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4その3
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「三人目の殺害は、二人目の犠牲者――ドロシー・エミー・コールマン殺害のあった当日――つまりは十七日の、日曜の深夜から翌月曜十八日の朝日が昇るまでには、行われていただろうことが分かっている。
シャーロット・アン・ラスク殺害も含め、この時点までの犯行が深夜から明け方に行われたと思われたことから、警察の捜査と警備を、日没から早朝の時間帯で強化していたのだが……その矢先、四人目が昼間に殺された。十九日、火曜の出来事だ。同日の夜間にも一人が殺されている。どちらも下宿先の自室で絶命していた。
その後、数日ほど犯行が途絶えて、警備を強化したことの成果を感じていたところには、昨日、二十三日のライムハウスでの殺人だ」
昼過ぎにフェアリーズシェルフを訪れたグラント警部が、ここ一週間の捜査状況について、顔を歪めながら苦々し気に語る。話の進捗に合わせて、犠牲となった少女の骸を写したモノクロの紙切れがテーブルに一枚ずつ並べられていく。
いわく興味深いのは、四番目に犠牲となったナンシー・マスク・トンプソンが成人していたことだそうだ。このことから、犯人が未成年ばかりを狙っているわけではないことがハッキリしたとグラント警部は言う。
「コレット・アンナ・マグヌスが成人していることを理由に、両事件の関連を疑問視する意見もありはしたのだが、そうした声は、この一件以来すっかり静かになった。コレット女史が、学生と間違われるほどの童顔だったことが、我々の主張を後押ししてくれたよ。
と言うのも、ナンシーは十八歳ながら背が低く瘦せっぽちの童顔で、よく未成年と間違われたそうだ。実際、以前にインメルマン巡査が、上等な身成で夜の街路に佇むナンシーを迷子の令嬢だと思ったことがあるらしく、その際は保護しようと職務質問をしている。
そんなナンシーの仕事は街娼だ。彼女の客もそうした歪んだ嗜好の男が多かったらしい。とはいえ彼女を良く知る同年代の娼婦の何人かが言うには、そうした客等は、未成年に手を出す度胸を持ち合わせていない点で、比較的人間としてはまともな部類らしいな。中には、義務教育を受けられなかったナンシーに読み書きを教えるような、物好きの客もいたと言うからこれには驚いたよ」
読み書きを? なんだか聞き覚えのある話である。
「客が娼婦に勉強を教えるということは、英国ではよくあることなんですか?」
日本でならば、遊女には遊郭が読み書き等の教養を仕込むため、客が教えるなど殆どあり得ない話なのだが……あるいは、文化の違いだろうか。
「いや、あまり聞かん話だな。しかし、どうしてそんなことを?」
「最近、似たような話を聞いたことがあったので、もしかしたら僕が知らないだけで英国ではその手の慈善活動が盛んなのかと思ったのですが」
「まあ、慈善活動はある種のステータスで、郷紳や貴族階級にある、貴婦人は好んで炊き出し等の施しをするが……しかし彼女等のそれは、本質では偽善だ。貧者等の自立を促さず支援漬けにしてしまうのだからな。教育とは真逆ということだ」
やれやれとグラント警部が肩をすくめると、マギエラが唇の先でパイプを玩びつつ口を開いた。
「これまでの殺人はローズマリー・レーン周辺で起きていたようだけれど、ポースレン・レリンだけライムハウスの娘だったことには理由があるのかしら?」
「ああ、そのことだが……警察の警備網が原因だろう。その地域を担当していた警官の何人かが清国人に良い感情を抱いていなくて、だな……」
言うや、唐突に歯切れの悪くなるグラント警部である。そこへ、マギエラは容赦のないため息で応じた。
「なるほど、ライムハウスは清国の男が多く棲みついてチャイナタウンを形成しているものね。すると警官達もさぞ不愉快だったんでしょうね、サボタージュするだなんて。まったく……浮かばれないわね」
「返す言葉もない。犠牲となった少女には申し訳ないことをしたよ」
