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「起――」
「起き――勝」
「起きろ、尚勝」
曖昧だった声がはっきりと聞こえたところで、尚勝はまぶたを開ける。
そこは上田城下の尚勝たちに与えられた屋敷の、尚勝の寝室だ。
天井の木目と、心配顔の甚之丞が視界に入っている。
全身を冷たく捕えていた絶望が、ゆっくりと溶けていくのがわかった――。
「また、うなされていたのか、おれは?」
尚勝の問いかけに、甚之丞は小さく顎を引く。
――さよとの別れから十年以上、正確には十二年の月日が過ぎている。一〇代半ばの少年だった渠らも、二〇代半ばの若者へと成長していた。
だが、それでも時折、尚勝は悪夢にうなされることがあるのだ。
そんなとき、甚之丞がこちらの異変に気づいて起こしてくれる――ありがたい。
「まさかお前、虎三郎と“同じ”趣向の持ち主じゃないよな?」
「気持ち悪いからやめてくれ」
照れ隠しの皮肉に、甚之丞は顔を歪めてみせた。
そこには、傀儡子として生きていた頃と“変わらぬもの”があった。信頼を寄せるいとこ、そして朋友たち。
しかし、世の中は大きく変わった。
……まず、武田家が滅びている。
後世、定説のごとき言われるように必ずしも、武田家を継いだ武田四郎勝頼が無能だったわけではない。武田勝頼は、長篠の役までは負けを知らず、父ですら陥(お)とすことのできなかった高天神城さえ手に入れていた――それが過信につながった可能性は否めないが。
また、当時の武田家は、諏訪氏として高遠で軍団を形成していた勝頼が――四男であるため当初は家督を継ぐ立場になく、母が諏訪氏の出だったため諏訪氏を継いでいた――その家臣団をひきいて甲斐の武田家を相続したという側面があり、信玄につかえていた家臣団と勝頼の家臣団との間に軋轢が生じた。一枚岩でない武田軍はそれぞれ勝手な動きをしたのだ。
そこに、これまで勝ちつづけてきた自信と、直情的な性格が加わり、いったん攻撃をはじめると引き返すことができなくなっていた。信玄が得意とした心理戦や情報戦をおこなわないまま、突撃した武田軍は敗れるべくして破れた。勝頼だけに責任を負わすのは気の毒だろう。
――一方、尚勝が仕える武藤喜兵衛もまた運命に翻弄された。
父が病没し、長篠の役で兄たちもこの世を去った。よって、喜兵衛は家督を継ぎ、真田源五郎昌幸となった。
天正十年三月、昌幸のつかえていた武田家は織田信長によって滅ぼされる。これ以後、昌幸は真田家をなんとか存続させるために、周囲の強力な大名たちの間を渡り歩くことになった。織田、北条、徳川と――。
しかし、徳川についたものの、北条と和睦してしまい、その際の講和条件のなかに上州沼田を北条領とし、信州佐久郡と甲州都留郡を徳川領とするという文言が盛り込まれた。このうち沼田は真田の領地であり、それが当の真田側になんの相談もなくゆずり渡されることとなったのだ。
むろん、徳川にも事情はある。それは中央の政情の変化だ。信長亡きあとの天下をひそかに狙っていた家康だったが、謀反人の明智光秀に羽柴秀吉が討ち取り、その力がこの時期増大していた。両者がやがて衝突することになるのは確実――となれば、家康としては北条と対立したままでいることは危険だ。そのため、徳川の損にならなければ真田の領地をゆずり渡すことなど小さなことだった。
これを受けて、昌幸と家臣の間で談合が開かれる――。
家臣はこう発言した。
「これまで家康公にご忠節を尽くしてきたのですから、沼田をお渡しすれば、すぐにも替地をくだされることでしょう。仰せられるとおりにしてもよろしいかと存じます」
これを聞いた昌幸は、
「お前たちの申すのももっともだ。しかしながら、沼田を渡したあと替地を与えられず、そればかりか上田をも渡せと言ってきたときはどうする」
と告げる。
「さような理不尽なことはまさかあるまいと。もしそのようなことがあったならば、われわれは一命を捨てて篭城いたします」
「沼田を渡して窮したあとでもらうはずのお前たちの命、たったいまもらい受けることにする。どうせ徳川と手切れするのなら、沼田を抱えたまま手切れしたほうが得策ではないか」
重臣の言葉に、昌幸はおおいに笑いながらこう応じた。
そして、家康の使者に対して、
「沼田は徳川殿よりも北条よりももらい受けたる領地ではなく、この昌幸が武勇にて切り取った領地。それを北条に渡せとは思いのほかのことであり、もはやお味方として忠節を尽くしても無意味なことである」
と言い放っている。
