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6その2
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して、グレン警部が去った後もミス・キャロリンは「やっぱり自首する」と言って聞かなかった。田舎育ちが故に信心深いのか、アーサー氏を殺害しかけたことに対して、罪の意識が強くあるらしい。
フェアリーズ・シェルフ二階の居間は、しばらく留守にしていたためか、真っ当な人間でもやや肌寒いくらいの気温のようだ。珍しいことに、コレットより先にミリアが動いて暖炉の火を入れている。
「ありがとう。終わったらお茶をお願いできるかしら?」
とりあえず、マントルピース前のロッキングチェアにミス・キャロリンを座らせて、それから、少し落ち着いてもらうためにもミリアに紅茶を淹れてもらうことにする。
「スコーンもつけるわね」
元街娼の娘ミリア。友人として贔屓目に見ても、なんとも如才ないメイドだ。
エプロンを翻してミリアが部屋を後にするなか、ロッキングチェアに浅く掛けたミス・キャロリンは、俯きながら呟いた。
「小さな傷害だけだし、今捕まれば、母の死に目までには出所できるはずだわ。今じゃなきゃ、きっと間に合わなくなる……」
思い詰めたふうに言うミス・キャロリンだが、これにコレットは「捕まらなきゃいいじゃない」と返した。
「いくらロンドン警視庁でも、わたしの弟子に手出しはさせないわよ」
「でも、わたしが弓を射掛けたには違いなくて……」
そう罪を告白する彼女は、なんだか泣きそうな顔になっていた。車内で少しばかりの言い逃れをしようとした人物と同じには思えない態度だが、元来が善良な人物が犯行を認めた場合の反応と言うものは、存外こんなものなのだろうか。
コレットが、ため息をついた。
「元はと言えば、シャーウッド・ローズを持ち出したオーキッド商会……というよりも、アーサー・ヘンリー・ウォルコットが悪いのでしょう? そんなに思い詰めることはないわ」
「でも……」
でもから先が続かない。彼女の中に言葉はあるのだろうけれども、それを口に出してしまってよいものか迷っている様子だ。ここは、畳みかけるべき時だろう。
「もし、間に合わなかったらどうするの? 少なくとも今は、自主なんかしちゃダメよ」
コレットに続けてマギエラも説得に参加する。心の機微はまだ分からない部分が多い彼女だけれども、母の死に立ち会えない辛さは、想像しただけでも胸を締め付けられる心地になる。そんな思いを、目の前の少女にして欲しいとはとても思えなかった。
「それは……」
ミス・キャロリンが言葉に詰まる。罪は償いたいが、母の死に目にだけはどうしても立ち会いたい。そんな心の内が見えた気がした。
「なかなか残酷な事を言って迫ってるみたいね……」
ふと声がして振り向けば、ミリアがティーセットを持って部屋の入り口に立っていた。苦笑いを隠そうともしない彼女は、正直者で善良な少女だが、イースト・エンドで揉まれたが故に歪んでもいる。だから、「警察なんてろくなものじゃないよ」と投げ遣りに言いつつ、ミス・キャロリンの前にティーカップを出すと、愚痴を零すようにして続けざまに呟いた。
「わたしに言わせれば、ロンドン警視庁の腐った警察連中と比べたなら、キャリーの方がずっと良い子だわ。わたしが知っている最低な警官の一人は、幼い女の子に乱暴を働いておきながら、平気な顔して酒を煽るのよ」
流れるような動作で紅茶を淹れつつ肩をすくめて、何でもないふうに言っているが、辛辣な口ぶりからして、乱暴されたのは過去のミリア自身だろうか。幼いながらに街娼をしていた彼女は、おそらくこの場に居る誰よりも犯罪と隣り合わせにこのロンドンを生き抜いてきたのだ。
「まあ、グラント警部さんは……その、例外的に良い人だと思うけれど、ね。あの人になら、わたしも捕まっても良いかなぁ、なんて。あはは……」
そんなミリアも、今はグレン警部に惚れているようで、照れ隠しが分かりやすい。人間って分からない、とマギエラは時々思う。
コレットがため息をついた。
「何にせよ、自首は困るわ」
「そうね。自首の必要はないと思う。アーサー・ウォルコットは死んでいないし、怪我も気にしたふうでもなかったでしょう? それに、あれくらいの傷害事件ならイースト・エンドでなら日常茶飯事で、貧民街の警察は動こうともしないわ。郷紳だから特別扱い、っていうのも変な話だと思うのよ。わたしの言うこと、変かな? もしかして一般的なロンドン市民としては間違ってる?」
言いながら急に不安になったのか、こちらを振り向くミリアだ。
