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行き違う思い出
しおりを挟む私がおもむろにソファから立ち上がり部屋を出ようと踏み出す。
「奥様、今はマリーナ様が…」
侍女が俯いてそう言う時、私は廊下に出るべきでないことを知っている。
マリーナ“様”
今、私がこの屋敷でどういう状況で、どのような立場にいるかを正しく理解しているならば、言わずもがなマリーナという女性はつまりはそういうことである。
私は何年も前から彼女の名前は知りつつも、その姿は一度として拝んだことがない。
昔は会うのが怖かった。
自分のことを棚に上げて何を言っているのかと思われるかもしれない。しかし、もしも彼女が“それ”を望めば私は実家に帰るハメになり、アスベルとの逢瀬もきっと絶えてしまう。
私との結婚を望まないアスベルに私の離婚話など匂わせることすら避けたかったからだ。
それを自覚して以来、私は彼女の名前を聞く度に薄氷の上に立たされている感覚に陥る。
でも今はそれとはまた別の感情が胸の中にある。
彼女がいるから私はアスベルとの逢瀬を邪魔されずに済んでいるのだと。
「いつか彼女にお礼を言わなくちゃね。」
私が何気なくそう呟くと侍女は俯きつつ私の方に向いていた顔をさっと逸らした。
あらら、意地の悪い返答だったかしら…と今になって思いなおし反省。
そんなつもりはなかったのだ。
自然と、心から、彼女に感謝せねばとそう思った故の言葉だったのに。
「そういえば奥様、」
さっと振り返った侍女が微笑みを浮かべながら話題を変える。
その気遣いにまた少しの罪悪感を覚えながら、私は素知らぬふりをしながらその話題に「なに?」と乗ることにした。
「お庭のアマリリス、御覧になられましたか?昨日までは蕾が多かったのですが今朝になって見事に咲いておりまして…今日はお庭のテラスでお茶などどうでしょう。」
「そう、それは楽しみね。お願いするわ。」
私もすこしばかりの笑みを浮かべながらソファへと戻った。
マリーナはもう屋敷を出ただろうか。
彼女が昼間に来る時は大抵そんなに多くの時間を要しはしない。
どこで何をしているかは知らないし知りたくもない。
彼女と会わないように最初に仕向けたのは夫だった。
もちろん直接言われたわけではないが、会わないよう侍女たちに指示をしたのは夫だった。
それがわかったのは確か嫁いで間もない、まだ私が結婚に淡い期待を抱いていた時のことだった。
夫はその頃、屋敷に寄り付くことも出来ないほど忙しく、王宮に寝泊まりし、たまに帰ってきては部屋で疲れを癒すために眠るだけの日々だった。
それでもその部屋にせっせと通っていたのはマリーナで、私はそんな忙しい彼の日々を支えさせてはもらえなかった。
心にあったのは“落胆”
意を決して結婚したはずなのに蓋を開けてみればなんてことのない仮面夫婦で。
彼には子供をせっつくような親戚もいなければ両親も他界済み。
プレッシャーがない中、彼はありがたくない事に両親の決めた結婚だけは守った。
でも、何より不思議だったのは私の気持ち。
私にはアスベルがいたはずなのに、あの頃の私は夫との結婚を喜んでいた。
瞼を閉じると結婚式で幸せいっぱいに笑う自分が浮かび上がる。
夫がどういう表情だったかは思い出せないけれど、あの瞬間だけは私は何故か幸せだったのだ。
そんなことを振り返ったのは最近で、それ以来アスベルと会うたびに罪悪感を覚えてしまう。
ごめんなさい、一時でも貴方を忘れてしまった私をどうか許さないで、と心の中で懺悔しては「愛している」と囁くのだ。
昼食を終えて暫く、読書していると侍女が私を呼びにきた。
「お茶の準備が出来ましたのでお知らせに参りました。」
「ありがとう、すぐ行くわね。」
私は読みかけの本を携えて庭へと向かった。
庭先に出ると確かに白とピンクが鮮やかなアマリリスが沢山咲いている。
その奥にはユリも咲いていて、普段から石像のコレクションなどが並んでいるため豪華に見える庭園が、より一層美しく感じられた。
「綺麗ね…香りも素晴らしい…。」
私は花壇に近づきしゃがみ込んだ。
堂々と広がる白い花弁の中央部分は濃いピンク色が広がって近くで見てしまうと少しばかり毒々しい印象があった。
じっと中央を見ていると以前の公園の時のような既視感を覚えた。
「ああ、奥様もういらしてたのですね。申し訳ありません。さぁ、お茶が入りましたのでこちらへ」
「…誰に…見せてもらうんだったかしら…?」
「……?奥様、どうかされましたか?」
ぼーっとする私の背中を先ほど呼びに来たのとはまた別の侍女が心配そうに見つめる。
私はアマリリスから視線を外して空を見上げた。
どこからか、小鳥の囀りにまぎれて聞きなれぬ音が遠くの方で聞こえる。
「これは、なんの音かしら…?」
「え…?あぁ、確か今港の方で隣国との合同演習があるとか…旦那様も本日はそちらの式典に出席なさっているそうです。おそらくその祝砲か何かでございましょう。」
港…割合離れていたと思うがこんな所まで聞こえるのか。
祝砲とやらはその後また二発、三発と少し間を置きつつ続いた。
「奥様…?」
侍女の声が聞こえる。
「奥様…?奥様?!た、大変、誰か、誰かお医者様をっ…!!」
四発目の祝砲が鳴り響く頃、私の意識はどこかへ飛んで行ってしまった。
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