29 / 52
4その2
しおりを挟む
「シャーウッド・ローズのスケッチかい? 何処にだったか、仕舞ってあるから……ちょっと待っていてもらえるかな」
普段は接待に使われるのだという、出窓が特徴的な二階中央のサロンに通されたところで、ミス・キャロリンがアーサー氏にスケッチの有無を尋ねたらしい。使用人のフレッド氏に先んじてバルブを捻っては照明の機関ランプを点灯させつつ、入った戸口から右手側にある本棚に近付いたアーサー氏は、「たしかこの辺りに……」と呟いて、しばらくすると何枚かの紙を持ち出して戻って来た。
「マチルダ・スミス女史が描いたものではないから、ボタニカル・マガジンにも載せられていない貴重なスケッチなんだけれど、キミはエドウィンストー出身だからね。特別に見せてあげるよ」
「ボタニカル・マガジン、ですか?」
目を丸くして驚いた様子を見せていたミス・キャロリンは知っているようだが、千早には初耳である。
「まあ、普通の人は知らないよね。まして日本人ともなれば、無理もない」
聞けば、カーティス・ボタニカル・マガジンとは一七八七年から発行が開始された植物画雑誌ということだった。キューガーデン――王立植物園で働いていたウィリアム・カーティス氏が創刊したという、歴史と権威のある雑誌らしい。現在は、マチルダ・スミスという女性が図版を担当しているのだとか。
そうした説明を受けてから書架に目を向ければ、それらしき雑誌がびっしりと敷き詰められているのが分かる。許可を得て一部を手に取らせてもらえば、豪奢な植物画が美しい雑誌であることが理解できた。植物に関する説明文も添えられて有るにはあるが、おそらくメインは図版の方であろう。
買って日本に送れば、きっと千颯が喜びそうだ、と思う。とはいえ学術書ともなれば高価だろうし、難しいだろうか。
「うーん、ポストカードでもあれば……」
「おや、故郷に送りたいのかい?」
「え? はい。図版が美しいので、もしあれば許嫁が――幼馴染が喜びそうだと感じたもので」
「今、手元にスミス画伯の物はないが……わたしの古いスケッチで良ければ差し上げるよ。日本の女性に贈るとなると……うむ、やはり桜がいいだろうか」
遠慮している間もまるでない。あれよあれよと思う間に、書棚から桜のスケッチが出てくる。そうして取り出してもらった絵を見せてもらえば、書籍のアートと比べても遜色のない出来映えに見えた。
「桜、それも染井吉野……ですね。本当に、いいのですか?」
「練習で書いたものだからね、特に使い道のないスケッチなんだ。これで喜んでくれる女性がいるなら、描いた身としては嬉しいものだよ」
「ありがとうございます。きっと千颯も――幼馴染も喜びます」
なんて良い人なのだろうか。これは、是非ともアーサー氏のことも手紙に書かなければなるまい。などと思っていると、シャーウッド・ローズの図版から眼を離してミス・キャロリンが、桜のスケッチを覗き込んできた。
「チェリーブロッサム・ソメイ・ヨシノ……それがマサズミの、故郷の花なの?」
「春の、ほんのひと時だけ花を咲かせるんだ。花その物もだけれど、何よりも散り際がとても綺麗な花なんだよ。桜吹雪と言ってね、まるで雪が降るように花弁を風に乗せて散らすんだ」
「散るのが良いの? 不思議な花ね……」
目をパチクリさせて、キョトンとしている。まあ、実際に見なければ分からないこともあるだろう。
「そうだ。見せてもらうばかりもでいるのも悪いから、わたしの故郷の花も見せてあげたいのだけれど……」
期待を目に宿しつつアーサー氏を振り返るミス・キャロリンに、彼はしばしば悩むそぶりを見せた後、「まあ、かまわないよ」とて、小さく首肯した。あるいは、女性に甘いのかもしれない。
して、シャーウッド・ローズは、名に薔薇とついてこそいるもののバラ科の植物ではないらしい。淡い青色をした薔薇様の花を付ける未知の植物とのことで、茎に棘も無ければ、葉もシダに似た姿をしているようだった。一見して異形の植物であることは明らかである。
