マスタードラッグⅠ〜アルター・エゴ〜

本城遊斗

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第一章 モルモットに利尿薬を与える

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 どれぐらい時間が経ったのだろう。目を開けると隣に水晶みあきが座っており、ペットボトルのコーラを喉を鳴らして飲んでいた。
「あ、気がついた? 人間ってああやって倒れるのね。演技の参考にさせてもらうわ」
 その姿はもうバスタオル一枚ではなく、当初着ていたグリーンの手術着だった。水晶みあきの髪はまだサウナの湿気で濡れたまま乾いておらず、額に張り付いている。それほど時間は経っていないのだろう。
「そうか、俺は倒れて……」 
 タイルから体を起こし、周囲を見渡した。汗が蒸発していく気化熱で涼しさを感じる。背後にはさっきまで入っていたサウナがある。ここは大浴場のようだ。円形の浴槽の中心部にはギリシャの神殿を模したようなデザインの柱が鎮座しており、そこからお湯が浴槽に流れ込んでいた。
 気がつけば俺も手術着を着ていた。ふと思い当たってポケットに手を突っ込むとピルケースに指先が触れた。ほっとした。今は気分が落ち着いている。飲む必要はないだろう。 
「ああ、着替えさせてくれたのか。ありがとう水晶みあき
「は? 私じゃないわよ。彼よ」
 渋面の水晶みあきが指した方――脱衣所から、メビウスがやってきた。仮面の下が蒸れないのだろうか。サウナに比べればましとはいえ、辺りには湯気が立ち込めているというのに。
「いやはや、大変でしたね双海ふたみさん。ポカリでいいですか?」
 どうも、と差し出されたペットボトルを受け取って口をつける。乾ききった体は猛烈に水分を欲しており、細胞のひとつひとつが潤っていくのを感じた。
「ふふ。しっかしあなたのアレさ、ナポレオンっていうよりは、ねえ……」
 水晶みあきはにやけた顔を浮かべている。
「そうですね。双海ふたみさんのはせいぜい足軽といったところでしょうか」
「フランスは足軽じゃないでしょう?」
 水晶みあきは心なしか大変ご機嫌麗しゅう様子だ。
「そうですね。ポーン? それとも歩兵?」
「おい、何の話だ。何の話なんだ?」
 そんなこんなでしばらくは水分補給の時間が続いた。俺たちは大量のジュースを要求したが、メビウスは快く答えてくれた。
 やがて汗が引いてきた頃だった。メビウスの言葉に耳を疑った。
「さて、準備も終わったところで、そろそろ本番に入りましょうか」
「え……?」水晶みあきもうんざりとした様子だった。「今ので終わりじゃないの?」 
「サウナに入ってもらったのは、体内の水分量をリセットするためですよ。その証拠に途中で退室してしまった双海さんもまだ生きているでしょう。薬も飲んでいただいておりません。でも、これからいよいよ薬を投与しますよ」
 水分量をリセットする意図は何なのか。いや、それよりも――。
「な、なあ。注射は嫌だ。苦手なんだよ」
「そうなんですか? しかし、内服ですよ。安心してください」
 メビウスはポケットから錠剤シートを取り出すと、一粒ずつ俺と水晶みあきに配った。白色の錠剤だ。まだ大学では一般教養がメインで、薬理学の授業はそれほど多くない。外見からどんな薬なのか判別することはできない。いや、違う。これは新薬だったか。まだ市場に出回ってはいないから、誰も見たことがないのだ。
 お互い牽制するかのようにタイミングを見計らっていたが、最終的にはほぼ同時にジュースで飲み込んだ。それを確認してメビウスは言う。
「今飲んでもらったのはフロセミドというループ利尿薬です」
 予想外なことに、それはすでに認可されている薬だった。
「簡単にいうと尿を出すお薬ですね。第一フェイズのルールは一つ。先に失禁した方が負け――死にます。制限時間は無制限です」
「え、そんな……」水晶みあきが青ざめた。「だって今、ジュースを……」 
「不服ですか? 鳴瀬なるせさん」
「わ、私の方がいっぱい飲んでたわ。不公平じゃない」
「いいえ。サウナから先に出たペナルティで双海ふたみさんに一本多く与えました。鳴瀬なるせさんが飲んだのは500ミリのペットボトル二本。対して双海ふたみさんは三本。むしろあなたの方が有利ですよ」
「こ、こんなことして何がわかるっていうの? 何の臨床試験なのよ?」
「それは秘密です。目的を伝えればバイアスがかかる。被験者に薬効を意識させ、プラシーボ効果となってしまう可能性を排除しなければなりません。ともかく、スタートです」
 スタートです、と言われても俺も水晶みあきも突っ立ったままだ。当たり前だ。やることがない。ただ相手が失禁するのを待ち、自分は尿意を我慢するだけなのだ。ゲーム性は何もない。ゆえに戦略も存在しない。
 膠着状態が想定されたが、尿意を我慢できるかどうかという心配は、開始から十分も経たないうちに消失した。どちらが優勢か、目に見えて明らかとなったのだ。
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