「起――」
「起き――勝」
「起きろ、尚勝」
曖昧だった声がはっきりと聞こえたところで、尚勝はまぶたを開ける。
そこは上田城下の尚勝たちに与えられた屋敷の、尚勝の寝室だ。
天井の木目と、心配顔の甚之丞が視界に入っている。
全身を冷たく捕えていた絶望が、ゆっくりと溶けていくのがわかった――。
「また、うなされていたのか、おれは?」
尚勝の問いかけに、甚之丞は小さく顎を引く。
――さよとの別れから十年以上、正確には十二年の月日が過ぎている。一〇代半ばの少年だった渠らも、二〇代半ばの若者へと成長していた。
だが、それでも時折、尚勝は悪夢にうなされることがあるのだ。
そんなとき、甚之丞がこちらの異変に気づいて起こしてくれる――ありがたい。
「まさかお前、虎三郎と“同じ”趣向の持ち主じゃないよな?」
「気持ち悪いからやめてくれ」
照れ隠しの皮肉に、甚之丞は顔を歪めてみせた。
そこには、傀儡子として生きていた頃と“変わらぬもの”があった。信頼を寄せるいとこ、そして朋友たち。
しかし、世の中は大きく変わった。
……まず、武田家が滅びている。
後世、定説のごとき言われるように必ずしも、武田家を継いだ武田四郎勝頼が無能だったわけではない。武田勝頼は、長篠の役までは負けを知らず、父ですら陥(お)とすことのできなかった高天神城さえ手に入れていた――それが過信につながった可能性は否めないが。
また、当時の武田家は、諏訪氏として高遠で軍団を形成していた勝頼が――四男であるため当初は家督を継ぐ立場になく、母が諏訪氏の出だったため諏訪氏を継いでいた――その家臣団をひきいて甲斐の武田家を相続したという側面があり、信玄につかえていた家臣団と勝頼の家臣団との間に軋轢が生じた。一枚岩でない武田軍はそれぞれ勝手な動きをしたのだ。
そこに、これまで勝ちつづけてきた自信と、直情的な性格が加わり、いったん攻撃をはじめると引き返すことができなくなっていた。信玄が得意とした心理戦や情報戦をおこなわないまま、突撃した武田軍は敗れるべくして破れた。勝頼だけに責任を負わすのは気の毒だろう。
――一方、尚勝が仕える武藤喜兵衛もまた運命に翻弄された。
父が病没し、長篠の役で兄たちもこの世を去った。よって、喜兵衛は家督を継ぎ、真田源五郎昌幸となった。
天正十年三月、昌幸のつかえていた武田家は織田信長によって滅ぼされる。これ以後、昌幸は真田家をなんとか存続させるために、周囲の強力な大名たちの間を渡り歩くことになった。織田、北条、徳川と――。
しかし、徳川についたものの、北条と和睦してしまい、その際の講和条件のなかに上州沼田を北条領とし、信州佐久郡と甲州都留郡を徳川領とするという文言が盛り込まれた。このうち沼田は真田の領地であり、それが当の真田側になんの相談もなくゆずり渡されることとなったのだ。
むろん、徳川にも事情はある。それは中央の政情の変化だ。信長亡きあとの天下をひそかに狙っていた家康だったが、謀反人の明智光秀に羽柴秀吉が討ち取り、その力がこの時期増大していた。両者がやがて衝突することになるのは確実――となれば、家康としては北条と対立したままでいることは危険だ。そのため、徳川の損にならなければ真田の領地をゆずり渡すことなど小さなことだった。
これを受けて、昌幸と家臣の間で談合が開かれる――。
家臣はこう発言した。
「これまで家康公にご忠節を尽くしてきたのですから、沼田をお渡しすれば、すぐにも替地をくだされることでしょう。仰せられるとおりにしてもよろしいかと存じます」
これを聞いた昌幸は、
「お前たちの申すのももっともだ。しかしながら、沼田を渡したあと替地を与えられず、そればかりか上田をも渡せと言ってきたときはどうする」
と告げる。
「さような理不尽なことはまさかあるまいと。もしそのようなことがあったならば、われわれは一命を捨てて篭城いたします」
「沼田を渡して窮したあとでもらうはずのお前たちの命、たったいまもらい受けることにする。どうせ徳川と手切れするのなら、沼田を抱えたまま手切れしたほうが得策ではないか」
重臣の言葉に、昌幸はおおいに笑いながらこう応じた。
そして、家康の使者に対して、
「沼田は徳川殿よりも北条よりももらい受けたる領地ではなく、この昌幸が武勇にて切り取った領地。それを北条に渡せとは思いのほかのことであり、もはやお味方として忠節を尽くしても無意味なことである」
と言い放っている。
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