真田の傀儡子(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

文字の大きさ
29 / 80

29

しおりを挟む
     ● ● ●

「起――」
「起き――勝」
「起きろ、尚勝」
 曖昧だった声がはっきりと聞こえたところで、尚勝はまぶたを開ける。
 そこは上田城下の尚勝たちに与えられた屋敷の、尚勝の寝室だ。
 天井の木目と、心配顔の甚之丞が視界に入っている。
 全身を冷たく捕えていた絶望が、ゆっくりと溶けていくのがわかった――。
「また、うなされていたのか、おれは?」
 尚勝の問いかけに、甚之丞は小さく顎を引く。
 ――さよとの別れから十年以上、正確には十二年の月日が過ぎている。一〇代半ばの少年だった渠らも、二〇代半ばの若者へと成長していた。
 だが、それでも時折、尚勝は悪夢にうなされることがあるのだ。
 そんなとき、甚之丞がこちらの異変に気づいて起こしてくれる――ありがたい。
「まさかお前、虎三郎と“同じ”趣向の持ち主じゃないよな?」
「気持ち悪いからやめてくれ」
 照れ隠しの皮肉に、甚之丞は顔を歪めてみせた。
 そこには、傀儡子として生きていた頃と“変わらぬもの”があった。信頼を寄せるいとこ、そして朋友たち。
 しかし、世の中は大きく変わった。

 ……まず、武田家が滅びている。
 後世、定説のごとき言われるように必ずしも、武田家を継いだ武田四郎勝頼が無能だったわけではない。武田勝頼は、長篠の役までは負けを知らず、父ですら陥(お)とすことのできなかった高天神城さえ手に入れていた――それが過信につながった可能性は否めないが。
 また、当時の武田家は、諏訪氏として高遠で軍団を形成していた勝頼が――四男であるため当初は家督を継ぐ立場になく、母が諏訪氏の出だったため諏訪氏を継いでいた――その家臣団をひきいて甲斐の武田家を相続したという側面があり、信玄につかえていた家臣団と勝頼の家臣団との間に軋轢が生じた。一枚岩でない武田軍はそれぞれ勝手な動きをしたのだ。
 そこに、これまで勝ちつづけてきた自信と、直情的な性格が加わり、いったん攻撃をはじめると引き返すことができなくなっていた。信玄が得意とした心理戦や情報戦をおこなわないまま、突撃した武田軍は敗れるべくして破れた。勝頼だけに責任を負わすのは気の毒だろう。
 ――一方、尚勝が仕える武藤喜兵衛もまた運命に翻弄された。
 父が病没し、長篠の役で兄たちもこの世を去った。よって、喜兵衛は家督を継ぎ、真田源五郎昌幸となった。
 天正十年三月、昌幸のつかえていた武田家は織田信長によって滅ぼされる。これ以後、昌幸は真田家をなんとか存続させるために、周囲の強力な大名たちの間を渡り歩くことになった。織田、北条、徳川と――。
 しかし、徳川についたものの、北条と和睦してしまい、その際の講和条件のなかに上州沼田を北条領とし、信州佐久郡と甲州都留郡を徳川領とするという文言が盛り込まれた。このうち沼田は真田の領地であり、それが当の真田側になんの相談もなくゆずり渡されることとなったのだ。
 むろん、徳川にも事情はある。それは中央の政情の変化だ。信長亡きあとの天下をひそかに狙っていた家康だったが、謀反人の明智光秀に羽柴秀吉が討ち取り、その力がこの時期増大していた。両者がやがて衝突することになるのは確実――となれば、家康としては北条と対立したままでいることは危険だ。そのため、徳川の損にならなければ真田の領地をゆずり渡すことなど小さなことだった。
 これを受けて、昌幸と家臣の間で談合が開かれる――。
 家臣はこう発言した。
「これまで家康公にご忠節を尽くしてきたのですから、沼田をお渡しすれば、すぐにも替地をくだされることでしょう。仰せられるとおりにしてもよろしいかと存じます」
 これを聞いた昌幸は、
「お前たちの申すのももっともだ。しかしながら、沼田を渡したあと替地を与えられず、そればかりか上田をも渡せと言ってきたときはどうする」
 と告げる。
「さような理不尽なことはまさかあるまいと。もしそのようなことがあったならば、われわれは一命を捨てて篭城いたします」
「沼田を渡して窮したあとでもらうはずのお前たちの命、たったいまもらい受けることにする。どうせ徳川と手切れするのなら、沼田を抱えたまま手切れしたほうが得策ではないか」
 重臣の言葉に、昌幸はおおいに笑いながらこう応じた。
 そして、家康の使者に対して、
「沼田は徳川殿よりも北条よりももらい受けたる領地ではなく、この昌幸が武勇にて切り取った領地。それを北条に渡せとは思いのほかのことであり、もはやお味方として忠節を尽くしても無意味なことである」
 と言い放っている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

無明の彼方

MIROKU
歴史・時代
人知を越えた魔性を討つ―― 慶安の変を経た江戸。女盗賊団が夜の中で出会ったのは、般若面で顔を隠した黒装束の男だった…… 隻眼隻腕の男、七郎は夜の闇に蠢く者たちと戦う。己が使命に死すために(※先に掲載した「柳生の剣士」の続編です)。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

高天神攻略の祝宴でしこたま飲まされた武田勝頼。翌朝、事の顛末を聞いた勝頼が採った行動とは?

俣彦
歴史・時代
高天神城攻略の祝宴が開かれた翌朝。武田勝頼が採った行動により、これまで疎遠となっていた武田四天王との関係が修復。一致団結し向かった先は長篠城。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

処理中です...