「葉も美しければ、青い薔薇のような花を付ける……なんとも不思議な植物ですね」
美しいが、それだけではない。怪しい魅力をもった植物だということが、図版だけでも分かった。またアーサー氏がこの花に魅了され、それ故に持ち出してしまったのだろうことも、理解ができた。否、理解できてしまった。
「魔力、に……似た物を感じるわね」
声がして、振り向けばコレット女史が立っていた。
「……魔力、ですか?」
「図版だけでも分かるわ。この花は特別よ。魅了されたら最後、欲しくてたまらなくなってしまう……そんな蠱惑的な魅力を感じるわ。ミスター・アーサーは、薬効だのなんだのと理由を付けていたけれど、持ち出した理由を推察していいなら、単に、植物に魅了されただけ……なのではないかしら?」
コレット女史の視線を受けたアーサー氏が眼を逸らした。肩をすくめて、図版に手を伸ばす。
「わたしは、一部のプラント・ハンターがするような、過激なことをした覚えはありませんよ。おかしな憶測はやめていただきたいものですな」
ミス・キャロリンの手からシャーウッド・ローズのスケッチを取り上げたアーサー氏は、図版を折り畳むとそのまま書架の方にすたすたと早足に近付いては、棚に収めてしまった。
一部のプラント・ハンターがする過激なこと――森を焼くなどはしていない、ということだが、一方では、その場に有った株をすべて持ち去っているわけで。そうした行為は、過激とは言わないのだろうか。
「まだ見たかったのになぁ……」
ミス・キャロリンの恨めしそうにする声が、広いサロンに小さく響いた。
普段は接待に使われるのだという、出窓が特徴的な二階中央のサロンに通されたところで、ミス・キャロリンがアーサー氏にスケッチの有無を尋ねたらしい。使用人のフレッド氏に先んじてバルブを捻っては照明の機関ランプを点灯させつつ、入った戸口から右手側にある本棚に近付いたアーサー氏は、「たしかこの辺りに……」と呟いて、しばらくすると何枚かの紙を持ち出して戻って来た。
「マチルダ・スミス女史が描いたものではないから、ボタニカル・マガジンにも載せられていない貴重なスケッチなんだけれど、キミはエドウィンストー出身だからね。特別に見せてあげるよ」
「ボタニカル・マガジン、ですか?」
目を丸くして驚いた様子を見せていたミス・キャロリンは知っているようだが、千早には初耳である。
「まあ、普通の人は知らないよね。まして日本人ともなれば、無理もない」
聞けば、カーティス・ボタニカル・マガジンとは一七八七年から発行が開始された植物画雑誌ということだった。キューガーデン――王立植物園で働いていたウィリアム・カーティス氏が創刊したという、歴史と権威のある雑誌らしい。現在は、マチルダ・スミスという女性が図版を担当しているのだとか。
そうした説明を受けてから書架に目を向ければ、それらしき雑誌がびっしりと敷き詰められているのが分かる。許可を得て一部を手に取らせてもらえば、豪奢な植物画が美しい雑誌であることが理解できた。植物に関する説明文も添えられて有るにはあるが、おそらくメインは図版の方であろう。
買って日本に送れば、きっと千颯が喜びそうだ、と思う。とはいえ学術書ともなれば高価だろうし、難しいだろうか。
「うーん、ポストカードでもあれば……」
「おや、故郷に送りたいのかい?」
「え? はい。図版が美しいので、もしあれば許嫁が――幼馴染が喜びそうだと感じたもので」
「今、手元にスミス画伯の物はないが……わたしの古いスケッチで良ければ差し上げるよ。日本の女性に贈るとなると……うむ、やはり桜がいいだろうか」
遠慮している間もまるでない。あれよあれよと思う間に、書棚から桜のスケッチが出てくる。そうして取り出してもらった絵を見せてもらえば、書籍のアートと比べても遜色のない出来映えに見えた。
