明敏犀利の蒸気歯車機関(めいびんさいりのスチーム・ギア)Ⅰ

野村だんだら

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3その10

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 ラトクリフ・ハイウェイで、黒塗りのハックニー・キャリッジ――ブラック・キャブという愛称があるらしい――を呼び止めて、しばらく。
 米国のガソリン式自動車に、英国内の工場で最新の歯車機関を搭載したという輸入改造車「フォード・モデルA・スチームギア」を自慢する馭者は、四輪自動車を、三輪のハンサム・キャブでも扱うかの如く巧みに繰っての牛蒡抜きなど、話術はともかく運転技術はなかなかのものだった。
 もっとも、特別に急いでいるわけでもなければ安全第一の運転をして欲しいところなのだが、後部座席の美少女二人がキャッ、キャッと黄色い声を上げる度に運転台の男はすっかり興が乗ってしまうらしく、千早のはきっと無駄な願いだろう。あとは、雇い主からの高価な貸与品だろうにどうかぶつけないでくれよと祈るばかりだ。
 もちろん、そんな祈りが届くはずもなく改造フォード車は、ロンドン塔を横目にタワーヒルを行き、フリート街を抜けて、シティのランドマークのひとつになっている市門のテンプルバーをくぐっても、勢いはとどまるところをまるで知らず、そこからコヴェント・ガーデンに差し掛かるまでは、あっという間だった。そろそろピカデリーサーカスに至ろうかという頃ともなってくれば、下宿のあるブルーワー街が近い。
 そうした折にミリアが、先程までの興奮から一転して、やや遠慮がちに口を開いた。
「エリー。ちょっとだけリージェント街に寄っても、いいかしら。オリエント・ギアで、その……機関ランプを、ね。買いたいのだけれど」
 ハァというため息がした。もちろんマギエラだ。
「そんな物を買ったところで、闇は払えても悪人をどうこうすることなんて出来ないし、きっと気休めにもならないわよ? そもそもこんな時、夜に出歩こうだなんて」
「けど、だって妹達が……」
「ミリアの身に何かあったら、今度は、あなたが守ろうとしているその子達が苦労するのよ? あなたと同じように、ね。それでもいいの?」
 でも、と呟いたきり言葉を詰まらせるミリアを振り向いて見れば、なにやら思い詰めた様子が気になった。たぶん、これはよくない。彼女は、現状のままでも街娼として街に立つことを選ぶだろう。
「ねぇ、エリー。きみが何を言っても、きっとミリアにはそれが必要なんだよ。僕は、彼女が提灯やオイルランプを片手に闇夜の街を出歩くよりは、機関ランプの方がまだマシだと思うんだ」
「わたしは、そのお金を仕送りする方が、ずっとマシな選択だと思うわ」
 なるほど。しかしマギエラの言うそれは、「犯人がすぐにでも捕まれば」の話だ。不安に駆られているミリアに、そうした楽観的な考えが出来るはずもない。このまま街頭に立てなければいずれは当面の生活費すらも枯渇してしまう――。そんな思考が占めていることだろう。そのことを、マギエラも理解できれば良いのだが……。
 ふと馭者の男が振り向いた。
「このまま真っ直ぐ進んでリージェント街に行くか、それともブルーワー街の方か……お嬢さん達、どっちに向かうんだい?」
「……オリエント・ギアまで、お願い」
 マギエラがため息まじりに言を発した直後、ピカデリーサーカスに差し掛かった自動車は、そのまま直進――北西方向へと進んだ。
 そうしてリージェント街に入れば、路の両側は、さながら白い石壁だった。建ち並ぶ勇壮なビルジング等に圧倒されてしまえば、思い出にある帝都東京丸ノ内の一丁倫敦すらも霞んでしまう。
 兎に角、それは圧巻の一言に尽きた。この、北へと向かう大通りが緩やかに弧を描いていることもあって、道を行き交う自動車等の向こうに見えている煌びやかなショーウィンドウを筆頭に、各店舗の賑わいや次々と喧騒を生む雑踏、壁面に施された神殿建築が如き装飾など、視界にあるもの全てに大英国の繁栄と栄光とを感じずにはいられない。また、柱はもちろん壁という壁をも縦横無尽に巡る蒸気送配管は、さながら金糸による刺繍のようで、そうした潤沢な蒸気に支えられた店内は、きっと夜でも昼と変わらず機関ランプの灯りで煌々としていることだろう。
「その様子……もしかしてチハヤ、この通りに来るのは初めてだったかしら?」
「ここより西のハロッズは、倫敦初日に見ておいたんだけれど、ね」
 初めて目にしたハロッズ百貨店は勇壮だった。とはいえ、あちらは華美な装飾が絢爛豪華でこそあれども蒸気送配管は極めて控えめで、故に、軍事力を含めた国力を誇示するような、ある種の威圧感は存在しなかったのだ。
「へえ、意外ね。けど、外観だけでしょう?」
 よくお分かりで。「お客人とそうでない有象無象とを見分けて、金払いの悪い人間を追い出すのが、英国における店員の仕事なのよ。ハロッズの客は郷紳ジェントリや貴族階級だから、チハヤが入れないのも仕方のないことだわ」
「なるほど」
 冷やかしは客に非ず、ということか。道理であの外観なわけだ。
 しかしながら英国人の富裕層は商売というものに興味が無いのだろうか、などと千早が思い始めていたところ、ふと改造フォード車が減速する。停車と同時に馭者が口を開いた。
「さあ、着いた。ここが機巧屋『オリエント・ギア』だ」
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