「そう思うなら早く捕まえなさいよ」
刺々しく言ってパイプを咥えるマギエラの態度に、顔をしかめつつグラント警部が短くため息をついた。口を開く。
「……で、そちらの捜査状況はどうなんだ、マグヌスのお嬢さん。手をこまねいているだけ、というわけでもないのだろう?」
マギエラが肩をすくめる。パイプを下唇の先の方に当てながら、ちらと恨めしそうな視線を千早に注いだ彼女は、口を尖らせるとポツリと呟いた。
「この一週間、チハヤがミリアにべったりなのよ」
「……はぁ?」
素っ頓狂な声と共にグラント警部が目をパチクリさせている。まあ、むべなるかな。当然の反応だろう。
「エリー。その言い方はちょっと人聞きが悪いよ」
「わたしを放ったらかしにしてミリアにずっと付いているんだから、間違ってはいないと思うわ」
「……なんだ、少年も隅に置けんな。三角関係なのか? 修羅場か?」
「違いますよ……」
警部まで。ため息が出る。「エリーと違ってミリアには働かないといけない事情があるので、彼女が花売りをする間のボディーガードを、僕が引き受けているんですよ」
ちなみに今日は警部が訪ねて来る都合、ミリアには下でキーン夫人を手伝ってもらっている。こう立て続けに少女が殺されたとあって彼女は「街娼はしばらく休業するわ」と言っていた。賢明な判断だろう。なにせ、命あっての物種だ。
「そうやって放ったらかしにするくせにチハヤってば、わたしには危ないから一人で出歩くな、って言うのよ。酷いと思わない?」
「そういう事情なら……まあ、しばらく一人歩きは避けた方がいいだろうなぁ」
「……この裏切者」
吐き捨てるように言っては、パイプを咥えて不貞腐れている。
「そう言うな。実は、ここ数日はロンドンの街娼や呼売商人も、少女達の外出には気を尖らせているんだ。いわゆるホワイトチャペル自警団の再来だよ。ジョージ・ラスクなどが年甲斐もなく息巻いているとくれば、当然ながら奴等に絡まれると面倒だぞ」
「ふん、面倒なのは貧民街で嫌われている警察だけでしょうよ」
マギエラのは、なんとも刺々した嫌味である。
こうなったマギエラの機嫌を取るのは難しい。致し方ない。千早は、彼女を無視して話を続けることに決めた。
「先週末の手紙では、娼婦やその予備軍を殺すようなことが書かれていたようですけど、実際の被害者達はどうだったんですか?」
この一週間を通してデイリー・ニューズやテレグラフ等の、大手新聞各紙の報道では、娼婦だの人気女優だの好き勝手に書かれていたわけだが、おそらく……。
「シャーロットが呼売商人でドロシーが絵描き、それとナンシーが娼婦だといのは報道の通りだが……他はいい加減な記事ばかりだな」
いわく、三人目の犠牲者たるロザリンド・フランシス・ロイドは、ブリストルの田舎に両親が健在とあって、十四歳の学生の一人暮らしながら貧乏とは無縁の暮らしをしていたらしい。とはいえ家族思いのロザリンドはいわゆる倹約家で、年頃の娘にしては質素な身成をしていたようだ。
また、ナンシーの次に殺されたキャサリン・ナイトリー・グレイは舞台女優だったそうである。彼女は、十六歳という年齢ながら子供じみた可愛らしさがあって一部の客に人気だったようだが、役者としては、演技が月並みでとりわけアドリブに弱かったらしい。同僚の何人かは「早く他に仕事を探した方が良い」と勧めていたそうで、街娼をしているという噂も立っていたという。実際、あまり良い暮らし向きではなかったことが、警察の調べでも分かっているとのことだ。
「昨日殺された十四歳のポースレン・レリンについてだが、近くに住む清国人に聞いたところでは、元浮浪児だったらしく本名はハッキリとは分かっていない。それでも、レリンをどう表記するのかについては知ることが出来た。それと、彼女が現場となった宿屋で従業員兼メイドをしていたことも分かっている」
言って、ふとグラント警部が一枚の紙を差し出した。紙には「近くに住む清国人」とやらに書かせたのだろう、漢字が、墨でもって達筆に記されていた。
「麗玲……綺麗な名前ですね。しかし従業員で……メイド、ですか」
