明敏犀利の蒸気歯車機関(めいびんさいりのスチーム・ギア)Ⅰ

野村だんだら

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1その6

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 して、そっぽを向いてしまったマギエラの様子をしばらく眺めていると、それは突然に起こった。彼女の小さな背中が、糸が切れたふうに、ゆらりと傾いだのである。
 続けてマギエラは、小さく「あっ、まずい」と呟きつつ、あっと思う間にも倒れ伏す。白いシーツの上には、バラバラと金色の髪が乱雑に散らかる。無秩序に髪を乱したその姿は、とても尋常でなかった。
「どうしたの、エリー? 大丈夫?」
 呼びかけに振り返るでもなくマギエラは、微かに口だけを動かした。薄い唇から漏れるのは、苦し気というよりも消え入りそうな、儚いというには酷く弱々しい声だった。
「お願い……服、脱がし……て」
 縋るような眼が、千早を見た。「チハ、ヤ……」
 声は、どんどん小さくなっていく。
「Plea……in…ert the …ey」
 辛うじて発せられる単語は切れ切れで、「……like……hair…in into……ches…hole」もはや、言葉を聞き取ることもままならなかった。
「えっと、髪? ……チェスホール? なに?」
「wi…… mai…spri…g」
「ごめん、聞き取れないよ」
 正直、何が何やら分からない。けれど、マギエラの身に何かが起こっていて、服を脱ぎたがっていることだけは確かだろう。すると、あるいはコルセットの締め付けが苦しいのかもしれない。この西洋下着を付けた女人が、日本の社交場で失神したという話は、千早も風の噂程度には聞いたことがある。許嫁の幼馴染などは、着用を断固拒否していたくらいだ。
 原因を推察して理解した気になれば、多少は冷静になってくる。
 深呼吸をして、心を静める。慌ててはダメだ。真の日本男児たる者は如何なる時も冷静沈着であるべし――、とは父兄の教えである。
「服を、脱がせばいいんだよね?」
 声もなく口を動かすマギエラは、消えかけの蝋燭のようだった。
 少女の身体を抱え上げて、背中の髪を掻き分けてみれば、彼女のドレスは、脱ぐだけでも酷く難儀しそうな作りだった。Vの字に開いた背中を飾る編み上げ紐の下に、複数のボタンで留めてあるのが見えていたのである。動き回って紐が解けた時などに、着崩れてしまわないよう留めてあるのだろうが……、しかしこれでは、いくら苦しくとも一人で脱ぐことは叶うまい。
 その結果が気絶では、あんまり可哀想だ。
 紐を緩めたのに続いてボタンを外していき、そのまま上半身を脱がせばその下に、真っ白なフリルとレースで飾り立てられたコルセットが見えた。続いて、腰から胴そして胸までを覆うその下着の締め付けからマギエラを解放すべく、編み上げ紐を留める蝶結びを解いてやれば、コルセットは、思いの他あっさりと脱げた。
 そして落ちるようにベッドから床に、コルセットが転がってしまう。
 淡雪のような肌が、あらわになる。どういうわけかマギエラは、肌着を――シュミーズを着ていなかったのだ。
 緩やかな曲線を描く慎ましい二つの膨らみと、その上に桜色をした蕾のような乳首が、見えてしまって、千早は思わず目を逸らそうとして……しかし出来なかった。彼の眼は、マギエラに備わった膨らみと膨らみの間――心臓があるだろう場所に、すっかり吸い寄せられてしまう。
 それは、とても奇妙な光景だった。
 マギエラの胸部に、ぽっかりと穴が開いていたのだ。
 穴は、その一ヶ所だけを鋭利な刃物で刳り貫かれたか、若しくはピストルで穿たれたかしたかのような、小さくも深い穴だった。心臓に達しているかもしれない。
 先程の言葉が脳裏によみがえる。
「ches…hole……chest hole」
 胸の穴!
 こんな物が、こんな場所に開いていて、人間が生きていられるとは到底思えない。生きているはずがない。ところがマギエラは、つい先ほどまで動いて、話していた。年頃の少女のふるまいをしていた。
 あるいは、いくつかの可能性はある。なにせここは――、この大英帝国の首都倫敦は、蒸気機巧術の都だ。蒸気歯車と、歯車機関の都市だ。歯車機関を用いた機巧は、自動車やオートバイそして飛行機械に代表される。けれどその他にも、機巧は存在している。力織機や旋盤などの工作機械、街灯などもある。それから、最先端の機巧である自動人形。
 しかし……、そうだとすると解せないこともある。とはいえ、それは後回しにすべきだろう。
 胸の穴が、千早の考える通りの物ならば「mai…spri…g」は「mainspring」で間違いない。スプリング――鍵ゼンマイが、胸に仕込まれているのだ。すると「hair…in」あたりがゼンマイを巻く鍵で、察するにこれは「hairpin」だろう。髪留めだ。
 顎紐を解いてボンネットを外せば、髪留めは耳元にあった。桜色の宝石と金装飾で優美に彩られた、かんざしにも似たヘアピンが、そのままでは目にかるだろう前髪を留めている。
 髪留めを外すと歯車の回転音がして、ヘアピンが展開する。白煙の排出は認められず、おそらくはゼンマイ仕掛けで変形しただろう髪留めは、ちょうど鍵らしき形になった。先端には溝も彫られていて、やはりこれが鍵で間違いなさそうだ。
 胸の穴に鍵を挿し込めば、すんなりと奥まで通る。試しに回すと、ゼンマイを巻き上げている手応えがあった。マギエラの胸に、鍵ゼンマイが仕込まれているということは、もう疑う余地もない。
「もしエリーが自動人形なら、動力源は蒸気歯車なわけで、ゼンマイは不要なはず……」
 これではまるで千早の母「松川折鶴」の作る、からくり人形のようだ。
 そうした事実の意味するところを測りかねながらも、ゼンマイを巻き上げ続けていたところ、すっかり動きを止めていたマギエラが瞬きをした。彼女の唇が小さく動いて、ひと言も発することなく閉じる。
 どうやら意識が戻ったらしい。そのまま巻き上げを続けていると、マギエラの白い頬は次第に桜色を帯びてきて、やがては顔全体が紅潮した。
「あの……」
 小さな声がして、「お願いですから……胸に、布か何かを掛けてもらえませんか。まだ、動けないので……」
 第一声は、随分と恥ずかしそうだった。
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