明敏犀利の蒸気歯車機関(めいびんさいりのスチーム・ギア)Ⅰ

野村だんだら

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4その2

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 少女二人の安否を確認したグラント警部が去った後、ミリアは、その日から書店の三階で寝泊まりするようになった。切り裂きジャックを名乗る者からの手紙にすっかり震え上がった彼女に、キーン夫人が手を差し伸べたかたちである。かねてよりミリアを気に掛けていた夫人にとって殺人鬼の手紙は、ともすれば良いきっかけだったのだろう。一方で夫人の申し出を受ける際のミリアは不承不承といった様子を見せていた。苦手意識があるらしい。そして、察するにそれは後ろめたさの表れに違いなかった。
「ねぇ、マサズミ。この記事の……ええと、この一文はどんな意味なのかしら。ちょっと見慣れない単語があって。教えてくれる?」
 とはえい入居して一週間も経てば、ミリアとて遠慮してばかりもいられないのだろう。以前であれば夫人から買っていた新聞も、今やマギエラのお下がりで済ませているのは節約のために違いなかったし、毎日ただで新聞を読めるとあって、今朝などは勉強にも精が出ているようだ。
「どれだい? ああ、これはまた……」
 ラム・アタックとは、勇ましい記事を。「これは衝角ラム……つまりは体当たりで敵艦を沈める攻撃方法だね。黄海海戦や日本海海戦がそうであったように、直近の海戦では遠方からの砲撃が主な攻撃手段になってしまったから、今は衝角不要論が優勢なんだ。だから、この前進水したドレッドノートにも衝角は付いていないらしいよ。けれどこの記者は、潜水艦の発達がこの先、偶発的な接近戦を引き起こすと考えているようだね」
「衝角不要論……? 無いよりは有った方が良いんじゃないの?」
「味方との衝突事故を考えると、そう単純な話でもないんだよ。過去には不慮の撃沈も起きているからね」
「へぇ、船も交通事故を起こすのね」
 同居とまではいかなくとも一緒に過ごす時間が長くなったことで分かった事なのだが、ミリアの好奇心は同世代の日本の子女に比べて旺盛である。と言うのも、許嫁の御巫千颯などがまるで興味の一つも示さないような話題――筆頭は軍事である――でも、彼女は「知らないことを知るのが楽しい」とでも言うように、眼を輝かせながら耳を傾けるのだ。こうした反応は千早にとって新鮮で、また好ましく思えた。
 まあ、そのおかげで勉強とは違う方角へと話が脱線してしまうわけで。
「ちょっと、チハヤ。人前でいちゃつかないでくれる?」
 当然だがマギエラからは叱られて……いやいや、待て。
「いちゃつく、ってなんだい。人聞きの悪い」
「それとミリアも」
 あ、無視された。「長文を読むのが辛いから、ってチハヤとのお喋りに逃げていたら、身に着くモノも着かないわよ」
「エリー、って……なんだかキーンおばさんみたい」
「お、おば……」
 愕然とするマギエラだ。「どうしよう、そろそろ部屋から追い出そうかしら」
「あ、それじゃあこの新聞だけもらって行くね」
 友人が不機嫌になったと見るや読みかけの新聞をひらひらさせてバイバイと手を振りつつ、千早には「ごゆっくり」などと囁いて、上機嫌に部屋を出て行くミリアである。彼女は、千早とマギエラが付き合っているものだと思っている。
「なんて言うか、本当に遠慮が無くなったね」
 入居初日などは借りてきた猫みたいだったというのに。
「そうは言うけど、ミリアがああなのはチハヤのせいなのよ。あなたが、語学の勉強に付き合ってほしいだなんて言うから、この部屋に入るのも遠慮していたようなあの子が、今やすっかりくつろぐようになったんだから。反省なさいよね」
 ため息を零しつつ、昨日の新聞を手にするマギエラだ。
「あんな手紙を見れば不安だろうと思って……」
