EMPTY DREAM

藍澤風樹

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駅馬車の吸血鬼

吸血鬼の話

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「──とまあ、そのウィリアムスって家女中ハウスメイドが若旦那のブライトさんに横恋慕した挙句に狂っちまって殺したっちゅうことで役場の人間は収めちまった。今じゃもうどちらの村の連中も忘れたみたいにしてますが、ダフィー家は村を出たし、バートレット家も不幸続きで誰も残っちゃいない。旦那だってここまで聞きゃ、ああやっぱり吸血鬼に呪われたって思うでしょ? ご存じですかい、吸血鬼ってのは睨むだけで不幸を呼び寄せることまで出来るそうですぜ」

最後の一文を話したところで、低く押し殺した笑い声を背中に聞き、思わず御者は客席へと首を巡らした。

「ふむ、なかなかに興味深い話だった」

ただ一人の客は、粗末な馬車の客席に飾られた美しい彫像の様に腰を下ろしたままだ。
話の前と違うのは、黒衣の胸の前で組まれていた腕が解かれ、片方の白い指が口元へとあてがわれていたこと。
その唇は嗤う形に結ばれている。
こちらを見つめる眼は、全く笑っていないのに。

「退屈な時間を僅かでも埋めてくれた礼をしてやろう。さて──お前は何を望む?」

その問いに答えるより先に、御者は反射的に前へと首を戻した。
走る馬車の揺れに負けぬほど跳ねる心臓を意識し、冷たく嫌な汗を額に滲ませながら。

俺は何かを間違えたか?
退屈な移動の中、この無愛想な客の興味を惹き、会話を引き出すことにも成功した。
なのに急に落ち着かない気分になったのは、この男の妖しいまでの美貌を真正面から見てしまったから?
それとも、その髪と同じ黄金色の瞳が、暗い夜道の中で客席を照らすために置いてあるランプの灯りを受け、血の色にも見えたせい?
その視線の先が相手自分の顔では無く、もう少しだけ下へと向けられていたから?

「と、とんでもない。じゅ、十分なお代は頂いてますんで、へい」

いつもであれば羽振りの良さそうな客には骨の髄までしゃぶる勢いでチップの上乗せをねだるところでも、これはだめだ。
そんなことをすれば、それと引き換えに人としての何かを失ってしまう・・・・・・・・・・・・・・──気がする。

「ほう、欲の無い。どうせなら面白い夢でも見せてやろうと思ったのだがね」

何処か愉しげで、何かぞっとさせる囁きに、御者の鼓動はますます跳ね上がる。

「まあいい。今はそこまで喉も渇いていないが、夜明けまでには駅に着くよう頼む。お互いのためにも・・・・・・・・

前を見据えたまま、こくこくと御者は頷いた。
退屈と平凡しか無い慣れたこの路までもが、ざわめく木々の間に不吉な影を潜めている様に思えて、一刻も早くこの旅から抜け出したいと願った。


結局、語りを終えて言いたかった、

「それで、お客さんはそんな駅に何の御用で?」

の一言は、ついぞ御者の喉を出ることは無かったのである。
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