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ノストラダムスの大予言
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1999年、7月。巷を騒がせるノストラダムスの大予言なるものに世間が怯えるそんな時代。彼女にとっての「恐怖の大王」はある日の放課後、それは突然に訪れた。比良坂摩耶は美術室の淡いクリーム色のリノリウムの床の上で琴切れている先生こと病葉覚のそばに制服が乱れるのもかまわずにぺたんと日に焼けた膝をつき、呆然とした。
「う、うそ……嘘、なんで?昨日まで元気だったじゃない」
摩耶の脳裏に昨日の放課後別れた病葉のさわやかな笑顔が蘇る。優しくて、親切で、誰にでも好かれる先生。もう会えないなんて……信じられない。
摩耶が放心していると背後でがらがらとドアが開き、同じ美術部の倉田新也が入ってきた。
度が厚い眼鏡と猫背、肩に斜めがけした身長より大きなボストンバックが重たそうに黒いくせっ毛と一緒に揺れている。ぼうっとした表情で「あ、比良坂さんこんにちは」と言った後、彼女の先にあるものを見てとろんとした目が一気に大きく見開かれた。
「…………え、もっもしかして死んで……る?」
倉田は驚いた勢いで廊下へ転げでそうになったが、ドアをつかんでなんとか踏みとどまる。
「ま、まさか比良坂さんが病葉先生をこっ……殺したんですか⁈」
「は?いや、違うし。私が先生を殺すわけないだろ!私もさっき来たばかりでもう、何がなんだか……」
摩耶はあわてて倉田の発言へ訂正を入れ、足下に横たわるゴッホのひまわりがプリントされた薄手のシャツを着た病葉の死体に目をおとす。頭の中をぐるぐると疑問ばかりが回り続けていて、正しく思考ができない。
「ど......どうしよう倉田」
「ぼ、僕に聞かないでくださいよ。とっ......とりあえず誰かに見つかる前に先生を移動させないと!今日みたいな暑い日だとすぐに腐敗が始まりますから」
倉田はそう言い、摩耶の向かい側に膝をつき、目で体を持ち上げるように合図した。
「いきますよ............せーのっ‼︎」
病葉がいかに痩せ形であろうとも成人男性を中学生2人だけで持ち上げるのは無理だと摩耶が思った時、奇跡が起きた。いや、これが火事場の馬鹿力......というものだろうか。
上半身を倉田が、下半身を摩耶が持つかたちで死体を美術準備室へと運びこむ。奥にデッサン用の彫像と共に偶然しかれたブルーシートの上に置くと、倉田が急いで準備室のドアの鍵を閉めた。
「はあ、はあ.......。なんとか......なりましたね」
倉田が額に大汗をかきながら言う。摩耶も頷きながら、慣れない運動で切れた息を整える。
「で......次はどうするの?このまま放っておけないでしょ?」
「ええ。このままどこかに、誰にも知られずに埋められればいいんですが......今は難しいです、外は人目がありすぎる」
「じゃあ、夜に来るのはどう?」
「簡単に言いますけど......具体的にはどうするんです?」
倉田がむっとした表情で言い返してくる。摩耶はなかば無茶だと思いつつも今頭に浮かんでいる案を全て話した。
「............おそらく成功する確率は低いと思いますけど、何もしないよりはきっとマシですね。それじゃあ比良坂さん、しばらくここで待機して先生を見張っていてください。僕から携帯で連絡いれますから」
「わ……わかった。ごめん倉田......大変なことに巻きこんじゃって」
摩耶の今にも泣き出しそうな顔に倉田はただ頷き、部屋の反対側のドアからそうっと廊下に出て行った。出る時に一言「鍵お願いします」と言い残していく。摩耶は突進するようにドアに近づき、鍵をかける。
その瞬間、一気に気が抜けて床に座りこんだ。ブルーシートの上に寝かされた病葉の死体が嫌でも目にはいる。摩耶はおそるおそる近寄ると、病葉のシャツから出ている手に自分の指先で触れてみる。
(つめたい)
摩耶は病葉の肌から伝わる背筋がぞっとするような冷たさに震え、手をひっこめる。少々癖はあるものの整った顔は穏やかに目を閉じていて、まるで眠っているようにしか見えない。
