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騎士物語〜赤髪の騎士と黒髪の魔女〜

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「ですから、条件を交渉しているわけではないのです。」

重厚な作りの執務室に備え付けられた応接テーブルの椅子に、浅く腰掛けた若者から、硬質な声が発せられる。

「条件ではない?それは一体どういう意味なんだろうねえ…。」

対して座る、細身の女性の声も決して、有効的ではない。

若者は、ワーレン辺境伯の一門にして、切れ物と有名なカール・エドワルド・バイエルライン。若干二十歳を少し上回る俊英は今代のワーレン辺境伯の信頼も厚く、その母親は聖銀のアウグストの乳母でもある。

武を誇るワーレン辺境伯家の一門にしては線も細く、実際剣も槍も平均といった具合ではあるが、政務に明るく文官としては既に十分ワーレン辺境伯家で頭角を表していた。

対して座るうら若き女。これは人の部類に入れて良いのかが疑わしい。

魔女、古来そう呼ばれる人々がワーレン辺境伯のさらに北方に住んでいた。100年程前にまとめて王国の臣に下り、実は女だけではなく、男も子供も老人もいた事が明らかになったが、それまでは女だけからなる国で、子供は他からさらってくると真面目に信じられていた。

彼ら、特に彼女らは圧倒的な魔力を持ち、薬草学や呪術に関して王国にとって有意義な知識を有していたが、保守的であえて友誼を求める訳でもなかったため、今でも尊敬というよりは畏怖を持って王国民から接せられていた。

グリューネワルト女子爵家。当時の王国王が、ワーレン辺境伯家に向けて、特に気をつけて子爵領を監視せよと命じたとの逸話が残る曰く付きの子爵家。

当主は代々女系が務め、魔女と呼ばれる。

今代の魔女は「漆黒」のアンネローゼ。「聖銀」のアウグストと並ぶ辺境の双璧。今回の魔神大戦においても「聖銀」のアウグストに比べれば一段劣るものの、王国の魔導騎士団の大幹部としてその名に恥じない功績を残した歴とした英雄である。

そんな英雄に対して、王国有数の権勢を誇るワーレン辺境伯家の一門とはいえ、政務官に過ぎないカールが比較的気安く話をできるのは、カールとアウグスト、それからアンネローゼに今話題の寄子の騎士爵の4人が幼少時より親しく時間を過ごしてきたからによる。

ちなみにこの執務室はアウグストの執務室である。当然、当人もこの会談に参加しているが、カールとアンネローゼの議論、口喧嘩とも言う、が始まると、子供の時と同じように決して参加しようとしない。今も、侍女が入れた茶を美味しそうに飲んでる。

「私の認識では…。」

アンネローゼが十分にもったいつけていう。

「我が子爵家の婚姻に関して、辺境伯家殿に口を挟まれる謂れはないと思うんだけとねえ…。」

「それは、原則的にはそうでしょう。しかし騎士爵とはいえ、当家の寄り子と婚姻を結ばれるのであれば、予め話を通されるのが筋ではありませんか?」

カールも一歩も引かない。確かにカールの言には一理有る。厳密にいえば、寄り子は自身の領土を持っているので家臣ではない。しかし、ワーレン辺境伯家の寄り子の騎士爵となれば、彼我の権力の差は天と地ほどあり、辺境伯家の家臣も同様である。実際、家臣団のなかには騎士爵より裕福なものも多い。

「話は通そうとしていたさ。それも、しっかりとルールに則ってね…。」

アンネローゼが分が悪そうに答える。そう、確かにアンネローゼはルールを破らないよう、それでいてカールの目に触れないよう、巧妙に辺境伯家に連絡を寄越していた。承認の印が得られる直前にカールが嗅ぎつけ、待ったを掛けられたのは、カールの文官としての能力がアンネローゼのそれより、優っていたからに他ならない。

「ええ、ルールに則ってね…。」

カールが勝ち誇って言う。

「まあっ、それでもそちらの辺境伯の寄り子である優秀な騎士を婿に頂きたいというのだ。それ相応の礼はしよう。だから条件は何だい?」

珍しいことに、アンネローゼがほんの少し、焦ったように言う。

「いや、女子爵殿。そういう事ではないのです。良いお話ではあるが、今回はお断りさせて頂こう。かの寄り子には良い縁談があります。辺境伯家一門の娘と縁をもたせ、迎え入れる予定です。」

