。間違いなく、あんたは俺の知る姫さんだ」
「ならば結構。その目は曇ってはいないようね」
強張ったままのハンに、ユウナは微かに笑った。
「玄武殿は大勢の餓鬼に滅ぼされた。副隊長のシュウも食べられた。あたしはお父様や皆を残して生きたくはなかった。一緒に餓鬼に食べられたかった。だけど……サクに救われて今、こうして生きている。
貴方の息子は、一切嘘をついていない。昔からなにひとつ変わっていない、貴方の自慢のサクよ。サクは命がけであたしを護ってくれたの。リュカやゲイから、あたしを……っ」
ぶわりとユウナの目から涙が零れた。
「ハンっ!! 貴方の息子は、あたしの護衛として使命をまっとうした。罪になることは一切していない。狂ってなどいるもんですか。あの異常な中で、四肢を砕かれながらもサクだけが味方で正常だった。
神獣玄武に誓って、このユウナがここで断言する」
ユウナは周りを見渡して、言い切った。
「これはリュカの奸計!! 弾劾すべきは、すべてを仕組んだリュカであり、サクに断じて非はない!!」
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