なんと言うか、多忙そうだ。
ふと紙の擦れる音がして、見ればマギエラが新聞を持ち上げていた。グラント警部に向けてひらひらさせている。
「ねえ、ペルメル・ガゼット紙にも、レリン――あるいはリーリンの方がいいのかしら――は一人暮らしの少女、と書いてあるのだけれど……するとこの宿屋は、彼女の身元について最初は知らぬ存ぜぬを通そうとしたのかしら? この新聞、かのウィリアム・ステッドが編集に復帰したばかりのようだし、あまりいい加減なことを書いているとも思えないのだけれど? 少女のメイド・オブ・オールワークスなんて時代遅れだし批判の的で格好のネタよね? それを見てみぬふりをするだなんて彼がするかしら?」
「ええと……エリー、どういうことだい?」
マギエラは千早をジロリと睨んで、それから、何をか諦めたようにため息をついた。肩をすくめる。
「英国に義務教育という制度があることは知っているわよね? 働かなければならない子の場合でも、基本的には夜間学校等に通わせる必要があって、親や監督者には、子供に教育の場を与える義務が課せられるのよ。
お金持ちの御屋敷でなら、例えばコックにキッチンメイド、ハウスメイド、パーラーメイド、侍女、子守等々……複数の使用人を雇うことも出来るから、少女の使用人を学校に通わせることだって出来るでしょうけど、ライムハウスにある宿屋の主人ごときにそれほどの財力があるとはとても思えないわ。すると一人のメイド・オブ・オールワークスにすべての仕事をさせることになるわよね。
はたしてリーリンに、学校に行く時間があったのかしら?」
なるほど。もちろん、無かったのだろう。
頷いて、グラント警部が口を開いた。
「宿屋の主人は警察が来る前に給仕服のほとんどを処分したようだが、今朝になってレリンの部屋から、レースで飾り立てられた直しかけのエプロンが見つかって、な。それでメイドをさせていたことが判明した。客の前ではパーラーメイドのように振舞わせていたものの、客の居ない所ではオールワークス――雑務の全てを一人の少女に押し付けていたようだ。無論、この事実を知る新聞屋はまだいない。
オリエンタルな美少女に華美なエプロンを着せて客に見せびらかしておきながら、裏では粗末な身成でこき使う……あの主人、なかなかの見栄っ張りだぞ」
マギエラが眉をひそめた。
「見栄っ張り、って……グレン、その呑気な言い方だとあなた逮捕はしたの?」
「うん? 厳重注意程度だが……痛っ! な、何をするのだ!」
マギエラが警部の向こう脛を蹴飛ばしたのである。
「分からないの?」
柳眉を逆立てて気色ばむ。「あなた達警察がそんなだから、この都市の少女達はいつまで経っても虐げられ続けているのよ。どれだけの数の女の子が抱かれたくもない相手に肌を許して傷付いているか、考えたことがあるの?
自分が傷付いていることすらも忘れてずるずるとそれを続けて、いったいどれほど多くの少女達が、都市の暗がりに喰い殺されていっているか、知らないとは言わせないわ」
「ま、待て待て。それと今回の事態とは、事情も話も違――」
「事情が違う? ハッ、冗談を言わないで。教育の機会を奪われたリーリンだって、この都市に巣食う強欲な大人の喰い物にされた一人の犠牲者よ」
吐き捨てて、マギエラがパイプを咥えた。肩を怒らせたままグラント警部から視線を逸らした彼女は、怒りのやり場を探すかのように、窓外に見えるビルジングの薄汚れた壁をただひたすらに睨み付ける。
して、黙り込んだグラント警部はぐうの音も出ないのだろう。やがてマギエラとは対照的に肩を落とした彼は、ため息をつくと踵を返した。ひと言「資料は置いておく」と呟きつつ入口の扉を、重々しい足取りで開いて出て行く。
視線をそのままにマギエラが口を開いた。
「グレン、どこへ行くつもりよ?」
「ライムハウスにある現場だ。あれを逮捕していては、この都市に暮らす人々の大半を牢屋送りにせねばならなくなるわけだが……そんなことが、出来るはずもあるまい。とはいえ、まあ脅して釘を刺すくらいはしておいてもいいだろう」
「そう……」
