古国の末姫と加護持ちの王

空月

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アズィ・アシーク 1

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「それじゃあ、えっと――アル=ラシード」

  一応彼が王族である(しかも後に王となる人物である)ことがほぼ確定したため、呼び方に一瞬悩んだものの、今更畏まった喋り方をするつもりはリルにはない。
  どうしても『王族』というより『年下の男の子』というふうに意識してしまうのだ。なので、ひとまず自分の好きなように呼ぶことにする。

 「アズィ・アシークをどう抜けるかとか、あとアズィ・アシーク内を移動するときの注意みたいなのも、一応説明しとこうかと思うんだけど……」

  どうしても嫌だとか不快だとか言われたときはアル=ラシードの希望通りに呼ぼう、と考えて、話を切り出しつつ反応を窺ってみたのだが。

 「……?」

  アル=ラシードは真顔でリルを見たまま固まっていた。雰囲気的に嫌がってるとかそういう感じではなさそうなのだが、無言でいられるのも居心地が悪い。というか気になる。

 「どうかした?」

  訊ねてみると、アル=ラシードはやっと硬直がとけたように肩の力を抜き、リルから視線を外して小さく息を吐いた。

 「いや……血縁以外に敬称を付けずに呼ばれるのは初めてだったから、少し……驚いた、のだろう。自分でもよくわからないのだが、多分」

  本当に自分でもわからないらしく、首を捻りながらアル=ラシードが言う。

 「嫌だったら、呼び方変えるけど……」

  一応真名である『ラシード』のみでは呼ばずに、準名の『アル』も添えて呼んだのだが、よく考えなくても彼とは出会って間もないのだ。さすがに馴れ馴れしすぎたかな、と心配になるリル。

  シャラ・シャハルの民の名は少し独特で、準名・真名・守護名、そして出身、もしくは所属名で構成される。他国における『名前』にあたるのが準名と真名であり、準名のみか、準名と真名を合わせて呼ぶのが通常だ。真名のみで呼ぶのは特に親しい間柄の場合であり、家族や恋人間が基本である。

  リルの認識では『アル=ラシード』が『名前』だったため、準名と真名を合わせて呼んだのだが、あえて王族を敬称無し、且つ名前で呼ぶのなら、準名の『アル』のみの方がこの場で相応しい呼び方だったことに遅ればせながら気付いた。
  それゆえのリルの言葉に、しかしアル=ラシードは即座に首を横に振った。

 「いや、構わない。呼ばれ方にこだわりはない――というかこだわるほど呼ばれたことはないし、好きなように呼んでくれていい。……ただ、少し気になったのだが」
 「?」
 「お前は、私の身分に対して畏まることはしないのだな」

  ただ事実を確認するように――しかしどこか感心するような響きで紡がれたアル=ラシードの言葉に、リルはきょとんと目を瞬かせた。

 (畏まる……)

  確かにリルはアル=ラシードに対して敬ったり畏まったりするような態度をとらないし、そうしようとも思わない。
  アル=ラシードを、王族というよりはただの少年として認識していることもあるが、そもそもリルはシャラ・シャハルの民ではない。話くらいは聞いたことがあるが、遠い海向こうの、恐らく一生目にすることもないだろうと思っていた異国の人物を目の前にして、いきなり敬意や畏怖を抱くはずもなく。

  更に言えば、大変に小さな国ではあるが、故国であるイースヒャンデにおいて、リルは一応王族の末席に名を連ねている。イースヒャンデは身分などあってないような国ではあるが、曲がりなりにも敬われる側の人間に属しているというのもあるのだろう。

  その辺りのことを言うべきかとリルは一瞬考えたが、『異国民だから』とか『一応王族だから』などと言ってしまえば、どこの国の者かというのは確実に訊ねられてしまうだろう。それはリルにとってとても都合が悪い。
  大陸自体が違うため、ごまかせる可能性はあるものの――そんないちかばちかの賭けのようなことをあえてしようとは思わない。

 「ああ、わたし、そういうのあんまり気にしない方だし……っていうか実感が湧かないっていうのもあるんじゃないかな」

  なので、全くの嘘ではないが、それが全てでもない言葉を口にする。どうやらアル=ラシードは身分にこだわるタイプではなさそうな気がするので、別にこの理由だけでも大丈夫だろう。

 「そうか。それもそうだな」

  案の定、アル=ラシードはあっさりと頷いた。それを確認して、気付かれないように小さく息をつく。

 (なんていっても『魔法大国』だし、できる限り隠したほうがいいよね。どれくらい記録が残ってるかはわからないけど……何がきっかけになるかわからないし)

