私に残った物、もうΩしかありません。

塒 七巳

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 ピアノの音がする……
 駅の中で弾いてる人が居る……
 
 青葉は慌ててイヤホンを耳に差す。

 ピアノの音は出来るだけ聞きたく無い。
 聞くと苦しくなる——
 溺れるように息がしづらい——
 
 ただ周りの音を掻き消すためにイヤホンを耳に差し、青葉は急いで電車に飛び乗った。






「高校の元彼?わー甘酸っぱーい」
 青葉が電車に飛び乗った数駅先にある高層マンションの一室で、有紗ありさは緻密で綺麗に彩られた爪をキラキラさせながら、ワイングラスを揺らす。

「甘酸っぱいていうか……。見間違いだとしても……勘弁して欲しい……」
 青葉は有紗の部屋にある座り心地の良いデザイナー家具のソファにぐったりと身を預ける。
 
「えーそれが青春ってもんでしょ?でもなんだっけ青葉がヒート起こしてどっか引っ越したんだっけ?
 それもαっぽいよね、ふふ。面倒ごとはごめんて感じ。
 ヒートのΩ前にしたら、顔真っ赤にして噛みついてくるのにねーあの人たち」
 
 
 有紗はそう言ってガラステーブルにあるおつまみに長い爪を光らせて手を伸ばす。そしてそのまま冷えたボトルを手に取ると、空になりそうな自らのワイングラスに注いだ。
 
 動揺して青葉が駆け込んだ先は、青葉もよく知るΩの友人、有彩の部屋だった。
 もう帰るのが嫌になると、青葉は時折有彩の世話になる。
 
 
 有紗は安斎 青葉になってから知り合った、唯一の友人と言って良い。


 なんだかしんみりとしてた青葉の気持ちもアホらしいと思える位、有紗と居ると飛んでいく……——
 有紗と話すと、なんだか自分の中に溜めたものがいつも風で飛んでいくような感覚があった——
 
 青葉はそうすると、少し体が軽くなる。
 
 
 一人が住むにしては余りに広過ぎる部屋で、夜景を眺めながらワインは進んだ。
 この何万という光に中に、数えきれない人の人生がある……それは上から見る分には確かに美しい。



 有彩と初めて出会ったのはΩの保護施設だ。その頃から有紗は一際人の目を引く容姿を持っていた。
 整った小さな顔にショートカットがよく似合う美女で、手足も長く背も高い。
 
 今ではモデル業も片手間でしているが、片手間でも問題は無いほど有紗の暮らしは潤っている。
 
 αの愛人として暮らしている為だ。
 


「もういい加減昼の仕事なんて諦めたら?全然稼げないじゃん。気に食わないのは分かるよ?
 働くのも、学校行くのもままならなくて周りにバレない様に毎日緊張しながら生きてきたのに、なんで職の自由も無くて愛想振り撒いておべっかまで使って、時に体張ってまで稼がなきゃいけないのって。
 青葉は確かにそういうの向いてないと思う。でもΩって昼職じゃほとんどお金稼げないじゃん?その割に抑制剤やらなんやらでコスパも悪いし、それでもヒートの時にαとか相手が居ればまだマシっていうか……。 ほーんと、長生きしないわけだよ、Ωってー……」
 
 ペースの早い有紗は、そろそろ二本目のボトルを空けそうだった。
 

「だけど、私達はそもそもαの為に存在するんでしょ……?
 αの庇護を受けなきゃ生きていけない、ペットと同じなんだよ。αに従順に生きてれば、不自由なく暮らせる。
 愛とか恋とか別にして、尊厳とか自尊心とか諦めたら…生きてはいけるんだよ」
 話している内容とは裏腹に、有紗はご機嫌にそう言うと、赤く染まった頬と一緒にフラフラと体を揺らし始めた。
 

