明敏犀利の蒸気歯車機関(めいびんさいりのスチーム・ギア)Ⅱ シャーウッド・ローズと萌木のロビンフッド

野村だんだら

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6その7

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 はて、どういうことだろう……。
 しばし考えるほどの間もない。すぐに、いくつもの足音が上の廊下で小さく響いては、階段を下る音がする。一人、二人、三人……数えるのも難しくはない。三つの足音は、それぞれマギエラとミス・キャロリン、それからミリアのもので、おそらく間違いはない。
 ミリアが戸を開けると、マギエラが、ミス・キャロリンを背中で庇うようにして入って来る。それから、ため息とともに「待ちくたびれたわ」とて、彼女はコレット女史に愚痴を零した。
 するとコレット女史が、古びて所々が裂けた革の封筒をテーブルに置いて言った。
「古い資料で、奥の方に仕舞い込まれていたのよ。これでも急いだのだから、労って欲しいものだわ」
「価値が無いと判断した資料を整理しないのが悪いのよ」
「それが、例の資料……ですか?」
 マギエラの後ろから、ひょっこり顔を覗かせるミス・キャロリンは、興味津々といった風情である。そんな彼女に、コレット女史がニコリとして頷いた。
「そう。セシリア・アンナ・マグヌスによる『マグヌサイトの肥料的価値とその評価』のうち、シャーウッド・フォレストで行われた研究の資料だわ。お婆様は、ロビンフッド伝説の残るシャーウッド・フォレストをとても気に入っていたみたいね。魔術的な価値があると考えていたのか、あるいは伝説の物語が好きだったのか……とにかく、この中にはノッティンガムシャー州の地図と論文が入っているわ」
 コレット女史が封筒を開けて、古びた地図を出そうとする。ところが、これをグラント警部が手で制した。
「その前に、少々込み入った話がしたいのだが……」
「ロンドンのロビンフッドの話なら、ミス・キャリーが犯人よ。けれど、わたしの弟子に手出しをさせる気は毛頭無いわ」
 コレット女史が双眸を細めてピシャリという。有無を言わす気など無いと言わんばかりの眼光は、ナイフを思わせる程に鋭く、睨んでいると言っても過言でない。そうした様子は、少女の如き容貌でありながらも老練な魔術師のようですらあり、酷く恐ろしげであった。
 しかし、ここで引くグラント警部でもなかった。
「ふむ。とはいえ、まだ弟子と決まったわけでもあるまい。ならば、事情聴取くらいは――」
「駄目よ。これからなるわ。これは決まっているのよ。この研究の引継ぎ手にミス・キャリーほどの適任はいないのだもの」
「研究の引継ぎ……ですか?」
 ミス・キャロリンは突然のことにぽかんとしている。
「そう。当時は無価値と評価されたこの研究を、あなたが引き継ぐの」
 そう言われてもなお困惑した様子のミス・キャロリンを見て、グラント警部が声を上げた。
「待て、待ちたまえ。此度のロビンフッド事件は傷害事件で、だな――」
「だからミス・キャリーにはマグダレン洗濯所がお似合いだ、とでも?」
「そうは言っておらん」
「けれど、実際のところはそうなるでしょう?」
「それは……分からんが」
「マグダレン洗濯所……ですか?」
 千早には聞き慣れない名称であった。
「洗濯所――マグダレン修道院        ※①は、女性等の……まあ、いわゆる更生施設だよ」
「女性の虐待所よ。洗濯は心の汚れを洗い流すのだそうだけれど……あんなもの、およそ人の所業ではないわ。あそこにいる人々は大半が妊婦なのよ?」
 グラント警部とコレット女史との間で随分と認識の相違があるようだ。
 とはいえ、ミス・キャロリンにとっては恐怖の象徴ではあるらしい。彼女は、顔を青くして呟いた。
「マグダレン修道院……入ったら、出られませんよね?」
「娼婦や淫売、不貞者でもないのに容れられることはない。例外があったとしても、少女の素行不良が疑われる場合に限ってだなぁ……」
「傷害事件を起こした少女の素行が不良でないとでも?」
 コレット女史の視線は相も変わらず剣呑である。
「ぐぅ……まったく、埒が明かん」
 グラント警部のため息が深い。「とにかく、ミス・キャロリンは両親が健在な少女なのだ。マグダレン洗濯所は無いだろうよ」
「だろう、では困るのよ。両親にしても、片親は病床だわ。そもそも、収容そのものがダメ。洗濯所で髪を切られるわけにはいかないわ。髪は、魔術の素材になるのだもの。それは救貧院でも同じよ。だいたい、女の命たる髪を切ろうだなんてのが――」
 気に喰わない、と続くだろうところを、何をか気の付いたらしく驚愕した様子で「まさか」と零したグラント警部が遮る。
「……拘留で済ませろとでも? 傷害の容疑者だぞ?」
「再犯の恐れも無さそうだし、保釈金くらいは払うわ。弟子の為だもの。あるいは……そうね、ロンドン警視庁の機巧を全て引き揚げても良いわ? どう?」
 瞬間、グラント警部が言葉を失った。無言のまましばし口をぱくぱくとさせた後、警部はこめかみに手をやりながら、本日何度目かになるか分からない、深いため息を零す。
「……分かった、不問にする。今日は非番で個人的に動いているだけだ。幸い、ミス・キャロリンを疑っている警官は、わたし以外には居ない」
「そう、それは良かったわ」
 にこりとしたコレット女史が、封筒に手を伸ばした。
 最初から、交渉の余地など無かったというわけである。

※①現実のマグダレン洗濯所は、娼婦や婚前交渉をするなどして妊娠した、いわゆる「堕落した女」の救貧院で、一九九六年に閉鎖されるまでに、三万人ほどの女性や少女が送られてきた。部外者から「マギー」と呼ばれた彼女等の大半は、その意思に反して拘束されては奴隷も同然の重労働に就かされ、死ぬまで施設を出られなかった。流産はもちろん、出産時に母親が死亡するケースもあったようである。ヴィクトリア時代には、周囲に危害を加えるのではないかとされる少女や成人女性が、予防的処置として恣意的に・・・・送られた例もあった。一九九三年にダブリンにある保護施設の地下から一五五体の遺体を収めた集団墓地が見つかるまで、これらの残虐な仕打ちが知られることはなかった。遺体は、現在も続々と発見されているという。

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