普段、カールとアンネローゼの口論で、カールが優勢に立つことはほぼない。そのため、多少勇み足もあったのだろう。見たかっ、とばかりにカールが一息に言う。

「…………………………………………………………………………はあっ?。」

しかしそれは悪手。長い長い沈黙の後、アンネローゼのまとう空気が変わる。カールが恐怖で竦む。

「もう一度言っておくれでないかい?誰が誰と縁を持つだって。」

アンネローゼが重ねて問う、既にアンネローゼの周囲では自然と魔力が練られ始め、カールを威圧する。

しかしカールも怯まない。かの御仁は確かに今は騎士爵ではあるが、次代の辺境領を支えるお方だ。アンネローゼが目をつけたのはさすがと言うほかないが、子爵領に引き抜かれてはたまらない。

「それは当家の寄り子にして騎士、ジークベルト・キルヒア…。」

カールが息を振り絞り、言葉を繋ごうとする。しかし…。



「もう良い。」

カールに最後まで言わさず、アウグストが言葉をつなぐ。

「もうやめておけ。カール。アンネローゼとジークの縁を大事にしてやれ…。」

強い魔力を持ち、人質同然に辺境伯家に預けられたアンネローゼ、加護を強く受けたが故に浮世離れしたところがあり、権力より遠ざけられていたアウグスト、アウグストの乳母兄弟のカール、そして何故かそれに巻き込まれたジークベルト・キルヒアイス。

この四人は幼少の頃より、何かと四人で行動してきた。大体はカールとジークベルトが貧乏くじを引いていたのだが…。そのため他に目が無ければ口調も気やすい。

「しかし、アウグスト様!!」

カールが食い下がる。

「良いのだ…、カール!!どうしてわからぬ!!」

珍しく、アウグストが声を荒げる。

「この女はジークの能力のため子爵領に引き抜こうとしている訳ではない!!心底ジークを好いているのだ!!領地、条件云々ではない!!」

アウグストが爆発させた特大の爆烈魔法。その魔法により、応接室の時間が止まる。

アンネローゼが恋愛?この女に人を好きになる心があったのか?特にジークは、幼少の頃より、アンネローゼにいじめられていた姿しか記憶にないが?失礼な考えがカールの頭をよぎる。

「どうして分からぬ?アンネローゼが髪を伸ばし始めたのも、ジークがこやつの黒髪を褒めたからではないか?、ジークが美味いと言った茶菓子を、我らも腹がはち切れるほど食わされる羽目になった事もあっただろう?」

そう言われてみれば、そうであった気も。いや、しかしそんな事が容易には信じられぬ…。
そう思い、カールが対して座るアンネローゼの方を見ると……。

そこには、頬を赤く染め目を泳がす、カールが見たことのないアンネローゼがいた…。

「そもそも分かり易いのだ、アンネローゼは。わざわざ大戦中も、連絡係として銀の団に来てみたり…。」

アンネローゼをみる限り、アウグストの言は当たっているのだろう。この乳母兄弟は唐突に真理をつく事がある。

しかし、乳母兄弟殿、私の経験によるとアンネローゼを追い詰め過ぎると…。

「宵闇に輝く銀月の光は、我が敵を葬る…」

ほおを赤く染め、羞恥に震えながら、魔力を練り始める幼馴染を見て、カールはアウグストの執務机の下に飛び込む。

昔からアンネローゼは自分に都合が悪くなると魔法に頼って全てを無かったことにしようとする悪癖がある。流石に成人してから見たことはなかったが、今の魔法の威力は子供の頃とは段違いだろう。

この執務机には鋼とミスリルの合板が組み込まれていて、大型魔導砲の弾でも運がよければ弾いてくれる。王国の魔導騎士で5本の指に入るような御仁の魔法などを受けては、平均的な騎士でしかないカールはひとたまりもない。

アウグスト?乳母兄弟殿は英雄だ。自分でなんとかしてもらうしかない。家臣としてあるまじき考えがカールの頭をよぎった直後、閃光と爆音がアウグストの執務室を突き抜けていった。



数ヶ月後、グリューネワルト子爵領の教会で、女伯爵と赤毛の騎士の婚礼の儀式が執り行われた。

赤毛の騎士の親友として、また女伯爵の幼馴染としてカールは乳母兄弟と共に式に出席した。そこにいたアンネローゼは黒髪を艶やかにゆい上げ、純白のドレスを身に纏い、目が眩むばかりに美しかった。

幸せに浸り、蕩けたような笑顔を親友に向ける幼馴染を見て、なるほど自分の目は節穴で、自分は確かに唐変木だったのだなと、カールは珍しく潰れるまで杯を重ねるのであった。
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