「桜、それも染井吉野……ですね。本当に、いいのですか?」
「練習で書いたものだからね、特に使い道のないスケッチなんだ。これで喜んでくれる女性がいるなら、描いた身としては嬉しいものだよ」
「ありがとうございます。きっと千颯も――幼馴染も喜びます」
なんて良い人なのだろうか。これは、是非ともアーサー氏のことも手紙に書かなければなるまい。などと思っていると、シャーウッド・ローズの図版から眼を離してミス・キャロリンが、桜のスケッチを覗き込んできた。
「チェリーブロッサム・ソメイ・ヨシノ……それがマサズミの、故郷の花なの?」
「春の、ほんのひと時だけ花を咲かせるんだ。花その物もだけれど、何よりも散り際がとても綺麗な花なんだよ。桜吹雪と言ってね、まるで雪が降るように花弁を風に乗せて散らすんだ」
「散るのが良いの? 不思議な花ね……」
目をパチクリさせて、キョトンとしている。まあ、実際に見なければ分からないこともあるだろう。
「そうだ。見せてもらうばかりもでいるのも悪いから、わたしの故郷の花も見せてあげたいのだけれど……」
期待を目に宿しつつアーサー氏を振り返るミス・キャロリンに、彼はしばしば悩むそぶりを見せた後、「まあ、かまわないよ」とて、小さく首肯した。あるいは、女性に甘いのかもしれない。
して、シャーウッド・ローズは、名に薔薇とついてこそいるもののバラ科の植物ではないらしい。淡い青色をした薔薇様の花を付ける未知の植物とのことで、茎に棘も無ければ、葉もシダに似た姿をしているようだった。一見して異形の植物であることは明らかである。
「葉も美しければ、青い薔薇のような花を付ける……なんとも不思議な植物ですね」
美しいが、それだけではない。怪しい魅力をもった植物だということが、図版だけでも分かった。またアーサー氏がこの花に魅了され、それ故に持ち出してしまったのだろうことも、理解ができた。否、理解できてしまった。
「魔力、に……似た物を感じるわね」
声がして、振り向けばコレット女史が立っていた。
「……魔力、ですか?」
「図版だけでも分かるわ。この花は特別よ。魅了されたら最後、欲しくてたまらなくなってしまう……そんな蠱惑的な魅力を感じるわ。ミスター・アーサーは、薬効だのなんだのと理由を付けていたけれど、持ち出した理由を推察していいなら、単に、植物に魅了されただけ……なのではないかしら?」
コレット女史の視線を受けたアーサー氏が眼を逸らした。肩をすくめて、図版に手を伸ばす。
「わたしは、一部のプラント・ハンターがするような、過激なことをした覚えはありませんよ。おかしな憶測はやめていただきたいものですな」
ミス・キャロリンの手からシャーウッド・ローズのスケッチを取り上げたアーサー氏は、図版を折り畳むとそのまま書架の方にすたすたと早足に近付いては、棚に収めてしまった。
一部のプラント・ハンターがする過激なこと――森を焼くなどはしていない、ということだが、一方では、その場に有った株をすべて持ち去っているわけで。そうした行為は、過激とは言わないのだろうか。
「まだ見たかったのになぁ……」
ミス・キャロリンの恨めしそうにする声が、広いサロンに小さく響いた。
0
あなたにおすすめの小説
村長奇譚 ~夏祭りの惨劇と少女の亡霊~
水無月礼人
ミステリー
子供達は独立し、長年連れ添った妻は病で死去した。
故郷の田舎町で余生を過ごそうと帰省した主人公(60代・男)は、住民の同調圧力で強引に自治会長(村長)に選ばれてしまう。
嫌々ながらも最大のイベント・夏祭りの準備を始める主人公であるが、彼は様々な怪奇に遭遇することになる。
不運な村長とお気楽青年のバディが事件を華麗に解決!……するかも。
※表紙イラストはフリー素材を組み合わせて作りました。
【アルファポリス】でも公開しています。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる