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「徳川との戦が近いな」
甚之丞の言葉に尚勝は我に返る。どうやら、考えていたことは同じらしい。鬱屈とした思いが胸にわだかっている。
舞台となるのは、沼田割譲が決まった翌年から新たに建設した上田城と、この城下だ。
「御屋形様につかえはじめたころは、あの武田が滅びるとは思わなかった」
「しかも、武田があの織田の大うつけに滅ぼされるなんてな――」
尚勝の言葉に、甚之丞も驚きのこもった声で応じる。
「それどころか、今や地下の倅が織田の殿様の仇をとって、その後釜についた」
世の変遷の激しさは、まるで山の天気のようだと尚勝は思った。
羽柴秀吉が隆盛を誇るいっぽうで、自分たちはどうだ?
安泰だと思っていた武田家の陪臣の地位を失い、徳川に軍勢をさしむけられ近いうちに滅ぼされてしまうやもしれぬ……。
二
「御屋形様が武勇によって勝ち取った沼田の割譲を不条理にも決めた、徳川の奴輩に目のもの見せてやるのだ!」
尚勝たち騎馬武者をひきいる物頭が、麾下の者たちを激励せんと叫ぶ。場所は、上田城下から小諸方向へ向かう北国街道だ。神川のほとりをめざしていた。
だが、重臣たちはともかく、派遣された将兵の数は七〇〇〇、これに対して真田の兵力は二〇〇〇……しかも、どこかに攻め入るわけではないから恩賞もそう望めない、となるとあまり士気が高くなるはずもない。
尚勝も例外ではなかった――が、理由はほかの者たちとは異なる。
おれは、どうして戦うのか?
そんな思いが去来しているが、それは臆病風に吹かれてではない。
武田信玄の死を受けて甲府にもどる途上――今では、あの帰国が渠の死によるものだと知っている――源蔵に「それで、どうする?」と聞かれて、「――つづける」とこたえた大きな要因は実は“さよを娶(めと)りたい”という思いにあった。
傀儡子などという化外の民では、闇に生きる者とはいえ武家につかえる者を嫁に迎えるのには気後れする。その点、いっぱしの武士であれば誰はばかることなく彼女に嫁入りを求めることができる、そんなふうに心のなかでは考えていた。
……しかし、さよはどこぞへ消えてしまった。武田信玄の急死を受けて混乱するなか、失踪してしまったのだ。
なのに、おれはどうして戦う? この先になにがある?
父と母、さよ、と尚勝は多くのものを失い傷つき過ぎた――ために、もう女人とねんごろな仲になることもなく、十年以上の年月をすごしてきた。なさけないことだが、また失うことが恐ろしかったのだ。喪失の痛みはいまだに古傷が痛むようにしてうずくことがある。
しかし、それを口に出すわけにはいかない。
それはいとこと朋友への重大な裏切りだ。渠らが武士としての道を進みつづけてきたのは尚勝が「――つづける」と告げたからなのだから。
「なーに、昏(くら)い顔をしてるんだい、尚勝?」
そんな渠に、虎三郎が馬を寄せてくる。目には蠱惑的な色を浮かべていた。
ただ、女性ですら近づけないというのに、男を“相手に”する気など毛頭あるはずがない。
「おまえという人間がなぜ生きていられるのか、世の不公平さをなげいておったのだ」
「どういう意味だ!?」
「“化生”は退治されるのが筋というものだ」
「誰が化生だ!」
いい加減、尚勝と虎三郎のやり取りも真田家中に浸透していて、周囲の騎馬武者が吹き出す音がいくつももれる。
――馬鹿なやり取りのおかげで、尚勝は少し気力をとりもどした。
武士となったのは、誰でもないおれの決断だ――。
傀儡子として生まれて不運にみまわれるというふうに、己の意思など関係なく理不尽をしいられたわけではない。ならば、つらい出来事も己が望んだ“途(みち)”がもたらした結果のひとつとして、受け入れなければならないはずだ。
三倍以上の圧倒的な数の軍兵を相手にする、その状況に置かれて、やっと尚勝は十年以上胸のうちに抱えていたものに答えを見いだした気がする。
甚之丞の言葉に尚勝は我に返る。どうやら、考えていたことは同じらしい。鬱屈とした思いが胸にわだかっている。
舞台となるのは、沼田割譲が決まった翌年から新たに建設した上田城と、この城下だ。
「御屋形様につかえはじめたころは、あの武田が滅びるとは思わなかった」
「しかも、武田があの織田の大うつけに滅ぼされるなんてな――」
尚勝の言葉に、甚之丞も驚きのこもった声で応じる。
「それどころか、今や地下の倅が織田の殿様の仇をとって、その後釜についた」
世の変遷の激しさは、まるで山の天気のようだと尚勝は思った。
羽柴秀吉が隆盛を誇るいっぽうで、自分たちはどうだ?