「勉強ついでに世間話でもして気を紛らわせてあげよう、って?」
 またぞろため息をつくマギエラである。「あなたが優しいのは知っているし、そうした性格は、まあ、その……わたしも好いているのだけれどもね。それにしたって、事件について部屋で話せなくなるのだけは困りものだわ」
 マギエラの言う事件とは、もちろん切り裂きジャックを名乗る者による殺人のことだ。倫敦を騒がせているこの連続殺人事件においては、先週末に殺害されたドローイング・ドロシーの名前が、先日の朝刊で「ドロシー・エミー・コールマン」であると報道されたのだが、彼女の身元が特定されるまでの、わずか四日間の内に三人もの少女がイーストエンドの貧民街で惨殺された。
 また、ドロシー殺害の現場で見つかった件の手紙が公表されると、新聞各社は、スキットルズ・インに送り付けられた写真の少女は既に殺されたのだと報道した。もちろんその少女はマギエラなので、死んでなどいないのだが。
 そして、今日もまた十四歳の少女の死亡を、デイリー・テレグラフをはじめ各紙が被害者の肖像付きで知らせている。それ故か今朝のマギエラは、紙面の隅々まで眼を通して事件に関係しそうな記事を取り除く作業に余念がなかったし、そうした労力の成果は、その全てがミリアの手に渡ることとなった。
「エリー、その理屈だとキミだって優しいじゃないか」
 ミリアの眼に事件報道の一切が触れないようにしたその優しさを、少しは千早にも向けてほしいもである。
「あれは、朝から部屋で震えられても困るからよ。要するに、わたし自身のため、ってことよ」
 まったく素直じゃない。「それより、今日の新聞だけど……アジア系よね。その地域における顔立ちにあまり詳しくないのだけれど、彼女、あなたの同胞――日系人というわけではなさそうよね?」
 ミリアに見られないよう隠していた新聞記事を、ふとどこからか取り出して差し出してくるマギエラだ。あるいは昨日の新聞にでも挟んでいたのだろうか。
 各紙の報道を見る限り、宿屋の一室で殺されていたというその少女の名は、今朝の時点ではまだ判明していないらしい。と言うのも、彼女は殺害現場となった部屋に、下宿人として一人で暮らしていたというのだ。それでも、近隣住民からは「ポースレン・レリン」と呼ばれ親しまれていたようで、気に掛けてくれる隣人の何人かが居たことは窺えた。
 して、この「ポースレン」という語は、おおよそ「白磁」を意味する。今朝のデイリー・ニューズがレリンの容貌について「エキゾチックな漆黒の髪に、透けるような色白の肌」と報じていることを鑑みるに、肌の美しさを白磁に例えたことが容易に想像できた。
 また、テレグラフ紙の報じるところによれば、ライムハウス地区にあるというレリンの住家は、元は阿片窟として使われていた建物とのことだ。
 阿片や白磁といった語句は、千早に、日本の隣国たる「清国」を連想させる。すると、少女の「レリン」という響きはおそらく、正しくは「麗玲リーリン」といったところなのであろう。
「殺された彼女はきっと清国人だね。英国人が想像する清国人は概して細い目をしているから意外に思うかもしれないけど、清では大きな目の女性が好まれるんだ。レリンという愛称も、清の女性によくある名前に似ているしね」
「すると……本国で口減らしに遭った子が、美人だからと奴隷商に連れて来られたところで隙を突いて逃げ出した、といったところかしら。あるいは晩年の阿片窟で生まれた、英国人との混血児ということもあるかもしれないわね。清の男が白人女性に子供を産ませたがる事象が、社会問題となった歴史が英国にはあるのだもの」
 混血、ねぇ……。
 なるほど。色白で、鼻筋の通ったすっきりとした顔立ちに、大きな目をした清国人というのが、英国生まれのマギエラには受け入れ難い概念であるらしい。
 碩学な一面があるかと思えば存外に箱入りのようだ。
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