ニルヴァーナ――刃鳴りの調べ、陰の系譜、新陰流剣士の激闘(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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 蔵人は精神的な麻痺からまだ立ち直れずにおり、咄嗟に考えることができない。
「喜び、怒り、悲しみ――そういった戦いにおいては邪魔となる感情が人の根幹を成しておる。だが、それに囚われておると、刹那の遅滞が命取りとなる戦(いくさ)の場では敗北を招く。では、どうすればいい?」
 一息に語った文五郎は、ここで一息を置いた。蔵人の理解が追いつくのを待っているようだ。
「――人でなくなる、それが答えだ」
「人でなくなる?」
 兄弟子の言葉に疑問を投げかけながらも、一方で蔵人は得心がいく。
 西江水に入った文五郎の見せた気配、そして先ほどまで己が感じていた世界……それらはまさしく、言葉の通りの境地だった。
「草木のように其処に在り、死を感じず、ただ己の営みを続ける。この境地において、兵法は真の完成を見せる」
 そこまで告げた文五郎はここで、「だが」と恐れを含んだ険しいものへ口調を変える。
「その境地に長くいれば魂が磨耗し、人は狂う。喜怒哀楽を感じぬ人は、人ではない――そこに現われるのは、心を失くした肉を持った傀儡だ」
 ……――慄きを持って語る文五郎の言葉を、蔵人は極度の緊張に口の渇きを覚えながら聞いた。
「徐々に慣れていくことで、西江水の境地で狂わずにいる時間は延ばしていくことができる。だが、気をつけろ――己が力量を弁えずに留まれば、虚無に呑まれるぞ」
 文五郎は自身にも言い聞かせるように告げる。そして、
「儂も、それが恐ろしく思え、西江水の境地は容易に用いる気にはなれぬ……」
 とぽつりと呟いた。
 その言葉を重く受け止め、蔵人は肝に銘じる――。

 それからほどなくして、平戸の湊へ物見(斥候)に出ていた透波の一人が戻り、南蛮人たちが上陸する素振りを見せていることを報告した。
 それを受けて、蔵人たちは決死の覚悟を固め、寺を後にする……
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