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しおりを挟む「なんだよ、鏡見たらおばさんでビックリした?」
「……」
「いや、和まそうと思っただけだって……。ごめん、冗談。そんな顔してたらシワ出来るぞ」
見知った柔和な顔立ちの人物が、困ったような笑みでこちらの様子を窺っている。笑えもしない冗談なのに、晴臣が言うと青葉の緊張と警戒は不思議と解れ始めて、意識は自然と郷愁に浸ってしまう。
晴臣以外に同じ言葉を言われたら、なんて無神経なんだろうと呆れ返るだろう。
「変わらないね……。晴臣って」
青葉が半分嫌味ぽく返しても、晴臣は両眉を上げておどけて見せた。
ほんの数年前に会ったような気がするが、実際は10年経っているなんて青葉には未だに実感が湧かない。
今の自分が三十路前だと教えてくれたのは、担当医と専門のカウンセラー2人の、3人が揃った席だった。
いつもと変わらぬ病室で、神経質そうな風貌の、白髪混じりで初老のカウンセラーは、淡々とそれを青葉へ告げた。
青葉の反応をじっと観察する3人の目に、青葉は最初呆気に取られて何も言えなかった。
確かに驚いた——
けれど、もっと信じられんかったのは、この体でそこまで生きていたのか——という事実だ。
一体このヒートをどう乗り越えてきたのか、一体どう生活していたのか、全く検討がつかない。
まさか、と思い首筋に触れても、そこには勿論何の印も無い。
当たり前だ、ヒートが来た——
そう思っても、どこかで少し、期待していた。誰かが、たった1人でも、Ωの青葉を待ってくれているかもしれない——
帰る場所があるかも……そんな馬鹿げた妄想に、青葉は思わずハッと嘲笑が漏れる。
青葉の一挙手一投足に、3人はそれぞれ当たり障りの無い言葉と今後のことを語りかけていたが、正直余り記憶が無い。
そんな時に告げられたのが、晴臣の名だった。
忘れよう忘れようとする思いとは裏腹に、本当は自身の記憶の中に存在するもの全てが、青葉は恋しくて堪らなかった。
何度も何度も同じことを考えて、結局青葉は晴臣の面会を承諾した。
大人びた風貌は確かに青葉の知らない晴臣だったが、幼い頃からよく知るその面影は、そこかしこに残っていた。
青葉という人間を作り上げた時間が確かにそこにあるという安堵感は、意図も容易く身構えて固くなった自身を懐柔する。単純過ぎる——けれど、確かに効果覿面に、晴臣はするりと青葉の懐に入り込んできた。十八番ですから、と言わんばかりの余裕さで——
「そりゃ金掛けてるから」
「……違うよ、性格」
晴臣は青葉のいるベットの脇の椅子に腰掛け、自身の顔を撫でる。光沢のある手入れされた肌は、確かに若々しい。
ベットのリクライニング機能を使って、青葉は上体を起こし、2人の目線はほぼ同じ高さだった。
「今の俺は昔より一層ユーモアで知性あふれる大人の男なんだよ。……ほら、俺、弁護士になったんだ」
そう言って晴臣は、スーツに付けたバッジをさりげなく青葉に見せた。
晴臣にとっては、いつかも発した同じ言葉だ。それをもう一度、青葉に伝える。
二度目——
晴臣が一瞬目を細めて青葉を見ると、驚く青葉の顔は、一度目よりも大きなものだった。正しく、初めて聞きました、というその反応は、残酷にも共に過ごした時間がポッカリと抜け落ちた証拠だ。
そして、晴臣は一瞬子供の頃の青葉を思い出した。
そんな素直な青葉の感情表現を、晴臣は長い間見ていない。それが嬉しいのか悲しいのか、晴臣にもよく分からなかった。
「まだ……夢、見てるみたい……」
青葉は晴臣のバッジを眺め、そうポツリと呟く。
「まさか……地元の、昔から知ってる人に会えるなんて、思ってなかった。もう二度と、会えないと思ってたから……」
青葉は目を伏せ、そう続けた。
「しかも、弁護士だなんて……あの晴臣が」
この先、再会するまでの青葉が、どう変貌していったのか、晴臣は知らない。 再会した頃はいつも緊張していて、ギスギスとした雰囲気で、常に警戒しているような青葉だった。
けれど垣間見えるよく見知った過去の姿が、晴臣には懐かしくて堪らない。この距離感は、晴臣もよく知っている。