  イースヒャンデについては出来うる限り伏せなければ。伝承のようにあやふやな存在のままにしなければ。
  『古国イースヒャンデ』は忘れられたまま・・・・・・・でいい。――否、そうでなくてはならない。
  それがイースヒャンデの王家、ひいては民の総意なのだから。過去を繰り返すまいと、古の時にイースヒャンデが選んだ道なのだから。

 「……? どうかしたのか」

  声をかけられて、リルは自分が考え込んでしまっていたことに気付く。無言なのを訝ったのか、アル=ラシードに顔を覗き込まれていた。

 「あ……ううん、何でもない。それで、アズィ・アシークをどうやって抜けるかなんだけど」

  言いながら、リルは砂地に大雑把な地図を描く。

 「わたしたちが今居るのがこの辺り。アズィ・アシークには遮蔽物とか基本的にないし、方角もわかってるから、最短距離でアズィ・アシークの端まで向かうつもり。で、見ればわかると思うんだけど、シャラ・シャハルが一番近いの。今からだったら夜が明けるまでにアズィ・アシークを抜けて国境まで行けると思うから、君が大丈夫なら出発しちゃいたいんだけど」
 「なるほど……了解した。だが、アズィ・アシークの夜は寒さが厳しいと――」

  そこまで言って、アル=ラシードは眉間に皺を寄せた。

 「そうだ、先程も思ったのだが、何故寒くないんだ。文献が間違っていたということか?」

  問われ、リルは慌てて首を振る。そういえば先程、【加護印シャーン】やアル=ラシードの素性について話す前にも、彼はそれを口にしていたのだった。

 「アズィ・アシークの夜が極寒だっていうのは間違ってないよ。ただ、今居る場所だけちょっと例外で」
 「例外?」
 「シーズ兄様は、……あ、【禁智帯】の研究をしてる、私の兄様のことなんだけど。シーズ兄様は『間隙』って呼んでる――何て言えばいいかな、起こるはずの事象が拒絶される地帯……こう、寒さとか暑さとか全部ひっくるめて『何もない』状態になる場所があるの。わたしたちが今居るのがそこだから暑くも寒くもないだけで、『間隙』を出たら文献通りの寒さのはずだよ」
 「『間隙』……、起こるはずの事象が拒絶される……?」

  リルの説明にますます眉間の皺を深め、ぶつぶつと呟くアル=ラシード。その様子を見て、言わない方が良かったかな、と少し不安になるリル。

  別に、『間隙』から出てからの体感気温を一定に保つことなど、焔の力をもってすれば容易いことだし、アル=ラシードにとって未知だろう知識――それこそ信じてもらえるかもわからないような内容を説明して、アル=ラシードが自分に対して感じているだろう怪しさとかその他諸々を増幅するのはリルの本意ではない。

  けれど、ここで『文献が間違っていた』ということにしてしまうと、アル=ラシードに嘘を教えることになってしまう。
  そうすると、無いと願いたいものの、再びアル=ラシードがアズィ・アシークに来てしまったときに、確実に困ったことになる。
  嘘が嘘だとわかってしまうこと自体は、アル=ラシードの中のリルの心象が悪くなるだけなので大した問題ではない。恐らくアズィ・アシークを無事抜けるなりして別れれば、会うこともないだろう相手であることだし。

  何が問題かと言うと――アズィ・アシークの夜を甘く見ると、本当に死にかねないということである。間違った知識を植えつけたがために、アル=ラシードが生命の危機に晒されてしまったら、寝覚めが悪いどころの話ではない。
  なので信じてもらえないことを想定しつつも、一応真実を告げたわけだが――あまり不審がられると、アズィ・アシークを共に抜ける行程に問題が起こる可能性もある。

  自分の判断の是非に悩むリルだったが、いつの間にか呟くのを止めていたアル=ラシードが自分をじっと見ていたことに気付き、何とかフォローを試みることにした。

 「ええっと……その、根拠は兄様の研究成果だから、いきなり信じろって言っても難しいとは思うけど、実際ここだと寒くも暑くもないし。少なくとも全くのでたらめだってことはない、と思うんだけど」

  どうかな、と、恐る恐るアル=ラシードを見る。
  すると、アル=ラシードは考え込むように一度目を閉じた後、しばらくして何か自分の中で折り合いをつけたらしく頷いた。
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