ため息をひとつ。しばらく瞑目した後マギエラは、おもむろに何度か視線を迷わせて、やがてその眼が縋るように千早を見た。
まったく……素直じゃない。
千早は、階下へと向かいつつあった背中に声を掛けた。
「警部、付いて行きたいんですけど良いですか?」
シャーロット・アン・ラスク殺害も含め、この時点までの犯行が深夜から明け方に行われたと思われたことから、警察の捜査と警備を、日没から早朝の時間帯で強化していたのだが……その矢先、四人目が昼間に殺された。十九日、火曜の出来事だ。同日の夜間にも一人が殺されている。どちらも下宿先の自室で絶命していた。
その後、数日ほど犯行が途絶えて、警備を強化したことの成果を感じていたところには、昨日、二十三日のライムハウスでの殺人だ」
昼過ぎにフェアリーズシェルフを訪れたグラント警部が、ここ一週間の捜査状況について、顔を歪めながら苦々し気に語る。話の進捗に合わせて、犠牲となった少女の骸を写したモノクロの紙切れがテーブルに一枚ずつ並べられていく。
いわく興味深いのは、四番目に犠牲となったナンシー・マスク・トンプソンが成人していたことだそうだ。このことから、犯人が未成年ばかりを狙っているわけではないことがハッキリしたとグラント警部は言う。
「コレット・アンナ・マグヌスが成人していることを理由に、両事件の関連を疑問視する意見もありはしたのだが、そうした声は、この一件以来すっかり静かになった。コレット女史が、学生と間違われるほどの童顔だったことが、我々の主張を後押ししてくれたよ。
と言うのも、ナンシーは十八歳ながら背が低く瘦せっぽちの童顔で、よく未成年と間違われたそうだ。実際、以前にインメルマン巡査が、上等な身成で夜の街路に佇むナンシーを迷子の令嬢だと思ったことがあるらしく、その際は保護しようと職務質問をしている。
そんなナンシーの仕事は街娼だ。彼女の客もそうした歪んだ嗜好の男が多かったらしい。とはいえ彼女を良く知る同年代の娼婦の何人かが言うには、そうした客等は、未成年に手を出す度胸を持ち合わせていない点で、比較的人間としてはまともな部類らしいな。中には、義務教育を受けられなかったナンシーに読み書きを教えるような、物好きの客もいたと言うからこれには驚いたよ」
読み書きを? なんだか聞き覚えのある話である。
「客が娼婦に勉強を教えるということは、英国ではよくあることなんですか?」
日本でならば、遊女には遊郭が読み書き等の教養を仕込むため、客が教えるなど殆どあり得ない話なのだが……あるいは、文化の違いだろうか。
「いや、あまり聞かん話だな。しかし、どうしてそんなことを?」
「最近、似たような話を聞いたことがあったので、もしかしたら僕が知らないだけで英国ではその手の慈善活動が盛んなのかと思ったのですが」
「まあ、慈善活動はある種のステータスで、郷紳や貴族階級にある、貴婦人は好んで炊き出し等の施しをするが……しかし彼女等のそれは、本質では偽善だ。貧者等の自立を促さず支援漬けにしてしまうのだからな。教育とは真逆ということだ」
やれやれとグラント警部が肩をすくめると、マギエラが唇の先でパイプを玩びつつ口を開いた。
「これまでの殺人はローズマリー・レーン周辺で起きていたようだけれど、ポースレン・レリンだけライムハウスの娘だったことには理由があるのかしら?」
「ああ、そのことだが……警察の警備網が原因だろう。その地域を担当していた警官の何人かが清国人に良い感情を抱いていなくて、だな……」
言うや、唐突に歯切れの悪くなるグラント警部である。そこへ、マギエラは容赦のないため息で応じた。
「なるほど、ライムハウスは清国の男が多く棲みついてチャイナタウンを形成しているものね。すると警官達もさぞ不愉快だったんでしょうね、サボタージュするだなんて。まったく……浮かばれないわね」
「返す言葉もない。犠牲となった少女には申し訳ないことをしたよ」
「そう思うなら早く捕まえなさいよ」
刺々しく言ってパイプを咥えるマギエラの態度に、顔をしかめつつグラント警部が短くため息をついた。口を開く。