「あの?あのって言った今?……面会、辿り着くの大変だったわー。何枚紙書いたと思う?受験の時より手使ったせいか腱鞘炎になったかも。その上面談面談面談て、俺は容疑者かよ。尋問だったわ普通に」
晴臣がそう言うと、青葉が小さく息を吹き笑みを堪える。その様子は、晴臣を心底ホッとさせた。
晴臣は青葉と面会出来る機会が来ないかもしれないという可能性も頭に入れていた。
全てを捨てざる得なかった青葉が、いくら天涯孤独になったからといって、かつての幼馴染に会おうという気が起きるかどうかは分からない。
一度目の再会は、本当にただの偶然だった。その時も、最初は知らぬ存ぜぬを通そうとしていたのも青葉だ。
そっとしておいてほしい——そんな気持ちがあっても不思議ではない。
事実、晴臣が面会を希望してからかなりの時間が空いた。その間に念には念を押すような細かな行政からの問いに、晴臣は根気よく丁寧に一つ一つを説明した。
私は怪しい者ではありません——
決して青葉を利用するような人間ではありません——
その証明には確かに途方もない時間を要したが、仕事柄、こういったことには慣れている。
ただ、それにしたって長すぎる——
正直、そう思っていたのも事実だ。
つまりは、青葉が望んでいなかった——それに加えて、とても面会出来るような状態では無かった——
と晴臣も察している。けれど、目の前にいる青葉は、相変わらず華奢ではあるが栄養状態も良さそうで、顔色も良い。
病院から聞いていた状態とは、似ても似つかない。
そんなに長く無い時間で、ここまで落ち着くものなのだろうか……——
目の前には、安定した穏やかな雰囲気を纏っていた青葉が薄らと微笑みを浮かべている。
それが、晴臣には少し引っかかった。
知っているのに、全く知らない青葉にさえ見えたから——
「……晴臣。……い、」
「……ん?なに?」
他愛の無い会話が続いて、それが途切れた後、もう一度口を開いた青葉は言葉を止める。正確には、それ以上言葉が続かなかった。
晴臣が来たら、聞いてみよう——そう、決めたのに。
一樹は、どうしてる?——
仲の良かった晴臣なら、一樹の近況も知っている——それは青葉も予想が出来た。知りたくないようで、知りたいような、聞いてはいけない聞かない方が良い——あらゆる思いが一瞬の内に青葉の頭に過る。
晴臣から聞きたい言葉は、一体なんなんだろう——
一樹は、両親も皆、幸せにしてる、そう聞けたなら満足なはずだ。
なのに、青葉は確かめることを躊躇した。
幸せに暮らしている——
私が、居ないから——
それが許せない訳では無い。むしろ嬉しい——そう言い聞かせる自身を慰めるだけの余力が、今の青葉には既に無いと、続かない言葉を飲み込んだままの青葉は気づいた。
先も見通せず、足元は真っ暗なままだ。
今、自分はこんなにも外の世界から守られているのに。
——青葉も、なんとなく腹部の傷跡については見当がつき始めていた。
Ωの自分——
そう考えれば、トラブルはいつだって起きて然り——
事故なのか、それとも刺されたのか、あるいは……自分で刺したか——
未だ誰も青葉には教えない。
失敗したんだ、きっと——
青葉の直感はそう言っていた。
そして、そうであれば良かったと、実際青葉は自由の利かないこのベッドの上で、何度も思い浮かべた。
この先に居た自分が、望まないはずがない——
頻繁に行われるカウンセリングでは、どこか遠回しに希死念慮について尋ねられることが多かった——
やっぱり……——
失敗した——
きっと、自分が——
そう結論付けて、パッと浮かんだのは物々しい防護服を纏ったαの医師だ。
いつも優しく丁寧に診察を施してくれる医師——
あの医師を目の前にすると、大丈夫です、としか青葉は言えなかった。
もし、あの防護服を脱いだら……——あの医師も、豹変するのだろうか?目の色を変えて、考えられない程の力で……——
青葉の命を救ってくれた人は、同時に青葉をいとも簡単に踏み躙ることの出来る人だ。そして、自分は喜んでそれを受け入れる——
あの雨の日が、それを確かに証明した——
「あんまり考え過ぎんなよ、特に今は。
体、しっかり治さないとな……」
晴臣は、何か言いかけたまま止まる青葉に、そう声を掛けた。
それ以上、晴臣は聞き返したりもしない。
晴臣は、やはりもう青葉の知る晴臣では無い——
