上 下
71 / 207
チャプタ―74

チャプタ―74

しおりを挟む
 剣術の稽古の相手を所望するのは、平兵衛だけではない。
 島津四兄弟のひとり、兵庫頭もまた「その優れた業前、わしの技倆の向上に役立てよ」と市右衛門に命じたのだ。

 それで時おり稽古場で――といっても、この時代の常で屋外でそう呼び習わす場所があるだけだ――市右衛門は兵庫頭と袋鞱の剣尖を向け合うことがあった。
 これは、万が一にも当主の弟――場合によっては次の島津家の後継者を怪我させる訳にはいかないと稽古に取り入れた物だ。
 袋鞱は新陰流の開祖である上泉伊勢守信綱が、負傷することを心配をせずに稽古ができるよう考案した品だ。着物に袴を付けただけの状態で木剣で激しく打ち合う稽古方式では、裂傷や骨折は日常茶飯事で、重くすると不具になることや命を落とすことも度々あった。そういうことを防ぐために、馬皮で出来た鞘袋に割竹を入れた物を考案した。
 袋鞱は『ひきはだしない』とも呼ばれるが、これは皮を引き締めるために薬を混ぜた漆を塗ると乾燥するにつれ表面に無数の皺が生じるので、その紋様が『ひきがえる』の肌の様子に似ているところから来ている。
 市右衛門の師である清次郎とも、領地が失われる前はこれで打ち合っていたものだ。
 今は「それがしの業前を若は凌駕なされた」と言ってこちらを指導するのを止めている。それどころか、命を一度落としたことが渠の中の“なにか”を変えたのか生前はあれだけ一心に追及していた剣の道も半ば捨てたような有様だ。
“変わってしまった”のは、市右衛門だけではないということだろう――。
しおりを挟む

処理中です...