「……で、そちらの捜査状況はどうなんだ、マグヌスのお嬢さん。手をこまねいているだけ、というわけでもないのだろう?」
マギエラが肩をすくめる。パイプを下唇の先の方に当てながら、ちらと恨めしそうな視線を千早に注いだ彼女は、口を尖らせるとポツリと呟いた。
「この一週間、チハヤがミリアにべったりなのよ」
「……はぁ?」
素っ頓狂な声と共にグラント警部が目をパチクリさせている。まあ、むべなるかな。当然の反応だろう。
「エリー。その言い方はちょっと人聞きが悪いよ」
「わたしを放ったらかしにしてミリアにずっと付いているんだから、間違ってはいないと思うわ」
「……なんだ、少年も隅に置けんな。三角関係なのか? 修羅場か?」
「違いますよ……」
警部まで。ため息が出る。「エリーと違ってミリアには働かないといけない事情があるので、彼女が花売りをする間のボディーガードを、僕が引き受けているんですよ」
ちなみに今日は警部が訪ねて来る都合、ミリアには下でキーン夫人を手伝ってもらっている。こう立て続けに少女が殺されたとあって彼女は「街娼はしばらく休業するわ」と言っていた。賢明な判断だろう。なにせ、命あっての物種だ。
「そうやって放ったらかしにするくせにチハヤってば、わたしには危ないから一人で出歩くな、って言うのよ。酷いと思わない?」
「そういう事情なら……まあ、しばらく一人歩きは避けた方がいいだろうなぁ」
「……この裏切者」
吐き捨てるように言っては、パイプを咥えて不貞腐れている。
「そう言うな。実は、ここ数日はロンドンの街娼や呼売商人も、少女達の外出には気を尖らせているんだ。いわゆるホワイトチャペル自警団の再来だよ。ジョージ・ラスクなどが年甲斐もなく息巻いているとくれば、当然ながら奴等に絡まれると面倒だぞ」
「ふん、面倒なのは貧民街で嫌われている警察だけでしょうよ」
マギエラのは、なんとも刺々した嫌味である。
こうなったマギエラの機嫌を取るのは難しい。致し方ない。千早は、彼女を無視して話を続けることに決めた。
「先週末の手紙では、娼婦やその予備軍を殺すようなことが書かれていたようですけど、実際の被害者達はどうだったんですか?」
この一週間を通してデイリー・ニューズやテレグラフ等の、大手新聞各紙の報道では、娼婦だの人気女優だの好き勝手に書かれていたわけだが、おそらく……。
「シャーロットが呼売商人でドロシーが絵描き、それとナンシーが娼婦だといのは報道の通りだが……他はいい加減な記事ばかりだな」
いわく、三人目の犠牲者たるロザリンド・フランシス・ロイドは、ブリストルの田舎に両親が健在とあって、十四歳の学生の一人暮らしながら貧乏とは無縁の暮らしをしていたらしい。とはいえ家族思いのロザリンドはいわゆる倹約家で、年頃の娘にしては質素な身成をしていたようだ。
また、ナンシーの次に殺されたキャサリン・ナイトリー・グレイは舞台女優だったそうである。彼女は、十六歳という年齢ながら子供じみた可愛らしさがあって一部の客に人気だったようだが、役者としては、演技が月並みでとりわけアドリブに弱かったらしい。同僚の何人かは「早く他に仕事を探した方が良い」と勧めていたそうで、街娼をしているという噂も立っていたという。実際、あまり良い暮らし向きではなかったことが、警察の調べでも分かっているとのことだ。
「昨日殺された十四歳のポースレン・レリンについてだが、近くに住む清国人に聞いたところでは、元浮浪児だったらしく本名はハッキリとは分かっていない。それでも、レリンをどう表記するのかについては知ることが出来た。それと、彼女が現場となった宿屋で従業員兼メイドをしていたことも分かっている」
言って、ふとグラント警部が一枚の紙を差し出した。紙には「近くに住む清国人」とやらに書かせたのだろう、漢字が、墨でもって達筆に記されていた。
「麗玲……綺麗な名前ですね。しかし従業員で……メイド、ですか」
なんと言うか、多忙そうだ。
ふと紙の擦れる音がして、見ればマギエラが新聞を持ち上げていた。グラント警部に向けてひらひらさせている。