青葉も、もう晴臣の知る青葉では無いのだろう——
晴臣の言葉にしない気遣いが、身に付けられた平然さが、青葉には感じたことの無い確かな違いをその目でしっかりと認識させる。
「また来るから。絶対……」
晴臣はそれだけ言って、帰る時には軽口は叩かなかった。
1人にしては広過ぎる病室が、夕焼けに染まる。
どこからか差し入れられる本くらいしか、この部屋には無い。
ずっと同じ態勢のまま、青葉はぼんやりとどことも言えない場所を眺めていた。
オレンジ色の光が差し込んだ部屋は、陽の光のみが時間の経過を示している。
静寂に空気が重く感じた。その重さが、青葉には心地が良い。
聞き分けの良いフリも、随分身に付いてきた。事実、青葉が大人しく従順にしていれば、監視の目は緩み、限られた自由が少しづつ増える。
ヒートを経験した身からすれば、ただこんな風に時間が過ぎるのも贅沢だ。
ヒートの間は苦痛と情欲に身を焼かれ、
時間の流れは恐ろしいほど遅かった。
溢れ出しそうな不安も恐怖も、叫び出しそうな怒りや震えも、ちゃんとコントロール出来るようになった。
でなければ、早くここからは出られないと、分かったから。
青葉は自身の軽く組んだ手をギュッと握り直す。
意識が途切れる間際、その間際だけがこれ以上無いほどの幸福感を味わえた——
もう、絶対に聞けないと決めつけていたのに、飽きるほど聞いたメロディが運んでくるのは、いつかも経験した期待と高揚感なのだから、タチが悪い。
今更どうしたって出来もしないのに、まるで出来そうな気にさせる——
あの映画のエンドロールのその先に、
青葉のような耐え難い現実が待っているかもしれない。だからこそ、心惹かれる美しい夢物語だった。
大好きだった——
これが、最後の機会かもしれない——
いや、もし、最後なら……一目でも会ってみたかった。
怖いもの見たさ、でもある。
あの美しく繊細で、希望を抱かせるようなメロディのまま……——
逃げたことを許してほしい——
いや、違う——
もう、気にも止めてないでしょう?——
αの罪悪感を利用して、同情心に付け込みたい。
惨めたらしく、今の自分を晒したい。
可哀想だと思って欲しい。
苦い初恋というより、可哀想なΩで終わりたい。
自分を見る海途の目に映る自分を憐れんで、いくらだって自身を突き刺したい。
その痛みが欲しい——
先に手を離して逃げ出して尚、未だ制服姿で強がり、怖気付き、泣くことさえ出来ない自分を慰めてあげたかった。
とっくの昔の話だと、過去のささいな出来事だと、戸惑いながら、無関心でも構わない——
綺麗なアーモンド形の目で、冷たく見下ろされて、軽蔑されてもいい——
どうせ踏み躙られるなら、自分でこれ以上無いほどすり潰して、痛みさえ感じない位にしてみたい。
そうすれば、きっと……——
自分が居ても居なくても、時間は流れて日は沈み、また登る。誰かの最上の日であって、だれかの最悪の日でもあるだろう。
もう、こだわる必要も無い——
執着する理由も、消える——
今度は、もう失敗しない。
数日後、もう一度晴臣は病室へやって来た。愛らしい、小さな花のブーケを持って。相変わらずの柔らかな空気が、青葉を安堵させる。
まるで様になって無い——
らしく無いことしないでよ——
そんな風に笑って言いたい気持ちはあった。
けれどそこに少なく無い罪悪感と、自己嫌悪を感じた。そして、そんな空気から、早く解放されたい——とも願った。
この安堵は夢物語同様、青葉には実体がなく儚い——
長くは続かないと知っている。
きっとこの花が枯れても、2人の記憶にしか無い光景は、目に見えない何かは、どこかに残るのだろうか——
「ありがとう。可愛い」
本当は、可愛いとさえ、思えなかった。
罪悪感が喉を突き、余計に青葉の首を締める。
けれど、口の端には笑みを浮かべられていた。
「晴臣……お願いがあるの」
穏やかにそう言って晴臣を見上げる青葉の黒い瞳孔が、一層暗く晴臣には見え、晴臣は一瞬顔を強張らせた。
「……何?どうした?」
「……橘くんに会いたい。私、橘くんに会いたいの」
小さくか細いのに、その声はハッキリと広い病室に響いた。
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