EMPTY DREAM

藍澤風樹

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駅馬車の吸血鬼

御者の父の話

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駅馬車の御者を務めていた親父に、良い思い出なんてありゃしない。
決して働き者とも言えなかったし、気に入らないことがあればおふくろも俺たちにもよく手を上げたもんさ。
村の中でも体が大きい方で腕っ節もあったと思う。
それが、あの日以来すっかり様子が変わっちまった。
御者の仕事も俺に押しつけ、台所の隅でジンを飲んじゃあ、語り始めるんだ。


「なあ、俺は神様なんてのをちょっぴりしか信じてやしなかった。
だけどよ、あれ以来考えを改めたんだ。
あんな怪物を創り出すのは──神か、悪魔しかいやしないんだってな」

そこでもう一度酒瓶を煽り、唇の端から垂れる滴を毛むくじゃらの手で拭い、まだ話を続けやがる。
おふくろも俺も洗濯したり料理したりとやることが一杯だし、毎度同じ話にいつまでも付き合ってられんしで無視しても、止めないんだ。


「この村一番の富豪だったダフィー家、覚えてるだろ?
毛織物だか何だかで成功した成金野郎だ。
一発当てて財を成した商人ってのはなぁ、金はあっても人脈も品性ってもんも無え。
けどよ、年頃の娘って駒があったもんだから、どうにか貴族階級への足掛かりを欲しがったんだな。
そのお嬢様と、隣村のバートレットってお医者様が結婚ってんで、村はそりゃもう大騒ぎさ。
バートレット家は三代続く立派な医師の家系であちらの村じゃ名士だし、跡継ぎのブライトさんも例に漏れず町の学校で優秀な成績を収めた、きちんとした資格を持ったお医者様だ。
これを足掛かりに、この辺境の村々の発展と、ダフィー家も行く行くは『都』へでも行けるんじゃねえかってな。

そうして、そんな素晴らしい花婿を迎えるべく、その日だけの特別な栄えある駅馬車を走らせたのがこの俺だ。
いつもよりちょっぴり上等な服を着せられて、隣村の婿殿を恭しく我が馬車へと迎え入れたもんさ。
ああ、特別な日なだけあって、チップも随分と弾んで貰ったっけ。
そうして一昼夜走り通し、駅になってる旅籠の前でようやく降り立ったブライトさんが、さあ花嫁を迎えに行こうってした前に、ふらりとが現れたんだ。

女だった。
長い髪を振り乱したボロボロな成りに、手足は酷く傷だらけの血塗れで、いかにも幽鬼や屍鬼や──吸血鬼、みたいだった。
何より忘れられんのが、あの眼だな。
赤く爛々と、今にも血の涙でも流しそうな、恐ろしい眼だった。
その女が、ブライトさんに素早く飛びかかり、その喉へ噛みついた。
その間中、俺も、他の奴等も動けなかった。
息する事すら忘れてたと思う。
ブライトさんの食い破られた喉から吹いた生臭い血を浴びて、ようやく俺達は動き出せたんだ。
とは言え、悲鳴を上げたりその場に倒れたり、とかだがな。
そんな時に一際甲高く耳障りな叫び声を上げる奴がいて、どこのかみさんだと思ったら、その女だった。
ブライトさんの体を膝に抱きながら、空を仰いでけたたましく笑っていやがった。
頭から爪先まで、真っ赤に濡れながらな。
だが、後で話したら、トミーの奴ぁ泣いている様だったと言うし、オットーなんて愛しい恋人を喪ったみたいに哀れに啜り泣いていたじゃあないかと言うしで、今となっちゃあ俺にもよく分からん。

だが、これからやらにゃならん事だけは皆分かっていた。


腰を抜かしてガタガタ震える、バートレットさんの小姓として付いて来た小僧が女を指して言ったんだ。
あの人は、昨日死んで埋葬も済んだはずの、ウィリアムスさんだ、と。
ブライトさんが、年若い者が原因不明で死ぬ時は吸血鬼になるかもしれないから、埋葬する時に棺から出られない様しっかり封をしておけと葬儀の時に指示していたのを確かに聞いたと。

吸血鬼!!

そんな、噂話や御伽噺でしか無い化け物が、こんな田舎の村に現れるなんて誰も思っていなかったろう。
今こうやって話をしている俺自身だって本当にあった事だとは信じ難いんだからな。


さて、ブライトさんの死体から引き剥がそうとすると、ウィリアムスって女が噛み付かんばかりに血塗れの歯を剥き出すわで、俺達にはどうにも出来なかった。
だって噛まれたら最後、こっちまで吸血鬼にされちまうって話じゃないか。


結局、二人の周りに薪を積み、油を掛けた上で火を点け、焼き浄めることとなった。
本来なら吸血鬼の胸を白木の杭で貫くのが吸血鬼の正しい斃し方だと神父様はぶつぶつ言ってたが、あれはもう仕方がなかった。
花嫁だけは泣きながら最後まで反対してたがね。

ウィリアムスは暴れも抵抗もせず、とっくに事切れてるブライトさんと共に炎に包まれた。
後に遺された灰を川に流したのを見て、俺は数日の間、川に近寄ることすら出来なかったっけな。
臆病だと思うだろ?
あれを見ていなけりゃ誰だってそう思うさ。
けれどな、俺は見てしまったから。

だからいいか、よく聞くんだウーゴ。
ブロック家の者として、不信心だけはいかん。
日曜日には必ず教会に行け。
聖書を片時も離すな。
悪魔は知らんが、吸血鬼はいるんだ。
余所よそから来るか、人間俺たちの中から出てくるのか、それは分からんが、そんな絶望の時に縋れるのは、神様くらいしかいないんだからな」
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