摩耶は頭では理解しているがやはり諦めきれなくて病葉のシャツのボタンを全て外す。ここ連日の猛暑からか、今日の病葉はそのシャツ1枚しか身につけていなかった。
唐突にあらわになったギリシャ彫刻に見劣りしない上半身の筋肉に摩耶の顔が直視してしまった気恥ずかしさから真っ赤になってほてり出す。
(でも......これだけはやらなきゃ。ごめんなさい、先生)
摩耶は赤面しながらも肩より下まで伸ばした毛先だけほんの少し茶色く染めた髪を払い、病葉の右胸のあたりに耳をつける。もちろんのことだが鼓動は感じられない。摩耶の両目からじわじわと大粒の涙があふれた。
「先生......ねえ、なんで死んじゃったの。今度一緒に美術部の合宿行くって約束したよね」
摩耶は冷たくなりわずかに死後硬直の始まっている病葉の体を抱いて、思いっきり泣いた。
「もう一緒に話したりできないなんて……わたし、私どうしたら……耐えられないよう」
摩耶の目からとめどなく涙がぼろぼろとこぼれて病葉の顔やシャツをはだけた胸を濡らした。ふと部屋の片隅に持ちこんだ通学用のリュックからのんびりした曲調の着信メロディが流れる。
海外ドラマ「ツイン・ピークス」のテーマ曲だ。摩耶の携帯電話が鳴っている。すぐに倉田からだろうと察しをつけた摩耶は抱いた病葉の体をゆっくりと戻し、リュックにかけよって携帯を引っぱり出す。
「も……もしもし?」
『あ、比良坂さん?僕あれからずっと美術室の前で誰か来ないか見張ってたんですけど……そろそろ日が暮れてきましたしまだ警備員さんも巡回してないので大丈夫そうです。今から準備室のほうに行きますね、待っててください』
「わかった」
摩耶がそう言うと通話は切れた。すぐに美術室のドアが開く音がして、準備室のドアが外から控えめにノックされる。摩耶が鍵を外すと、倉田が飛びこんできた。
「比良坂さん、死体の番をさせるなんて僕がどうにかしてました……すみませんっ!僕がいない間何もありませんでしたか?」
「うん」
「先生の死体は......その、大丈夫そうですかね」
倉田が準備室のドアと鍵を閉め、シートの上の病葉に歩みよる。匂いをかいだ後わずかに顔をしかめ、部屋全体を見渡す。
「ああ......そうか。この部屋、窓とか空調設備がないから……傷みが早いのか。比良坂さんもう一度足のほう持ってくれますか、なるべく早く埋めにいきましょう」
倉田は手早く病葉の死体をブルーシートで巻くと、自分のボストンバックから新聞をまとめる時に使うようなビニール紐を取り出しそれをシートにきつく巻きつけて固定した。
摩耶は指示どおりに再度足のほうを持ち上げる。準備室側から出る前に倉田が前後左右に人がいないか確認し、2人は大急ぎで廊下を何度もつまづきそうになりながら駆け抜けた。廊下を走ってはいけないというルールを破る罪悪感も今直面している問題の前ではないに等しい。
「あとちょっとで学園の裏庭に続く出口で......」
倉田がそう言いかけて急に押し黙る。その視線は曲がり角の向こう側に注がれていた。摩耶は倉田が立ち止まった反動でシートから手を放しそうになり、抗議の視線と小言を送る。
「もう。止まるなら声かけてよ、危ないじゃない」
「す、すみません......今ちらっと廊下の先に警備員さんらしき人影が見えた気がして。違ったみたいですからこのまま進みましょう」
倉田は申し訳なさそうに摩耶に言い、行動を再開した。警戒した曲がり角を突破し、灰色の扉にたどり着くと片手で引く。鍵はかかっていないのかやけにあっさりと開いた。
途端に外からの水分を含んだ涼しい風が2人に吹きつける。学園の裏庭に出ると摩耶の鼻が雨の匂いをとらえる。地面の土が少し濡れているので通り雨でも降ったのだろう。様々な種類の花や植物が生い茂り、ちょっとした植物園のようだ。
「あ、あそこ。あの大きな木の下に埋めましょう」
倉田がねじれた枝を生やした太い木の根元を顎をしゃくって示す。摩耶はそろそろ両腕が重くなり、限界にきていたので首を振る。
そばまで行くと倉田と摩耶は病葉を包んだシートを静かに脇へ横たえ、近くにあったシャベルや自分の手を使ってひたすらに穴を掘った。どのくらい時間が経ったのかわからないが、大人1人が入れる穴が空く。2人はその中にシートを入れると掘り返した分の土を逆にかぶせた。