はて。まあ、本来ならば間違っている、と言うべきなのだろう。少なくともこの宿のあるソー・ホー一帯では、警察も真面目に取り締まりをしている。とはいえ、リージェント街が近いから取り締まらざるを得ない、と言うのが正しい実態なのも事実には違いない。グレン警部は認めないだろうが、この街の警察は、郷紳が多く訪れるから誠実であるふりをしなければならないだけだ。巡回警備をしている巡査にも、犯罪者の居ないところでは不真面目な輩が多くいる。マギエラも、勤務中に飲酒をする巡査を見たくらいは、枚挙にいとまがない。
「変かどうかはともかく、自首は勧められないわ。あなた、アーサー氏とは知り合いでしょう? だから、示談にするという手もあるのよ?」
「示談……?」
目をパチクリさせて、思いも寄らない言葉が出て来た、といった風情のミス・キャロリンである。
「そう、示談。どうかしら?」
「待った。マギエラ、そのお金はどうするつもり? 黙っていればいいのよ」
こ、この人は……! もう! 機巧炉心がざわざわする! これが、いわゆる頭にくる、というやつだろうか。
「わたしが穏便に済ませる方法を考えているのに、邪魔をしないでもらえる?」
「何処が穏便よ。ミス・キャリーにお金があると思うの? わたしだって研究費でカツカツだから出せる金額にだって限度と言うものがあるわけでね……」
「はいはい、姉妹喧嘩は余所でやって」
ミリアが、ティーポットをやや乱暴に置く。目の前で口論をしている二人のうち一方が蒸気機巧人形であることを知らない彼女は、コレットをマギエラの姉だと思っている。
「なんにせよ、選ぶのはキャリーだよ。わたし達が出来るのは、その手助けくらいのはずでしょう? なのに、こうすべきだ、なんて外から言うべきじゃないと思うわ。正直に生きるために示談を選んでもいいし、イースト・エンドの人間の多くがそう在るように黙っていてもいい。あるいは黙った上で、教会に通うのだって選択肢だと思うわ」
教会に通う、とはミリアの意外な一面を見た気がした。
しかし善良な少女たるミス・キャロリンにそんな、罪を黙った上で神に慈悲を乞うだなんてことが出来るだろうか。
ところが、そうしたミリアの提案に思うところがあったらしい。ミス・キャロリンは、ぽつりと話し出した。
「ええと……自首するにせよ示談にするにせよ、その……心残りと言うか、コレット女史が『シャーウッド・ローズのことで、気になっていることもある』と言っていたことについて、聞きたいです。それを聞いてから……わたしの今後を、決めても良いですか?」
フェアリーズ・シェルフ二階の居間は、しばらく留守にしていたためか、真っ当な人間でもやや肌寒いくらいの気温のようだ。珍しいことに、コレットより先にミリアが動いて暖炉の火を入れている。
「ありがとう。終わったらお茶をお願いできるかしら?」
とりあえず、マントルピース前のロッキングチェアにミス・キャロリンを座らせて、それから、少し落ち着いてもらうためにもミリアに紅茶を淹れてもらうことにする。
「スコーンもつけるわね」
元街娼の娘ミリア。友人として贔屓目に見ても、なんとも如才ないメイドだ。
エプロンを翻してミリアが部屋を後にするなか、ロッキングチェアに浅く掛けたミス・キャロリンは、俯きながら呟いた。
「小さな傷害だけだし、今捕まれば、母の死に目までには出所できるはずだわ。今じゃなきゃ、きっと間に合わなくなる……」
思い詰めたふうに言うミス・キャロリンだが、これにコレットは「捕まらなきゃいいじゃない」と返した。
「いくらロンドン警視庁でも、わたしの弟子に手出しはさせないわよ」
「でも、わたしが弓を射掛けたには違いなくて……」
そう罪を告白する彼女は、なんだか泣きそうな顔になっていた。車内で少しばかりの言い逃れをしようとした人物と同じには思えない態度だが、元来が善良な人物が犯行を認めた場合の反応と言うものは、存外こんなものなのだろうか。
コレットが、ため息をついた。
「元はと言えば、シャーウッド・ローズを持ち出したオーキッド商会……というよりも、アーサー・ヘンリー・ウォルコットが悪いのでしょう? そんなに思い詰めることはないわ」
「でも……」
でもから先が続かない。彼女の中に言葉はあるのだろうけれども、それを口に出してしまってよいものか迷っている様子だ。ここは、畳みかけるべき時だろう。
「もし、間に合わなかったらどうするの? 少なくとも今は、自主なんかしちゃダメよ」
コレットに続けてマギエラも説得に参加する。心の機微はまだ分からない部分が多い彼女だけれども、母の死に立ち会えない辛さは、想像しただけでも胸を締め付けられる心地になる。そんな思いを、目の前の少女にして欲しいとはとても思えなかった。
「それは……」