「それって……楽しいの?」
 あくまで、純粋な疑問だった。
 
 生きていて、楽しいの——?という青葉の思いを、有紗も少なからず察している。
 

「楽しいフリしてれば楽しい気がしてくるよ。なんでも買ってくれるし、生活に不満も無い……
 リッチな人達と絡んで自分もセレブな顔してさ。上部だけ取り繕って、本当の私とかそういうのは、誰も求めてないもん。あとはいつ捨てられても良いように、準備しとく位?」
 有紗は眠そうに欠伸をした。

 有紗は持って生まれた若さとスタイル、そして美貌とΩを売って生きている——
 

「……最近あの人子供産まれたんだけどさー、離婚するから結婚してくれって言われてて困ってるんだよねー。子供αじゃ無かったみたい。ほら奥さんβらしいんだ。
 離婚とかもう笑っちゃう。結構歳下だけど凄い良いところのお嬢様だし、学歴も役職も申し分無いって自慢してたのに……本当、そういうの勘弁して欲しい」

 有紗は長いまつげに囲まれた目を半分程開けると、虚無を見るような目つきでそう言った。

 有紗とあの人の関係に、一緒に歩けるなんて未来は有紗に微塵も見せてはいけないはずだ。
 希望を抱かせて喜ばせたいとしても……——残酷な仕打ちに変わりはない。
 
 そんな未来は無いと分かっているのだから。
 
 
 世間に許されない生き方なら尚更、それが最低限の礼儀だろう。軽々それを蔑ろにするあの人に、有紗はきっと蠢く様々な黒い感情を隠して微笑んだに違いない。あの人に求められている通りに、自身の立場を弁えて……



「あっそうだ……オークションは?処女なんでしょ、まだ?」
 処女、のフレーズは有紗の目を煌めかせる。最初そう言った時の有紗の興奮を、青葉は今でも覚えている。

「あぁ……あれねぇ…… 。その話好きだねぇ……30歳もギリギリだけど……」

「30歳以下対象なんでしょ?逆に貴重じゃない?その歳で処女のΩ……
 昔なら凄い価値ありそう。新品未使用、誰も開けてないヴィンテージ的な?」
 なんだか財宝でも見るような目つきで有紗は青葉を見る。

「私達たださえヒートでまともに働けないし、バレたら終わりだから長く同じとこ居れない。お金さえとりあえず確保出来れば、時間作れるよ。
 勉強も捗るし……。ていうかクマ凄いよ?ちゃんと寝てんの?」
 
 有紗には簡単に青葉がどうしたいか、何をしてるか伝えていた。
 資格だってこれだと思ってる訳でも無い。ただ、あればもっと楽に生きれると思って高収入になりそうなものを選んだだけだ。
 
 青葉もワイングラスに入った白ワインを仰ぐ。
 
 確かにワインは驚く程美味しいが、青葉は詳しく無い上に価値も分から無いので、無相応甚だしい。
 酔えば変わりなくとも、価値の分からない人間に飲まれるなんて、生産者からしたらさぞ無念だろう。
 そして価値を知って対価を支払っている人間にしたら、怒り狂ってもおかしくは無い。

 価値が分からないなら、その価値はその人にとって無いに等しい。

 青葉からすれば、呪いと呼んで差し支えないΩに価値を見出す事なんて出来ない。
 けれど、αは違う。
 
 
「……青葉、もしかして今でも好きな人とって考えてるの?」
 少しだけ聞きづらそうに、有紗がそう青葉に尋ねた。

「まさか。もう、そんな訳無い……」

 青葉の歯切れの悪さに、有紗もどこか察する思いはあった。
 

「でも、なんとなく分かるよ……。
 私はとっくにそういうの捨てちゃってきたけどさ」
 それだけ言って、有紗もワインを口にする。

 
 自分は価値なんて、無いに等しいように青葉には思えていた。
 けれど、世間は違う。
 αは奪い合うようにしてΩを求めている。
 様々な思惑と欲望の下、このワインと同じように……


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