「…………これでよかった、んだよね」
紐で縛ったブルーシートが黒っぽい土ですっかり隠れて見えなくなった後、ぽつりと摩耶がつぶやく。目の端に涙が光っている。
「ええ……。僕たちにやれるだけのことはやりました。後は……誰にも気づかれないことを祈るしかありません」
「う、うそ……嘘、なんで?昨日まで元気だったじゃない」
摩耶の脳裏に昨日の放課後別れた病葉のさわやかな笑顔が蘇る。優しくて、親切で、誰にでも好かれる先生。もう会えないなんて……信じられない。
摩耶が放心していると背後でがらがらとドアが開き、同じ美術部の倉田新也が入ってきた。
度が厚い眼鏡と猫背、肩に斜めがけした身長より大きなボストンバックが重たそうに黒いくせっ毛と一緒に揺れている。ぼうっとした表情で「あ、比良坂さんこんにちは」と言った後、彼女の先にあるものを見てとろんとした目が一気に大きく見開かれた。
「…………え、もっもしかして死んで……る?」
倉田は驚いた勢いで廊下へ転げでそうになったが、ドアをつかんでなんとか踏みとどまる。
「ま、まさか比良坂さんが病葉先生をこっ……殺したんですか⁈」
「は?いや、違うし。私が先生を殺すわけないだろ!私もさっき来たばかりでもう、何がなんだか……」
摩耶はあわてて倉田の発言へ訂正を入れ、足下に横たわるゴッホのひまわりがプリントされた薄手のシャツを着た病葉の死体に目をおとす。頭の中をぐるぐると疑問ばかりが回り続けていて、正しく思考ができない。
「ど......どうしよう倉田」
「ぼ、僕に聞かないでくださいよ。とっ......とりあえず誰かに見つかる前に先生を移動させないと!今日みたいな暑い日だとすぐに腐敗が始まりますから」
倉田はそう言い、摩耶の向かい側に膝をつき、目で体を持ち上げるように合図した。
「いきますよ............せーのっ‼︎」
病葉がいかに痩せ形であろうとも成人男性を中学生2人だけで持ち上げるのは無理だと摩耶が思った時、奇跡が起きた。いや、これが火事場の馬鹿力......というものだろうか。
上半身を倉田が、下半身を摩耶が持つかたちで死体を美術準備室へと運びこむ。奥にデッサン用の彫像と共に偶然しかれたブルーシートの上に置くと、倉田が急いで準備室のドアの鍵を閉めた。
「はあ、はあ.......。なんとか......なりましたね」
倉田が額に大汗をかきながら言う。摩耶も頷きながら、慣れない運動で切れた息を整える。
「で......次はどうするの?このまま放っておけないでしょ?」
「ええ。このままどこかに、誰にも知られずに埋められればいいんですが......今は難しいです、外は人目がありすぎる」
「じゃあ、夜に来るのはどう?」
「簡単に言いますけど......具体的にはどうするんです?」
倉田がむっとした表情で言い返してくる。摩耶はなかば無茶だと思いつつも今頭に浮かんでいる案を全て話した。
「............おそらく成功する確率は低いと思いますけど、何もしないよりはきっとマシですね。それじゃあ比良坂さん、しばらくここで待機して先生を見張っていてください。僕から携帯で連絡いれますから」
「わ……わかった。ごめん倉田......大変なことに巻きこんじゃって」
摩耶の今にも泣き出しそうな顔に倉田はただ頷き、部屋の反対側のドアからそうっと廊下に出て行った。出る時に一言「鍵お願いします」と言い残していく。摩耶は突進するようにドアに近づき、鍵をかける。
その瞬間、一気に気が抜けて床に座りこんだ。ブルーシートの上に寝かされた病葉の死体が嫌でも目にはいる。摩耶はおそるおそる近寄ると、病葉のシャツから出ている手に自分の指先で触れてみる。
(つめたい)
摩耶は病葉の肌から伝わる背筋がぞっとするような冷たさに震え、手をひっこめる。少々癖はあるものの整った顔は穏やかに目を閉じていて、まるで眠っているようにしか見えない。
摩耶は頭では理解しているがやはり諦めきれなくて病葉のシャツのボタンを全て外す。ここ連日の猛暑からか、今日の病葉はそのシャツ1枚しか身につけていなかった。
唐突にあらわになったギリシャ彫刻に見劣りしない上半身の筋肉に摩耶の顔が直視してしまった気恥ずかしさから真っ赤になってほてり出す。