安泰だと思っていた武田家の陪臣の地位を失い、徳川に軍勢をさしむけられ近いうちに滅ぼされてしまうやもしれぬ……。
二
「御屋形様が武勇によって勝ち取った沼田の割譲を不条理にも決めた、徳川の奴輩に目のもの見せてやるのだ!」
尚勝たち騎馬武者をひきいる物頭が、麾下の者たちを激励せんと叫ぶ。場所は、上田城下から小諸方向へ向かう北国街道だ。神川のほとりをめざしていた。
だが、重臣たちはともかく、派遣された将兵の数は七〇〇〇、これに対して真田の兵力は二〇〇〇……しかも、どこかに攻め入るわけではないから恩賞もそう望めない、となるとあまり士気が高くなるはずもない。
尚勝も例外ではなかった――が、理由はほかの者たちとは異なる。
おれは、どうして戦うのか?
そんな思いが去来しているが、それは臆病風に吹かれてではない。
武田信玄の死を受けて甲府にもどる途上――今では、あの帰国が渠の死によるものだと知っている――源蔵に「それで、どうする?」と聞かれて、「――つづける」とこたえた大きな要因は実は“さよを娶(めと)りたい”という思いにあった。
傀儡子などという化外の民では、闇に生きる者とはいえ武家につかえる者を嫁に迎えるのには気後れする。その点、いっぱしの武士であれば誰はばかることなく彼女に嫁入りを求めることができる、そんなふうに心のなかでは考えていた。
……しかし、さよはどこぞへ消えてしまった。武田信玄の急死を受けて混乱するなか、失踪してしまったのだ。
なのに、おれはどうして戦う? この先になにがある?
父と母、さよ、と尚勝は多くのものを失い傷つき過ぎた――ために、もう女人とねんごろな仲になることもなく、十年以上の年月をすごしてきた。なさけないことだが、また失うことが恐ろしかったのだ。喪失の痛みはいまだに古傷が痛むようにしてうずくことがある。
しかし、それを口に出すわけにはいかない。
それはいとこと朋友への重大な裏切りだ。渠らが武士としての道を進みつづけてきたのは尚勝が「――つづける」と告げたからなのだから。
「なーに、昏(くら)い顔をしてるんだい、尚勝?」
そんな渠に、虎三郎が馬を寄せてくる。目には蠱惑的な色を浮かべていた。
ただ、女性ですら近づけないというのに、男を“相手に”する気など毛頭あるはずがない。
「おまえという人間がなぜ生きていられるのか、世の不公平さをなげいておったのだ」
「どういう意味だ!?」
「“化生”は退治されるのが筋というものだ」
「誰が化生だ!」
いい加減、尚勝と虎三郎のやり取りも真田家中に浸透していて、周囲の騎馬武者が吹き出す音がいくつももれる。
――馬鹿なやり取りのおかげで、尚勝は少し気力をとりもどした。
武士となったのは、誰でもないおれの決断だ――。
傀儡子として生まれて不運にみまわれるというふうに、己の意思など関係なく理不尽をしいられたわけではない。ならば、つらい出来事も己が望んだ“途(みち)”がもたらした結果のひとつとして、受け入れなければならないはずだ。
三倍以上の圧倒的な数の軍兵を相手にする、その状況に置かれて、やっと尚勝は十年以上胸のうちに抱えていたものに答えを見いだした気がする。
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