ミス・キャロリンが言葉に詰まる。罪は償いたいが、母の死に目にだけはどうしても立ち会いたい。そんな心の内が見えた気がした。
「なかなか残酷な事を言って迫ってるみたいね……」
ふと声がして振り向けば、ミリアがティーセットを持って部屋の入り口に立っていた。苦笑いを隠そうともしない彼女は、正直者で善良な少女だが、イースト・エンドで揉まれたが故に歪んでもいる。だから、「警察なんてろくなものじゃないよ」と投げ遣りに言いつつ、ミス・キャロリンの前にティーカップを出すと、愚痴を零すようにして続けざまに呟いた。
「わたしに言わせれば、ロンドン警視庁の腐った警察連中と比べたなら、キャリーの方がずっと良い子だわ。わたしが知っている最低な警官の一人は、幼い女の子に乱暴を働いておきながら、平気な顔して酒を煽るのよ」
流れるような動作で紅茶を淹れつつ肩をすくめて、何でもないふうに言っているが、辛辣な口ぶりからして、乱暴されたのは過去のミリア自身だろうか。幼いながらに街娼をしていた彼女は、おそらくこの場に居る誰よりも犯罪と隣り合わせにこのロンドンを生き抜いてきたのだ。
「まあ、グラント警部さんは……その、例外的に良い人だと思うけれど、ね。あの人になら、わたしも捕まっても良いかなぁ、なんて。あはは……」
そんなミリアも、今はグレン警部に惚れているようで、照れ隠しが分かりやすい。人間って分からない、とマギエラは時々思う。
コレットがため息をついた。
「何にせよ、自首は困るわ」
「そうね。自首の必要はないと思う。アーサー・ウォルコットは死んでいないし、怪我も気にしたふうでもなかったでしょう? それに、あれくらいの傷害事件ならイースト・エンドでなら日常茶飯事で、貧民街の警察は動こうともしないわ。郷紳だから特別扱い、っていうのも変な話だと思うのよ。わたしの言うこと、変かな? もしかして一般的なロンドン市民としては間違ってる?」
言いながら急に不安になったのか、こちらを振り向くミリアだ。
はて。まあ、本来ならば間違っている、と言うべきなのだろう。少なくともこの宿のあるソー・ホー一帯では、警察も真面目に取り締まりをしている。とはいえ、リージェント街が近いから取り締まらざるを得ない、と言うのが正しい実態なのも事実には違いない。グレン警部は認めないだろうが、この街の警察は、郷紳が多く訪れるから誠実であるふりをしなければならないだけだ。巡回警備をしている巡査にも、犯罪者の居ないところでは不真面目な輩が多くいる。マギエラも、勤務中に飲酒をする巡査を見たくらいは、枚挙にいとまがない。
「変かどうかはともかく、自首は勧められないわ。あなた、アーサー氏とは知り合いでしょう? だから、示談にするという手もあるのよ?」
「示談……?」
目をパチクリさせて、思いも寄らない言葉が出て来た、といった風情のミス・キャロリンである。
「そう、示談。どうかしら?」
「待った。マギエラ、そのお金はどうするつもり? 黙っていればいいのよ」
こ、この人は……! もう! 機巧炉心がざわざわする! これが、いわゆる頭にくる、というやつだろうか。
「わたしが穏便に済ませる方法を考えているのに、邪魔をしないでもらえる?」
「何処が穏便よ。ミス・キャリーにお金があると思うの? わたしだって研究費でカツカツだから出せる金額にだって限度と言うものがあるわけでね……」
「はいはい、姉妹喧嘩は余所でやって」
ミリアが、ティーポットをやや乱暴に置く。目の前で口論をしている二人のうち一方が蒸気機巧人形であることを知らない彼女は、コレットをマギエラの姉だと思っている。
「なんにせよ、選ぶのはキャリーだよ。わたし達が出来るのは、その手助けくらいのはずでしょう? なのに、こうすべきだ、なんて外から言うべきじゃないと思うわ。正直に生きるために示談を選んでもいいし、イースト・エンドの人間の多くがそう在るように黙っていてもいい。あるいは黙った上で、教会に通うのだって選択肢だと思うわ」
教会に通う、とはミリアの意外な一面を見た気がした。
しかし善良な少女たるミス・キャロリンにそんな、罪を黙った上で神に慈悲を乞うだなんてことが出来るだろうか。
ところが、そうしたミリアの提案に思うところがあったらしい。ミス・キャロリンは、ぽつりと話し出した。
「ええと……自首するにせよ示談にするにせよ、その……心残りと言うか、コレット女史が『シャーウッド・ローズのことで、気になっていることもある』と言っていたことについて、聞きたいです。それを聞いてから……わたしの今後を、決めても良いですか?」
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