(でも......これだけはやらなきゃ。ごめんなさい、先生)
摩耶は赤面しながらも肩より下まで伸ばした毛先だけほんの少し茶色く染めた髪を払い、病葉の右胸のあたりに耳をつける。もちろんのことだが鼓動は感じられない。摩耶の両目からじわじわと大粒の涙があふれた。
「先生......ねえ、なんで死んじゃったの。今度一緒に美術部の合宿行くって約束したよね」
摩耶は冷たくなりわずかに死後硬直の始まっている病葉の体を抱いて、思いっきり泣いた。
「もう一緒に話したりできないなんて……わたし、私どうしたら……耐えられないよう」
摩耶の目からとめどなく涙がぼろぼろとこぼれて病葉の顔やシャツをはだけた胸を濡らした。ふと部屋の片隅に持ちこんだ通学用のリュックからのんびりした曲調の着信メロディが流れる。
海外ドラマ「ツイン・ピークス」のテーマ曲だ。摩耶の携帯電話が鳴っている。すぐに倉田からだろうと察しをつけた摩耶は抱いた病葉の体をゆっくりと戻し、リュックにかけよって携帯を引っぱり出す。
「も……もしもし?」
『あ、比良坂さん?僕あれからずっと美術室の前で誰か来ないか見張ってたんですけど……そろそろ日が暮れてきましたしまだ警備員さんも巡回してないので大丈夫そうです。今から準備室のほうに行きますね、待っててください』
「わかった」
摩耶がそう言うと通話は切れた。すぐに美術室のドアが開く音がして、準備室のドアが外から控えめにノックされる。摩耶が鍵を外すと、倉田が飛びこんできた。
「比良坂さん、死体の番をさせるなんて僕がどうにかしてました……すみませんっ!僕がいない間何もありませんでしたか?」
「うん」
「先生の死体は......その、大丈夫そうですかね」
倉田が準備室のドアと鍵を閉め、シートの上の病葉に歩みよる。匂いをかいだ後わずかに顔をしかめ、部屋全体を見渡す。
「ああ......そうか。この部屋、窓とか空調設備がないから……傷みが早いのか。比良坂さんもう一度足のほう持ってくれますか、なるべく早く埋めにいきましょう」
倉田は手早く病葉の死体をブルーシートで巻くと、自分のボストンバックから新聞をまとめる時に使うようなビニール紐を取り出しそれをシートにきつく巻きつけて固定した。
摩耶は指示どおりに再度足のほうを持ち上げる。準備室側から出る前に倉田が前後左右に人がいないか確認し、2人は大急ぎで廊下を何度もつまづきそうになりながら駆け抜けた。廊下を走ってはいけないというルールを破る罪悪感も今直面している問題の前ではないに等しい。
「あとちょっとで学園の裏庭に続く出口で......」
倉田がそう言いかけて急に押し黙る。その視線は曲がり角の向こう側に注がれていた。摩耶は倉田が立ち止まった反動でシートから手を放しそうになり、抗議の視線と小言を送る。
「もう。止まるなら声かけてよ、危ないじゃない」
「す、すみません......今ちらっと廊下の先に警備員さんらしき人影が見えた気がして。違ったみたいですからこのまま進みましょう」
倉田は申し訳なさそうに摩耶に言い、行動を再開した。警戒した曲がり角を突破し、灰色の扉にたどり着くと片手で引く。鍵はかかっていないのかやけにあっさりと開いた。
途端に外からの水分を含んだ涼しい風が2人に吹きつける。学園の裏庭に出ると摩耶の鼻が雨の匂いをとらえる。地面の土が少し濡れているので通り雨でも降ったのだろう。様々な種類の花や植物が生い茂り、ちょっとした植物園のようだ。
「あ、あそこ。あの大きな木の下に埋めましょう」
倉田がねじれた枝を生やした太い木の根元を顎をしゃくって示す。摩耶はそろそろ両腕が重くなり、限界にきていたので首を振る。
そばまで行くと倉田と摩耶は病葉を包んだシートを静かに脇へ横たえ、近くにあったシャベルや自分の手を使ってひたすらに穴を掘った。どのくらい時間が経ったのかわからないが、大人1人が入れる穴が空く。2人はその中にシートを入れると掘り返した分の土を逆にかぶせた。
「…………これでよかった、んだよね」
紐で縛ったブルーシートが黒っぽい土ですっかり隠れて見えなくなった後、ぽつりと摩耶がつぶやく。目の端に涙が光っている。
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