私に残った物、もうΩしかありません。

塒 七巳

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 雨の時は、必ず二人、同じ傘に入って駅まで歩いた——

 
 青葉が傘を持って現れると、海途は手に持った傘を急いで閉じて、傘無いから入れて、と分かりやすい冗談を言って柔らかい笑みで青葉の傘の中へ入ってくる。
 
 海途は知的で大人っぽく見られる外見の通り、確かに落ち着きもあって、正しく容姿端麗、品行方正が似合う学生だった。
 それでも、あの頃はまだやんちゃで……
 よくふざけて、よく笑う……そんな青年だったのだ。
 
 そんな海途のギャップが、何度青葉の胸を高鳴らせただろう……
 
 
 同じ傘の下、雨の音がうるさくて、顔を近づけてお互いの言葉を全て拾おうと必死になっていたあの頃——

 雨も、雨の匂いも嫌いじゃ無かった、あの頃……——

 むしろ、雨の音が好きだった。

 雨を理由に、お互いがもっと近くに感じられたから……——
 
 
 
 あの頃の自分は、確かに消したはずなのに。なんでまた、思い出してるんだろう……——
 青葉は駅に着くと暫く立ち尽くして、早く帰らないといけない体はピクリとも動かない。
 
 自分で決めた事……自分で望んで——
 
 青葉は顔を曇らせ、ギリっと歯軋りした。
 
 
 
 

 翌朝、青葉は書類が無事なのを確認してポストへ投函する。
 そのまま、足を止める事無く、青葉は仕事場へ向かった。


 時間が合わなければ、早々海途に会う事はない。
 
 10年ぶりの再会、だから何だって言うんだ……—— 海途の態度は、余裕があった。
 所詮は昔の出来事——気にしていない、そんな態度だ。それで良い。他人のままなら、もっと良かったが……
 
 だがそう青葉が思って長く掛からず、海途は青葉の前に現れた。
 白シャツにネクタイを締め、そのスタイルの良さは遠くからでも確認出来る。
 その姿に一瞬目を奪われても、嫌な予感はすぐに青葉を警戒させた。
 
 レジの前に居た青葉は顔を強張らせ、背を向けて他の業務に移る。
 
 一瞬だが海途を捉えた青葉の目には、余り機嫌が良いようには見えない海途の顔が焼きついていた。
 
 
 傘の件が、癪に触ったのだろうか……——
 好意を無下にした、こっちは気にして無いのに、そちらはなぜそんな態度を……と——?
 そんな態度を取る資格が、果たしてお前にあるのか?——

 青葉の耳には、聞こえもしない海途の文句が聞こえてきそうだった。
 αは自信と実力に裏付けされてプライドも高い人間が多い。ましてやこの職場では、プライドだけが高い客もよく見かけた。
 
 
 海途の革靴の音が、青葉の背中の向こうから近付いてくる。清潔感に溢れ、洗練された香水の香り……——
 仄かに香るのに、しっかりと記憶に残る海途の香りが、その存在を確かに近く知らせる。


 仕事中だ、逃げ場が無い……——
 
 
 「青葉?」
 
 青葉の額に冷や汗が滲み出しそうになった時、青葉を呼ぶ、よく見知った声が降ってきた。青葉は直ぐに顔を上げる。
 
 
 あっ……と青葉が声を漏らすと、青葉の背の少し先で、靴の音は止まる。
 
 
「永瀬……?」
 
 その声は青葉を呼ぶ代わりに、晴臣の名前を溢した。
 
 晴臣は直ぐに視線を呼ばれた方へ移し、パッと嫌味の無い笑顔を浮かべる。
 
 
「ああ、橘じゃん!久しぶり!」
 そう言いながら、晴臣は青葉の肩を押し避けて、海途と青葉の間に体を進めた。
 
「何年か前の同窓会以来じゃない?いつだったっけ?一時帰国した時——」
 
 晴臣は海途と何気ない会話を続けて、絶妙な距離感で青葉が少し影になるような位置に促した。

「いや、でも長い間お疲れ。動画見たよ、愛されてんなー、相変わらず」
 晴臣の声色だけで、ニッコリと笑みを浮かべている晴臣の姿が、青葉には想像出来る。その半分は営業スマイルというやつだろう。

「そっか、部署ここになったんだ。エリートじゃん、流石」

「……永瀬だって弁護士になったな、宣言通り」

「ああ。まだまだだよ……。そうだ仕事紹介してよ。
 出来れば友達の友達ね?
 友達だとほら、気まずい場合あんじゃん?友達が有責だと余計——」
 
 歌う様な口調で、晴臣はヘラヘラと冗談を言っている。

 青葉がそっと振り返って、晴臣の背中を見ると、晴臣の腰に回した右手が、背中の前でヒラヒラとしていた。
 どうやら海途に気付かれないように、青葉に早く行けと言っているらしい。

 本当に流石なのは……——
 
 そう思って、青葉は少し笑みを浮かべた。晴臣の広い背中が、頼もしく、肩の力は抜ける。
 
 そのまま、青葉は顔を上げて仕事に戻った。



 青葉が気付いた時、既に二人は居なくなっていた。


 人数が足りないので、業務は多い。それでも、早めに帰れる事に青葉はホッとしていた。
 店の外に出ると、青葉は駅までの最短経路をすぐさま考え出す。

 だが、それを阻むように、ヌッと大きな体が青葉の行く手を阻んだ。
 
 ビクッとして顔を上げれば、相変わらずの端正な顔立ちが青葉を見下ろしている。
 記憶よりもより大人っぽく、大人の色気を称えた佇まいだけが、どこかいまだに見慣れない。
 

「……永瀬とは、まだ付き合いあったんだ。随分仲良いんだな」
 
 不意打ちで現れてそんな事を言う海途に、青葉は改めて呼吸を落ち着かせる必要があった。
 
「……元々、幼馴染だし」
 
 努めて落ち着いて、青葉はそう言った。

「話がしたいんだけど。この間は急いでたみたいだから」
 海途は先日よりもやはりどこか苛立っている様に青葉には見えた。海途の機嫌を窺う必要は無いのに、それがどこか気になって、青葉も少しその態度が癪に触る。

「ここで聞きます」
 青葉が毅然とそう言い放つと、海途は口元に手を当てて一瞬何かを考え、体を丸めて青葉の耳元にずいっと近付いた。

「ここじゃ無い方が良いと思う」
 
 耳元に、海途の息がかかって、青葉の耳元の後れ毛が揺れる。
 

「あの時見た書類の事。永瀬は知ってる?」


 海途の声は鋭い。
 
 
 青葉は海途を軽く睨み付けながら、震える唇を噛んだ。
 
 
 
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