32 / 43
3その11
しおりを挟む
東洋の名を冠したその店舗では、折り曲げられた蒸気送配管の描く、アラベスクとでも呼ぶべきだろう繊細な唐草模様が入口にてアーチを成していた。頭上の看板には、漢字で「東洋機巧」の屋号。そうした店先には、神社等で見られる吊り灯篭を模したのだろう黄金色の機関ランプが下がっていて、昼間だと言うのに煌々としていた。
「これは……また随分と悪趣味なランプだね」
罰当たりと言うか、まるで普段使い出来そうにない。出先で使えば神隠しくらいには遭いそうだし、あるいはそのまま常世や黄泉の国にだって行けてしまう気がする。
「そう? 綺麗で素敵だと思うのだけれど」
「いやまあ、確かに綺麗だけれど、さ……」
言葉を濁す千早には、キョトンとして首を捻るマギエラだ。なるほど、文化や宗教が違えば、神仏への畏怖が無いのも当然なのだろう。
「これ、中身の機巧は英国製でも外側は舶来品でしょう? 綺麗だし趣味もいいけど、百ポンドなんて値段は素敵でもなければ馬鹿げてるわね」
吊り灯篭をしげしげと眺めて、ミリアが肩をすくめている。彼女が求めているのは安価な実用品なのだ。
店内に足を踏み入れたなら、一体の自動人形が千早達を出迎える。
店番をする少女を模したその機巧は、衣装こそ上質なメイド服に身を包んでいたものの、その作りは、マギエラと比べたならいかにも粗末だった。ひと目で人形だと分かる外見のそれは、会釈をする動きも正直少しぎこちない。
ところが自動人形を目にしたマギエラは、胸の前で両掌を揃えて、感動を滲ませながら静かに囁いた。
「へえ、なかなか上等な自動人形ね。顔も可愛いわ」
「上等? これがかい?」
唐栗人形としてならまずまずの出来だろうが。「これなら、まだ折鶴の唐栗人形の方がずっと自然な動きをするよ」
するとあるいはコレット女史の人形であるマギエラが特別なのだろう。
マギエラが眉をひそめた。
「オリヅル、って……あの松川折鶴のこと? チハヤ、彼女の作品を見たことがあるの?」
見たこともなにも。
「折鶴は僕の母だよ。だから、部品作りの手伝いくらいはしているよ」
「えっ、へ? ……え?」
桜色の目を白黒させている。「折鶴が母? ええと、でもチハヤはマサズミチハヤで、折鶴は松川……ああ、なるほど。もしかしてジョークかしら」
「違うよ。松川は、人形の師から母が雅号の一部を頂いたからで、要するに折鶴も本名じゃない。旧姓の折戸と名前の鶴子を、縮めて折鶴なんだ」
なので、現在は「千早鶴子」が母の姓名である。
「驚いたわ……。お母様は、パリ万博で折鶴の人形を見てからというもの、すっかり虜になってしまったそうなのだけど……その部品作りを手伝っているだなんて」
目をパチクリさせて言うマギエラだ。「あなた、それでどうして留学先が決まっていないのよ?」
「知らないよ」
そんな「心底不思議だわ」なんて目をして訊かないでほしい。だいたい母の人形が英国で評判だなんて話も、今の今まで眉唾だと思っていたのだし。
千早がため息をついていると、ふと近くで足音がした。振り向けば、店員らしき男がマギエラに話しかけるところだった。
「こんにちは。お嬢さん、そちらの自動人形がお気に召されましたか?」
「ええ、そうね。素敵な人形だわ。けれど、ごめんなさいね。わたしの自由に扱えるお金は少ないの」
上品に微笑んで、やんわりと断っている。「わたしよりも、あの子に機関ランプを見繕ってあげられないかしら。なるべく費用は抑えたいのだけれど……」
「あの娘に、ですか」
マギエラの言を聞いて、それまでニコニコとしていた男の顔から笑みが消えた。眉をひそめて訝しげにすると、ミリアを横目に一瞥して「失礼ですが」と続ける。
「おそらくあれは娼婦です。施しをするにしても相手は選ぶべきかと……」
「あら、相手は選ぶべき、ですって? ふん。あなた、古臭い考えをお持ちのようね。彼女の境遇は、彼女自身に責任があるものではないわ」