「ねえ、ペルメル・ガゼット紙にも、レリン――あるいはリーリンの方がいいのかしら――は一人暮らしの少女、と書いてあるのだけれど……するとこの宿屋は、彼女の身元について最初は知らぬ存ぜぬを通そうとしたのかしら? この新聞、かのウィリアム・ステッドが編集に復帰したばかりのようだし、あまりいい加減なことを書いているとも思えないのだけれど? 少女のメイド・オブ・オールワークスなんて時代遅れだし批判の的で格好のネタよね? それを見てみぬふりをするだなんて彼がするかしら?」
「ええと……エリー、どういうことだい?」
マギエラは千早をジロリと睨んで、それから、何をか諦めたようにため息をついた。肩をすくめる。
「英国に義務教育という制度があることは知っているわよね? 働かなければならない子の場合でも、基本的には夜間学校等に通わせる必要があって、親や監督者には、子供に教育の場を与える義務が課せられるのよ。
お金持ちの御屋敷でなら、例えばコックにキッチンメイド、ハウスメイド、パーラーメイド、侍女、子守等々……複数の使用人を雇うことも出来るから、少女の使用人を学校に通わせることだって出来るでしょうけど、ライムハウスにある宿屋の主人ごときにそれほどの財力があるとはとても思えないわ。すると一人のメイド・オブ・オールワークスにすべての仕事をさせることになるわよね。
はたしてリーリンに、学校に行く時間があったのかしら?」
なるほど。もちろん、無かったのだろう。
頷いて、グラント警部が口を開いた。
「宿屋の主人は警察が来る前に給仕服のほとんどを処分したようだが、今朝になってレリンの部屋から、レースで飾り立てられた直しかけのエプロンが見つかって、な。それでメイドをさせていたことが判明した。客の前ではパーラーメイドのように振舞わせていたものの、客の居ない所ではオールワークス――雑務の全てを一人の少女に押し付けていたようだ。無論、この事実を知る新聞屋はまだいない。
オリエンタルな美少女に華美なエプロンを着せて客に見せびらかしておきながら、裏では粗末な身成でこき使う……あの主人、なかなかの見栄っ張りだぞ」
マギエラが眉をひそめた。
「見栄っ張り、って……グレン、その呑気な言い方だとあなた逮捕はしたの?」
「うん? 厳重注意程度だが……痛っ! な、何をするのだ!」
マギエラが警部の向こう脛を蹴飛ばしたのである。
「分からないの?」
柳眉を逆立てて気色ばむ。「あなた達警察がそんなだから、この都市の少女達はいつまで経っても虐げられ続けているのよ。どれだけの数の女の子が抱かれたくもない相手に肌を許して傷付いているか、考えたことがあるの?
自分が傷付いていることすらも忘れてずるずるとそれを続けて、いったいどれほど多くの少女達が、都市の暗がりに喰い殺されていっているか、知らないとは言わせないわ」
「ま、待て待て。それと今回の事態とは、事情も話も違――」
「事情が違う? ハッ、冗談を言わないで。教育の機会を奪われたリーリンだって、この都市に巣食う強欲な大人の喰い物にされた一人の犠牲者よ」
吐き捨てて、マギエラがパイプを咥えた。肩を怒らせたままグラント警部から視線を逸らした彼女は、怒りのやり場を探すかのように、窓外に見えるビルジングの薄汚れた壁をただひたすらに睨み付ける。
して、黙り込んだグラント警部はぐうの音も出ないのだろう。やがてマギエラとは対照的に肩を落とした彼は、ため息をつくと踵を返した。ひと言「資料は置いておく」と呟きつつ入口の扉を、重々しい足取りで開いて出て行く。
視線をそのままにマギエラが口を開いた。
「グレン、どこへ行くつもりよ?」
「ライムハウスにある現場だ。あれを逮捕していては、この都市に暮らす人々の大半を牢屋送りにせねばならなくなるわけだが……そんなことが、出来るはずもあるまい。とはいえ、まあ脅して釘を刺すくらいはしておいてもいいだろう」
「そう……」
ため息をひとつ。しばらく瞑目した後マギエラは、おもむろに何度か視線を迷わせて、やがてその眼が縋るように千早を見た。
まったく……素直じゃない。
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