向こう側で、私は。

3×3花

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第2話「巣立ち」

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 どれくらい眠っていただろうか。ヒナはきしむ体を無理やり動かし起き上がった。すでに陽は沈み、夜がやってきていた。ヒナは顔を上げ、夜空を始めてみたかのように感動を覚えた。
「きれい…」小さくつぶやく。しかし、気温に合わない服装はそんな感動をからかうかのようにゆらゆらと揺れ動いた。ヒナはまた地面に体を倒し、夜空を眺める形になった。
「これから、どうしよう…。」空を眺めていると、ヒナはだんだんと自身の「何もない」という状況に不安を覚え始める。本来ならば、とうの昔に発狂しているような事案だ。しかしヒナはそれに気づくのに時間がかかってしまったようだった。
「森には、果物があるし、寒いけどここなら安心して寝られる。…硬いけど…。」そう考えてここに寝転んでいる、そう心の中で考えを照らし合わせた。しかし、ヒナの心には、何か引っかかるものが残っていた。この森を出ない。ここで暮らす。その選択肢は、もとより存在していないのではないか?それを誰かに許されていないのではないか?誰に?どうして?ヒナは考えれば考えるほど自身の気持ちや思考に懐疑的になっていった。
「…本当にどうしたらいいのかな…。」考えるうちに泣きそうになってしまう。夜空がぼやけ始めたその時、彼女の脳裏に名前もわからない誰かの声が聞こえてきた。幻聴というよりは、ありもしない記憶を思い起こすような不思議な感覚。ヒナはその蜃気楼のような記憶を引っ張ろうと心の中でもがいた。すると、だんだんとその記憶は形になって姿を現した。
『…ヒナ。悩まなくていいの。あなたは…あなたの正しいと思うことをしなさい…。』
(誰だろう…暖かな声…)声の主はわからない。しかし、そのセリフは、ヒナを決心させるには十分すぎるだけの言霊を持っていた。
「うん、私頑張るよ、えふ…。あれ?」一瞬何か思い出しかけた。それはきっと、声の主の名前だ。しかしその記憶は声の記憶とともにどこかへ消え去ってしまった。ヒナは寂しさも感じつつ、体をもう一度起き上がらせた。
「うん、大丈夫!もう立てるわ!」ヒナは軽く飛んでみせた。リンゴの力なのか、寝たからなのか、ヒナの体にはすでに疲労感はなくなっていた。
「じゃあ、まずは森を抜けること!それが目標ね!」ヒナは神殿を離れようとして後ろを振り返る。そこには、古い神殿と羽をもつ人間の石像。それを見て彼女はにこっと笑いかけて言った。
「行ってきます!」

 + + + + +

 森は半日かけて歩き続けても出口さえ見えなかった。ヒナは始めこそ意気揚々と歩いていたが、なかなか終わらない活動にだんだんと嫌気がさしてきてしまう。誰でもそうだろう、要は飽きてしまったのだった。代り映えのしない景色にいら立ちが募ってくる。ヒナはついに仰向けに倒れこんだ。
「もう!なんで出口がないのよ!」大きな声を出す。しんとした森の中に、彼女の声が小さく響き渡る。虚しさを感じ、ヒナは起き上がった。
「なんで出口がないんだろう?景色が同じすぎてどれくらい歩いたか…あれ?」ふとヒナはあることに気づき、目の前にある木を見つめた。
 その木は、特段とほかの木と変わらないただの木なのだが、何か大きな動物がつけたであろう大きなひっかき傷があるのだ。その木は、ヒナがまだ到達していない場所にそびえたっていた。しかし、ヒナはその木に見覚えがあった。
「この傷、さっきも見たわ。なんで目の前にあるの?」似たような木の可能性。ヒナはまずそれを考える。しかし頭の片隅にもう一つの可能性が浮かんでしまう。それは今の彼女にとって、当たり前のこととは到底言えない考えだった。
「まさか、同じところをずっと歩いてる…?」しかし、それが正解なのであれば、これだけ歩き続けても出口がないのにも納得がいく。
「でも、さっきの建物には一度もたどり着いてない…ってことは、森全体がこの不思議な状態になっているわけではないってことかな。」
 半ばそれは願望である。ヒナにとって、ただループしているだけで実際は小さい森である方が楽に出られる気がしたのだ。ふつうはそんな魔法のような状況を目の当たりにしたら絶望しそうなものだが、なぜかヒナはどうにかできそうな気がしたのだった。
「さて…。」ヒナは目を閉じて集中した。何か感じそうな気がする。根拠はなくても感覚を信じよう。ヒナはそう言い聞かせた。
 しばらくじっとしていると、自分の周りに膜のようなものが囲っているイメージが浮かんだ。それはまるでヒナに嫌がらせをしているのではなく、ヒナを何かから守ろうとしているような、包み込んでいるイメージだった。
(そっか、起きた時からの温かな感じは、この膜のおかげだったんだ。)
 ヒナは目を開き、見えない壁に向かって小さくつぶやいた。
「ありがとう。私が弱かったから助けてくれてたのよね。…でも大丈夫。一人でも、大丈夫だよ。」
 言い切った瞬間、何かがふわっと浮かび上がるような気がした。温かな部屋から一歩外に出たかのような感覚。ヒナは自分がループから抜け出したのだと気づいた。
「よし、これで…」しかし、現実というものはそううまくいかないものである。彼女の目の前には、ヒナよりも大きな白銀の狼がヒナをにらんでいたのだった。
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