ムッと眉を吊り上げるマギエラだ。彼女は乱暴にボンネットを脱ぐと、続けざまに髪留めを外した。その様子を男は、しばらく困惑した面持ちで眺めていたものの、かんざしにも似たヘアピンを目の前に掲げられたことで、初めて顔を蒼白にする。
艶やかなピンクオパールと金装飾が優美なヘアピンは、マギエラの胸に仕込まれたゼンマイの鍵だ。とはいえ、一介の店員がそれを知るはずもなくて、きっと別の意味があるのだろう。
「わたしの友人にあんまり失礼な口を利くようなら、マグヌスの名で、この店の機巧を全て引き揚げさせるわよ」
「こ、これはコレット様の……申し訳ありません! 今すぐ見繕いますので、どうかお許しを……」
「ええ、お願いね」
泡を食ったふうに奥の倉庫へと駆けて行く男を尻目に、マギエラはため息まじりに肩をすくめている。
「エリーにそんな権限があるのかい?」
「まさか。ハッタリよ、ハッタリ。この髪留めは、お母様が十八の頃からしばらく使っていた物だから、あの程度の男でも見覚えくらいはあるだろうと思ったのよ」
なるほど。あるいは、仮に見覚えが無くともマギエラの顔にコレットの面影を見てしまえば、マグヌスの名を出された時点で慌てるかもしれない。
「ねぇ、なんだか店員さんが慌てていたみたいだけれど、何かあったの?」
ため息まじりに寄って来て言うミリアである。展示品に安価な品を見つけられなかったのかもしれない。
「ミリアのために安い機関ランプを用意してくれるそうよ」
「あら、本当に?」
ため息が一転、今は鈴の鳴るような声だ。暗い表情もすっかり笑顔である。
それからしばらくして店主が戻って来た。木箱を置いて「こちらは今から五年ほど前にコレット様が仕上げられた品でして……」などと来歴を話し出したところ、目をまん丸に見開いたミリアが叫び声を上げた。
「コレット、って……あのコレット・マグヌス? 払えないわよ、そんなの!」
「いえいえ。こちらは少々訳ありでして……と言うのも、その時々で明るくなったり暗くなったり、どうにも歯車機関に一癖あるようでございまして。機関を乗せ換えれば治るのですが、純粋なコレット様の作品と呼べなくなるため機巧好きとしてはそこが耐え難く、交換を渋っていたのです。とはいえ、オイルランプに比べたならずっと明るくてですね。それに、こう言ってはあれですがこれは美女が持つと割と調子が良いのです」
店主は「一癖」とするだけで言及を避けているが、要するにこのランプの機関部には思念歯車とやらの疑いがあるのだろう。
「たしかに訳ありね」
なるほどと神妙な顔で呟いて、マギエラ。「けど、あなたの言うその一癖でフィラメントを焼き切るようなことはないの?」
「以前に……その、一度だけ。しかしその時はでっぷりと太った薄汚くも醜い酔っ払いの男が、当時は展示品であったこれに触れた時でありまして! お嬢様方のような見目麗しい乙女の手に収まるならばきっと煌々と夜を照らすに違いありませんよ!」
つい先程はミリアを娼婦と呼んで蔑んだというのに、なんとも現金なものだ。
して、箱から出されたランプは、マグカップほどの大きさをした吊り下げ式のランタンだった。小さいながらも堅牢そうな外観は、炭鉱夫が好んで使うだろう仕様でありながら、真鍮色をしたボディの随所には花の彫刻が施され、全体の仕上がりは優美である。実用性を重視しつつお洒落にも気を配った一品だ。
「あら、素敵」
そう言ってミリアが一目見て気に入った様子を見せる傍らで、マギエラが眉をひそめた。表情をそのままに機関ランプを手に取って、じっくりと眺める。
「スイッチが入ったままのようだけれど……その割には、蒸気切れを起こしているわけでもなさそう……」
「おや。お嬢さん、蒸気の残量が分かるのですか?」
「え? ええ、まあ……なんとなくだけれど、ね。あら?」
一瞬ほど「しまった」という顔になりつつも曖昧な返事に留めようとしていたマギエラが、ふと目を丸くする。機関ランプが点灯したのである。美女が持つと調子が良いという話はどうやら本当らしい。
「ねぇ、エリー。とても明るいのだけど持ち手が熱くなることは……ないのよね?」
「ええ、電球の灯りは、火ではないからね。ミリアも持ってみるといいわ」
言って、マギエラが機関ランプを差し出す。そうして恐る恐ると手を伸ばしたミリアの指先が取っ手に触れて、すると電球はその光を増した。ミリアの手の中で、機関ランプが煌々と輝く。
「これはこれは。お客様は、このランプに大変気に入られたようですね。いかがでしょう、今なら十ポンドですよ」
「十ポンド……」
決して払えない額というわけでもないのだろう。呟いて展示品の方をちらと横目に見たミリアは、他の機関ランプも安くて十ポンドからとあってか、目の前のランプを買うべきか否かで迷っているようだ。
ふとマギエラが口を開いた。
「今は良くても、箱から出した時は明らかに不調だったのよ。十ポンドだなんて高いわ。せいぜい五ポンドよ」
「では、八ポンドでどうでしょうか?」
「まだ高いわね」
呟いて、取り出したパイプを指の先で玩ぶ。「この先も今の調子で光る保障なんてないのよ。機関の乗せ換えだけでもたしか五ポンドは掛かるのだから、六ポンド……いえ、譲歩するわ。六ギニーになさい。肖像写真が必要でしょう?」
「……コレット様の縁者が相手では、こちらの分が悪いようですね」
店主が肩をすくめて、ため息をつく。どうやら交渉がまとまったらしい。
代金を支払ってからは、「機巧所有登録者証」の発行手続きがあるとのことだ。
受け取ったランプにキスまでして上機嫌なミリアは、意気揚々と肖像写真を撮ってもらっていた。けれどもカウンターのデスクに掛けて書類手続きに入ったところ、突然こちらを振り返った彼女は、困惑した様子で大声を上げた。
「どうしよう。わたし、住所不定だわ!」
なんでも、ここ「東洋機巧」から登録者証を送付するにあたってミリアの現住所が必要になるらしい。ところが彼女はその仕事柄、当日の客に合わせて倫敦各地の安宿を転々としているというのだ。
「それなら、ひとまず妹さんの住居に届けてもらう、ってわけにはいかないのかい?」
「リヴァプールの方だから、ちょっと……」
なるほど、倫敦から受け取りに行くには遠方だ。「ねぇ、エドワードさん。今、この場で証書を受け取るわけにはいかないの?」
小さな胸を精一杯に寄せてしなを作りつつ、名前で呼んで媚びを売るミリアに、店主のエドワードは鼻の下を伸ばすでもなく「無理ですね」と苦笑で返した。
「写真の現像にはカメラを工場に送らなければなりませんので、どうしても時間が掛かります」
ふと、マギエラが目をパチクリさせた。
「あら、工場に? するとカメラはイーストマンのザ・コダックを使っているのね。なら、あのローフィルムを使いきるには時間もかかるでしょうし、証書はフェアリーズ・シェルフに宛ててもらえばいいわ。ミリアも、それでいいわね?」
「うーん、良く分からないけどそうね。エリーがそう言うなら……うん。それしかない、かな」
不本意なのか肩をすくめて言うミリアである。
して、出来上がった証書が届くまでは「仮登録証」とやらがその代わりになるらしい。小さなカードを渡されたミリアが「失くしそうだわ」と唇を尖らせると、エドワード氏はしかつめらしい顔になった。
「当店発行の仮登録証には、肖像こそないものの実際の登録証と同じく、ミリア様の名前と、所持なさっている機巧のシリアルナンバー一覧が記載されています。これは、お手元の機巧が盗品でないことを証明する書類になりますので、正式な証書が届くまではくれぐれも厳重に管理して下さい」
いわく、失くしたまま警官の職務質問に遭えば最悪、絞首刑もあり得るということだった。
※①「あなたはボタンを押すだけ、あとは当社にお任せください」の宣伝の元に販売された、コダックの名を冠した最初のカメラ。100枚撮影可能なローフィルムを内蔵して販売され、撮影後にコダック社に送ると写真をプリントしてもらえ、カメラや新たなフィルムと共に手元に戻って来た。現在のレンズ付きフィルムとほぼ同じシステムで、いわゆる「写ルンです」の仲間にして先駆け。
「これは……また随分と悪趣味なランプだね」
罰当たりと言うか、まるで普段使い出来そうにない。出先で使えば神隠しくらいには遭いそうだし、あるいはそのまま常世や黄泉の国にだって行けてしまう気がする。
「そう? 綺麗で素敵だと思うのだけれど」
「いやまあ、確かに綺麗だけれど、さ……」
言葉を濁す千早には、キョトンとして首を捻るマギエラだ。なるほど、文化や宗教が違えば、神仏への畏怖が無いのも当然なのだろう。
「これ、中身の機巧は英国製でも外側は舶来品でしょう? 綺麗だし趣味もいいけど、百ポンドなんて値段は素敵でもなければ馬鹿げてるわね」
吊り灯篭をしげしげと眺めて、ミリアが肩をすくめている。彼女が求めているのは安価な実用品なのだ。
店内に足を踏み入れたなら、一体の自動人形が千早達を出迎える。
店番をする少女を模したその機巧は、衣装こそ上質なメイド服に身を包んでいたものの、その作りは、マギエラと比べたならいかにも粗末だった。ひと目で人形だと分かる外見のそれは、会釈をする動きも正直少しぎこちない。
ところが自動人形を目にしたマギエラは、胸の前で両掌を揃えて、感動を滲ませながら静かに囁いた。
「へえ、なかなか上等な自動人形ね。顔も可愛いわ」
「上等? これがかい?」
唐栗人形としてならまずまずの出来だろうが。「これなら、まだ折鶴の唐栗人形の方がずっと自然な動きをするよ」
するとあるいはコレット女史の人形であるマギエラが特別なのだろう。
マギエラが眉をひそめた。
「オリヅル、って……あの松川折鶴のこと? チハヤ、彼女の作品を見たことがあるの?」
見たこともなにも。
「折鶴は僕の母だよ。だから、部品作りの手伝いくらいはしているよ」
「えっ、へ? ……え?」
桜色の目を白黒させている。「折鶴が母? ええと、でもチハヤはマサズミチハヤで、折鶴は松川……ああ、なるほど。もしかしてジョークかしら」
「違うよ。松川は、人形の師から母が雅号の一部を頂いたからで、要するに折鶴も本名じゃない。旧姓の折戸と名前の鶴子を、縮めて折鶴なんだ」
なので、現在は「千早鶴子」が母の姓名である。
「驚いたわ……。お母様は、パリ万博で折鶴の人形を見てからというもの、すっかり虜になってしまったそうなのだけど……その部品作りを手伝っているだなんて」
目をパチクリさせて言うマギエラだ。「あなた、それでどうして留学先が決まっていないのよ?」
「知らないよ」
そんな「心底不思議だわ」なんて目をして訊かないでほしい。だいたい母の人形が英国で評判だなんて話も、今の今まで眉唾だと思っていたのだし。
千早がため息をついていると、ふと近くで足音がした。振り向けば、店員らしき男がマギエラに話しかけるところだった。
「こんにちは。お嬢さん、そちらの自動人形がお気に召されましたか?」
「ええ、そうね。素敵な人形だわ。けれど、ごめんなさいね。わたしの自由に扱えるお金は少ないの」
上品に微笑んで、やんわりと断っている。「わたしよりも、あの子に機関ランプを見繕ってあげられないかしら。なるべく費用は抑えたいのだけれど……」
「あの娘に、ですか」
マギエラの言を聞いて、それまでニコニコとしていた男の顔から笑みが消えた。眉をひそめて訝しげにすると、ミリアを横目に一瞥して「失礼ですが」と続ける。
「おそらくあれは娼婦です。施しをするにしても相手は選ぶべきかと……」
「あら、相手は選ぶべき、ですって? ふん。あなた、古臭い考えをお持ちのようね。彼女の境遇は、彼女自身に責任があるものではないわ」
ムッと眉を吊り上げるマギエラだ。彼女は乱暴にボンネットを脱ぐと、続けざまに髪留めを外した。その様子を男は、しばらく困惑した面持ちで眺めていたものの、かんざしにも似たヘアピンを目の前に掲げられたことで、初めて顔を蒼白にする。
艶やかなピンクオパールと金装飾が優美なヘアピンは、マギエラの胸に仕込まれたゼンマイの鍵だ。とはいえ、一介の店員がそれを知るはずもなくて、きっと別の意味があるのだろう。
「わたしの友人にあんまり失礼な口を利くようなら、マグヌスの名で、この店の機巧を全て引き揚げさせるわよ」
「こ、これはコレット様の……申し訳ありません! 今すぐ見繕いますので、どうかお許しを……」
「ええ、お願いね」
泡を食ったふうに奥の倉庫へと駆けて行く男を尻目に、マギエラはため息まじりに肩をすくめている。
「エリーにそんな権限があるのかい?」
「まさか。ハッタリよ、ハッタリ。この髪留めは、お母様が十八の頃からしばらく使っていた物だから、あの程度の男でも見覚えくらいはあるだろうと思ったのよ」
なるほど。あるいは、仮に見覚えが無くともマギエラの顔にコレットの面影を見てしまえば、マグヌスの名を出された時点で慌てるかもしれない。
「ねぇ、なんだか店員さんが慌てていたみたいだけれど、何かあったの?」
ため息まじりに寄って来て言うミリアである。展示品に安価な品を見つけられなかったのかもしれない。
「ミリアのために安い機関ランプを用意してくれるそうよ」
「あら、本当に?」
ため息が一転、今は鈴の鳴るような声だ。暗い表情もすっかり笑顔である。
それからしばらくして店主が戻って来た。木箱を置いて「こちらは今から五年ほど前にコレット様が仕上げられた品でして……」などと来歴を話し出したところ、目をまん丸に見開いたミリアが叫び声を上げた。
「コレット、って……あのコレット・マグヌス? 払えないわよ、そんなの!」
「いえいえ。こちらは少々訳ありでして……と言うのも、その時々で明るくなったり暗くなったり、どうにも歯車機関に一癖あるようでございまして。機関を乗せ換えれば治るのですが、純粋なコレット様の作品と呼べなくなるため機巧好きとしてはそこが耐え難く、交換を渋っていたのです。とはいえ、オイルランプに比べたならずっと明るくてですね。それに、こう言ってはあれですがこれは美女が持つと割と調子が良いのです」
店主は「一癖」とするだけで言及を避けているが、要するにこのランプの機関部には思念歯車とやらの疑いがあるのだろう。
「たしかに訳ありね」
なるほどと神妙な顔で呟いて、マギエラ。「けど、あなたの言うその一癖でフィラメントを焼き切るようなことはないの?」
「以前に……その、一度だけ。しかしその時はでっぷりと太った薄汚くも醜い酔っ払いの男が、当時は展示品であったこれに触れた時でありまして! お嬢様方のような見目麗しい乙女の手に収まるならばきっと煌々と夜を照らすに違いありませんよ!」
つい先程はミリアを娼婦と呼んで蔑んだというのに、なんとも現金なものだ。
して、箱から出されたランプは、マグカップほどの大きさをした吊り下げ式のランタンだった。小さいながらも堅牢そうな外観は、炭鉱夫が好んで使うだろう仕様でありながら、真鍮色をしたボディの随所には花の彫刻が施され、全体の仕上がりは優美である。実用性を重視しつつお洒落にも気を配った一品だ。
「あら、素敵」
そう言ってミリアが一目見て気に入った様子を見せる傍らで、マギエラが眉をひそめた。表情をそのままに機関ランプを手に取って、じっくりと眺める。
「スイッチが入ったままのようだけれど……その割には、蒸気切れを起こしているわけでもなさそう……」
「おや。お嬢さん、蒸気の残量が分かるのですか?」
「え? ええ、まあ……なんとなくだけれど、ね。あら?」
一瞬ほど「しまった」という顔になりつつも曖昧な返事に留めようとしていたマギエラが、ふと目を丸くする。機関ランプが点灯したのである。美女が持つと調子が良いという話はどうやら本当らしい。
「ねぇ、エリー。とても明るいのだけど持ち手が熱くなることは……ないのよね?」
「ええ、電球の灯りは、火ではないからね。ミリアも持ってみるといいわ」
言って、マギエラが機関ランプを差し出す。そうして恐る恐ると手を伸ばしたミリアの指先が取っ手に触れて、すると電球はその光を増した。ミリアの手の中で、機関ランプが煌々と輝く。
「これはこれは。お客様は、このランプに大変気に入られたようですね。いかがでしょう、今なら十ポンドですよ」
「十ポンド……」
決して払えない額というわけでもないのだろう。呟いて展示品の方をちらと横目に見たミリアは、他の機関ランプも安くて十ポンドからとあってか、目の前のランプを買うべきか否かで迷っているようだ。
ふとマギエラが口を開いた。
「今は良くても、箱から出した時は明らかに不調だったのよ。十ポンドだなんて高いわ。せいぜい五ポンドよ」
「では、八ポンドでどうでしょうか?」
「まだ高いわね」
呟いて、取り出したパイプを指の先で玩ぶ。「この先も今の調子で光る保障なんてないのよ。機関の乗せ換えだけでもたしか五ポンドは掛かるのだから、六ポンド……いえ、譲歩するわ。六ギニーになさい。肖像写真が必要でしょう?」
「……コレット様の縁者が相手では、こちらの分が悪いようですね」
店主が肩をすくめて、ため息をつく。どうやら交渉がまとまったらしい。
代金を支払ってからは、「機巧所有登録者証」の発行手続きがあるとのことだ。
受け取ったランプにキスまでして上機嫌なミリアは、意気揚々と肖像写真を撮ってもらっていた。けれどもカウンターのデスクに掛けて書類手続きに入ったところ、突然こちらを振り返った彼女は、困惑した様子で大声を上げた。
「どうしよう。わたし、住所不定だわ!」
なんでも、ここ「東洋機巧」から登録者証を送付するにあたってミリアの現住所が必要になるらしい。ところが彼女はその仕事柄、当日の客に合わせて倫敦各地の安宿を転々としているというのだ。
「それなら、ひとまず妹さんの住居に届けてもらう、ってわけにはいかないのかい?」
「リヴァプールの方だから、ちょっと……」
なるほど、倫敦から受け取りに行くには遠方だ。「ねぇ、エドワードさん。今、この場で証書を受け取るわけにはいかないの?」
小さな胸を精一杯に寄せてしなを作りつつ、名前で呼んで媚びを売るミリアに、店主のエドワードは鼻の下を伸ばすでもなく「無理ですね」と苦笑で返した。
「写真の現像にはカメラを工場に送らなければなりませんので、どうしても時間が掛かります」
ふと、マギエラが目をパチクリさせた。
「あら、工場に? するとカメラはイーストマンのザ・コダックを使っているのね。なら、あのローフィルムを使いきるには時間もかかるでしょうし、証書はフェアリーズ・シェルフに宛ててもらえばいいわ。ミリアも、それでいいわね?」
「うーん、良く分からないけどそうね。エリーがそう言うなら……うん。それしかない、かな」
不本意なのか肩をすくめて言うミリアである。
して、出来上がった証書が届くまでは「仮登録証」とやらがその代わりになるらしい。小さなカードを渡されたミリアが「失くしそうだわ」と唇を尖らせると、エドワード氏はしかつめらしい顔になった。
「当店発行の仮登録証には、肖像こそないものの実際の登録証と同じく、ミリア様の名前と、所持なさっている機巧のシリアルナンバー一覧が記載されています。これは、お手元の機巧が盗品でないことを証明する書類になりますので、正式な証書が届くまではくれぐれも厳重に管理して下さい」
いわく、失くしたまま警官の職務質問に遭えば最悪、絞首刑もあり得るということだった。
※①「あなたはボタンを押すだけ、あとは当社にお任せください」の宣伝の元に販売された、コダックの名を冠した最初のカメラ。100枚撮影可能なローフィルムを内蔵して販売され、撮影後にコダック社に送ると写真をプリントしてもらえ、カメラや新たなフィルムと共に手元に戻って来た。現在のレンズ付きフィルムとほぼ同じシステムで、いわゆる「写ルンです」の仲間にして先駆け。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる